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あ・・・夢を見ている・・・。
 過去に起こった現実を忠実に再現している夢、目を閉じ深くも無い眠りに入れば必ずこの光景を夢で見る。
 天界と地界の狭間で、天使と魔物が殺し合いをする・・・どちらがこの争いを始めたのか、何が原因だったのかは思い出せないが、勝利は天使側が治めた。
 敗北した魔物側も、勝利した天使側も多大な被害を受け、得た物など何も無かった、少なくとも自分はそう感じた。
 魔物側の最も大きな損失は、地界の支配者の片腕でもあり最強と謳われた《白銀の魔物》の消滅だった。
 外見が美しい者等天使には幾らでもいた、同胞を綺麗だと思う気持ちは勿論あるが、それに心を奪われた事など一度も無かった。
 だが《白銀の魔物》の姿は初めて自分の目に映す禍々しい美を持った、魔性の生き物だった、その感情を心奪われるというのならば、否定は出来ない。
 余計な感情が生まれるほど関わり合う時間も無く、互いの勝利を掛けた戦いに身を投じる。
 天使の誰も持たない青灰色の瞳と、視線が交じり合い剣がぶつかり合い、
両者一歩も引かない戦いが続いたが、先に隙を見せたのは《白銀の魔物》だった。
 あの時見せた隙を突かなければ、敗北していたのはこちらだった。
 いまでも問いたいあの時何に心を奪われたのか、聞きたくとも当の本人の記憶は失われている。
 《白銀の魔物》を貫いた時の感覚が不意に蘇える時が有る、剣で貫いた時
に揺れた白銀の髪と滴る黒い血も鮮明に思い出せる。
 そしてまた自分も《白銀の魔物》の闇色の剣によって身体を貫かれ、白い砂が体内から零れて行くのを感じる。
 そしていつもの夢の最後が、とある少年との出会いで変わってしまった。
 互いの剣を伝いながら滴る血と砂、互いの身体が重なり合いながら地へと落ちる、それでいつも終わる筈の夢の結末が、事切れた筈の《白銀の魔物》の顔が洸紀に変わり夢の先が追加されてしまった。
―君と僕が交じり合っていく・・・。
 《白銀の魔物》が洸紀に変わりその手が自分の頬に触れ、洸紀の声で言葉を紡いでいく。
―魔物が魔物で無くなり、天使が天使で無くなった・・・僕達は何だろう?此処で生きているのに、答えが出て来ないよ・・・。
 ひたすら落ちて行く中洸紀の笑みが絶えず、けれど何かを諦めている表情で深く刺さったままの剣を更に自らの内へと進める。
 水村洸紀も《白銀の魔物》も同じもの・・・何故こうも違い過ぎる?
 いつまでこの悪夢は続く?それはまだ誰にも分らない・・・。

 目を開けると目の前には、ここ2ヶ月住処にしている家の天井が広がる。
「・・・またか」
 ゆっくりと起き上がりながら、レースのカーテンから覗く天気と壁時計が夕方を示していた。
 自分の正面にいる人物に眉を顰め髪を掻き揚げる、正面には1人掛けソファの上で膝を抱え顔を伏せ、眠っているらしい洸紀が静かに身体を上下にさせていた。
「おい、起きろ」
「んん・・・」
 声を掛けたが煩わしげに首を揺らしただけで、起きる気配は無く仕方なく洸紀の側まで寄り身体を揺らした。
「起きろ」
「ん・・・あ、あれ」
 秦に揺り起こされぼんやりと目を覚ましたが、意識ははっきりしていないらしく秦とまともに視線がぶつかり、ようやく覚醒した。
「食事だろ」
 そんな洸紀を意に介さず自分の定位置である3人掛けのソファに戻り、遅めの昼食を待つ。
「ご、ごめん。あ、えと・・・この袋に入っているの好きな物選んで、いつものパン屋さんのだから。今お茶淹れて来るね」
 やや慌てながらすぐ側にあるキッチンで水を入れたヤカンに火を点け、いつも使っている黒と白のマグカップを漱いで、再びソファに座った。
「今夜もあの像の周りを探索する」
「うん・・・」
 洸紀が広げたパンの中から、何も入っていないミルクパンとコロッケパンを選ぶ。
 洸紀が残りを引き受けメロンパンから手を付けると、僅かに開けている窓から一羽の白い鳩・・・ラピスが入り、秦の肩に止まった。
「おかえり・・・」
 一応洸紀がラピスを向かえ、秦が無言でミルクパンを千切りラピスに差し出す。
