幕末女史と移り気の少年

喜岡 せん

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【幕末女史と移り気の少年】

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 信じた先にあるものって、いったいなんなんだろう。

 午後四時半の図書室。教室棟から離れた場所にあるここは利用者が少なく、自ずから静かな空気が流れている。
 放課後は部活の時間で、バスケ部に所属しているオレは本当なら体育館に向かわなければいけないのだが、最近はバスケも飽きて面倒だと感じるようになっていた。練習はただきついばかりで、試合にも出れない。これの何が楽しいんだろう。
 そうやって最近見つけた逃げ道が図書室だった。
 日本作家、外国作家、ライトノベル、技術書、歴史書、辞典。様々なコーナーを過ぎて奥に見えてくるのは慣れ親しんだ畳の座敷だ。オレは適当な本を引っ張り出して畳に寝転ぶ。本を読んでいる風にしないとここの先生がうるさいのだ、別に読むわけじゃない。
 本を開いて光除けに顔の上に乗せる。寝落ちたように見せるのがポイントだ。
 開室時間は十八時まで。それまではゆっくり寝て、部員にバレないように校門を出る。それがここ最近のオレの日課。そしていつものように深い眠りに入ろうとしていた、その時だった。
 人が隣に座る気配がした。相手はオレが寝ているもんだと勘違いをしているらしい。いや、そう見えてるのが一番ベストなのだが。まあ、どうせすぐに消えるだろう。
 そう思って十分、二十分――三十分が過ぎた。
 ……まだいる。気配がする。
 まさかここで一冊読むつもりなのだろうか。もっと別の場所があるはずなのになんでわざわざここに来た。
 早くどこかへ行ってくれ。気が散る。頼む。オレの睡眠の邪魔をしないでくれ。
 そうやってまた十分が過ぎた。
 相変わらず微動だにしない。気配が、だ。なんとなくわかるだろ。
 時計の針の音がやけに耳につく。人の足音、外の声、風が吹く音。
 いろんな音が聞こえてきて――そのなかに、人がすすり泣く声も聞こえてきた。
 すすり泣く声。考えなくてもオレの隣の奴だと判った。
 ぎょっとして顔を上げたのが、オレの運命の出会いだったんだと思う。それはあとになって気づいたことだけど。
 日本人形みたいに黒くて、長い髪だった。前髪の下から見える目から大粒の涙が溢れる瞬間。
 頬を伝って、雫が落ちる。それが制服の上に落ちて、染みを作った。
 それが綺麗だと思ったのは一体どうしてなのだろう。
 その日本人形みたいな女の子が、不意にこっちを向いて――目が合った。
 「………………え」
 「……あ、いや、その」
 気まずい。とても。
 が、ここで泣いている女の子を放って図書室を出たら感じ悪いと思われる。絶対。それに相手がもしオレのことを知っていたらバスケ部のキャプテンや顧問に告げ口をされる可能性もある。
 彼氏に振られたのだろうか。それとも誰かの不幸があったか。
 なんにせよ、彼氏の不幸で嘆いている女の子を慰めて好感を持ってもらいつつ、主将や顧問に告げ口をしないように頼めば万事オーライ、完璧だ。と勝手に彼氏が死んだことにしていると、アクションは向こうから訪れた。
 「えっと、三組のひとだよね?」
 「あ、ああ。……なんか、ごめん」
 「こっちこそごめんね。起きてるって思わなくてさ」
 女の子はそう言って涙を拭った。そして、脇に積まれた本を見て溜息を吐く。
 その仕草があまりにも可憐で、胸が高まって――。なんだ、これは、いったい。自分でも顔が熱いのが判り、それを悟られまいとオレは口早に口を開いた。「そういえば、なんの本読んでたんだ?」
 「『新選組血風録』。司馬遼太郎の」
 「……なんか、難しそうなもん読んでるんだな」
 「む、難しい……そうだよね、一般的な女子高校生はこんなの読まないもんね」
 そう言い切ると、なんだか寂しそうに、そして悲しそうに目を伏せた。
 「もしかして、自分が他のひとと違うから泣いてたのか?」
 確かに、新選組とかいうのはオレでも名前しか知らないくらいマニアックなジャンルだとは思う。が、ひとの好きなものにいちゃもんつけてご満悦してる奴らが彼女の涙の原因なら、そんな奴らをぶっ飛ばして詫びを入れさせてやりたい。
 などと、名前も知らない女の子のために怒りを燃やしていると「違うの」と返事が来た。……違う?
 「私ね、辛くて泣いてたの。どうして彼は死ななくちゃならなかったのかって。絶対に死ぬって分ってるのになんでわざわざ戦いに行くんだろうって」
 死ななくちゃならない。戦いに行く。小説の――新選組の話だろうか。なんいせよ、誰かの不幸であることに変わりはなかったようだ。
 慰めようにも、オレの知識は彼女の話に付いて行けそうになくて、でもどうしても何かを言わなくちゃいけない気がして、兎に角オレは必死に頭をフル回転させる。
 雑誌に載ってた『女の子の気を引く方法』とか『女子がキュンとくる男子の一言』とか、全然そういうのじゃないのに読んでるものが偏り過ぎてそれしか脳裏を過らない。せめて日本史の授業をと思ったが、平清盛と徳川家康は同じ時代だと思ってたオレにはそれも丸っきりだめだった。
 ひとりで悶々と考えていると、また彼女は話し出した。
 「新選組は、江戸時代の後半に出来た組織なの。黒船来航って知ってる?」
 「あ、それなら分かる! 確か……ペリーだろ、あと日米和親条約とかしゅーこーなんたらとか」
 「そう、そのペリーが日本の鎖国を終わらせた。日本は混沌としたの。異国を受け入れて見聞を広めるべきだと言うひともいれば、異国に侵略される前に追い払おうって言うひと、弱くなってきた幕府を潰して天皇中心に新しい世の中を作ろうと言うひと、それから――幕府を守ろうとするひと。そうやって混乱した日本の治安維持のために浪士組が出来て、それが新選組になった。このまま鎖国を続けてもいい、どのみち異国に強行突破されるのは目に見えてる。開国は時代の流れの一部で決して抗えない運命だってわかってたはずなのに、新選組は抗って、抗って、たくさんの仲間が死んでいった。本心では負けるって分ってたはずなのに、どうしてそんなに戦ったんだと思う? ――って、ごめん! そんなこと聞かれても困るよね、ほんとごめん」
 また謝られた。
 まあ、正直、眠くなりそうな話ではあったけれど。
 でも、本当に好きなんだな。
 こういうひとをなんて言うんだっけ。――オタク? いや、彼女はそんな軽いもんじゃなくて……マニア……でもなくて女史せんせい
 そんなことを思いつつ、また泣き出しそうな女史に思わず「そんなことないぞ」と声をかけた。女史の潤んだ瞳が丸くなり、オレを見上げる。それでまた顔が熱くなった。頼むからその顔はやめてほしい。
 「まあ、歴史とか幕府とかよくわかんねえけど、そんなことない……ってオレは思う。誰も困らねえよ。女史のさっきの話、割と分かりやすいって思ったし」
 「……せんせい?」
 「あ、いや、こっちの話! とにかく! ……面白そうだし、その話もっと教えてくれよ」
 つい口走った言葉に「しまった」と思ったが、それに反して女史の顔に大輪の向日葵が咲き誇った。
 ――ちゃんと笑えるじゃねえか。
 少し、ほっとした。



