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人間ってやつ
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「う、うそだ! そんな訳ない!」
街の交差点で大声を上げている男がいた。当然、男の周りには人だかりが出来ていた。が、人だかりの理由は大声ではなく、その男が死んでいるからであった。
「どうして俺の目の前で俺が倒れてんだ! ちょっと、誰か! すみません!」
周りの人間に助けを求めるも誰も応えてはくれない。それどころか、触ろうとしても通り抜けてしまい触ることが出来なかった。
「くそっ、何がどうなってんだ……」
頭を抱え崩れ落ちる男。その時、男の肩を叩く者がいた。男は驚き振り返った。
「悪い悪い、待たせちまったな」
「ギャーー!」
さらに驚いた男は、腰を抜かしながらも座ったまま猛スピードで後ずさりをしていった。
「誰か助けて! 殺さないで! 助けて殺さないで!」
そう叫ぶのも無理はなかった。話しかけてきた人物は、黒いローブを羽織り、大きな鎌を持ち、顔はむき出しのドクロ。そう死神そのものだったからだ。
「殺さないで! 誰か助けて! 殺さないで助けて!」
恐怖の声をあげる男を見て、死神は呆れた様子で頭をかく。
「いや殺さないから。というか、もう死んでるから殺せないし……」
さんざん怖がっていた男だったが、もう死んでる、という台詞に素早く立ち上がり、猛烈なスピードで死神に詰め寄った。
「死んでない! これっぽっちも死んでない! 何を見てそんなことを言ってんだアンタは!」
「え? これだよこれ」
「倒れてる俺を鎌で指すんじゃない!」
「あぁゴメンゴメン。でも、これはもう昔の事だから。済んだことなんだよねぇ」
「足でちょんちょんするな! それに済んだことってなんだ! まだわからないでしょ!」
「あのね、お前はね、信号を無視した車にはねられて死んだの。時間は戻せないんだから諦めてもらわないと…… 薄々、気がついてはいるんだろ?」
「くっ……くそ……」
男は倒れている自分を見つめながら、両拳を強く握った。だがその時、男の耳に救いの音がかすかに聞こえてきた。まさに福音だった。
「はっはっは、救急車が来た、救急車が来たぞオイ! 見たか死神、これで俺は助か‥」
「いや無理無理。もう俺来ちゃってるし、自動的に本部に死亡届が送られてるから」
「なんで! まだわからないでしょ! あっ、ほら、電気ショックやるみたい……よし、いけ! やってやれ、一発かましてやれ! も、もう一発! どうした俺! ほら頑張れ、生き返れ!」
「まったくもう……」
死神は面倒くさそうに男の襟首をつかみ、引きずりながら歩き出す。だが男は諦めずに自分へエールを送る。
「何やってんだ! 頑張れって、生き返れって! 頼むよ…… オイ……」
ピクリとも動かない自分に、とうとう諦めた男。文字通り精根尽き果てた男は、死神に引きずられながら気を失ってしまった。
「…………オイ、オイ! お前もコーヒーでいいのか?」
「……ん? あぁ、はい……」
男は焦点の合わない、ぼやけた世界のまま取りあえず返事をした。
「それじゃ、コーヒー二つにレモンパイ一つ」
「かしこまりました」
爽やかな女性の声が聞こえたかと思うと、暗く低い声が再び聞こえてきた。
「……よぉ、大丈夫か? ったく、死んですぐに興奮するから気なんか失うんだよ」
その台詞は男のぼやけた世界を一瞬にして元に戻した。
「うわっ! ア、ア、ア、アンタ! し、し、し、死神!」
「そ、そ、そ、そ、その通り。ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、僕は死神。……本当にいちいちうるさい奴だなお前は」
「だって俺‥」
「お待たせいたしました。コーヒーとレモンパイになります」
「あ、どうも」
「あ、どうも」
死神は熱々のコーヒーをすすりながら、レモンパイを食べ始めた。男はその姿を何か言いたげな表情で見ていた。
「……ん? なんだ、お前もレモンパイ食べたかったのか?」
「え? あぁいや、そうじゃなくてその、死神さんて骨とかそういう……あの、体はあるのかなって……」
「何で急にさん付けで呼んだんだよ? まぁいいや。ようするにあれだろ? ガイコツなんだから飲み食いしても、骨の隙間から全部落っこちるっていうんだろ?」
「えぇ、まあ」
「ほら、見てみろ」
死神はローブを軽く開いて胸元が見えるようにした。
「ギャー!」
「バカッ! 大きい声を出すんじゃない!」
「だって、だって! うー、見るんじゃなかった、聞くんじゃなかった、疑問に思うんじゃなかった」
「もういいから、コーヒー飲んで落ち着けよ?」
「コーヒーなんか飲んだって落ち着けないですよ! いただきます」
「飲むんじゃねぇか!」
「そりゃ飲みますよ! 死神さんのおごりなんだから」
それからしばらくの間、二人は黙っていた。だが、聞きたいことが山ほどある男は、落ち着いた口調で話し始めた。
「あの死神さん? ここってどこなんですか?」
「喫茶店だよ。それがどうかしたか?」
「いや、喫茶店っていうのは見ればわかるんですよ。そうじゃなくて、喫茶店がある場所自体はどこなんですかって聞いてるんですよ」
「あ、そういうこと? ここはお前、ごくらく町六丁目六の六の‥」
「ごくらく町? 極めて、楽しい、の極楽ですか?」
「いや、地獄に落ちる、の獄落」
「獄落町?」
「そうだよ。ま、嘘なんだけどな」
「嘘かよ! なんで、そんなくだらない嘘をつくんですか!」
「ユーモアだよ、死神さんのユーモア。えーとここはだな、三途の川近くにある喫茶『シーサイド』っていう店だ」
「何でだよ! 川だろ、近いのは! リバーサイドでしょ普通!」
「バッカだなぁお前は。シーサイドのシーは海じゃねぇよ、死ーサイドだよ?」
「笑えるか! 上手いけど笑えるか!」
ムスッとした男は残っていたコーヒーを飲みほした。
「ていうか、いつまでここにいるんですか?」
「ん?」
「三途の川を渡って天国か地獄か‥」
「あぁ、地獄に行くよ」
「うわっ、それ言うんですか? 今それを言っちゃうんですか!」
「うん、俺は言う派」
「最悪だよ! 地獄かよ! 何で地獄なんですか!」
