上 下
6 / 19

5

しおりを挟む
まだ物語の半分も消化していない・・・
 過去の記憶を懐かしみ、惜しんでしまうの自分の弱さのせい・・・。
「待って下さい」
 地界の王の居城の終わりが見えない廻廊で、先を行く人物を呼び止めた。
「ケルベロス・・・」
 長い白銀の髪を足元まで伸ばし、動きに合わせて優雅に動く仕草で振り返り、呼び止めたケルベロスの灰色の瞳と、灰金色の瞳がぶつかりあう。
 ずっと追い求め憧れ、これからも永久にその背を見続けていく。
「どうして貴方が戦場に?」
「このまま争いが続けばこちらが敗れる。私が戦場に向い流れを変える」
 今迄この世界で争が起きたのは極僅か、剣を携えている姿など見た事など無かった。
「それなら、私が・・・」
「お前は王の側に・・・」
 ケルベロスの言葉を遮り、軽く首を振って白銀の睫に縁取られた瞳を閉じる。
「貴方が出向く必要など、ありません。例え我々が敗北したとしても、貴方は王の片腕・・・此処で王と共に在るのが貴方の務め」
 きっぱりとケルベロスが言い切る、追い求め続けている存在が天使達と切り結ぶ所など見たくは無かった。
 もし万が一にも負ける事などあれば、他の魔物達にどんな影響を及ぼすか計りかねない。
「ケルベロス・・・王は変化を望んでいる・・・王が変化を望んでいるのはこの世界が変化を求めているからだ・・・」
「天に勝てば、我々の世界は大きく変わるでしょうね・・・」
「例え敗北しても変化は止められない」
 伏せた瞳を開き真っ直ぐにケルベロスを見つめる、変化がどのようにこの世界に影響を与えるのか全てが未知の領域だった。
「貴方はには見えているんですか?未来が」
「・・・後はお前に任せる、お前は王と共に世界の変化を見届けて欲しい」
 再びケルベロスに背を向け歩みを進める、その背を瞳に焼き付けながらまるで遺言の様だと、3人でいるからこその未来である筈が、今道を違えようとしている。
「・・・待っています王の側で。貴方が戻って来るのを・・・、王と貴方が交わした約束の成就を祈っています」
 焦がれ続けた背中を深々と頭を下げ見送る、それが彼を見た最後の姿だった・・・。

