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第一章 冒険の始まり編
第20話 三十五歳
しおりを挟む――夜。
村長宅での話の後、ヨシタカ達はディークの家に来ていた。
ディークというのは、村の危機を知らせに来たあの中年男性の事だ。中年と言えばヨシタカもそうだろとツッコミを入れたいところだが、そこは言うまい。
明るめの茶色い髪を短くして後ろに流した髪型。
服を着替え、初めに会った時の血まみれの印象とはまた違う格好になっている。
ここの村人達は基本的に似たような格好をしており、大体が淡い色の甚平の様な服だ。
日本の夏、お祭りでよく見かける格好といえば伝わるだろうか。ただ日本で見る甚平とはその肌触りなんかには雲泥の差がある。
サティナが持っていたゴワゴワのタオルケット擬き然り、素材が硬く目が荒いのだ。
(織物の技術があまり発展していないのかな? と思えば、サティの来ている服は綺麗だし、国とかによるのかな)
ひなたはヨシタカではなく、サティナの後ろに居り、彼女のポニーテールにじゃれついている。
そんなサティナは、前を向き話をしたいのに、後ろが気になって仕方がない様子でソワソワしていた。
(あの綺麗な銀髪に、ウチのひなが奪われ始めている……いいぞ……もっとやれ。銀髪エルフと猫の絡み……尊い)
「すみませんディークさん、寝床のお世話になってしまって」
「なに、いいんだよ。気にしないでくれ。それに……今日は本当に世話になった。……あと、サティナちゃんも、あの時は本当にすまなかった。魔法を使えない事を馬鹿にするような事を言っちまって……」
ディークはヨシタカに笑い掛けた後、サティナに向き直り改めて頭を下げた。
「いや、もういいんだ。事実だったしな。それに今はもう……な」
サティナは相変わらず下手な作り笑いを浮かべているが、それでも今までとは違った気持ちの「もういい」だった事は、先ほど火炎魔法を使用した彼女自身が特に感じているだろう。
「そう……だったな。サティナちゃん、魔法、使えたんだな。それもあんなすげぇのをな。なんで黙ってたんだ?」
「黙っていた訳では無いのだが。……何と言えばいいのか……まぁ、気にしないでくれ、私もちゃんとハイエルフだった。それだけだ」
「サティの魔法かっこよかったなぁ。まじで」
「うっ……。やめてくれヨシタカ。言われ慣れてないから、その……」
ディークとサティナのやり取りにヨシタカが入り、照れたサティナを見てディークが不思議そうな顔を二人に向けた。
その表情を見てヨシタカが疑問の表情を向け返すと、
「この村に来るエルフの里のエルフ達は、皆喋り方が固いというか、そんな印象があったが……あぁもちろん悪い意味ではないぞ? なんだけど、ヨシタカさんに対するサティナちゃんは、なんか……普通の女の子だなぁってさ」
ディークの言葉を聞いたサティナは、赤くしていた顔を更に赤くさせ、俯きながら否定しようと口を開けるが、それよりも先にヨシタカが声を放った。
「ディークさん、俺の事はヨシタカでいいです。年上の人にさん付けされるとか、くすぐったいので!」
「いや、俺らを救ってくれた……まぁ、わかった。ヨシタカ、ありがとな」
彼はずっと、サティナ並の下手くそな作り笑いを浮かべている。
それはこの彼の家に来てから、より一層、その下手さ加減に磨きがかかっていた。
それはそうだろう。ここは、ついさっきまではディークともう一人が居た家なのだから。
(゛俺ら ゛を救ってくれた、か)
「いえ……あと……」
ヨシタカは表情の温度を一段下げる。
「奥さんのことは……その……残念でした。少し勝手なことを言いますが、ディークさんが無事に生きてる事に、奥さんは安心してくれてると思います」
ディークの妻は、彼を庇って死んだ。ディークは先ほどそう言っていた。
最愛の妻を亡くして間も無い彼を見て、ヨシタカ自身が居た堪れない気持ちになってしまったのだ。
ここで何も言わず、呑気にその家のお世話になることに、ヨシタカは耐えられなかった。
その言葉を聞いたディークは、俯いて作り笑いを浮かべながら、語り始めた。
「あいつぁ、昔っから身体が弱くてな、ちょっとでも走ろうもんなら、すぐに倒れちまうような、そんなやつだった。……誰よりも優しくて、誰よりも泣き虫なやつだったよ」
