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9話

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「ん……はっ……ここは……」

 いつの間にか気を失っていたセージは目を覚ます。
 ここ数分の記憶が無い。なぜ気を失っていたのかも分からない。

「一体何が…」

 セージは壁を向いた状態で椅子に縛られていた。
 状況を確認しようとするが縛られている為、周りを見る事が出来ない。ならば椅子を動かせばいいと暴れてみるが固定されているのかピクリともしない。
 
「はぁはぁ…動きません。しかし…この壁は」

 セージは目の前の壁に見覚えがあった。というより気を失う直前までずっと見ていた壁だ。

「私は…移動していなかったという訳ですね」
「そういう事だ」

 ビクッ!

 背中側から掛けられた声にセージは思わず全身の筋肉を硬直させた。また、うぅーうぅーと唸り声のような音も聞こえてくる。

「調達屋ですね…私をどうするつもりですか」

 後ろでどんな事が起きているのかは分からないが、この状況では拷問されてもおかしくない。だがそんなものに屈しない自信がセージにはある。
 
 セージはこれでも元冒険者だ。王の側近として最低限の鍛錬はしていたし、地位を剥奪されてからは生活する為に冒険者という低俗な仕事に就いた。屈辱だがそうしなければ生きていけなかったのだ。そのおかげで痛みには多少慣れている。生き残る為なら拷問など耐え抜いて見せると覚悟を決めた。
 
 
 しかし現実はそんな甘い筈がない。ましてや調達屋という闇の世界の住人を怒らせたのだ。


「こっちを向いてもらおうか」

 コツ…コツ…コツ

 ロイスの足音がどんどん近づいて来る。その一歩一歩の音はやけに鮮明に鼓膜を揺らし、汗が背中を伝って流れていく。

 ゴクッ

 強気のセージも思わず口に溜まった唾を飲み込んだ。


 後ろからロイスが肘掛けを掴むと、固定されていた筈の椅子がガリガリと音を立てながら回転する。

 そしてセージの目に驚愕の光景が映し出された。

「な!…何故お前達が!」

 いつも冷静でいたセージが突然声を荒げた。

「流石に取り乱すか」
「なぜ……何故私の家族がここにいる!」
「話し方も崩れているぞ」
「黙れ!」

 セージの前には4人の人間が猿轡をされた状態で跪いていた。
 彼らはセージ・ヒルデストの家族で、妻のセミア、娘のナタリア、娘婿のボルゲイ、孫のタルキンだ。

 セージが眠っていたのは約5日間。その間にヒルデスト家のあるコナン王国まで出向いて4人を誘拐したのだ。
 誘拐の方法は至って単純、眠らせて馬車に乗せただけだ。面倒な出入国審査は秘密のルートを使えば逃れる事が出来る。

「契約違反をした場合…その者の最も大事な物を調達する。それが俺のルールだ」
「ふざけるな!家族は関係ない!だ…誰か!」
「呼んでも誰も来ない。この屋敷は既に俺が買い取ったからな」

 ロイスはマルセイを殺す際、騒音で屋敷の前に人が集まらない様に静かに、そして素早くマルセイの部下を仕留めたので騒ぎは誰にも気付かれていない。そしてアリスにマルセイは引っ越したという情報を流してもらい、自分は屋敷を一括で買い取った。これでもう誰も屋敷に近づく事は無い。

「まず1人目…お前だ」
「…うぅ…あ…あなた!」

 セージの妻セミアの猿轡を解くと、セミアは涙を流しながら叫ぶ。

「黙れ。誰が喋っていいと言った」

 ロイスはセミアの頭に手を置く。すると手の甲に黒バラの扉を溶かした時の赤い模様が再び浮かび上がった。

「それは火の契約紋!止めろ…止めてくれ!」

 セージは赤い模様が何なのか知っている様でかなり焦っている。もう紳士的な面影は一切感じられない。

「頼む……お願いします…足りない分の報酬は支払いますから」

 もう逃げられないと悟ったセージは必死に懇願する。
 セミアは自身の不正によって地位を失ってからもずっと支えてくれた良き妻だ。今回の王族殺害計画も心から応援してくれていた。絶対に彼女を失う訳にはいかない。