「シン会いたかった!」
「セラフィス何故お前が此処に?」
「せがまれてね僕と一緒に来たんだよ。やあ、洸紀君元気だった?」
「久しぶりです、ラフィエルさん。え、と・・・」
 そろそろ銅像の周辺を詮索しに出掛けようと腰を上げた所で、夜に似つかわしくない訪問者が訪れた。
 突然現われたラフィエルと見知らぬ、洸紀よりも少し下に見える少年に戸惑いの表情を浮べる。
「こちらの彼は、セラフィス・・・。僕達と同じ天使で、僕と秦の親友だよ」
 秦を見て涙ぐむセラフィスと紹介された少年は、緩やかな栗色の癖毛を揺らし、太陽の日差しの元に実った鮮やかなオレンジの瞳をしていた。
「ラフィエル・・・何故セラフィスを連れて来た?」
 その問いにラフィエルが苦笑いをしつつ肩を竦め、空いている1人掛けのソファに座った。
「どうしても来たいと言うからね、上がセラフィスの中央界用の器を創ってくれたんだよ」
「そう、中々良い感じだ」
「上はつくづくお前には甘いな」
 セラフィスが自慢げに一回転する姿を、ラフィエルが微笑ましげに眺め、秦が嘆息し洸紀が首を傾げる。
「へえ、お前が『白銀の魔物』?なんかイメージとは違うなー」
 一頻り秦との再会を堪能し次の興味は洸紀へと移り、様々な角度から洸紀を観察する。
「僕は、水村洸紀です」
 不躾に眺められ流石にいい気はしない、やや強い口調で自分の名を告げるとセラフィスのオレンジ色の瞳が細る。
「へえ、なんかラフィが内気な子って言ってたけどそうでも無いじゃん。俺はセラフィス。セフィでもいいぞ」
「セ、セフィさん?」
「セフィ」
 さん付けすると呼び捨てに訂正され、セラフィスの貌がぐっと近付く。
「え、セフィ?」
「そうよろしく」
 貌が離れにんまりと笑いながら洸紀の肩を叩く、外見は人形みたいだけど中身は豪快だと洸紀は乾いた笑みを浮べた。
「それで、用は?」
「用って、シンを手伝いに来たんだ」
「あら、それはいいんじゃないかしら」
 何時の間にか窓から戻って来たラピスが嘴で羽根を整え、セラフィスが両手を振る。
「久しぶりー」
「お久しぶりね、貴方は相変わらずね」
「まあなー」
「手伝いか」
 ラピスが秦の肩に止まり、秦が眉を僅かに顰める。
「そう、やっぱり早く戻って来て欲しいからな。それに会いたかった」
 そんな言葉をはっきりと本人を前に言えてしまえるセラフィスが、今の洸紀には途方も無く遠い存在に思える。
 羨ましくは無いが対等に秦やラフィエルと話し、その2人の友人としての立場にいるセラフィスが眩しく感じられる。
「俺はずっと待っていたさ。ラフィエルがシンのサポートをすると聞かされた時も、上で只待つしか出来なかったけどさ。でも俺にだって手伝える事がある!」
「ああ、分った。但し無茶はするな」
「うん!」
 セラフィスの想いに表情は動かさなかったが、願いを聞き入れるとセラフィスの顔が大輪の花の様に綻ぶ。
「じゃあ、行こうか。洸紀君の剣を見つけ出さないとね」
 ラフィエルが腰を上げ、洸紀の肩を押して外へと促す。
「みんな仲が良いですね」
「ずっと一緒だったからな」
 セラフィスが自慢げに胸を張り、ラフィエルも何処か楽しげにセラフィスの傍らに立ち、その数歩後ろを秦が歩く。
「そう。天にいた頃もこうして、よく4人で過ごしていたんだよ」
「4人?」
「もう1人は、自分の生に恥じない選択をして去って行った」
 此処には3人しかいない、もう1人の行方が気になってしまった洸紀に秦が応えた。
「そう・・・4人が3人になってしまったけど、またこうして同じ場所で並んでいる」
「アイツにはもう会えないけど、シンにはまた会えたから俺は嬉しい」
 その言葉に洸紀はその4人を引き裂いたのは、もしかしたら自分なのかもしれないと気が沈む。
 洸紀に親友は空しかいなかった・・・特に親しい友人を作るつもりもなかった、何故か欲しいと思えなかったからだ。
 今になって思えば本能的に避けていたのかもしれない、大切な存在を多く作らないように。
「そんな顔をするな、お前が招いた結果じゃない」
 それは秦なりの慰めの言葉だった、洸紀もすんなりと受け入れる、言葉で幾ら洸紀が詫びてもそれは『白銀の魔物』の言葉では無い、もし全て思い出す時が来たら、その時自分の気持ちを伝えようと心に決める。
「ありがとう」
 今の洸紀にはその言葉を言うのが精一杯だった、秦は何も言わず先を歩いていた、ラフィエル達が銅像に辿り着く。
「さあ、着いた」
「へえ、此処か」
 歩き始めて十数分4人の目の前には、少女と少年の手が触れ合う寸前の銅像が静かに存在していた。
「でも、いつもに比べたら。なんだか霧が・・・」
「秦・・・」
「ああ」
 夜中の銅像の周辺だけを囲うように、そして徐々に濃くなっていく不自然な霧に秦達が警戒する。
「気配は無い・・・けどいるな」
 セラフィスが鼻を鳴らし、ラフィエルが洸紀を庇いながら周辺を見回す。
「おい、感じないのか?剣の呼ぶ声が」
「う、うん」
 ラピスを自らの剣に変化させ、洸紀に訪ねるが何も感じない。
「ヤバイ、広がってる」
「風で吹き飛ばしてみようか」
 ラフィエルの髪が揺れ風が4人の周辺の霧を吹き飛ばそうとするが、逆に濃く洸紀の周辺を包んでいく。
「しまっ・・・」
「洸紀・・・手を」
 セラフィスとラフィエルが手を伸ばすが、霧は洸紀を呑み込み姿を隠してしまった。
「これが狙いか。セラフィス、ラフィエル来るぞ!」
 洸紀だけを引き離すのが目的だと悟り2人に警戒を促す、霧の向こうで誰かが嗤う気配がする・・・。
「秦来るわよ!」
 剣に変じたラピスが見えない魔物の気配を感じ、秦が正面で構えた。
「へへ、アイツには会いたがっているヤツがいるからな、退場して貰ったぜ。その代わりお前達の相手は俺がしてやるよ!」
 姿は見えないが愉快な声が耳に不快な音として届くと共に、霧の向こうから黒く細い矢が3人に向かって放たれた。
「来るぞ!避けろっ!」
 3人は見えない敵の攻撃に翻弄され、反撃する余裕も無く攻撃を避けるだけしか出来ない。

