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1 発情期の気配
しおりを挟む――不愉快な異変は、ある日急に起こった。
ソレが来ることを恐れていた。子どもの頃からずっと。
自分の性別がオメガだと知り、背負う運命の過酷さを教えられたときから、ずっと……。
* * *
「シェリル兄ちゃん……なんか、体がだるい……」
妹のアリサが真っ赤な顔をして俺の部屋を訪ねてきたのは、ちょうど俺自身も体の異変を感じた頃のこと。
自分だけならただの風邪かと気にも留めないが、二人が同時に高熱を出すなんてこんな偶然があるだろうか……?
「アリサ、その匂い……! 香水つけてるんじゃないよな……?」
「えっ、まさか! わたしがそんな高級なもの持ってるわけがないじゃない」
「……って、ことは……」
彼女が入ってきた途端、花のような香りが部屋に満ちた。
俺の体からも発せられているのも、同種の匂い。体のだるさで嗅覚が麻痺しているだけだと思ったが、俺と彼女の二人とも甘い香りをまとっているのは奇妙だ。
「……もしかして……!」
その瞬間、俺はひとつの可能性を考えた。
アリサと俺は、オメガ性――いまでは希少と言われるオメガだが、双子として生を受けたから奇しくも兄妹で同じ運命を負うことになったのだ。
オメガ性として生まれた俺たちは、特殊な体質を持っている。
アリサは女だから当たり前だとしても、男の俺も子どもを産むことができるのだ。
性別としては男でありながら、同性であるはずの他の男と性的な交わりを経て子どもを産む。
……そういう馬鹿げた運命のもとに、俺は生まれた。
発情期を忌避するために、思春期を迎えたオメガは抑制剤と呼ばれるものを飲み続ける。
今年で18歳になる俺たちは、毎日欠かさずに抑制剤を飲んでいる。それは、マルニック王立研究所で開発する最新の抑制剤の効果を調べるための被験者でもあるからだ。
しかし、三ヵ月前におかしなことがあった。
それまで飲んでいた抑制剤と違う種類のものを試す、と言われた。
その時期に、王立研究所の職員もすべて刷新された。なにが起こったのかは、被験者の俺たちにはわからない。知らされる必要さえないのだろう。
「まさか……」
俺は、思わず呟いた。
体の異変の正体……これがウワサに聞いた、オメガの発情期なのでは……?
その頃に飲み始めた薬が、抑制剤じゃなくて偽薬(プラセボ)だとしたら、その可能性はあるのだから。
――俺たちがここに来たのは、二年前の話だ。
このマルニック王立研究所では、オメガたちの社会参加を促進するために、より強力な作用が期待される抑制剤の開発に取り組んでいるらしい。
その試験薬の試験対象として、オメガ性の子ども――まだ発情期が来ていない子どもたちが、迎え入れられた。俺と妹のアリサは、研究所で開発中の抑制剤の被験者としてここに連れてこられたのだ。
発情期がくれば、オメガの選択肢は少ない。
誰かとつがいになってそいつの子どもを生むか、抑制剤を使いながら仕事をするか……。
しかし、社会の底辺にいる俺たちがいい仕事にありつけるわけがない。男であってもオメガは筋肉が少なくて、肉体労働には不向きだ。
男に向いた仕事ができないとあれば、俺たちのような性を好む奴らに体を売るくらいしか方法はない。
大人になったときに自分が直面する最悪の状況……それを、俺は昔から覚悟していた。
でも、妹は……アリサのことだけは助けなければならない。
死んだ母さんが泣きながら、俺に頼んだんだ。
『この子だけは、好きな相手と一緒になってほしいの……お願いよ……』
母さんの切実な声は、今も耳に残っている。
俺だって、実の妹が子どもを産む道具として利用されるのはイヤだ……絶対にそれだけは避けなければならない。
だから、王立研究所に行くことを承諾した。
このマルニック王国の未来に協力するため、抑制剤の薬価を下げることで間接的にオメガの社会的地位をあげるため……そうした建前もあったけれど、王立研究所側から提示された条件は予想以上に魅力的だった。
研究に協力するオメガには、開発した新しい抑制剤を一生分与えるということ――この抑制剤の実験が成功した後は、被験者たちを研究所職員として雇用すること。
そのため、被験者で居続ける間も将来ここの職員になるための、相応の教育を受けさせてくれるという。
近隣諸国では、読み書きや計算ができる平民が多くなっていると聞いている。昔から国を治めていた王が殺されて、民衆の代表が皇帝になり、社会構造や教育システムを改革したらしい。
――が、俺たちが住んでいるこの国は旧体制のまま。
恐らく俺が生きているうちは、なにも変わらない。だから、自分たちのこの不条理な処遇について、何も期待はしていなかった。
そんなものは、俺なんかが考えることじゃない。真っ先に必要なのは、自由や平等よりも抑制剤だ。
いずれにしても、抑制剤は高価なもの。
そのため売春で手に入れた金を使って、抑制剤を買うオメガが多い。それがイヤならば、さっさと金持ちの旦那をつかまえるしかない。
