3 / 21
山咲雅斗(23)
扉の向こう
しおりを挟む扉の中は真っ暗だった。部屋の蛍光灯で中が少し照らされるかと思ったが、光を一切無視してそこは暗闇だった。普通なら壁の向こうは隣人の部屋があるはずだが、この異様な空間は明らかにそれではなかった。だが、俺は最初から隣人の部屋に繋がる扉だとは思わなかった。何でだろう——やはりこれを夢だと思っているからだろうか。
何歩か足を踏み入れると、背後でバタンと扉の閉まる音がした。慌てて扉があった場所を触ろうとする。しかし、俺の手は虚しく空を切った。
「え……!」
扉が、ない。それどころか、壁の感触すらない。扉があったはずの場所を必死に手探りしたが、壁に当たる事もなかった。俺の部屋に繋がる扉が、壁が消えてしまった。俺は、この暗闇に取り残されてしまった。
どうすればいいんだ?俺はパニック状態に陥る。前も後ろも、変わらずの暗闇。ここが何処なのか、どんな場所なのかも把握できない。こんな中に一人でいて不安にならないわけがない。
「誰か―――!」
いるはずもないのに、誰かの姿を探す。呼び掛けに反応する声はもちろん聞こえず、ただ俺の声が反響するだけ――かと思った。
「何、呼んだ?」
「!!」
予想外の返答に、俺はびくりと身体を揺らした。その声が響いたと同時に、辺りの暗闇がなくなり、突然真っ白になった。
「うおっ」
驚きのあまり、変な声が出てしまった。暗闇は確かに嫌だったが、いきなり真っ白に変わると、目がチカチカする。
真っ白なのは一瞬だった。ここは古びた和室のような場所だった。広さは俺の部屋と同じくらいだろうか。色褪せた畳に隅にある祖父の家にあったような年季の入った机。それ以外は何もない。違和感があるのは、壁が何処にも無く一面の障子に部屋が囲われている事。
この違和感のある和室に、俺は気味の悪さを感じた。——気持ち悪い“庵”だ、と俺は無意識に想った。
キョロキョロと視線を迷わせていると――部屋の隅に人影がある事に気が付いた。
「…!」
男が、いた。黒いコートに黒いブーツ、頭にはシルクハット。身に纏う物が全て漆黒。シルクハットから覗く金の髪と琥珀色の瞳が、やけに鮮やかに見えた。そしてその容姿は異様に整っていて、格好いいというより綺麗が似合っていた。この庵には似合わない風貌の男は薄い唇を上げて笑った。
「ようこそ、俺の庵へ――山咲雅斗さん」
目の前の人物に、思わず息を飲む。その笑顔は、誰もが見惚れるような魅力があるのに、この空間では異様さが増すだけ。それに、何故だろう。この男は、俺と同じ人間ではない気がした。
「…な、んで……俺の名前……」
掠れた喉から、やっと言葉を出す。たくさんの疑問の中、やっと発せられたのは、その質問だけだった。
「そんなの、どうでもいいじゃない。君はもっと他に俺に何か言いたい事があるんじゃない?」
しかし、俺の質問はあっさりとかわされてしまう。他に言いたい事——
「お前は…誰だ…?」
とりあえず男の素性を聞く。すると男はやれやれ、と言いたげに首をすくめた。
「そうじゃなくて……まぁいいや。とりあえず自己紹介しとこうかな。俺はイオリ。魔法使いやってます」
そう言って男——イオリは恭しくお辞儀をした。
「魔法使いぃ?」
「そう、魔法使い」
予想だにしていなかったイオリの魔法使い発言に、俺は恐怖も忘れて素っ頓狂な声を上げた。ズレたシルクハットを調整しながら、イオリはニコニコと笑う。……冗談を言っているようには見えない。だが、イオリの言っている事は、明らかに現実から越えている。
俺は目眩がした。何だか、夢を見ているみたいだ。………夢?そうだ…これは夢か。さっき、俺もそう考えていたじゃないか。きっと頬をつねれば現実へ………
「いだだだっ!」
頬のつねられた痛みで、思わず声を上げる。俺……まだつねってないのに!!