 農民が武士になれるなんてことは、動乱の幕末だったから出来たことだ。
 生まれつき地位も名誉も決まっていて、それ以上を望むことは不可能だった。
 幕末は第二の戦国時代とも言われる。そうやって農民から武士に下剋上したのが新選組だった。
 烏合の衆だった隊を纏めるために作られた厳しい「局中法度」。思想の違いから隊を抜け、敵となったかつての仲間、それを容赦なく斬り捨て、涙を吞んで前に進む男達。
 オレは見るも無残に、女史の話の虜になっていた。
 「……だ、大丈夫?」
 「ああ、大丈夫だ、講義を続けてくれ女史……」
 くっそ~~~! 日本史の授業はなんでこういう大事なところをすっ飛ばすんだ!
 池田屋事件で血を吐いて、戦いたくても病に勝てなかった沖田総司。
 結成当時から共に歩んできたのに、思想を違えて袂を別って敵となり、かつての仲間の手によって命を落とした藤堂平助。
 法度に照らして切腹を命じたのは常に土方歳三。憎まれ役は自分だけでいいって、鬼の副長かっけ~な。それに、どんなに情が厚かろうが隊の規律を乱さないように「法度を破れば切腹」の処罰を例外なく友にまで命じるその鉄の心。あ、でも融通の利かないやつって感じだな。友達だったなら殺さなくても良かったんじゃないか。
 それを女史に言うと「一人の隊士を情に流されて見逃したら『ああ、この人に気に入られれば法度を破っても死なずに済む』『情に流された弱いひとだ』って思うひとが増えて隊の規律が乱れるの。そうならないために、土方さんは友よりも新選組を選んだ……んだと思う」って見解が返ってきて、尚更泣きそうになった。さすが女史。
 女史の話を聞くまで幕末といえば坂本龍馬、薩長同盟、大政奉還ってことしか知らなかった。鳥羽・伏見の戦いも、銃を使う新政府軍に刀で挑む旧幕府軍は敵わないのに馬鹿だなーって思ってたし、歴史の先生もそう笑って言っていた。今となっては殺意が湧く。
 時代を進めた薩長や坂本龍馬や木戸孝允が正しい、無血開城した徳川慶喜は偉いって授業ではそう教わったし、観光名所でも西郷どんとか龍馬とか大久保利通は英雄視されてる。そうやって明治維新があって、日本は急速に発達した。
 けれど、そこに辿り着くまでの新選組というドラマがある。
 そうだ、彼らの生き様はドラマだ。オレは明日からの人生の指針を新選組にしよう。
 そしてオレは、ひとつの答えに行き着いた。
 「……分かった。分かったぞ、女史!」
 「わ、分かったって何が……?」
 「女史言ってたろ、どうして負けるって分かってた戦に向かっていったのかって。オレはたぶん──あいつらが男だったからだと思うぜ」
 自信ありげに言い切る。女史はぽかんとしていた。
 「いままでなら農民として一生を終えるはずだったあいつらが、腰に刀を差すだけで武士になって一時は京都と幕府を守ってきたんだろ。ここまでやってきた、オレたちは自分たちの力でここまでのし上がってきたんだっていうプライドがあったんだ。でも新選組の後ろ盾になってくれたのは会津藩の松平容保と徳川幕府で、そいつらがいなかったら新選組は新選組として活動出来なかった。最後まで信じてくれた幕府に恩を返したかったんだ。それに最初に信じた幕府を途中で裏切るような格好悪いことしたくなかったんじゃねぇかな。それこそ男が廃るし武士らしくねぇ。新選組は確かに農民とか浪士とか、行き場のない奴らの集まりだったかもしれないけど……武士よりも武士らしくなりたかったんだと思う」
 