「セージ・ヒルデスト、現実はお前が思っているよりも残酷だ」

 セージの懇願も虚しく、刑は執行される。

「あ゛あ゛あぁぁぁ!あづ…い…があぁぁぁあ」

 ロイスの手が赤く輝くと、セミアが発狂しながら暴れだす。
 しかしロイスがガシッと頭を掴んでいるため逃れる事は出来ない。

「セミアー!うぅぅ…」

 セミアの体が黒く焦げながらドロドロと溶けていく。
 目玉は落ち、皮膚は剥がれ、血は蒸発していく。まるでセミアの体内に溶岩湖でもあるかの様だ。

「あ…う……あ……」

 ドサッ

 人間の原型を留めていないセミアの体はゆっくりと倒れた。

「セミ…ア。何て…事を…きさまー!」

 セージは涙を流しながらロイスに詰め寄ろうとする。その結果、縛っているローブがどんどん体に食い込み、血が滲み出るがセージはとってそれは些細な事だ。

「次は…2人同時だ」

 次に選ばれたのはセージの娘ナタリアとその夫ボルゲイだ。
 二人はセミアが無残に殺されていく光景を真横で見ておりガタガタと震えている。

「寒いのか?」

 ロイスが話しかけるも猿轡の所為でうーうーとしか返事は来ない。だがロイスに猿轡を外す様子は見られない。

「セージ・ヒルデスト、自分の犯した過ちを思い知れ」

 二人の頭に手を置くと、甲の赤い模様が青に変化した。

「水の契約紋まで……私を殺せ!私だけを……殺してくれ…」
 
セージはもう家族が目の前で殺されるのに耐えられなかった。しかしロイスがそんな要望を聞く筈も無い。

 青い模様、セージ曰く水の契約紋が青い光を放つと…

「うぅ…ご…ば…ご…」
「が…ふ…ご……ぶ…」

 2人の体中の穴という穴から水が溢れ、水中でもないのに溺れている。その光景はロイスの手から水が出ているというより、体内にある自らの水分で溺れているように見える。

 そして苦しそうな表情のまま2人はあっさりと溺死し、地下の小さな一室で出来上がった2体の水死体はドサッと横たわり、辺りは水浸しになった。

「あぁ……ナタリア…ボルゲイ……」

 残りは孫のタルキンだけになった。タルキンは14歳。成人になったばかりで、セージにとっては誰よりも可愛い最愛の孫だ。
 
 今までのロイスの無慈悲な行動からして、若いから何もしないなど考えられない。そもそも殺す気が無ければここに連れてくるはずがない。

 何か手は無いか…最愛の孫だけでも助かる術は残っていないのか。恐怖で思考が働かない状況でセージは何とか策を考える。
 
 しかし…ローブを深く被っている調達屋と何故か目が合った様な気がした瞬間、セージは全てを悟った。
                                                                                                                 

 もう何もかも手遅れだという事を…


 調達屋を敵に回してはいけなかったという事を…



「言い残す事はあるか?」

 ロイスはタルキンの猿轡を解いた。
 
 タルキンは今回の騒動について何も知らない。それはロイスも分かっている事だ。
 だが調達屋としてのルールは絶対なので見逃す事はあり得ない。それでも多少思う所はあるのか、祖父と話す時間を与えた。

「おじいちゃん!ぼ…僕、怖くないよ!死んだらまた…皆に会えるんだ!だから…怖くなんかない!」
「あぁ…タルキン…」
「良い心構えだな。こんな家に産まれなければ素晴らしい人生を送れただろう」
「この人殺し!僕は…絶対に…絶対にお前を許さない!」

 強い子だ…そう思ったロイスはローブの下でニヤリと笑みを浮かべた。この状況でここまで啖呵を切る者は珍しい。それも若者なら尚更だ。

「それでいい……セージ・ヒルデスト、せめてもの手向けだ。この子は苦しませずに死なせてやる」

 ロイスは腰に下げてある愛刀のククリ刀を抜く。
 鞘から抜いた時のシャキっという摩擦音がやけに鮮明に響く。

「じゃあな。生まれ変わったら俺を殺しに来るといい」

 スパッ!

 ロイスは一瞬の痛みすら感じさせずにタルキンの首を斬り飛ばした。

「あ゛あぁぁ!タルキン!…ぐぅぅ…タル…キン…」

 セージの心は絶望で満たされた。もう生きる気力などどこにも残されていない。


 ロイスは絶望するセージを視界に入れながら、地に落ちたタルキンの頭部に近づくと開いたままの瞼を下ろしてやる。
 その行動は、タルキンの様なまだ若い者を殺すのは不本意だというロイスの感情を現していた。

「これで残りはお前だけだ」

 そして調達屋の断罪は終わりが近づいていた。
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