語り出したディークを見て、サティナがヨシタカに顔を向けた。ヨシタカはサティナに首肯し、黙ってディークから続く言葉を待った。
「本当、馬鹿だよ。なんで俺を庇って……くそっ! くそっ!! 身体弱いくせに……あんな早く走って……俺の前に出やがって……逆だろうが……! ……俺がお前を……守りたかったんだよ……っ!」
(……ずっと気を張ってたんだろうな。家族が亡くなったのに強がってる様子だったから、泣けてよかった……よな。俺らを呼びに来た時、血まみれだったあの血って……いや……)
――暫くディークは妻について語っていたが、途中で俯き、黙ってしまった。
それから時間にして十五分程が経った頃、そろそろ休もうと言い出し、ヨシタカ達を部屋へと案内した。
そこは、ディークの妻が彼の為にいつも服や靴を作っていた作業部屋だった。
そこに簡易な敷物を敷き、横にならせてもらった。
予備の掛け布団も借りる事ができ、かれこれ三日ぶりにしっかり眠れそうだと考えるヨシタカだが、置いてある服や靴を見ていると、どうにも抑えきれない気持ちが湧き上がってくる。
「ごめん、サティ! ひな見ててくれる? ちょっと寝る前のトイレ行ってくる」
ヨシタカは笑顔で立ち上がると、先ほどディークから教えて貰っていたトイレへと向かおうとする。
「大丈夫か? 着いていこうか?」
不安げに見つめるサティナだったが、ヨシタカは軽く笑うと、
「いやいや、おかんか! 俺は子供か! 大丈夫だよ。すぐ戻る」
「ニャ~」
近寄り、足をテシテシと叩いてくるひなたの頭を撫でてから、大丈夫だよと付け加え、彼は部屋を出た。
――ディークの家は、村の中で言うと北側だ。
ワイバーンとの戦闘があった場所のすぐ近くのため、ヨシタカはトイレを済ませた後に、壊れた村の門がある場所まで歩いて来ていた。
簡易な補修を施された柵と門は、不格好ではあるものの、一応はその役割は果たしていた。
「……いや、きついなあそこ……。それに、家族を目の前で失うってさ……無理……だ……くそっ」
足元に雫が滴る。
何もかもが。この世界に来て初めての経験だった。
いや、世界がどうではない。ヨシタカという人間の人生の、と言い換えた方が良いだろう。
「俺が呑気にしていなければ。もっと早めに村に着いていれば。まだ息が有る奥さんに、この女神の涙を飲ませていれば……。今頃ディークさんは……っ!」
そう言いながら、ポケットの布袋から青い石を一粒取り出す。
相変わらずその石は綺麗で、二つの月の光を青く反射しているが、その反射は突如現れた影によって遮られた。
「それは、傲慢というものだ。ヨシタカ……」
「サティ……」
その影はサティナのものだった。
彼女はヨシタカの背後から近付き、隣へと並んでいた。
「人は死ぬ……いつかな。それが早いか遅いかだ。それが自然の摂理だ。人だって生きるために動物は殺すだろう。私だって明日は生きてるかわからん。生きたいとは、思えるようになったがな……お前のお陰で」
サティナの言っている事は、至極当たり前の事だったが、今のヨシタカには理解は出来ても、納得は出来なかった。
日本でも、完全に安全な場所というものは無かった。
いつ犯罪に巻き込まれるかも、事故に遭うかもわからない。
だが、少なくともヨシタカは日本で平和に暮らしていた。ヨシタカにとっての当たり前は、まだそんな日本のままだからだ。
異世界での当たり前と、日本での当たり前は違う。
それを無理矢理にでも脳に植え付けるしかない状況だった。
近い距離で、獣に襲われて人が死ぬという事実に、まだ脳が着いていけていないのだ。まだ、物語を覗いているような気分だったのだ、と。
ここは異世界だ。
今後もこういった場面に直面することは想像に難くない。目の前で人が死ぬ事もあるかもしれない。
「そうだよね、ここは……日本じゃないんだ。日本よりも身近に危険がある。……情けないとこ見せちゃったね、ごめん。戻ろうか」
「そうだな。でも、勘違いはするな。私だってお前とひなた様は死なせたくない。死んでもしょうがないなんていう意味では言ってないからな。お互い、生きよう」
「ありがとうサティ。キミが居てくれて良かったよ」
「なっ! お前はすぐそういう事を! 何の恥じらいもなく言うな!」
「照れてる」
「照れてない!」
そんなやり取りをしつつも、二人は前日と同じ星空を見上げる。
「月が二つ……か」
ヨシタカがこれもまた前日と同じ言葉を用いた。