「親より先に死んだから」
「死にたくて死んだわけじゃないのにですか? 悪いのは信号無視した運転手でしょ!」
「運転手は運転手で地獄に行くから安心しろよ」
「いや、そういうことじゃなく……というか、エンマ様が決めるんじゃないんですか!?」
「いや、エンマさんが決めるのは微妙な時だけだ。あからさまな場合は役所が決めちまうんだよ」
「ったくもう! じゃあ、もういいですから、早いところ地獄に連れて行ってくださいよ。こんなところでイタズラに時間を潰してないで」
その話になった途端、死神は困った様子でうつむいた。その時、男はふと思った。表情のないドクロなのに、なぜ感情がわかるのだろうと。しかし、そのことよりも、今は死神がうつむいた理由の事の方が重要だった。
「どう……したんですか?」
「うん、実はさ、地獄でちょっと問題が起きててなぁ」
「問題ですか?」
「あぁ。 お前らの世界じゃ、極悪非道な奴らを罵るとき、鬼みたいな奴とか悪魔みたいな奴って言うだろ?」
「えぇ、いいますよ。まぁ最近はあまり聞きませんけど」
「地獄の住人、つまり俺達の間じゃ、そういう奴らの事を人間みたいな奴って罵るんだよ」
「そうなんですか?」
「まっ、あれだ、何が言いてぇのかと言うとだな、死んだ人間たちが地獄で大規模なデモを起こしてるんだよ」
「デモ? なんでまた地獄なんかで……」
「説明するよりも見た方が早いかもな。行ってみるか? 地獄を見学に?」
「見学ですか? でも、俺はどっちみち地獄行き…」
「当面は地獄に入れないんだ。今以上の混乱を避けるために、新しい罪人の受け入れを拒否してるんだ。それに、入る前に見といたほうが心の準備がしやすくなっていいだろ?」
死神は言い終わると同時に席を立ちあがり、代金を支払うためにレジへと歩いていく。男もその後についていく。
「死神さん、ごちそう様でした」
「おう」
支払いを済ませ、店を出たその時だった。ウエイトレスが慌てて店を出てきて、死神に声をかけた。
「お客様! お忘れ物です!」
「え? あ、どうもすみません!」
それを見ていた男は呆れかえった。
「死神さん、ふつう大鎌を店に忘れます?」
「内緒な?」
「何だかなぁもう」
「わりぃんだけどさ、鬼に連絡しなきゃいけねぇから、大鎌持っててくんないかな? 意外と軽いんだよ」
「はいはい」
死神は大鎌を渡すと、あるものをローブから取り出した。
「…………なんですかそれ?」
「なんですかって、知らないのか? スマポだろ、これ?」
「スマホ! スマホは知ってるんですよ! そうじゃなくて、なんで死神がそんなものを使うんですか、って聞いてるんですよ。 だいたい、こっちの世界で使えるんですか?」
「使えるよ! あの世をなめるな。だが、タッチパネル? ってのが使いづらくてしょうがないんだよ」
「まだ慣れてないんですか?」
「いや俺さ、指先も骨になってるから反応してくれないんだよ」
「反応しないって、使ってるんですよね?」
「いやなに、世の中には便利な物が売ってるんだな。ほらこれ、タッチパネルに反応する手袋。こいつをはめて使ってんだよ」
死神はその手袋を、男の目の前で自慢げにユラユラと揺らした。男は何かムカついた。
「こんなもの!」
男は素早く手袋を取り上げると、くしゃっと丸めて三途の川へ思いっきり投げ捨てた。
「あっ! なにすんだよ!」
「あんなもの使うぐらいだったら、最初からスマホなんて使うな!」
「ったく、お前ってやつはよぉ……もういいよ、予備の使うから」
「何枚持ってるんですか!」
死神はまた手袋を取り出し、それを手にはめると、黄鬼の八さんへと電話をかけた。
「…………あ、もしもし? 八さん? 俺だけど? おう、今しゃべってて平気か? あのさ、人間を一人つれて少しだけ地獄を見学したいんだけどさ、大丈夫かな? ……あ、大丈夫? じゃ今から向かうわ。うーい、それじゃ、あいよー」
死神は電話と手袋をしまうと、男から大鎌を受け取り、男のズボンのベルト部分を強く握りしめた。
「ちょっとなんですか!」
「見学は正規の手続きがいらないから、地獄まで一気に飛んでいくんだよ」
「三途の川を渡ってすぐじゃないんですか?」
「違う、よし行くぞ?」
人間の想像をはるかに超えた速度で空を駆ける死神。当然ながら男はまた気を失った。
「おい! おい! 着いたぞ!」
「ん……」
ゆっくりと目を開けた男の前には、強烈な世界が広がっていた。
「ここが……これが……地獄……」
空は赤黒く焼けただれ、大地は痩せ細り死んでいた。そして、地獄の空気は血なまぐさく、焦げた臭いがした。
「どうだ? 地獄の第一印象は?」
「えぇ、死神と違って想像通りでした。けど、ここまですごいとは思いませんでしたよ、死神と違って」
「わるかったなぁ、イメージと違って!」
その時、後ろから声が聞こえた。
「そいつが見学したいっていう人間か?」
声の主は黄鬼の八だった。
「やあ八さん。そう、コイツがその人間だ」
「あ、どうも、は、初めまして……」
「おう。いやぁわりぃな、本当なら今すぐにでも地獄に落としてやりてぇんだが、ゴタゴタが長引いちまってなぁ」
「いえ……心の準備が出来るのでちょうどいいです」
「そう言ってもらえると助かるわ、んじゃ、軽く見て回るか?」
「はい」
歩き出す黄鬼の八と男、それを死神は手を振りながら見送る。それに気づいた黄鬼の八は本物の鬼の形相になった。
「何をやってんだ?」
「何って、見送ってんだよ」
「お前も一緒に行くんだよ!」
「嫌だよ面倒くせぇ!」
「今はまだお前の管轄だろ!」
「チッ、わかったよ! 行くよ!」
三人は地獄巡りへと歩き出した。十数分たった頃、三人はデモが行われている場所に到着した。そこでは無数の人間がわめいていた。
「針の山の先端を丸くしろ!」
『丸くしろぉ!』
針の山の周辺には金網やバリケードが設置され、敷地内には入れないようにしてあり、鬼たちも金棒を持って警備をしている。だが人間たちは諦めずにバリケードを突破しようとしていた。
「す、すごい事になってますね……」
「あぁ、俺たち鬼も大忙しなんだよ。なんたって、こんだけのデモが地獄のあっちこっちで起きてるんだからなぁ……」
「ここだけじゃないんですか!」