「帰ったわよ、このパン少し硬いわね」
「じゃあ、少し温めてくる」
 洸紀を一瞥し摘まんだパンに文句を言い、洸紀が秦からパンを受け取りキッチンの電子レンジで温め、その間に火を止め紅茶の茶葉をティーポッドに入れ、トレイにカップと温めたパンを乗せ食事を再開した。
「どうぞ」
 お互い砂糖は使わないので、ポッドから湯気の漂う紅茶を注ぎ秦に渡す。
「ああ」
 再びパンを千切りラピスに向け、ラピスも今度は何も言わずパンを突く。
 洸紀もメロンパンを齧りながら、最初の頃を振り返る。
 暮らし始めの頃は食事等秦から何も言われず、ラフィエルがくれたらしい生活の為の金をそのまま洸紀に渡し、好きにしろと言われて途方に暮れた。
 今まで料理などした事が無いし、秦に至っては食事はしてもしなくても問題ないらしく、洸紀が買ってきた物を摘まむ程度しかしない。
 これまでの生活は全てラフィエルが手配し、ホテル等で不便のない生活をしていたらしく、自分から動く事がまず無い。
「今夜は何か変化があるかな」
「あるか無いかはお前次第だ」
 そっけない秦の態度にも慣れ、徐々に互いの距離が近付いて来ている・・・と思うのは洸紀だけなのだろうか・・・。
「食べたら、休め。今夜も徹夜だ」
「うん・・・」
 メロンパンを食べ終わり、洸紀の好物であるピザトーストに取り掛かる。
 この街に拠点を置く理由を振り返る、ラフィエルが調べて来た情報に頼る他は無い。
 けれど本当に見つかるのだろうか・・・かつて自分が使っていて、そして・・・秦を貫いたらしい剣を。
 真剣な眼差しであの日、ラフィエルが洸紀に伝えた事を振り返る。

「洸紀君・・・これからが大変なんだ・・・何故僕達天使が君に接触したのか、そして君が本来在るべき世界の話しをしたい」
 これから自分達が住む家で、ラフィエルと秦とラピスそして、洸紀を交えた話し合いが始まった。
「ち・・・かい?」
 聞きなれない言葉が口から出る、その言葉にラフィエルが静かに頷く。
「君が住んでいるこの世界は、僕達は中央界と呼んでいるんだよ。そして僕や秦が生きている世界を天界・・・そして君の・・・いや《白銀の魔物》が生きている世界が地界」
「そして、この中央界と呼ばれている世界の裏側に存在する冥界・・・この4っつの世界で成り立っている」
 ラフィエルの言葉を補い秦が口を挟む、ラフィエルが頷き話しが続く。
 洸紀には全く自体が呑みこめない、物語の中の設定を言われている気分でしかない。
「元々この4っつの世界は決して互いを干渉する事無く独立し、唯一移動出来る手段を挙げるなら、《時の扉》という番人が管理する、世界を渡る扉があるのだけれど、どの世界も本の一部の者しか扉を潜る資格を待たないから、あまり利用はされていないし、番人によって管理されているから争いを生む為に使えない物なんだ」
「此処にいるラフィエルは、その扉を通る資格を有する数少ない天使だ。噂によるとお前・・・《白銀の魔物》もその扉を通る資格を有していたらしいがな」
「でも何故、魔物と天使が出会い争いが起きてしまったんですか?」
 どの世界にも行ける者が極僅かならば、互いに干渉する事など無かった筈、疑問に洸紀が首を傾げた。
「地界の王が無理矢理、天界と地界の境を造ってしまったんだよ。そこで長い間争いが続き、そして秦と《白銀の魔物》が一騎打ちをし、両者譲らずその結果相打ち・・・。そして最後は僕達が魔物達を数で押し、天使側が勝利し終息したんだよ」
「そう・・・なんですか・・・。でもどうして僕や彼は今ここで生きているんですか?相討ちって・・・」
 素直に天使側が勝利して、良かったとは言えないのが洸紀の本音だった、もしその時《白銀の魔物》が勝っていれば自分は最初からこの世に居らず・・・自分を庇って死んだ空も死なずに済んだのかもしれない・・・そう思うと何も言えなかった。
 そして今自分が人として存在しているのも、相討ちで負けて死んでしまったなら、そのまま眠らせて欲しかった・・・負の思考に捕らわれていた洸紀がラフィエルの声で我に戻った。
「さっきも言ったけれど、君は地界の王の片腕・・・王が君を人に転生させたんだよ」
「王・・・」