そんな薄暗い人生を、アリサに歩ませるのは絶対避けたかった。
研究所の被験者として選ばれたのは不幸中の幸いだった。タダで抑制剤を手に入れられるなら、忌むべき発情期を恐れる必要はないんだから。
長い間そう思って、自分たちに訪れた幸運を喜んでいた。
それなのに、こんな日が来るだなんて……。
オメガの発情期のことについて教えられたのは、王立研究所に引き取られるまで過ごした保護施設。
自分に起こっている異変がそれと同じだと気づいて、俺は戦慄した。
高熱と雄を刺激するフェロモンのような香り……それだけなら、まだいい。
困ったことに、これまで感じたことのないような強烈な性欲が込み上げてきていた。
この世界の大多数を占めるベータたち――そして最も地位が高いと言われるアルファは発情期なんてないし、そんなものに左右されない。だからこそ、思うがままに過ごすことができる。
だが、それは目の前に発情したオメガがいないときの話。
性欲を刺激されるようなものがいればその気になるし、そうでなければそういうことはない。
しかし、オメガは発情期に入ると性欲のみに支配されてしまう。その時期が終わるまで、自分を抱いてくれる男を探し続け、だれかれ構わず誘惑しながら夜をさまよい続ける。
それが、忌むべきオメガ性に生まれた者の宿命。
……が、その宿命は研究所にきたときから、俺たちにとっては無縁だと信じていた。
「そんな、まさか……」
震える唇で、俺はふたたび呟いた。
俺の横にいるアリサも高熱に苦しんでいて、小刻みに震えを放っている。
これまで、最高の抑制剤を投与されていたはずなのに――。
そう……街にいれば一ヶ月の稼ぎが吹き飛んでしまうような、とてつもなく高価なもののはずなのに……。
だから、自分たちを襲っているこの症状は、ただの風邪だと思いたかった。高熱なんて、いろいろな病気で出るわけだし、恐れている発情期じゃないかもしれないって。
でも、この肉体の疼きはいったい何だって言うんだ……? どう説明をしたらいいんだ?
湧き起こる疑問と疑惑が、熱でフラフラしている頭の中に渦巻いている。
そんな異変に戸惑っているところに、居室のドアが勢いよく開いた。
俺たち双子の担当者であるヘフナー教授と、助手のハインツ。それに、何人かの白衣姿の知らない男が姿を見せた。
「……ほぉ、君たちにも発情期がやってきたようですね」
ヘフナー教授は俺たちの様子を観察して、恐ろしく冷たい声でそう言った。
「なんだって……?」
「教授、体温を計りましょうか?」
「その必要はないでしょう。その顔の赤みを見れば、39度以上あることは一目瞭然だ。それに、この甘い匂い……」
そう教授が言うと、後ろに控えていた男たちがニヤニヤした。
「君たち、ダメですよ。私とハインツ君は、こうしたけしからん香りに惑わされることはありませんが、あなたたちは免疫がなさそうですからね。でも、きちんと彼らを相手先に送り届けなければ、クビどころか国家反逆罪で縛り首にすることになりますからくれぐれも自重なさい」
嗜虐的な教授の笑みに、男たちは蒼褪めた。
「そ、それはご勘弁を!」
「ならば、さっさと二人を輸送しなさい。くれぐれも誘惑に負けないように」
教授たちが何を言っているのか、俺にはさっぱり理解できなかった。
いや、そりゃあ俺だってそれほど愚かじゃないから言葉の意味くらいはわかる。
ただ、何で高熱がある俺たちが、どこかに輸送されなければならないのか……?
『研究所は国王陛下が出資しているところだから、どこよりも信頼できるわよ! よかったわね、二人とも!!』
俺たちが研究所に行くことが決まったとき、施設の先生たちや施設長はそう言って我が事のように喜んでくれた。オメガ以外にはそうした場所がなかったから、ベータの孤児たちに羨ましがられたほどだった。
(……あれは、いったい何だったんだ……?)
どこよりも安全な居場所……無償で抑制剤をくれて、そのうえ教育まで受けさせてくれる素晴らしい場所。
これまで信じていた楽園のようなイメージが、一気に崩れ落ちていった。
……教授の手下の男たちは、恐怖と混乱で顔を強張らせている俺たちを両脇から捕まえた。
「悪く思うなよ。俺たちも、本当はこんなことしたくないんだぜ」
「そうだよ、坊や。本当は、今すぐお前のこと犯してやりたくてたまんないんだぜ」
「やめろよ、ダン。そんなことやってみろよ、俺もお前も縛り首だ」
「あー、こわい、こわい。この匂いを嗅いでいると気が変になりそうだぜ」
男たちは、発情した俺たちに反応しているのだろう。
俺たちを捕獲している彼らも、何となく本調子ではないようだった。
発情したオメガが近くにいるだけで、ベータは本能を刺激される。その欲求が満たされなければ、苦しみに支配されるだけなのだ。
(早く、逃げなきゃ……でも、まずはこいつらを油断させてからだ)
恐怖に震えるフリをしながら、俺はそう決断する。
アリサと俺は、抵抗らしい抵抗をしないまま、体を縄で縛られて歩き始めた。
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