「あったりまえじゃねぇか。釜の温度を下げろだの、舌を抜くときは麻酔しろだのよ。この間なんかでかい岩で挟んで苦しめるやつあるだろ? あれがいつの間にか軽石にすり替えられててなぁ。まったくどっから見つけて……」
黄鬼の八の横で、死神が遠くにいる人間たちに手を振っていた。
「何してんのお前は?」
「何って、ちょっとだけ応援を……」
「何で死神が人間を応援すんだよ!」
「俺は劣勢な方を応援する死神なんだよ!」
黄鬼の八と死神がモメだしたその時だった。
「あっ! ちょっと二人とも、モメてる場合じゃないですよ! バリケードの一部が壊されて、針の山の敷地内にみんな入っちゃってますよ!」
「なんだと!」
黄鬼の八は慌てて振り向いた。確かに男の言う通りだった。
「よし! みんな、ここから中に入れるぞ! 進め!」
歓声と雄叫びが入り混じった声を上げ、一部の人間達が中へと侵入しはじめた。その中の一番足の速い人間は大きな金やすりを持ち、瞬く間に針の先端部分を削り出した。
「だーはっはっはっは! 全部丸くしてやる!」
「おい、お前! すぐそこから降りろ!」
「嫌だね!」
「降りなけりゃ、この金棒で痛めつけてやるぞ!」
「へっ! もういっぺん金棒をよーく見てから物を言うんだな!」
「なんだと?」
鬼は自分の金棒を見て驚いた。金棒のトゲというトゲが丸く削られていたのだ。
「いつのまにってか? 人間を甘く見すぎだぜ? さぁどうするよ、鬼さんよぉ?」
「こうする」
「へっ?」
鬼はイボ付きこん棒となった金棒をフルスイング。人間を遠くへと弾き飛ばした。
「金棒のトゲをとっても無意味なことを忘れていたぞー! 退け、退けぇー!」
人間たちは大慌てでバリケードの外へと逃げ出していく。
「…………はぁ」
その光景を見ていた男はため息をはき、それに気付いた死神は声をかけた。
「どうした?」
「恥ずかしいやら、情けないやらで……」
「まぁ気持ちはわからんでもない。ところで八さんよ、エンマ様は何をやってんだよ? 先代から継いだ新エンマ様はよ?」
「こもっちまったんだよ……」
「は?」
「自分の部屋におこもり遊ばしてんだよ!」
「かぁー! 情けねぇなおい、んでどうするんだよ?」
「仲間が説得にあたってるよ……」
ところかわりエンマの館。黄鬼の八の同僚がエンマを説得していた。
「エンマ様! いい加減に出てくださいよ!」
「嫌だ!」
重厚な扉一枚を隔てて、赤鬼の助とエンマの攻防が続いていた。
「まったく、困ったお方だ。……おい、おい! 銀!」
助は、横で黙ったまま扉を一所懸命に見つめている青鬼の銀を呼んだ。が、銀は集中しすぎており、全く反応しなかった。
「こら! 銀! 名前負けの銀! このっ!」
助は銀の頭をこづいた。
「痛っ! 何するんですか!」
「ちょっとこっちに来い!」
助は銀の耳をつかむと、扉から少し離れた場所まで引っ張っていった。
「何をするん……もう! 痛いですよ、何なんですか!」
「何なんですか、じゃねぇや! さっきから何だお前は、えぇ? こっちが懸命に説得している横で、すっとぼけた面して扉ばっか見やがって! お前も何か言えってんだよ!」
「わかりましたよ!」
銀はスタスタと扉に近づくと、大声を出すために息を深く吸い込んだ。
「すぅ……げほっげほっげほっ!」
急に息を大量に吸いすぎた銀はむせてしまった。助は先ほどと同じ方法で銀を引っ張り、元の位置まで戻した。
「げほげほじゃねぇんだよバカ野郎!」
「すいません、むせちゃいました」
「ったくよ……」
助の眉間にしわがよった。
「助さん」
「ん?」
「何を怒ってるんですか? 俺の名前が『角』じゃないから怒ってるんですか? だとしたらお門違いですよ? 俺だって助さんの名前が『金』だったら良かったのにと思ってるんですからね!」
「お門違いはお前だよ! んなことじゃねぇよ、俺はエンマ様がどうやったら出てきてくれるかを考えてんだよ!」
「なんだ、そうだったんですか? だったらいい方法がありますよ」
「何だよ?」
「出てきてくれってお願い‥」
「お前‥」
「違います! 最後まで聞いてくださいよ! 出てきてくれってお願いするんじゃなく、自主的に出てこられるような環境を作ればいいんですよ」
「明日は大雪だなおい。へぇー、たまにはいいこと言うじゃねぇか。で、どうする?」
「まずは簡単で身近なことからですかねぇ。エンマ様の好きな『たちつ亭』の黒糖デカまんじゅうの話をするんですよ」
助と銀は小声で軽い打ち合わせを行い、それから大声で芝居を始めた。
「ああ! 助さん! その手に持ってるのは!」
「おうよ! たちつ亭の黒糖デカまんじゅうよ!」
「うわぁー、美味そうだなー」
「三つあるから一つお前にやるよ」
「ええぇ! いいんですか!」
「おう、味わって食いな!」
「もちろんですよ。それじゃ、いただきまーす! 美味い! 美味すぎる!」
「当然だ」
「溶けだした黒糖が、まんじゅうの皮をパリパリに」
「中の生地はふんわり優しく」
「あんこは程良い甘さで」
「小豆もふっくら」
「くぅーーー、たまらん!」
「くぅーーー、たまらん!」
声を揃えた二人は、ゆっくりと扉の方を見てみた。すると、エンマが扉から半身を乗り出していた。
「銀! 出てきたぞ!」
「はい!」
二人は大急ぎでエンマへと向かったが、エンマはまた部屋の中へと戻ってしまった。
「ちきしょう! もう少しだったのによ!」
「でも助さん、効果はありましたね!」
「おう、そうだな! よし、今度は一気に飛躍して、下の話で勝負だ!」
「それなら俺に任せてくださいよ!」
銀は打ち合わせもせずに、勝手にしゃべり出した。
「助さん、最近めっぽう寒くなってきやしたねぇ」
「お、おう……」
「特に朝方なんかもう、信じられないくらい寒いですよねぇ」
「あぁ? あ、あぁ……」
「あっ! 見てくださいよ助さん! あっちもこっちも霜だらけ……」
「ちょっと来い」
助はまた銀の耳を引っ張った。
「痛たたたた! なんですかもう!」
「途中からまさかとは思ったけどよ、どこのバカが霜の話をしろって言ったんだよ! 下だよ、しも! ちょろっと色気のある話をしろって言ってんだよ! 霜の話で引きこもってる奴が出てくるわけねぇだろバカ!」
「すみません……」
助は腕を組んでイラついた表情で扉の方を見た。エンマは先ほどより体を乗り出していた。
「おいマジか! 銀!」
「え? はいっ!」
二人は急ぎ扉に向かうも、またエンマは部屋に戻ってしまった。
「くそっ!」
「あの……助さん? 扉から離れすぎているから、間に合わないんじゃないんですか?」
「あ、そう言われれば……じゃねぇよバカ! 俺はそう思って下の話をしようとしたら、お前が急に霜の話を始めちまったんだよ!」
「そうだったんですか」
「そうだよ。だから次、下の話の時は少し近づいてやるぞ?」
「はい」
二人はエンマが扉を開けたときに飛びかかれる距離まで近づき、小声で打ち合わせを始めた。
「んで、どうするかな。下の話っつーと……」
「助さん、任せておいてくださいよ」
「……本当か? 大丈夫なんだろうな?」
「問題なしです」
「いろんな意味で大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫ですよ」
言い切った銀は軽く咳払いをすると、声色を変えた。
『あらぁ? 助ちゃんと銀ちゃんじゃなーい』
「桃鬼の玲さんじゃないですか! 助さん、玲さんですよ!」
「……おう」
器用に一人二役をこなす、銀の謎の才能に何だか呆れてしまった助は、やる気のない返事を返した。
「ちょっと助さん! この間行った店の玲さんですよ! 覚えてないんですか?」
「いや……そりゃ……まぁ……」
『えぇー、助ちゃんヒドーイ!』
「そうですよー、あんなに玲さんの胸ばっか見てたくせにぃ」
「あぁ……そういやそうだったな……」
『アタシの巨乳に釘付けだったじゃなーい』
その時だった。扉の奥で物音が聞こえてきた。エンマが胸の話につられて扉に近づいたらしい。それに勘付いた助は、やる気を出し調子を上げて話始めた。
「そうだった、そうだった! っていうかその服、少しばかり大胆でないのかい? もうほとんど見えちゃってるじゃねぇか」
『もう、あんまりみないでよぉ』
カチャッ……
エンマは扉の鍵を開けた。だが、助と銀は話を続けた。確実にエンマを捕まえるために、エンマが体を出してくれるまで我慢をするつもりだった。が、その時だった。
「おい、助に銀。二人して何バカやってんだ?」
息子の様子を見に来た先代エンマが、二人の芝居をあっさりバラしてしまった。当然、息子の新エンマは鍵を閉めて再び閉じこもってしまった。
「ったく、キャバクラ行った時の練習なんかしてないで、息子の説得したらどうなん…… どうした助? 鬼の形相だぞ?」
「もともと鬼だよ俺は! このバカ先代! 今、芝居をうってアンタの息子を誘い出そうとして、うまくいってたんだ!」
「あれ? そうだったのか、それは悪い事しちまったなぁ」
「ったく、親子そろって……」
助は腕を組み、イライラしながら部屋をぐるぐる回り出した。先代は銀に近づき、助に聞こえないように小声でしゃべり出した。
「よぉ銀、助の奴どうしたんだよ?」
「息子さんの説得始めて大分経ちますからねぇ。そりゃイライラもしますよ。しかも、一番うまくいきそうな作戦を、先代でもある親父さんが邪魔しちゃ……」
「そうか、そうだったのか……」
「あの先代? 復職することは出来ないんですか?」
「それは出来ん。一度やめたら二度は出来ない決まりなんだ。 ……おい助、助よぉ。機嫌を直せよ? 俺も手伝うから」
「…………わかりましたよ。お願いします」
それを聞いたエンマは扉の前に立ち、少し考えを巡らせてから息子に語りかけた。
「息子よ、何も言わん。ただ出てきてほしい……」
「嫌だ!」
「なにを! いい歳して親に向かって『嫌だ』だと! 何様のつもりだ!」
「エンマ様」
「バカ息子! 今すぐこの扉を開けろ! こらっ! 出てこいバカ息子!」
助は嫌になってきた。
「銀、先代を落ち着かせるぞ……」
「はい……」
二人が面倒臭そうにエンマの両側に立ったその時だった。
「こらバカ息子! お前まさか秘密の出口から逃げ出そうって腹積もりじゃないだろうな!」
「えっ?」
「はっはー! 図星かバカ息子! お前の考えてることなんざ、すべてお見通し‥」
「バカはお前だバカ先代!」
助の大声が先代の耳をつんざく。
「アンタのバカ息子は出口の事を知らないんだよ! だから、ずっと部屋に閉じこもってるん‥」
部屋からは秘密の出口を探すため、家具をひっくり返している音が聞こえてきた。
「くそっ! 銀! お前は事務所に戻って人数集めてこい! 黒鬼の紋次郎には倉庫へ行けと言っとけ!」
「はい!」
「先代はその紋次郎と一緒に倉庫からバカでかい金棒を持ってきてください! それでこの扉をぶち破りますから」
「わ、わかった!」
「まったく、大変なことになった……」
エンマの館が大騒ぎになっている頃、地獄めぐりを終えた三人は、再び針の山のところまで戻ってきていた。
「いやぁー八さん、悪かったなぁ忙しいところよぉ」
「気にすんな、死神達にも迷惑かけちまってるからよ? んで、どうだったんだ?」
八に地獄の感想を聞かれた男だったが、黙ったままデモを起こしている人間達を見つめていた。
「なんでぇ、出るもん出ねぇような顔しやがって」
「八さん、こいつは人間なんだぜ? 地獄ってものを実際に見て回ってショック受けてるんじゃねぇか?」
「そりゃそうか。ん?」
八のスマホが震えだした。
「銀から電話か。ちょっとわりぃ、電話だ……」
死神に断りを入れると、八は電話に出た。
「おう、なんでぇ銀? どうかしたか?」
『あっ! 八さん! 実は………』
「何! やりやがったな、あのバカ先代!」
八はスマホを虎のパンツのポケットに素早く閉まった。
「わりぃ二人とも! ちょっとエンマ様の館まで行かなきゃならなくなっちまった! あとは適当に……」
「わかったから早く行って来い」
「わりぃ!」
八は死神にそう言うと、猛スピードで走り去っていった。
「ふぅ…………」
死神は近くの岩に腰をかけ、赤く焼けただれた空を見つめたまま、男に語りかけた。
「そんなに落ち込むな。地獄行きが決まっちまった以上、どうすることも出来やしねぇんだからよ? 人間ってのは自然や運命に逆らい生きてきたんだ。地獄は地獄、極楽は極楽。ここらで素直に運命を受け入れて…… ん? あれ?」
死神が男へ視線を戻すと、そこに男の姿はなかった。
「アイツどこへ行ったんだ? ったく世話の焼ける…… あっ」
死神は声を張り上げている男の姿を見つけた。針山のデモ隊の先頭で。
