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10 脱出計画
しおりを挟む――俺は長いこと、双子の妹の存在に依存していた。
だから、孤独を感じたこともほとんどない。孤児になったときすら、アリサがいたから真の哀しみを味わったこともなかったと思う。
アリサと別れ別れになってから、寂しさや侘しさを感じなかったのは、もしかしたらメディス伯爵が俺を訪れていたからかもしれない。
そうでなければ、彼が王都に出発してから心が寒々しくなっている理由が説明できない。
「はぁ……」
俺は、溜息をついた。
一人ぼっちの時間というのは、こんなにも長いものなのか?
窓を叩く北風や雨の音、蝋燭のちょっとした揺らぎにも怯えてしまいそう。俺は、今初めて孤独の恐怖を感じていた。
……メディス伯爵はひとつだけ、俺に恩恵を与えてくれた。
食事をするときは、俺が望めばダイニングルームを使えるよう許可を出してくれたのだ。
たったそれだけのことでも、ずっと同じ空間にいるよりはいい。
その後、食事を済ませて部屋に閉じ込められると、また手持ち無沙汰になる。眠気が訪れるまでの時間つぶし程度に、伯爵が置いていった何冊かの本を手に取ってみる。
町でたむろっているオメガたちの中で学がある奴など皆無だろうが、王立研究所にいたお陰で俺とアリサは読み書きや簡単な計算などを学ぶことができた。
そうはいっても、貴族の奴らとはレベルが段違い。
積まれた本の中で、一番新しそうな本をパラパラとめくってみる。当たり前だが、わからない単語がたくさん並んでいるのに嫌気がさした。
それは、どうやら抑制剤について書かれている書物だということだけはわかった。
著者のところには……なんと、メディス伯爵の名が記されていた。
(ヤツは、なんでこんなものを俺に……?)
俺は、本を開いたままで首を傾げる。
実験用のモルモットに対して、自分の業績を見せつけるだなんてバカな男だ。
どれほどの時間をかけて、ヤツはこれを書き上げたんだろう?
無論、その本は印刷工によって刷られたもので、伯爵の直筆で書かれたものなどどこにもない。それでも、中身は伯爵が書いたものだと思うと、なんとなくしんみりしてくるから不思議だ。
(なんだ、この気持ち……)
なんでセックスしたくらいで、そんな心地にならなきゃいけないのかわからない。
あの男は、たぶん俺みたいなモルモットを研究所から引き上げて、束の間のセックスの相手として楽しんで……そして、飽きたあとはオメガ好きのいやらしい貴族に譲るサイテーな男のはずだ。
いつか見た、いかがわしい夢のように――。
そう思うと、しんみりどころか気分は急降下! 急に胸の辺りがムカムカしてきた。
腹立ちまぎれに火の中に手にしていた本を投げ込もうとしたが、途中でその衝動を押しとどめる。
「畜生……!」
俺は、火を睨みながら悪態をついた。
自分の無力さに知らぬ間に手に力が入り、本がグシャリとイヤな音をたてた。
この疎ましい発情期は、いったいどれほど続くんだろう?
王立研究所で研究者に聞いたら、たしか一週間だって言っていた気がする。
『……だがな、オメガが働く上では、一週間もそんな状態じゃあ大変だろう。私たちは、抑制剤以外の薬も研究しているんだ』
と、俺の検査を担当していた研究者が教えてくれた。
『抑制剤以外って、どんな?』
『ああ。発情期を短縮する薬や、妊娠しなくする薬、特定の相手にしか発情しなくなる薬……惚れ薬の類もな。そういったものは、一定の需要があるもんでね』
『オメガにとっては、抑制剤だけしか必要ないんじゃないの?』
『……まぁ、それはいろいろ大人の事情があるんだ』
若い研究者だったから、うっかり口を滑らせたのかもしれない。
大人の事情……オメガが抑制剤しか必要じゃなくても、性的にオメガたちを搾取する人間は自分たちが満足するために様々なものを必要とする。
ごく一部を除けば、オメガの地位は低い。そうした輩のための研究よりも、アルファがオメガの肉体を楽しむような薬を発明するほうが、この国にとっても金になる。
実際、貴族や王室が研究所に出資しているのなら、そうした目的もあるのではないか?
国が考えそうなこと……例えば、開発した薬を国外に輸出して巨額の富を得る、というようなこと。そういうメリットがなければ、わざわざ研究所を整備して貧しいオメガを集めて金がかかる『飼育』をしないだろう。
王立研究所にいたときの俺は、そんなことは考えもしなかった。
なぜなら、信じていたから――抑制剤を買う金を稼げないから、あやしくても信じなくてはいけない。そう、思い込んでいたからだ。
後悔したとしても、あの時の俺に何ができただろう?