「え、えと、秦ー!ラフィエルさん!セフィー」
 霧に呑み込まれ3人から引き離されてしまい、途方に暮れてしった洸紀が無闇に名を呼び続けた。
 そして鼻腔を擽る嗅ぎなれない、けれど何処か懐かしい香りが洸紀の周りを漂う。
「呼んでも無駄ですよ」
 背後から声が聞こえ振り向く、霧が薄れ1人の青年が現れた。
「お久しぶりです・・・始めまして。どちらを言うかずっと迷っていました。やはり始めましてと言うのが正解でしょうか」
 目の前に現われたのは見た目は、商社のエリートサラリーマンの様な気難しげな印象の青年だった。
 けれど灰色の髪と青灰色の瞳が人では無い事を示す、そして彼が現われる直前に漂って来た香りは間違いなく地界の空気だと洸紀の本能が告げる。
「貴方は・・・」
「私の名はケルベロス。ご心配無く、私は貴方に危害を加えたりはしません」
 ノンフレームの眼鏡から見える青灰色の瞳が、何処か哀しげに見えるのは洸紀の思い過ごしだろうか、きっと彼は自分の前世を知っている気がする。
「僕を殺しに来たんじゃ・・・」
「貴方を殺す?私が?」
 口元に冷笑を浮かべ左右に首を振り1歩洸紀に近付く、洸紀もまた多少恐怖はあるがその場に留まる。
「貴方は王の片腕、そして私が尊敬している方」
「貴方は僕を・・・『白銀の魔物』を知っているんですか?」
「勿論、貴方は地界に在るべき方。貴方が帰るべきは地界ですよ」
 噛み合っているようで噛み合わない会話とは、この事を言うのだろうか。
「でも、このままでは戻れないって。秦と血の交換をしないと」
「ええ、天使との血の交換をして記憶と肉体を取り戻さない限り、地界への扉を通るのは不可能でしょう。今私は貴方と会話をしに来たのですから」
 穏やかな青年、話せば話すほど懐かしさが込み上げてくる。
「会話・・・なら何故あの魔物は僕を殺そうとし、空を殺したんですか?」
 全ての始まりの少女の死、死ぬ筈の無い少女が死んだのは魔物が彼女を殺したからだった。
 確実に洸紀を殺そうとした魔物は、王の命で動いていなかったのか。
「ああ、ヴァインですか。王は彼に貴方の覚醒の手助けをしろと命じただけです」
「覚醒・・・」
「本来貴方はあの日に全てを思い出し、天使と血の交換をする筈だった。けれど貴方は人に溶け込み過ぎた」
「そのせいで空が・・・」
 洸紀が歯を食い縛り拳を握り、ケルベロスの言葉に絶える。
「我々魔物にとって王は絶対の存在。けれど王の命令と同様に抗えない物があるんですよ」
「抗えない物・・・」
「それは、本能ですよ。貴方を倒し少しでも王の側に行く、強者を倒しその先を行くそれが我々魔物の本能」
「そんな事の為に・・・」
「貴方も覚醒し血を元に戻せば分りますよ」
「分りたくない、そんな事の為に関係の無い人を殺してしまうなんて。じゃあ、僕が他の魔物に殺されても構わないと」
「ああ、その心配はありません」
 ケルベロスが少しだけ表情を和らげるが、洸紀の哀しみと絶望が募る。
「え・・・?」
「王は全てを見通す、貴方が人に近付き過ぎたのは誤算だったようですが、それも修正の範囲内。幾ら我々魔物が貴方に害を成そうとも、貴方が死ぬ事はない」
「それって」
「貴方の周りに害が及ぶだけです。その度に貴方は力を取り戻す」
「そんな」
 目の前が暗くなる、間接的に空を殺したのは自分なのか、魔物に戻り地界へ帰らなければこれからも誰かが犠牲になってしまうのか。
「王の考えは計り知れません、あの方は全てを見通す。即ち・・・」
 ケルベロスの言葉が洸紀の耳を通り過ぎていく、地界の王と『白銀の魔物』はどんな関係だったのか、そこまでして取り戻したいのか、洸紀には分らない。
「貴方があの天使と刺し違えると分っていた筈・・・。それでも貴方を行かせた。そして今貴方が水村洸紀として在るのもあの方の知る領域・・・」
 ケルベロスが洸紀の周辺を回る、ゆっくりとじわじわと。
「地界の王・・・」
「もしかしたら・・・『約束の成就』に必要な過程なのかもしれません」
 ケルベロスが飽くまでも推測の範囲で話す、暗い思考の渦に捕らわれていた洸紀の意識が引き戻される。
「・・・『約束の成就』?」
 聞き覚えは無いが心の片隅に引っかかる言葉に顔を上げ、ケルベロスを見つめる。
「そうです。貴方と王は争いを始める前、ある約束をしました。今の所それが成就したとは考えられない」
「それは一体・・・」
「教えられません」
 きっぱりと否定されてしまえば、それ以上の追求は不可能だった。
「さ、私はそれそろ参ります。久しぶりに貴方と会話出来て嬉しかったですよ」
「地界の王はこれから先何が起こるか全て分っているの?」
「勿論・・・。貴方はこれからも自分の為に、天使と共に力を取り戻して下さい」
「それが僕が『白銀の魔物』に戻る為に必要な過程?」
「ええ、その様ですね。力と記憶を取り戻す為に同胞を屠り、天使の側にいる・・・屈辱ですね、私には耐えられない。一日でも戻られる事を祈ります。ではまた・・・」
 洸紀に背を向け霧の中に紛れ姿を消す、洸紀もまた秦達の元へ歩き出す。
 自分の歩むべき道と選ぶべき場所を見出せないまま、今ある場所を守る為に・・・。
しおりを挟む

処理中です...