「これだから人間ってやつは……こら! 戻ってこい!」
人間どこへ行っても人間なのである。
街の交差点で大声を上げている男がいた。当然、男の周りには人だかりが出来ていた。が、人だかりの理由は大声ではなく、その男が死んでいるからであった。
「どうして俺の目の前で俺が倒れてんだ! ちょっと、誰か! すみません!」
周りの人間に助けを求めるも誰も応えてはくれない。それどころか、触ろうとしても通り抜けてしまい触ることが出来なかった。
「くそっ、何がどうなってんだ……」
頭を抱え崩れ落ちる男。その時、男の肩を叩く者がいた。男は驚き振り返った。
「悪い悪い、待たせちまったな」
「ギャーー!」
さらに驚いた男は、腰を抜かしながらも座ったまま猛スピードで後ずさりをしていった。
「誰か助けて! 殺さないで! 助けて殺さないで!」
そう叫ぶのも無理はなかった。話しかけてきた人物は、黒いローブを羽織り、大きな鎌を持ち、顔はむき出しのドクロ。そう死神そのものだったからだ。
「殺さないで! 誰か助けて! 殺さないで助けて!」
恐怖の声をあげる男を見て、死神は呆れた様子で頭をかく。
「いや殺さないから。というか、もう死んでるから殺せないし……」
さんざん怖がっていた男だったが、もう死んでる、という台詞に素早く立ち上がり、猛烈なスピードで死神に詰め寄った。
「死んでない! これっぽっちも死んでない! 何を見てそんなことを言ってんだアンタは!」
「え? これだよこれ」
「倒れてる俺を鎌で指すんじゃない!」
「あぁゴメンゴメン。でも、これはもう昔の事だから。済んだことなんだよねぇ」
「足でちょんちょんするな! それに済んだことってなんだ! まだわからないでしょ!」
「あのね、お前はね、信号を無視した車にはねられて死んだの。時間は戻せないんだから諦めてもらわないと…… 薄々、気がついてはいるんだろ?」
「くっ……くそ……」
男は倒れている自分を見つめながら、両拳を強く握った。だがその時、男の耳に救いの音がかすかに聞こえてきた。まさに福音だった。
「はっはっは、救急車が来た、救急車が来たぞオイ! 見たか死神、これで俺は助か‥」
「いや無理無理。もう俺来ちゃってるし、自動的に本部に死亡届が送られてるから」
「なんで! まだわからないでしょ! あっ、ほら、電気ショックやるみたい……よし、いけ! やってやれ、一発かましてやれ! も、もう一発! どうした俺! ほら頑張れ、生き返れ!」
「まったくもう……」
死神は面倒くさそうに男の襟首をつかみ、引きずりながら歩き出す。だが男は諦めずに自分へエールを送る。
「何やってんだ! 頑張れって、生き返れって! 頼むよ…… オイ……」
ピクリとも動かない自分に、とうとう諦めた男。文字通り精根尽き果てた男は、死神に引きずられながら気を失ってしまった。
「…………オイ、オイ! お前もコーヒーでいいのか?」
「……ん? あぁ、はい……」
男は焦点の合わない、ぼやけた世界のまま取りあえず返事をした。
「それじゃ、コーヒー二つにレモンパイ一つ」
「かしこまりました」
爽やかな女性の声が聞こえたかと思うと、暗く低い声が再び聞こえてきた。
「……よぉ、大丈夫か? ったく、死んですぐに興奮するから気なんか失うんだよ」
その台詞は男のぼやけた世界を一瞬にして元に戻した。
「うわっ! ア、ア、ア、アンタ! し、し、し、死神!」
「そ、そ、そ、そ、その通り。ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、僕は死神。……本当にいちいちうるさい奴だなお前は」
「だって俺‥」
「お待たせいたしました。コーヒーとレモンパイになります」
「あ、どうも」
「あ、どうも」
死神は熱々のコーヒーをすすりながら、レモンパイを食べ始めた。男はその姿を何か言いたげな表情で見ていた。
「……ん? なんだ、お前もレモンパイ食べたかったのか?」
「え? あぁいや、そうじゃなくてその、死神さんて骨とかそういう……あの、体はあるのかなって……」
「何で急にさん付けで呼んだんだよ? まぁいいや。ようするにあれだろ? ガイコツなんだから飲み食いしても、骨の隙間から全部落っこちるっていうんだろ?」
「えぇ、まあ」
「ほら、見てみろ」
死神はローブを軽く開いて胸元が見えるようにした。
「ギャー!」
「バカッ! 大きい声を出すんじゃない!」
「だって、だって! うー、見るんじゃなかった、聞くんじゃなかった、疑問に思うんじゃなかった」
「もういいから、コーヒー飲んで落ち着けよ?」
「コーヒーなんか飲んだって落ち着けないですよ! いただきます」
「飲むんじゃねぇか!」
「そりゃ飲みますよ! 死神さんのおごりなんだから」
それからしばらくの間、二人は黙っていた。だが、聞きたいことが山ほどある男は、落ち着いた口調で話し始めた。
「あの死神さん? ここってどこなんですか?」
「喫茶店だよ。それがどうかしたか?」
「いや、喫茶店っていうのは見ればわかるんですよ。そうじゃなくて、喫茶店がある場所自体はどこなんですかって聞いてるんですよ」
「あ、そういうこと? ここはお前、ごくらく町六丁目六の六の‥」
「ごくらく町? 極めて、楽しい、の極楽ですか?」
「いや、地獄に落ちる、の獄落」
「獄落町?」
「そうだよ。ま、嘘なんだけどな」
「嘘かよ! なんで、そんなくだらない嘘をつくんですか!」
「ユーモアだよ、死神さんのユーモア。えーとここはだな、三途の川近くにある喫茶『シーサイド』っていう店だ」
「何でだよ! 川だろ、近いのは! リバーサイドでしょ普通!」
「バッカだなぁお前は。シーサイドのシーは海じゃねぇよ、死ーサイドだよ?」
「笑えるか! 上手いけど笑えるか!」
ムスッとした男は残っていたコーヒーを飲みほした。
「ていうか、いつまでここにいるんですか?」
「ん?」
「三途の川を渡って天国か地獄か‥」
「あぁ、地獄に行くよ」
「うわっ、それ言うんですか? 今それを言っちゃうんですか!」
「うん、俺は言う派」
「最悪だよ! 地獄かよ! 何で地獄なんですか!」
「親より先に死んだから」
「死にたくて死んだわけじゃないのにですか? 悪いのは信号無視した運転手でしょ!」
「運転手は運転手で地獄に行くから安心しろよ」
