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1.傭兵セルリアと引きこもりジェードの出会い
ジェードの意志
しおりを挟む一日目はジェードと話をして、大分打ち解ける事が出来た。ジェードと話して分かった事は、彼が普通の青年であるという事実だ。龍の末裔かもしれないが、龍に変化する事も出来ない。もし、普通の青年で分かったら、ジェードは一体どうなってしまうのか。
深夜に兵士と交代したセルリアは、用意された部屋の布団の上に寝転がっていた。
一傭兵に屋敷の一室を貸すとは、何とも好待遇だ。傭兵の扱いが酷い貴族も多く、浸食を用意されていない事がかなりある。
用意された和室は初めてだ。床の畳から、い草の香りが漂っているが、セルリアの心は弾んでおらず、専ら地下牢のジェードの事を考えていた。
アンセット辺境伯はセルリアの滞在時には戻らないようで、エルデ=ルッドという青年がずっと対応するそうだ。——正直、話しづらい男でもあり、話を聞かなさそうなので、ジェードが普通の青年だと言っても信じてくれないだろう。
「あの人、絶対あたしの話聞かないよなー。ビアンって人も、すごく疑い深そうだし……」
どうにか、ジェードの誤解を解きたい。可能ならば、ジェードを傭兵団に勧誘したい。
身長はセルリアよりも少々低そうだが、和服から覗いた胸板は厚く、体は引き締まっていたからだ。そして、何より――鉄格子という隔ての無い場所で、ジェードと向き合いたい。
「とりあえず、ジェードの意志を聞かないと」
**
そして翌日。早朝に兵士と交代をし、地下牢へと入った。ジェードは変わらず牢の隅で膝を抱えて座っていた。
「おはよう、ジェード」
「おはようございます」
ジェードの側には毛布が置いてあった。寝具が無く、地面の固い場所で眠っていたようだ。布団で寝ていたので、何だか申し訳なく思った。
そこからジェードと会話をした。セルリアと交代した兵士は全く喋らないそうで、ジェードはすぐに眠ってしまったという。
「私といる方が退屈しないでしょ」
「……そ、そうですね……。貴女といる方が……いいです」
「え? 何か言った?」
「……囚人と話したがる監視なんて、貴女くらいですよ」
そうかなあ、とセルリアは首を捻る。もしジェードが大柄で悪い男だったら、あまり話しかけようとは考えなかったと思う。
それよりも、セルリアはジェードに聞かなければならない事があった。
「ねえ、ジェード。これから王様のところに届けられるみたいだけど、それでいいの?」
何処の国の王かは分からないが、ジェードの身柄を送られてしまえば、二度と会えない事になるだろう。中には家来を奴隷のように扱う王もいるという。セルリアは、彼の身を案じていた。
「抗う術もありませんし、僕の運命は決まっているようなものですからね……」
「そんな他人事な……貴方の事だよ?」
「僕の身は、どうせ僕の物ではありませんから」
「……どういう事?」
意味が分からず尋ねたが、その問いに、ジェードは答えなかった。ジェードが少しだけ顔を動かし、前髪の向こう側に彼の目がちらりと見える。赤い瞳は、何処か諦めを帯びていた。
「僕が送られるのは、魔王ネイジュの城です。そんな所では、人間の僕はすぐに殺されてしまうでしょう」
セルリアは動転のあまり、大きな声を上げてしまった。
「王って……魔王の方なの!?」
この世界には、魔物や魔族など、邪なる存在を統べる王——魔王が存在している。
暗黒地帯ディアンクを統べるのは、魔王ネイジュ。危険地帯の為、人間が踏み入れる事は滅多にいない。勇者を自称してディアンクに足を踏み入れ帰って来なかった人間は一体何人いただろうか。リアトリス傭兵団でも余程の事が無い限り侵入しない。
そんな場所にジェードが送られると思うと、セルリアの血の気が引いた。
「え、それじゃあ……アンセット伯は魔王と通じているって事……!?」
アンセット伯は人間であるが、ジェードが魔王への捧げものであるならば、繋がりがあるという事では。
「……よく分かりませんが、エルデという人は深い関わりがあると思います。魔王の事を姉上って呼んでいたので」
「確かに姉上って言っていた。あれ……人じゃないの!?」
「魔族は人型も結構いますからね。見た目だけじゃ分かりません」
エルデは見た目が人間そのままだった。まさか人間ではないとは思わなかった。
セルリアはまだアンセット伯と会っていない。——もし、不在で会えないのではなく、会えない理由があるとすれば――セルリアの額から、珍しく冷や汗が垂れた。