 梅の花 一輪咲いても 梅は梅

 さっき女史に教えて貰った句が頭を過ぎった。土方歳三が詠んだ俳句らしい。俳句のセンスは無いって女史は言うけど、オレは結構素敵だと思う。
 農民が武士になったフリをしても所詮は農民でしかない。それなら武士よりも武士らしい農民になろう。そうすれば誰かがきっと認めてくれる。この句はそんな土方の心情を表している──とは、オレの考察だ。
 語り終わったあと、うんともすんとも言わない女史の顔を恐る恐る覗いて、またぎょっとした。
 笑顔で大粒の涙を零している。
 「ちょ、女史! どうしたんだよ泣き虫か!」
 「うん、私ね、泣き虫なの。感動したらすぐ泣いちゃう」
 そうして泣きながら笑いながら「ありがとう」と言った。泣くのか笑うのかどっちかにしてくれ。心臓に悪い。視界がきらきらする。
 「やっと分かった。君のおかげで知りたかったことがやっと分かったよ。自分が信じたもののために、誰の指図があろうとも真っ直ぐ夢に向かって突き進んでいく。それが最善の道で、決して後悔しない道。それが彼らの生き様なんだ」
 女史の目は涙で潤んで、だけど光に反射して、とても綺麗に澄んでいた。
 何が正解で間違いなのか、それは歴史の当事者にしか分からないし、未来を生きているオレ達が勝手に解釈をしていいものじゃないかもしれない。
 けれど、自分で選んだ道を信じ続けれいればきっと後悔しない未来が待ってる。それはきっと勝敗で分かるものじゃないかもしれない。
 自分で選んだ道を正しいと信じて真っ直ぐ進む。
 ……バスケも、そうなんだろうか。
 テニスもサッカーも野球も、途中で飽きてすぐ辞めた。続かなかった。けどそれは、オレが正面からぶつかって、信じて戦おうってしなかったからだ。
 武士よりも武士らしくあろうとしたあいつらみたいに。
 オレも自分を信じて、時には選んだ道が間違ってるなんて思いながらそれでも続けて、その先にある何かを掴みたい。
 そう思うと、オレはいても立ってもいられなくなって、結局泣き出した女の子を置いて図書室を出ていく羽目になった。
 まずは主将に頭を下げて、顧問に殴られる覚悟で謝って、それからまたイチからバスケをやろう。
 続けたその先に分かるもの。それを掴めたら、もう一度女史と話をしよう。
 そうしてオレは体育館への道を駆けて行ったのだった。


 「……結局、なんで女史なんだろう。聞きそびれちゃった」
 彼女はそう呟いて、頁を捲った。


 (終)

 -参考文献-

 『新選組血風録』-司馬遼太郎
 大河ドラマ『新選組!!』
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