「いや、そういうことじゃなく……というか、エンマ様が決めるんじゃないんですか!?」
「いや、エンマさんが決めるのは微妙な時だけだ。あからさまな場合は役所が決めちまうんだよ」
「ったくもう! じゃあ、もういいですから、早いところ地獄に連れて行ってくださいよ。こんなところでイタズラに時間を潰してないで」
その話になった途端、死神は困った様子でうつむいた。その時、男はふと思った。表情のないドクロなのに、なぜ感情がわかるのだろうと。しかし、そのことよりも、今は死神がうつむいた理由の事の方が重要だった。
「どう……したんですか?」
「うん、実はさ、地獄でちょっと問題が起きててなぁ」
「問題ですか?」
「あぁ。 お前らの世界じゃ、極悪非道な奴らを罵るとき、鬼みたいな奴とか悪魔みたいな奴って言うだろ?」
「えぇ、いいますよ。まぁ最近はあまり聞きませんけど」
「地獄の住人、つまり俺達の間じゃ、そういう奴らの事を人間みたいな奴って罵るんだよ」
「そうなんですか?」
「まっ、あれだ、何が言いてぇのかと言うとだな、死んだ人間たちが地獄で大規模なデモを起こしてるんだよ」
「デモ? なんでまた地獄なんかで……」
「説明するよりも見た方が早いかもな。行ってみるか? 地獄を見学に?」
「見学ですか? でも、俺はどっちみち地獄行き…」
「当面は地獄に入れないんだ。今以上の混乱を避けるために、新しい罪人の受け入れを拒否してるんだ。それに、入る前に見といたほうが心の準備がしやすくなっていいだろ?」
死神は言い終わると同時に席を立ちあがり、代金を支払うためにレジへと歩いていく。男もその後についていく。
「死神さん、ごちそう様でした」
「おう」
支払いを済ませ、店を出たその時だった。ウエイトレスが慌てて店を出てきて、死神に声をかけた。
「お客様! お忘れ物です!」
「え? あ、どうもすみません!」
それを見ていた男は呆れかえった。
「死神さん、ふつう大鎌を店に忘れます?」
「内緒な?」
「何だかなぁもう」
「わりぃんだけどさ、鬼に連絡しなきゃいけねぇから、大鎌持っててくんないかな? 意外と軽いんだよ」
「はいはい」
死神は大鎌を渡すと、あるものをローブから取り出した。
「…………なんですかそれ?」
「なんですかって、知らないのか? スマポだろ、これ?」
「スマホ! スマホは知ってるんですよ! そうじゃなくて、なんで死神がそんなものを使うんですか、って聞いてるんですよ。 だいたい、こっちの世界で使えるんですか?」
「使えるよ! あの世をなめるな。だが、タッチパネル? ってのが使いづらくてしょうがないんだよ」
「まだ慣れてないんですか?」
「いや俺さ、指先も骨になってるから反応してくれないんだよ」
「反応しないって、使ってるんですよね?」
「いやなに、世の中には便利な物が売ってるんだな。ほらこれ、タッチパネルに反応する手袋。こいつをはめて使ってんだよ」
死神はその手袋を、男の目の前で自慢げにユラユラと揺らした。男は何かムカついた。
「こんなもの!」
男は素早く手袋を取り上げると、くしゃっと丸めて三途の川へ思いっきり投げ捨てた。
「あっ! なにすんだよ!」
「あんなもの使うぐらいだったら、最初からスマホなんて使うな!」
「ったく、お前ってやつはよぉ……もういいよ、予備の使うから」
「何枚持ってるんですか!」
死神はまた手袋を取り出し、それを手にはめると、黄鬼の八さんへと電話をかけた。
「…………あ、もしもし? 八さん? 俺だけど? おう、今しゃべってて平気か? あのさ、人間を一人つれて少しだけ地獄を見学したいんだけどさ、大丈夫かな? ……あ、大丈夫? じゃ今から向かうわ。うーい、それじゃ、あいよー」
死神は電話と手袋をしまうと、男から大鎌を受け取り、男のズボンのベルト部分を強く握りしめた。
「ちょっとなんですか!」
「見学は正規の手続きがいらないから、地獄まで一気に飛んでいくんだよ」
「三途の川を渡ってすぐじゃないんですか?」
「違う、よし行くぞ?」
人間の想像をはるかに超えた速度で空を駆ける死神。当然ながら男はまた気を失った。
「おい! おい! 着いたぞ!」
「ん……」
ゆっくりと目を開けた男の前には、強烈な世界が広がっていた。
「ここが……これが……地獄……」
空は赤黒く焼けただれ、大地は痩せ細り死んでいた。そして、地獄の空気は血なまぐさく、焦げた臭いがした。
「どうだ? 地獄の第一印象は?」
「えぇ、死神と違って想像通りでした。けど、ここまですごいとは思いませんでしたよ、死神と違って」
「わるかったなぁ、イメージと違って!」
その時、後ろから声が聞こえた。
「そいつが見学したいっていう人間か?」
声の主は黄鬼の八だった。
「やあ八さん。そう、コイツがその人間だ」
「あ、どうも、は、初めまして……」
「おう。いやぁわりぃな、本当なら今すぐにでも地獄に落としてやりてぇんだが、ゴタゴタが長引いちまってなぁ」
「いえ……心の準備が出来るのでちょうどいいです」
「そう言ってもらえると助かるわ、んじゃ、軽く見て回るか?」
「はい」
歩き出す黄鬼の八と男、それを死神は手を振りながら見送る。それに気づいた黄鬼の八は本物の鬼の形相になった。
「何をやってんだ?」
「何って、見送ってんだよ」
「お前も一緒に行くんだよ!」
「嫌だよ面倒くせぇ!」
「今はまだお前の管轄だろ!」
「チッ、わかったよ! 行くよ!」
三人は地獄巡りへと歩き出した。十数分たった頃、三人はデモが行われている場所に到着した。そこでは無数の人間がわめいていた。
「針の山の先端を丸くしろ!」
『丸くしろぉ!』
針の山の周辺には金網やバリケードが設置され、敷地内には入れないようにしてあり、鬼たちも金棒を持って警備をしている。だが人間たちは諦めずにバリケードを突破しようとしていた。
「す、すごい事になってますね……」
「あぁ、俺たち鬼も大忙しなんだよ。なんたって、こんだけのデモが地獄のあっちこっちで起きてるんだからなぁ……」
「ここだけじゃないんですか!」
「あったりまえじゃねぇか。釜の温度を下げろだの、舌を抜くときは麻酔しろだのよ。この間なんかでかい岩で挟んで苦しめるやつあるだろ? あれがいつの間にか軽石にすり替えられててなぁ。まったくどっから見つけて……」
黄鬼の八の横で、死神が遠くにいる人間たちに手を振っていた。