エルデと――少なくともビアンは魔王の息のかかった者である事は確定だろう。その者達にアンセットが侵略されていたとしたら。
我ながら嫌な想像だ、とセルリアは首を振った。最近王の座に就いた魔王ネイジュは、侵略には消極的だったはず。
アンセットの情勢は気になるが、今優先すべきは目の前にいるジェードだ。
「逃げたいって思わないの?」
セルリアの問いに、ジェードはきゅっと下唇を噛んだ。そして膝を体に引き寄せると、両腕で抱き締めた。
「別に……僕は生きていても生きていなくても良いんです。僕が死んだ方が、世界にとって利益になると思いますし……」
死んだ方が良い、と言うジェードに、セルリアは腹が立った。どうして自分の生を軽く見るのか。この世界には、行きたくても生きられない人がいるというのに。ジェードが檻の外にいたのなら、その頬を引っ叩いていたところだ。
「馬鹿な事言わないで!! 誰かが死んで利益になる事なんて無い!!」
突然大声を出したからか、ジェードは肩を揺らして首を竦めた。
きっとこの青年は、家庭環境の悪さから自己肯定感が非常に低く、内向的な考えを持っている。
少し話をしただけで分かる。ジェードは――心優しく、人を思いやる事が出来る青年だ。そんな青年を、セルリアは見捨てる事なんて出来ない。檻の中にいる青年に、セルリアは手を差し伸べる。
「ここから逃げよう、ジェード」
「え!?」
「明後日には魔王からの遣いが来ちゃうから、今日中に手を打たないと……!!」
セルリアのジェードを監視する役目は明日の夜まで。魔王の遣いも同時期に到着する予定らしい。一晩休んでから、ジェードの身柄を受け取る手筈となっていると、兵から聞いていた。
セルリアの提案にジェードは素っ頓狂な声を上げたが、すぐに顔を横に振った。
「そ、そんな事できません!! そうしたら、貴女の立場が危うくなりますし、失敗したら……死んでしまうかも……」
「死地は何度も経験して来たよ」
「で、でも! もし脱走が成功したとしても、貴方が傭兵でいられなくなってしまいますよ……!」
「あたしは、傭兵でいられなくなってでも、貴方を助けたいの」
ジェードとは昨日会ったばかりだ。だが、彼をどうしても見捨てる事は考えられなかった。それは恐らく――
『——姉さん』
セルリアの脳裏に、弟の姿が浮かぶ。ジェードは、弟にとても良く似ているから助けたいのかもしれない。
「でも……」
「でもは無し! ジェードを助けるって私が決めたの! これ以上は口出し無用だよ!」
一度決めた事は絶対に曲げないセルリアに、何を言ってももう無駄である。それを察したようで、ジェードはそれ以上反論しなかった。
セルリアは持って来た用紙をジェードへ見せる。そこには、セルリアが描いたであろう、屋敷の簡単な配置図が。急いで描いたようで、部屋の場所は丸く描かれているなど所々雑さが見られる。
「私の行動できた範囲しか平面図を描けなかったけど、ここの使用人や兵の配置は何となく分かった。やっぱり兵が不足しているみたいで、脱出自体はそこまで難しくないよ。檻の鍵はもう1人の兵士が持っているから、交代時間の時にあたしはそれをぶんどって来る。そうすれば、一緒に逃げられる!」
ここが現在地、とセルリアが指差したところに地下牢があり、屋敷の出口にかけて、線がいくつも引かれている。長年傭兵をやって来たセルリアの考える逃走ルートである。
セルリアの描いた平面図を見て真実味が増したようで、ジェードは顔を青ざめさせた。
「や……やっぱりやめましょう。貴女が死ぬのは、見たくありません。だって僕は……」
「あたしの事が信じられない? 大丈夫! いつも何だかんだうまく行けていたから!!」
セルリアは背中を逸らして胸を張ると、今まで死にそうになりながらも無事に生き延びた武勇伝を誇らしげにいくつか話した。その内容は、凄まじすぎてあまり笑えるものではなかったが、それを自信ありげに話すセルリアに、ジェードは思わず笑みを零してしまった。
「……アハハ、本当にポジティブな人ですね」
「よく言われる! じゃあ、決行は今日の深夜。スヤスヤ寝ていたら駄目だからね!」
「分かりました。くれぐれも無茶はしないでくださいね」
ジェードの言葉に、セルリアは大きく頷いた。
今夜、ジェードを救うためにセルリアは動く。失敗したらセルリアもジェードも命は無いだろう。少しだけ鼓動が早くなった胸を抑えると、セルリアは時間までジェードと会話を楽しんだ。
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