仮面の裏の虚像

Ms.ward 19

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第3章

椎名悟21-2

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 3人は美術室Aの前にいた。桑原が密室のトリックを解明したいという。
 私は教室の鍵を開けようと、ポケットに入れた鍵を手にした。左に一回転する。ガチャリ。
「桑原、密室のトリックがわかるとか言っていたが本当か?」
「このベランダもないような教室にできる密室のトリックなんて多くはないだろうよ」
「それがさっき言ってた糸を使ったトリックなの?」
「そういう事だ。絶対とは言えねえけどな」
 彼は演劇部の部室から持ってきた、小道具作りにでも使うような糸をポケットから取り出した。白く細い。気を緩めると見失いそうになる。
 桜田楓は教室に入るのを躊躇った。言葉には出さなかったが、姉が死んだ場所に容易には入れない理由は想像に難くない。
「桜田さん、大丈夫か」
「いえ、大丈夫。私には姉の死の真相を知る義務がある」彼女は前足を踏み出し、カーテンを払いのけゆっくりと教室に入った。冷静さを浮かべている顔つきとは反対に、憤りか恐怖かわからない感情が、そのか細い足を震えさせていた。
「そうかよ」私と桑原も続いた。
 彼女は小さく深呼吸をした。私には聞こえた。
「ここでお姉ちゃんは」消え入るような声でささやき、彼女は一点を見つめている。どうやら彼には聞こえていないようだ。
「それで、桑原の思いついたトリックってのは何なんだ」
「ああ、トリックと言ってもよ。ドラマで見たようなものなんだけど」
「それで構わない。所詮は高校生程度が考えるものだろう」
「そうだな。ちょっと鍵を貸してくれよ」
 彼は何やら糸を伸ばし引っ張った。それを鍵のヘッドの穴の部分に通し、糸を十分に出すと、その端と端を結び大きな輪を作った。
「これをよ、机に引っ掛けて、反対側を持つんだよ。もちろん鍵がある方をな」
 彼は再現するように、とりあえず、と、近くにある机に引っ掛ける。そして糸の輪をドアの下付近に置いてドアを閉めた。そのまま外から鍵を使って施錠をした。ガチャリ。
「ここからだ。鍵をドアの下から通すんだよ」横開きのドアの下は動かしやすいように僅かに隙間がある。
 彼は教室の外から鍵を中に押しやるとなんとか鍵は教室の中に入った。そして、後はゆっくりと糸を手繰り寄せる。みるみると鍵は机の方へ向かっていく。机の足元にまで達したとき、そこからはエレベーターのように上に登って、やがて机の上にまで到達した。
「まあ、こんな感じだ。開けてくれよ」桑原がドアをノックすると桜田楓が鍵を開けた。
「思ったんだが、どうやって鍵を動かしているんだ」
「ああ、見えにくいよな。これは鍵の穴の部分にただ通すだけじゃなくてな、一回転巻いて通すんだよ。すると鍵は置いていかれずに済むんだ」
「なるほどな。で、糸はどうするんだ」
「輪っかを切って引っ張っちまえばいい。それで回収できる。鍵を机に残したままな」
「そんなに上手くいくものなの?」
「それは俺も同じことを思った。切るまではいいが、引っ張ると鍵も一緒についていくだろう」
「そうだな。だけどよ椎名。机の上にはあの時何があった?」
 私はあの時の様子を思い出した。あの時、机の上にはクロッキー帳があった。
「そう、あの場所にはクロッキー帳があったはずだ。それが鍵が落ちるのを邪魔して糸だけが取れるんだ」
「でも、一つ問題があるな」
「何だよ」
「今は実験だが、実際は机の場所はこの場所ではなかった」
「それの何が問題になるの?」桜田楓は首を傾げている。
「本来の場所は、もっと教室の中央にあった。だから距離と角度が全く違う。特に角度は問題になりそうだな。今はドアに向かって直角に置いているが、実際は斜めに置いてあったから机の角に綺麗に引っかからないんじゃないのか」