「どう? 夢じゃなかった?」
イオリが楽しそうに尋ねる。その黒い手袋をした手は何かをつねる仕草をしていた。イオリがその仕草を止めると、俺の頬の痛みも消えた。
「……お前がやったのか?」
「俺の事を信じていなくて、夢だと思っているようだったから、さ」
一気に知らしめる方法がこれってわけね。俺は軽くイオリを睨んだ。
……って、ちょっと待てよ?こいつ、何で俺が夢だって思った事知っているんだ?
「雅斗の考えている事が分かるからだよ」
魔法使いだから俺の考えが分かるって事か…?
「そう。すごいでしょ」
信じられないけど、やっぱり魔法使い…………って。
「あのさ…さっきから俺の心読まないでくれる?」
「え? あぁ、ごめんね。でも聞こえちゃうんだもん。仕方無いよね?」
イオリは悪びれた様子もなく、笑った。俺は溜め息を吐いた。何だか最初感じていた緊張感はすっかり無くなっていた。こいつが、ずっと笑顔だからだろうか。少し抜けているからかも。
「失礼だな、俺は抜けてないって」
イオリは手に持ったシルクハットを弄びながら、少しだけ不満そうに口を尖らせた。変な事考えられないな。きっと、今のも考えも読まれているんだろう。イオリに目を向けると、まるで肯定するかのように微笑んだ。
今なら何でも聞けるかも。イオリへの警戒が少し解けたので、一番聞きたかった事を口に出す。
「……何で俺をここに呼んだんだ…?」
魔法使いだか何だか知らないが、そんな現実離れした奴が突然俺の前に現れるわけがない。何かされるのか?……い、命をくれとか?
「呼んだ? 命をくれ?」
イオリはきょとんとした。
「君が勝手に俺の庵に入って来たんだろ? …それに、君の命にも興味は無いよ」
死神じゃあるまいし、とイオリは笑った。今度は俺がきょとんとする番だった。
「あんな、入ってくださいと言わんばかりに扉があったら入るだろ、普通」
しかも俺の部屋に、と心の中で付け足す。するとイオリはああ、と手を叩いた。
「あの扉ね、あるものを抱えている人の前に現れるんだよ」
「あるもの……?」
「欲望……さ」
俺の心臓が高鳴った。
「よ……欲望……」
一気に喉が乾く。潤いが欲しくて、俺は唾を飲んだ。
「そう…雅斗には、叶えたい欲望があるんじゃないの?」
コツコツとイオリがブーツを鳴らしながら近付いてくる。綺麗な笑顔を浮かべて。その笑顔が怖くて、俺は思わず後退りをする。
「そ……れは……」
俺の欲望、それは金。有り余る程の大金。利恵の笑顔を絶やさない程の金。
「さぁ……雅斗……君の欲望は、何?」
俺の思考を読んでいるから分かっているくせに、イオリは惚けた振りをして俺に問い掛ける。
「………俺は、俺の願いは」
ドクンドクンと心臓の音がうるさい。願いを言うのはたやすいはずなのに、この男の前ではできなかった。…イオリに言ったら叶うかもしれない。でも、本当に?悩む俺の後押しをするように、イオリが口を開いた。
「山咲雅斗さん……あなたの願い、お聞きします」
その言葉のおかげで、疑念や不安が無くなり、思考がクリアになった。
「俺の願いは……金。有り余る程の……大金」
滑るように俺の口から欲望が漏れる。俺の汚い、けれど振り落とせない欲望。
「金……人間らしい欲望だね、雅人」
イオリは優しく微笑んだ。気付けば俺とイオリの距離は1メートルくらいになっていた。近くで見ても、やはりイオリの顔は綺麗だった。
「……山咲雅斗さん、あなたの願い、お聞きしました」
イオリはそう言うと、俺の目の前に手のひらをかざした。
「な…何を」
俺が言い終える前に、激しい光に襲われる。俺はその眩しい光に耐えきれず、目を閉じた。
目を閉じる直前、手のひらの向こうで、 イオリが口角を上げているのを見た気がした……
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
婚約者の幼馴染?それが何か?
仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた
「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」
目の前にいる私の事はガン無視である
「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」
リカルドにそう言われたマリサは
「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」
ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・
「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」
「そんな!リカルド酷い!」
マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している
この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ
タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」
「まってくれタバサ!誤解なんだ」
リカルドを置いて、タバサは席を立った
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる