仮面の裏の虚像

Ms.ward 19

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第2章

椎名悟8

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 今日はあの事件から4日後。元々文化祭の次の日は振替休日であったため、月曜日は休みの日であったが、気が休むことはなかった。桜田楓の葬儀での泣き叫ぶ声がまだ耳から離れない。
 教室では桜田椿の席だけが1人ぽつんと、まるで置き去りにされたかのように空席となっている。そして机の上には花が添えられている。
 あの事件が起きて初めて学校に来た時は、まだクラスメイトの中でもあの事件のことを知らない者もいた。山下大五郎は朝のホームルームで話した。中には涙する者もいた、動揺を隠せず周りを見渡す者もいた。しかし、一番辛かったのはそれを話している山下大五郎自身であろう。話していながら涙する様は見ているこちらにまで涙させた。
 私はまだ桜田椿が死んだという事実を信じることができなかった。いつも通りに登校すれば、私と誠一と桑原でくだらない話をして、それを見て楽しみながら話に入ってくる彼女の姿が浮かぶ。しかし、彼女は本当に死んだのだ。その重苦しく耐え難い事実と感情が、心にへばりついて離れない。
「おはよう、悟君」
 彼はいつになく元気がない。挨拶の言葉からすでに明るさは消えている。顔を見るまでもなかった。
「おはよう」
「椿ちゃん、本当に亡くなったんだよね」
 彼はそう尋ねた。彼はあの場にはいなかった。居たのは私と桑原と、そして後から駆けつけた警備員と職員室にいた美術部の顧問だ。さらに言うならば彼女自身。彼はあの場にいなかったからか、未だに信じられずにいるのだろう。
「ああ」私は顔を合わせなかった。
「そうだよね、そうなんだよね」
 彼は自分の席に座ると、手を組んで何処か一点を眺め始めた。その後ろでは、窓際で3人の女生徒が笑い話をしている。
 しばらくして桑原が教室に、それに連なるように山下大五郎が入ってきた。
 山下大五郎は周りを見渡すと私と目があった。すると私の方に歩みを進めた。
「椎名、あとで少しいいか」
「え、はい」
「じゃあ昼休みにな」
「わかりました」
 山下大五郎はそう言うとすぐに教卓に戻った。いつも通りの朝のホームルーム。いつも通りの授業。何もかもが日常へと戻っていく。
 私はその日の昼休みに、職員室に訪れた。入ると事務処理をしている先生もいれば、電話をずっと受けている先生もいた。頭を悩ませてそうな顔つきが幾つも並んでいることは確かだ。奥には山下大五郎が腕を組んで何処か一点を見つめている。
「先生」
「椎名か、わざわざ来てくれてすまなかったな。ところでなんだが」山下大五郎は少しうつむく。
「どうしたんですか」
「日があまり経っておらず心の整理もついていないところ、本当にすまないが、椎名、お前と話がしたいと警察の方が来ている」
「え、私にですか」
「ああ、嫌なら断ってもいい。そうなればまた別の日にということにはなるが」
 警察が来るというのはどうしてだろうか、自殺の原因でも調べに来たのか。私は了承した、どうせいつかは話をしなければならないということなら、早めに済ませておきたかった。私自身の今の心情が冷めないうちに、忘れないうちに。
「本当にすまない。それなら、今日の放課後にまた、ここに来てくれるか」
「わかりました」
 私は職員室を出るときに山下大五郎の顔を見た。机に座っていたが何をするでもなく、また何処か一点を見つめていた。
 放課後、私は応接室に案内された。外来用の入り口からすぐ近くで中は小綺麗な印象だった。机を挟んでソファが2台向かい合っている。その一つに座らされた。目の前にはいかにも警察といったような格好の男が2人すでにソファに座っていた。目のやりどころに少し困る。
「いきなり来てごめんね。今日は椎名悟君とお話をしたくて来ました。私は河本かわもとと言います。よろしくね」髪をさっぱりと切った筋肉質の男はそう言った。顔には笑顔を浮かべているが心の奥底ではにらんでいるのかもしれない。
「それで、こちらは武田たけださんね」武田という男は腕を組み、軽く会釈をした。多分上司だろう。
「まず、確認なんだけど。桜田椿さんが亡くなったとき、椎名君は教室に居たんだよね。ええと、確か美術室Aだったかな」
「そうです」
「でも、その日は文化祭だったんだよね。彼女はなんであの場所にいたんだろうね」