「最強の風の遣い手・・・お前は強かったよ」
 地界の王・・・何処か懐かしい響きを覚えたが、やはりそれ以上何も思い出さない。
「僕は《白銀の魔物》には会った事が無いけれどね、地界にとって君の消失は相当の痛手だったみたいだよ。その後すぐに争いは終息したから」
 自分が生まれる前、前世の話しをされても他人の過去を聞かされている認識しかない。
「さ、ここからが本題。何故かつて敵同士だった君と秦が、行動を共にしなければならないのか。これからどうしなければならないのか」
 視線で秦をラフィエルが見つめ、秦の肩に乗っていたラピスが身体を震わせ、翼をはためかせると純白の剣へと姿を変える。
「あ・・・すごい」
 細身の柄にラピスラズリを嵌め込んだ光輝く剣に、息を呑み見惚れてしまう。
「これがお前を貫いた剣だ」
「僕を刺した・・・剣。何を!?」
 秦が言うなり手にした剣で自らの腕を斜めに薄く切り付け、洸紀が驚きラフィエルが静かに静観していた。
「あ・・・そんな」
 秦の腕から溢れるのは紅い血、では無く白い砂と黒い血が床に零れて行く様を、洸紀が驚愕し口元を手で抑えた。
「君にもこれと同じものが流れているんだよ」
「僕の血は赤い・・・」
 あの日公園で野犬男の爪で腕を掠った時は、赤い血が滲んでいた。
「それは人の形からまだ抜けていないからだ」
 かなりするどい切れ味らしく、黒い血も白い砂も止まらず流れ続けているが、ラフィエルが秦の腕を取り手を当て傷を癒す。
「洸紀君・・・僕達は君に《白銀の魔物》としての肉体を取り戻し、再びお互いを剣で貫いて《血の交換》をして貰いたい」
「そんな事をしたら、死ぬんじゃ!それに、どうやって魔物に戻るんですか?」
 ラフィエルと秦の話し全てを信じる事など無理だが、魔物が人に転生しなければならないほどのダメージを受けた事を、またしなければならないのならば今度こそ命を落としても可笑しくは無い。
「本来ならば、君は17歳の誕生日を迎える直前には《白銀の魔物》として覚醒する・・・筈だった」
「お前が人に溶け込み過ぎたせいで、覚醒が失敗した」
 ラフィエルが癒した腕は綺麗に癒え、地面を濡らしていた砂と血も綺麗に消えていた。
「・・・僕は一体」
「君の覚醒を促す為に、先に君の剣を取り戻そうと考えてね、この街に来たんだよ」
「僕の剣?」
「俺を貫いたお前の剣だ」
 そう責めるように言われ気が滅入ってしまう、これから共に生活をしなければならないのであれば、尚更気落ちしてしまう。
「僕達に協力・・・いや、洸紀君の為にも・・・このままこの状態でこの世界に留まれば更なる被害が広まる」
「王はお前を連れ戻したいみたいだが、先刻のアイツの様に直にお前を殺そうとしている奴らもいる」
「僕がこの世界にいれば、また空みたいに死ななくていい人達が死んでしまう可能性も出で来るって事ですね」
「君がこのままでいると・・・また犠牲者が増える可能性もある」
「分りました・・・」
 少なくとも彼らと共にいれば、守って貰えるのであれば、居場所も何処にも無い洸紀に拒否する事は出来ない。
「ありがとう・・・洸紀君。僕達にとって秦は無二の友だから、彼には天に戻って欲しい・・・その為にも君の力が必要なんだ。こちらも出来るだけの事はするよ。ねえ、秦」
「ああ・・・それにもう一度《白銀の魔物》一戦交えたいしな。お前にもせいぜい一日でも早く覚醒して貰いたいものだな」
 秦はあくまでも、洸紀ではなく《白銀の魔物》を自分の中に見ているのが、洸紀の心を沈ませる。
「よろしく・・・」
 秦が天へ戻った後の自分は何処に行くのだろうか、地界には自分を転生させた王がいるが敵も多い、今は少し先の未来を考えず、明日の事考えて生きていかなければ。
「皮肉な話しだろう、敵対していた天使と魔物が手を組み、其々元の身体に戻る為に運命に弄ばれる・・・これほど滑稽な茶番劇は無いな」
「秦・・・それでも私達は貴方に天へ戻って欲しいわ、私達が在るべきは天よ。魔物と手を組む以外方法が無いのであれば、憎むべき相手とも手を組むわ」
 はっきりとそうラピスに宣言され、いっそ逆に開き直れる。
 縋る手が1つしか無いのであれば、それにしがみ付く他無い。
「この街で眠っている君の剣を、秦とラピスと一緒に探して欲しい」
「僕の剣?この街の何処に眠っているんですか?」
「すまない、それは分らないんだ」
 申し訳無さそうにラフィエルが首を振る、自分の剣といわれても何も思せない。
「何も感じないのかしら?唯一無二の貴方の為に生み出されたパートナーよ?」
「お前の半身だ。何処かでお前を待ち続けているぞ」
「・・・ごめん、分らない」
 秦の冷やかな視線と、ラピスの飽きれた言葉が胸に突き刺さる、自分を待っているであろう剣にも申し訳ない気持ちが生まれる。
「地界は夜の世界だから、夜に街を探索すれば何か分るかもしれないよ。地道な作業かもしれないけれど、こればかりはね・・・」
「やってみます」
「そう言って貰えれば、僕も心強いよ。僕は一度上に報告しなければならないから天界に戻るね。必要な物は用意したけど、足りなかったり食料を買う時は秦に言って」
 ラフィエルが席を立ち秦の肩に止まったラピスの頭を撫で、居間を静かに出て行く。
 それから秦とラピスそして洸紀の生活が、不安だらけの要素を抱えて始まり今に至る・・・。

 食事を終わらせ一息付いて、改めて今夜の事を話し合う、目的の場所は街の中心部に位置する《祈りの手》と言う名の少年と少女が、手を触れ合うか触れないかの位置でお互いを見つめている銅像に的を絞り、この数週間像を夜調べていたが、未だ何も掴めてはいなかった。
 この街に来てあの像を見た時に感じた違和感と、微かに聴こえた気がした『主・・・』の声を秦に伝え、探索を始めたが一向に手がかりは掴めずにいた。
「僕・・・『白銀の魔物』が使っていた剣も、ラピスみたいに喋ったりするのかな」
「地界の剣の材質も俺達には未知のものだからな。それに俺の剣・・・ラピスは天界でも特別だ、意志を持ち自在に行動を許されているのはラピスだけだ」
「そうよ、私は天界でも最強とされているの。こうして秦と共に在る事を誇りに思うわ。それに比べて貴方のパートナーは可哀想ね、相反する側としても同情するわ、主がいるのに使って貰えないなんて」
 誇らしげに秦の剣で在る事を語るラピスは自身に溢れ、洸紀も見た事もない自分の剣に思いを馳せる、未だに自分が『白銀の魔物』の生まれ変わりと言われても実感が湧かないが、それでも待っていてくれるならそれに応えたい。
「少し休め、いつまでも此処で足止めを喰う訳にはいかない」
 連日の徹夜に身体が追いつかず、朝寝ては起きて寝ての繰り返しで、頭も朦朧としている。
「うん・・・」
 ゴミやコップを軽く片づけをし、仮眠の支度を整え2階に上がる。
「この2ヶ月進展も余りないし、当の本人はあんな感じで大丈夫なのかしら」
「・・・・・・」
「それに向こうもそろそろまた動きだしているでしょ?」
「ああ、いつ来ても可笑しくはないがな」
「貴方の実力を誰よりも理解しているのはこの私だけど、心配だわ」
「俺を理解しているのはお前だけだ、俺達の邪魔をするものは屠り続ければいい。俺達の目的の為に心配など必要ない・・・」
「そうね、今もこれからも・・・貴方の剣としてどんな敵でも倒し続けるわ・・・けれど私が心配しているのはそれだけじゃないわよ」
 ラピスが秦の肩を離れ窓の縁に身を寄せ、真っ直ぐに互いを向き合う。
「全てが終わる時、貴方はあの子を倒す事が出来るのかしら?」
「どういう意味だ?」
「ミイラ取りがミイラにならないか・・・よ」
「そんな事有る訳ないだろ。もう一度『白銀の魔物』に挑み完全な勝利を得て天へ帰る」
「ええそうね、それが私達の目的。けれど貴方はあの子を討てるのかしら?
あの脆弱な少年を」
「・・・同じだろう。記憶が戻り肉体が戻れば消えてしまう人間だ」
「その時貴方に迷いが生まれ無い事を祈るわ」
 それだけを言い、秦の言葉を待たず再び窓の外へ飛び立つ。
「・・・戦うさ、何故あの時迷ったのか。それを知る為にも俺は・・・」
 天井を仰ぎ目を閉じ、もう一度目を開けるとその瞳の色はラピスよりも濃く深い蒼い瞳へと変化していた・・・。
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