もしかしたら、俺とアリサが投与されていたのは抑制剤じゃなかったのかもしれない。
貴族たちを楽しませるための、何か別の薬だったんだろうか――。
その時、不意にこの前見た夢を思い出した。人々の好奇の視線の中で男たちに汚されて、アリサもオークションにかけられそうになる、という最低最悪の夢を。
アリサの行方について、メディス伯爵ははっきりとは言わなかった。
『ある貴族のもとで保護されている』
ヤツが残した思わせぶりな言葉から、アリサがいそうな場所は二カ所ある。
王家以外の有力貴族は四大貴族と呼ばれ、王都を囲むように広大な領地を統治している。
言うまでもなくその中の一人は、俺の飼い主であるメディス伯爵だ。
だとしたら、それ以外の大貴族で跡継ぎ問題を抱えている家がアヤシイに決まっている。美しいオメガの処女は貴重であり、跡継ぎをもうけるために大貴族の愛人に迎えられることがあるくらいだ。
それを考えると、隣国の王女を娶って男の子が生まれたばかりのヴィシー公爵家は第一に除外だろう。ヴィコント伯爵家についても、子沢山ということで有名……息子が三人おり、既に孫も生まれているということだから俺が想定する犯人像からは外れる。
残る大貴族……これこそ、限りなく黒に近いグレーだ。
施設にいたときに、アリサに婚姻を申し込んできた貴族がいた。それが、まさにそれが残る一人・オランディーヌ侯爵だ。アリサはオランディーヌ侯爵家にいるのではないか?
もしそうだとしたら、なんてしつこい男だろうと思う。
一度断られたのに、今度は非合法的な手段でアリサをモノにしようとしているのかと思うと、腹が立って仕方がない。
(もしかすると……王立研究所に俺たちを入れたのも、侯爵の差し金だったんじゃないか?)
それは、さほど見当外れではないと思った。
侯爵の求婚を断ってから一ヶ月後に、研究所からの使者が来た。一ヵ月あれば、自分が出資しているならいかようにも根回しできるだろう。
点と線がつながって、自分たちが貴族の思惑に翻弄されていたことを悟る。
「……畜生! 俺はなんてことを……」
警戒心を持たなかった自分に反吐が出そうだ。
しかし、ウダウダ後悔しているくらいなら、無い知恵を振り絞ってアリサを侯爵家から助ける手段を考えなければいけない。
その瞬間から、俺は具体的な計画を練り始めた。
俺の世話係の衛兵は、若くて長身の男だ。
仲間からユンと呼ばれるその男は、東方の血が混じったような顔立ちをしている。きっと、東方からの移民家系に生まれたのだろう。
このマルニック王国には、東方から宝飾品や陶器などが輸入されている。
もっぱら、この国の王族や貴族たちの奢侈のためのもので、俺みたいな平民にはどこがいいのかよくわからない。
美術品などの輸入が始まった頃から、この国や周辺国にも東方からの移民が増え始めた。どこの国も子どもが生まれずに人口減少が大問題となっているので、昔は蛮族と馬鹿にしていた国からも移民を受け入れざるをえない。
だからといって、移民の地位が一気に上がるわけもなかった。
アルファの奴らを頂点としたヒエラルキーは揺るがず、彼らはベータたちの下に位置している。俺たちオメガと移民の地位は、要は似たり寄ったりなのだ。
体力のなさからオメガが性的な産業に従事するのに対し、移民は力仕事の雑用や長時間労働を強いられる仕事に就くことがほとんど。
ユンの場合も、まぁそうなんだろう。衛兵なんてもんは、長時間労働で薄給と相場は決まっている。
しかし、この伯爵家の屋敷で働いているということは、この領地では優遇されているほうかもしれない。
外に出るためには、まずユンを味方にすることから始めなければならない。オメガの腕力では太刀打ちできないから、なけなしの知力を使わないと。
知力っていっても、そこのところはあまり自信がない。
それに、この極限状態ではメディス伯爵が不在の間にできることなんて何もない。ということは、選択の余地はないのだ。
そう……それは、味方を作ること。
俺は、ユンをオトすことにした。とは言っても、体を使うっていう意味じゃない。
仏頂面で真面目そうな移民には、これまでしてきたように色気で迫るよりも効果的なことがあると思った。
とりあえず、ユンと少しずつ仲よくなることから始めることにした。
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