「何してんのお前は?」
「何って、ちょっとだけ応援を……」
「何で死神が人間を応援すんだよ!」
「俺は劣勢な方を応援する死神なんだよ!」
黄鬼の八と死神がモメだしたその時だった。
「あっ! ちょっと二人とも、モメてる場合じゃないですよ! バリケードの一部が壊されて、針の山の敷地内にみんな入っちゃってますよ!」
「なんだと!」
黄鬼の八は慌てて振り向いた。確かに男の言う通りだった。
「よし! みんな、ここから中に入れるぞ! 進め!」
歓声と雄叫びが入り混じった声を上げ、一部の人間達が中へと侵入しはじめた。その中の一番足の速い人間は大きな金やすりを持ち、瞬く間に針の先端部分を削り出した。
「だーはっはっはっは! 全部丸くしてやる!」
「おい、お前! すぐそこから降りろ!」
「嫌だね!」
「降りなけりゃ、この金棒で痛めつけてやるぞ!」
「へっ! もういっぺん金棒をよーく見てから物を言うんだな!」
「なんだと?」
鬼は自分の金棒を見て驚いた。金棒のトゲというトゲが丸く削られていたのだ。
「いつのまにってか? 人間を甘く見すぎだぜ? さぁどうするよ、鬼さんよぉ?」
「こうする」
「へっ?」
鬼はイボ付きこん棒となった金棒をフルスイング。人間を遠くへと弾き飛ばした。
「金棒のトゲをとっても無意味なことを忘れていたぞー! 退け、退けぇー!」
人間たちは大慌てでバリケードの外へと逃げ出していく。
「…………はぁ」
その光景を見ていた男はため息をはき、それに気付いた死神は声をかけた。
「どうした?」
「恥ずかしいやら、情けないやらで……」
「まぁ気持ちはわからんでもない。ところで八さんよ、エンマ様は何をやってんだよ? 先代から継いだ新エンマ様はよ?」
「こもっちまったんだよ……」
「は?」
「自分の部屋におこもり遊ばしてんだよ!」
「かぁー! 情けねぇなおい、んでどうするんだよ?」
「仲間が説得にあたってるよ……」
ところかわりエンマの館。黄鬼の八の同僚がエンマを説得していた。
「エンマ様! いい加減に出てくださいよ!」
「嫌だ!」
重厚な扉一枚を隔てて、赤鬼の助とエンマの攻防が続いていた。
「まったく、困ったお方だ。……おい、おい! 銀!」
助は、横で黙ったまま扉を一所懸命に見つめている青鬼の銀を呼んだ。が、銀は集中しすぎており、全く反応しなかった。
「こら! 銀! 名前負けの銀! このっ!」
助は銀の頭をこづいた。
「痛っ! 何するんですか!」
「ちょっとこっちに来い!」
助は銀の耳をつかむと、扉から少し離れた場所まで引っ張っていった。
「何をするん……もう! 痛いですよ、何なんですか!」
「何なんですか、じゃねぇや! さっきから何だお前は、えぇ? こっちが懸命に説得している横で、すっとぼけた面して扉ばっか見やがって! お前も何か言えってんだよ!」
「わかりましたよ!」
銀はスタスタと扉に近づくと、大声を出すために息を深く吸い込んだ。
「すぅ……げほっげほっげほっ!」
急に息を大量に吸いすぎた銀はむせてしまった。助は先ほどと同じ方法で銀を引っ張り、元の位置まで戻した。
「げほげほじゃねぇんだよバカ野郎!」
「すいません、むせちゃいました」
「ったくよ……」
助の眉間にしわがよった。
「助さん」
「ん?」
「何を怒ってるんですか? 俺の名前が『角』じゃないから怒ってるんですか? だとしたらお門違いですよ? 俺だって助さんの名前が『金』だったら良かったのにと思ってるんですからね!」
「お門違いはお前だよ! んなことじゃねぇよ、俺はエンマ様がどうやったら出てきてくれるかを考えてんだよ!」
「なんだ、そうだったんですか? だったらいい方法がありますよ」
「何だよ?」
「出てきてくれってお願い‥」
「お前‥」
「違います! 最後まで聞いてくださいよ! 出てきてくれってお願いするんじゃなく、自主的に出てこられるような環境を作ればいいんですよ」
「明日は大雪だなおい。へぇー、たまにはいいこと言うじゃねぇか。で、どうする?」
「まずは簡単で身近なことからですかねぇ。エンマ様の好きな『たちつ亭』の黒糖デカまんじゅうの話をするんですよ」
助と銀は小声で軽い打ち合わせを行い、それから大声で芝居を始めた。
「ああ! 助さん! その手に持ってるのは!」
「おうよ! たちつ亭の黒糖デカまんじゅうよ!」
「うわぁー、美味そうだなー」
「三つあるから一つお前にやるよ」
「ええぇ! いいんですか!」
「おう、味わって食いな!」
「もちろんですよ。それじゃ、いただきまーす! 美味い! 美味すぎる!」
「当然だ」
「溶けだした黒糖が、まんじゅうの皮をパリパリに」
「中の生地はふんわり優しく」
「あんこは程良い甘さで」
「小豆もふっくら」
「くぅーーー、たまらん!」
「くぅーーー、たまらん!」
声を揃えた二人は、ゆっくりと扉の方を見てみた。すると、エンマが扉から半身を乗り出していた。
「銀! 出てきたぞ!」
「はい!」
二人は大急ぎでエンマへと向かったが、エンマはまた部屋の中へと戻ってしまった。
「ちきしょう! もう少しだったのによ!」
「でも助さん、効果はありましたね!」
「おう、そうだな! よし、今度は一気に飛躍して、下の話で勝負だ!」
「それなら俺に任せてくださいよ!」
銀は打ち合わせもせずに、勝手にしゃべり出した。
「助さん、最近めっぽう寒くなってきやしたねぇ」
「お、おう……」
「特に朝方なんかもう、信じられないくらい寒いですよねぇ」
「あぁ? あ、あぁ……」
「あっ! 見てくださいよ助さん! あっちもこっちも霜だらけ……」
「ちょっと来い」
助はまた銀の耳を引っ張った。
「痛たたたた! なんですかもう!」
「途中からまさかとは思ったけどよ、どこのバカが霜の話をしろって言ったんだよ! 下だよ、しも! ちょろっと色気のある話をしろって言ってんだよ! 霜の話で引きこもってる奴が出てくるわけねぇだろバカ!」
「すみません……」
助は腕を組んでイラついた表情で扉の方を見た。エンマは先ほどより体を乗り出していた。
「おいマジか! 銀!」
「え? はいっ!」
二人は急ぎ扉に向かうも、またエンマは部屋に戻ってしまった。
「くそっ!」
「あの……助さん? 扉から離れすぎているから、間に合わないんじゃないんですか?」
