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第三幕 学生期

164.帰還に必要なもの2

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リン
「うぅ~ん...では、あっちに戻ったら、セイレーンの歌劇場に連れてってやるってのはどうだ?」

エスト
「本当!?」

バルド
「危ないから駄目だ!」

リン
「だが、このままエストが死ぬくらいなら、危なくても俺達で守って旅行すればいいだろ?」

バルド
「...まぁ、そうだな。」

エスト
「やった! 約束だよ?」

バルド
「あぁ。」

リン
「よし!じゃあ、戻りたまえ!」

エスト
「うん...。」

 少しの無言の時間が流れる。

バルド
「どうやら、約束は一瞬で破棄されたようだ。」

エスト
「わぁ~! 待って! 今、戻ろうとしてるの!」

リン
「うぅ~ん。どうやら、楽しい事よりも、不安な事の方が精神を占める比重が大きいようだ。不安を取り除くか...。」

エスト
「皆を消すのは無しだよ!」

リン
「あぁ~、では、学校に通うのを諦めなさい。」

エスト
「え!? でも、そしたら領主としてのお勉強はどうするの?」

リン
「領主になるのは諦めなさい。」

エスト
「でも、皆に頑張るって約束したんだ!」

リン
「領主になろうとして頑張った結果エストが死ぬよりは、領主にならなくても生きている方がいいと、ジーンシャンの奴らは思うんじゃないか?」

エスト
「そ、そうかもしれないけど...やめてどうするの? 肩身の狭い思いをして、ニート生活するの?学校も出ていないような世間知らずの坊ちゃんにどんな仕事が出来るのさ?」

バルド
「じゃあ、俺達と旅の吟遊詩人でもしながら暮らすか?」

エスト
「ルド達と旅の吟遊詩人に...」

 自由気ままに吟遊詩人...楽しそうだ。

 ルドに髪の色を変えてもらって、自分がジーンシャン家の人間だって、誰も知らない場所で暮らす。毎日歌って、踊って、その日暮らしかもしれないけど、ルドやリンと一緒なら、何とかやっていけるんじゃないだろうか?

 子供の頃から貯めている貯金も結構あるし、歳をとったら、音楽好きの人が多い街で、音楽の先生をして暮らすのもいい。

 だが、ふと、自分が居なくなって泣いている母メアリーのことを思い浮かべた。

 母メアリーの事を思うと、どうしても胸が痛む。

エスト
「でも、駄目だよ。父上も、母上も、ジュゼッペも...俺が居なくなったら、悲しむんじゃないかな?」

バルド
「まぁ、そうだな。」

エスト
「本当は、分かっているんだよ。あっちに戻って、ちゃんと色んな問題と向き合って、いっぱい考えて、解決しなくちゃいけないって事も、俺を大事に思ってくれている人達のために頑張らないといけないってことも。

だけどさ、今は、ちょっと、心が疲れちゃったから、少し休ませて欲しいんだ。少し休んだら必ず戻るよ。大丈夫、戻れると思う。でも、もうちょっとだけ待って。」

バルド
「分かった。」

リン
「じゃあ、気の済むまでここにいればいい。俺は、エストの体の方が心配だから、アイリスのところに戻ってるな。」

バルド
「俺も行く。」

エスト
「うん。」

____________

 アイリスの部屋にリンとバルドは戻って来た。

アイリス
「まだ、意識が戻ってないよ。その様子じゃ、説得に失敗したね。」

リン
「あぁ...体の様子はどうだ?」

アイリス
「今のところは落ち着いてるよ。」

バルド
「どの位の時間もつんだ? 精神と分離した状態で。」

アイリス
「さぁね? 滅多にある事じゃないし、分かんないね。直接血管に栄養を入れる点滴をしてやって、床擦れしたりしないように寝返りをうたせてやったり、付きっきりで看病してやれば、多少はもつと思うけどね。ずっと寝ていると体の筋肉も衰えて、立ったり歩いたりすることも出来なくなる。長く離れていると、例え戻れたとしても、体に障害が残るよ。」

バルド
「歌も歌えなくなるか?」

アイリス
「歌? そうだね。喋るのも難しくなるだろうね。」

 バルドはアントニオの頭を撫でながら俯(うつむ)いた。

 エストの歌声は特別だ。

 正に、神様からの贈り物と言っていいほどに。

 歌の大好きなエストが、歌を歌えなくなっても、生きていたいと思うだろうか?

リン
「それだ!」

バルド
「は!?」

リン
「ちょっと行ってくる!」

________


 エストはソファーの上でゴロゴロしていた。

 皆がいないと、ちょっと寂しいな。

 だけど、この寂しい状態が続けば、寂しさに耐えかねて自然に肉体に帰れるかも...。

 エストが、そんな事を考えていると、リンが慌ててやって来た。

リン
「大変だ!」

エスト
「どうしたの!? 俺、危篤!?」

リン
「このまま寝たきりだと、喉の筋肉が衰えて、歌が歌えなくなる!」

エスト
「え?...た、た、た、大変だ!!!」

 そう思った瞬間、突然、目の前が真っ暗になって、落ちるような感覚が襲ってきた。

 うわぁ~! 落ちる!

 ガン! と、全身が叩きつけられるような感覚があって、全身が痺れたようにジンジンした。

 恐る恐る重たい瞼(まぶた)を持ち上げ、目を開けると、心配そうに自分を見ているバルドと目があった。

バルド
「エスト!」

アントニオ
「...ルド。」

 頭はガンガンするし、喉はカラカラだ。体全身が怠くて、動かすことが億劫である。肉体のある世界に戻るという事は、何て辛い事なんだろう。

 そんなアントニオを、バルドは抱き寄せて頬ずりをした。

バルド
「良かった。」

 アントニオは、そんなバルドをみて、やっぱり、戻って来て良かったと思った。
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