「それはわからないですけど」私は言葉が詰まった。もちろん私が疑われているような口振りを感じたからというわけではないが、第三者から改めて言われることで、もう一度あの時の感覚に陥ってしまいそうだったからだ。
「けど?」
「よく、あの教室にはいるんです。一人で、絵を描いているみたいで」
「それは部活動ってことなのかな?」
「いや、趣味というか。部活動の日以外でも大体はあの教室にいます」
 なるほどなるほど、と頷くと手元のペットボトルのお茶を口にした。
「それなら普段だと放課後はいつも一人ってことなんだね」
「そういうことになりますね」
「鍵は顧問の先生が持っているのかな」
「いえ、確か特別に許可をもらって顧問の先生から合鍵を貸してもらっていると言っていました」
「それは借りっぱなしということかな」
「そうらしいです」
「ああ、だからあの教室の鍵が机の上にあったんだね」
 河本は優しい目つきでこちらを警戒させないように柔らかな物腰で話しているが、それが逆に私にとっては不気味に感じた。
「ちなみに部活動の活動日って知ってる?」
「確か木曜日って言ってたと思います」
「ふうん。なるほど」河本はメモ帳にサラサラと書き留める。一方で武田は腕を組み、こちらの様子を伺うように顔を見るだけで微動だにしない。
「それでなんだけど、彼女は最近嫌なことがあったとか辛いことがあったとかって聞いたことがあるかい?」
「いえ、特には聞いたことないです。あまり暗いことを言う人でもなかったので」
「そうなんだね、明るい人なんだね」
 私は一息つきたかった。別にこの河本という人物が詰問をしてきたからではなく、彼女が亡くなって日が浅い今では、第三者に全てを語られることが苦痛でしかなかった。
 その後も河本はいくつかの質問を並べた。たわいもない事であったり、彼女の私生活であったり、無論私の知る由もないことも尋ねた。私の緊張をほぐそうとしたのかもしれない。
「ああ、そういえば」河本はようやく本題に入ったかのように手元の鞄から何かを出した。
 鞄から出てきたのはビニールに包まれていた。黒く薄い本のようなものだ。ああ、あのクロッキー帳だ。いつものとは色違いの、あの場所で見たものだった。
「これなんだけどね、見たことあるかい?」
「はい、でも桜田さんがいつも使っていたのは色違いので、その色のものは見たことないです」
「ということはもう一冊はあるってことなんだね」
「そうですね、黄色のクロッキー帳をいつも彼女は使っていたと思います」
「何を描いていたのかな?」
「全部を見たことはないのですが、クラスメイト全員の肖像画を描くと言っていました。私もそのモデルになったことがあります」河本はメモを取りながら相槌を打つ。
「じゃあこっちの内容は知らないわけなんだね」
「そういうことになります」
「ちなみになんだけど」手元のクロッキー帳を開くとあるページを私に見せた。
「この人は誰だかわかるかな、このノートに一人だけ描かれていたのだけれど」
 私は見たときに意外に感じた。一つは彼女の絵の特徴でもある、目が、その男だけは描かれていたこと。そしてもう一つはクラスメイト以外の人物であったこと。全く関わりのないということではないが予想外だった。
「これは、隣のクラスの川上隼斗って人ですね。生徒会長もしている」
「なるほどね。それで、椎名君はあまり交友はないのかな?その子と」
「まあ、違うクラスですので。部活も同じではないですし」
「それもそうか」
 河本は手元のペットボトルのお茶をもう一口すると、ゆっくりと話し出した。
「君は、どうして彼女は亡くなったのだと思う?」
 私は何をいえばいいのか最初迷った。どうして、という言葉に理由を言えと言われているのか、それとも別の意味があるのかと勝手に考えてしまった。
「どうしてって、理由はわかりません。学校では特に悩んでいる様子なんかは見なかったので」
「そうか、ありがとうね」
 河本が礼を言うと、私は帰っていいという旨を受けた。応接室を出ると側の椅子には山下大五郎がいた。
「辛いのに本当にありがとうな。色々と気付くことができなくて本当にすまないと思っている」
 すまない、というのは誰に宛てた言葉なのだろうか。考えたがすぐに別の考えが遮った。山下大五郎の奥で別の男が、椅子に座って本を読んでいた。
 声は山下大五郎の言葉で遮られたが、その口は「サトルクン」と確かに言っていた。顔に笑みが戻った。
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