「的確に指摘するものだな。それなら問題はない」
「どうしてなの?」
「確かに、椎名の言う通りあの時の状況とは全然違う。ただ机に一つ細工をすればいいんだ」
「どんな細工をするんだ」
「小さな切り込みを入れるんだよ」
「切り込みって?」
「要は、糸の通る道をあらかじめ作っておくんだよ桜田さん。机の側面の所にカッターか何かで削っておいてな。元々学校の机なんて木材でできてるしよ、傷つきやすいから誰も気付きはしねえよ」
「それなら、意図的に切り込みの入った机があれば、実際にそのトリックが使われたかもしれないと言うわけなんだな」
「そういうことだ。探してみるか」
 その机を見つけるのは難しいことではなかった。あの事件が起きてからこの教室はあの時の状況のままにしてあり、その景色を2人とも忘れていなかったからだ。
「あったな。切り込み」私の見つけたそれは、他の傷に混じっており一見、見つけることは困難であるが、よく見れば意図的につけたことがわかるようなものだった。その1本だけが真っ直ぐに伸びている。
「これでトリックは解明されたってことなのかしら」
「このトリックを使えばあの時の密室を作り出すことができる。後は犯人が誰かってことか?」
「そういう事になるな」
「話は変わるんだけどよ、一つ気になることがあってよ」
「どうした」
「なんであのクロッキー帳にはあいつの絵が描かれていたんだよ」
「それは」私は桜田楓の顔色を伺った。これは私と彼女の2人だけが知ることでもあった。
「姉は、多分あの人の事が好きだったんじゃないかな」
「好き?椎名から聞いた所によるとクズ野郎だぞ」
「考えたんだけど、それを知らなかった、ということもあるかもしれない。或いは、別の意味で好きだったんじゃないかと」
「別の意味ってどういう意味だよ」
「芸術的なって意味よ。私は絵なんか描かないからそんなこと到底わからないけど、意外と顔立ちとか整っているじゃない。桑原君よりも」
 私は川上隼斗の顔を思い出した。皮肉にも、その口元は不気味に笑っている。
「うるせえよ。それで絵を何枚も描いてたってことか?」
「さあ、それは本人しか知らないことよ」
 2人が話している中、私は考えていた。クロッキー帳に描かれていた絵は全て川上隼斗である。そして仮に川上隼斗が犯人であるとすれば、彼女がダイイングメッセージで残したと思われる紙片の先にはおそらく、川上隼斗の絵が描かれていたのではないだろうか。それに気付いて、彼女の持っていた絵を破って持ち去った。だが、クロッキー帳にいくつも描かれている事には気付かなかった。だからクロッキー帳はそのまま置き去りにされていた。辻褄つじつまは合う。しかし何処か引っかかる。
「椎名、でもよ。あいつにはアリバイがあるとか言ってたよな」
「ああ、安倍という川上といつも一緒にいるやつが言ってた」
「それは本当の事なのか?嘘の証言をしてかばっているんじゃねえのかよ」
「それはまだわからない」
「それなら、まだアリバイがあるとは言えねえな」
「だが、どうやって崩すんだ。それに川上隼斗自身がこのトリックを使って桜田さんを殺害したという、確証がつかめない」
「そうだよな」
 あたりは既に暗くなっていた。時刻は7時を回っている。
「今日はもう遅いから、明日からまた色々調べる事にしない?」
「分かったよ。今日はもう帰るか」
「桜田さん、ああ、一つ気になったんだが」
「どうしたの?」
「君が音楽室で弾いていたあの曲。なんて言うんだ」
「気に入ったの?」彼女は微笑した。
「そうだな。音楽のことはイマイチわからないが、なんとなく落ち着くというか」
「練習曲作品10第3番ホ長調よ」
「え」
「エチュード 10の3でもいいよ」
「だいぶスッキリした言い方もあるんだな」
「日本で知られている名前もあるけどね。いつか最後まで演奏して聴かせてあげる」
「それはどうも」
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