「あ、そう言われれば……じゃねぇよバカ! 俺はそう思って下の話をしようとしたら、お前が急に霜の話を始めちまったんだよ!」
「そうだったんですか」
「そうだよ。だから次、下の話の時は少し近づいてやるぞ?」
「はい」
二人はエンマが扉を開けたときに飛びかかれる距離まで近づき、小声で打ち合わせを始めた。
「んで、どうするかな。下の話っつーと……」
「助さん、任せておいてくださいよ」
「……本当か? 大丈夫なんだろうな?」
「問題なしです」
「いろんな意味で大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫ですよ」
言い切った銀は軽く咳払いをすると、声色を変えた。
『あらぁ? 助ちゃんと銀ちゃんじゃなーい』
「桃鬼の玲さんじゃないですか! 助さん、玲さんですよ!」
「……おう」
器用に一人二役をこなす、銀の謎の才能に何だか呆れてしまった助は、やる気のない返事を返した。
「ちょっと助さん! この間行った店の玲さんですよ! 覚えてないんですか?」
「いや……そりゃ……まぁ……」
『えぇー、助ちゃんヒドーイ!』
「そうですよー、あんなに玲さんの胸ばっか見てたくせにぃ」
「あぁ……そういやそうだったな……」
『アタシの巨乳に釘付けだったじゃなーい』
その時だった。扉の奥で物音が聞こえてきた。エンマが胸の話につられて扉に近づいたらしい。それに勘付いた助は、やる気を出し調子を上げて話始めた。
「そうだった、そうだった! っていうかその服、少しばかり大胆でないのかい? もうほとんど見えちゃってるじゃねぇか」
『もう、あんまりみないでよぉ』
カチャッ……
エンマは扉の鍵を開けた。だが、助と銀は話を続けた。確実にエンマを捕まえるために、エンマが体を出してくれるまで我慢をするつもりだった。が、その時だった。
「おい、助に銀。二人して何バカやってんだ?」
息子の様子を見に来た先代エンマが、二人の芝居をあっさりバラしてしまった。当然、息子の新エンマは鍵を閉めて再び閉じこもってしまった。
「ったく、キャバクラ行った時の練習なんかしてないで、息子の説得したらどうなん…… どうした助? 鬼の形相だぞ?」
「もともと鬼だよ俺は! このバカ先代! 今、芝居をうってアンタの息子を誘い出そうとして、うまくいってたんだ!」
「あれ? そうだったのか、それは悪い事しちまったなぁ」
「ったく、親子そろって……」
助は腕を組み、イライラしながら部屋をぐるぐる回り出した。先代は銀に近づき、助に聞こえないように小声でしゃべり出した。
「よぉ銀、助の奴どうしたんだよ?」
「息子さんの説得始めて大分経ちますからねぇ。そりゃイライラもしますよ。しかも、一番うまくいきそうな作戦を、先代でもある親父さんが邪魔しちゃ……」
「そうか、そうだったのか……」
「あの先代? 復職することは出来ないんですか?」
「それは出来ん。一度やめたら二度は出来ない決まりなんだ。 ……おい助、助よぉ。機嫌を直せよ? 俺も手伝うから」
「…………わかりましたよ。お願いします」
それを聞いたエンマは扉の前に立ち、少し考えを巡らせてから息子に語りかけた。
「息子よ、何も言わん。ただ出てきてほしい……」
「嫌だ!」
「なにを! いい歳して親に向かって『嫌だ』だと! 何様のつもりだ!」
「エンマ様」
「バカ息子! 今すぐこの扉を開けろ! こらっ! 出てこいバカ息子!」
助は嫌になってきた。
「銀、先代を落ち着かせるぞ……」
「はい……」
二人が面倒臭そうにエンマの両側に立ったその時だった。
「こらバカ息子! お前まさか秘密の出口から逃げ出そうって腹積もりじゃないだろうな!」
「えっ?」
「はっはー! 図星かバカ息子! お前の考えてることなんざ、すべてお見通し‥」
「バカはお前だバカ先代!」
助の大声が先代の耳をつんざく。
「アンタのバカ息子は出口の事を知らないんだよ! だから、ずっと部屋に閉じこもってるん‥」
部屋からは秘密の出口を探すため、家具をひっくり返している音が聞こえてきた。
「くそっ! 銀! お前は事務所に戻って人数集めてこい! 黒鬼の紋次郎には倉庫へ行けと言っとけ!」
「はい!」
「先代はその紋次郎と一緒に倉庫からバカでかい金棒を持ってきてください! それでこの扉をぶち破りますから」
「わ、わかった!」
「まったく、大変なことになった……」
エンマの館が大騒ぎになっている頃、地獄めぐりを終えた三人は、再び針の山のところまで戻ってきていた。
「いやぁー八さん、悪かったなぁ忙しいところよぉ」
「気にすんな、死神達にも迷惑かけちまってるからよ? んで、どうだったんだ?」
八に地獄の感想を聞かれた男だったが、黙ったままデモを起こしている人間達を見つめていた。
「なんでぇ、出るもん出ねぇような顔しやがって」
「八さん、こいつは人間なんだぜ? 地獄ってものを実際に見て回ってショック受けてるんじゃねぇか?」
「そりゃそうか。ん?」
八のスマホが震えだした。
「銀から電話か。ちょっとわりぃ、電話だ……」
死神に断りを入れると、八は電話に出た。
「おう、なんでぇ銀? どうかしたか?」
『あっ! 八さん! 実は………』
「何! やりやがったな、あのバカ先代!」
八はスマホを虎のパンツのポケットに素早く閉まった。
「わりぃ二人とも! ちょっとエンマ様の館まで行かなきゃならなくなっちまった! あとは適当に……」
「わかったから早く行って来い」
「わりぃ!」
八は死神にそう言うと、猛スピードで走り去っていった。
「ふぅ…………」
死神は近くの岩に腰をかけ、赤く焼けただれた空を見つめたまま、男に語りかけた。
「そんなに落ち込むな。地獄行きが決まっちまった以上、どうすることも出来やしねぇんだからよ? 人間ってのは自然や運命に逆らい生きてきたんだ。地獄は地獄、極楽は極楽。ここらで素直に運命を受け入れて…… ん? あれ?」
死神が男へ視線を戻すと、そこに男の姿はなかった。
「アイツどこへ行ったんだ? ったく世話の焼ける…… あっ」
死神は声を張り上げている男の姿を見つけた。針山のデモ隊の先頭で。
「これだから人間ってやつは……こら! 戻ってこい!」
人間どこへ行っても人間なのである。
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