「ニホンでは、三つくらい有ったか?」
そしてそれはサティナも同じ。
――二つの小さな笑い声が、静かな村の夜に吸い込まれていった。
…………
……
「ニャ~!」
夜空を眺めていたところへ突如現れた声、その声に驚き二人が身体を震わせた直後、足元の犯人に気が付く。
いつの間にか、ひなたが近くまで来ていたのだ。
「あれ? ひなどうしたの? 寂しかった?」
「ニャ~!」
「なんか怒ってる? かわいい」
「こ、これは……お怒りなのか? 申し訳ご――」
「いや、寂しかったんだよ。たぶん、慣れない土地で俺もサティも居なくなってたからね」
「そ、そうか。寝ていたので、そっと出てしまったんだが……起こした方が良かったのだろうか……」
焦った様子でサティナが弁解するも、ひなたは無視するようにヨシタカの足へと擦り寄ってきた。
「大丈夫だよ。迷子、見失うのだけは避けたいけどね。…………寂しかったね、ひな。戻ろうか」
「ニャ」
ヨシタカ達は部屋に戻り、眠れるかは分からないが、一先ずは横になる事にした。
……………………
………………
…………
「……ヨシタカ。起きているか?」
部屋に戻り横になった二人と一匹。
ひなたはヨシタカの腕の中で丸くなって眠り始めている。
猫は一日の三分の二を寝て過ごすというが、この世界に来てからはヨシタカ達と同等の時間しか眠っていないため、しかも慣れない土地のためか、疲れているのだろう。
横になって一番に眠り始めたのはひなただった。
そこへ仰向けのままサティナがヨシタカへと声を掛けたのだ。
「ん。起きてるよ。どうしたの?」
「お前は、三十五歳なのか?」
「ぶっ! なぜそれをっ! いや別に隠してた訳じゃないけども!」
「ワイバーンに瓦礫を投げる時に叫んでいた」
「あ~……聞こえてたかぁ……何も考えず、ワイバーンの注意を引くために叫ぼうとして何も思いつかなかったんだよなぁ。ワー! とかで良かったか」
(今思うと結構恥ずかしっ)
「フフ、そうか。いやな……同じ歳だったんだな……と少し嬉しくてな」
「………………?」
「ん? どうかしたか?」
「え?」
「なんだ」
「同い歳……?」
(そう言えば、魔法を使った時に「何十年も」とか言ってたー! いや普通に十代後半くらいだと思ってたわ)
「何を驚いている? それに、驚いたのは私の方だぞ? お前はどう見ても十五かそれくらいだろう。三十五とか言われても、傍から見たら信じられないぞ」
(えどういうこと? 十五?)
「いやいや、馬鹿いっちゃいけねぇよお嬢ちゃん」
「誰だお前は」
「俺がっ、十五とか無いでしょう……こんなオッサンを指して十五とか、さすがに無いわ。むしろこっちのセリフだわぁ~。サティこそ、その可愛さで同い歳ってどういうこと?」
「ばっ……かわっ……いやまてまて。お前はどう見ても人族の十代だ。私は若く見えて当たり前だ。エルフ族の我々は二十歳の見た目で止まるからな」
「そういえばそうか……よくエルフは見た目の歳は取らないってアニ……本にも書いてたな。……にしても俺が十五はありえない。若く見られて嬉しいってレベルの話じゃねぇぞ……。」
(よく日本人は童顔だとか聞くけど、二十代ならまだしも十代に見られるとか有り得ない……中にはそういう日本人もいるかもしれないが、俺は至って普通の三十五だ。それにここ二日は髭も剃れてないしな。無精髭で更に見た目の歳はプラスされてるのだ)
「……ヨシタカの言うことだから、私は信じるがな。十五より上だとしても、二十を超えてるようには見えん。ほら改めて見てみろ――」
そう言いながら、サティナは横に置いてあるカバンの中から、小さな手鏡を出して仰向けのまま渡して来た。
「いやそんなん、見なくても毎日自分の家の鏡で髭を剃る時に見てたし。三日前にも自宅で見たばか……え?」
――唖然とした。
――そこには二十歳前後の頃の自分の顔が映っていた。
シュッとした顔は、確かに三十五歳のそれでは無かった。
(暗くてイマイチよく見えないけど……二十話目にして衝撃の事実かよ……だから、最近のひなは俺の事よく見つめてたのかぁ~! 誰これ? ニセモノ? って顔だったのか~! いやわからんけど!)
「……同い歳。フフ」
サティナは心做しか、嬉しそうにしていた。
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