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15 妹の居場所
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――人身売買。
世にも恐ろしい話だけあって、部屋の中は気まずい空気が流れた。
その沈黙を打破したのは、ユンだった。
「それは、もちろんですよ……おばさんは、正しいことをしたんです」
隣にいた彼は、安心させるようにおばさんの背をポンポンと叩いた。
俺も、おばさんの言い分はよくわかる。お金のために、犯罪に加担する必要はないと思う。
それ以上に、人身売買の疑惑を彼女が持つことも理解できた。
「それ以外に、おばさんがご存じのことはありますか?」
「そうだね……結局、その役目はほかの移民系の船主が引き受けたって噂だよ。突然、そいつらの暮らしぶりがよくなったみたいだしね、事情を知っているあたしが見れば一目瞭然さ」
ハザマ商会が断ったからといって、オランディーヌ侯爵の野望はついえなかったということか。
俺は、恐る恐る口を開く。
「……ってことは、妹は……もう、ここにはいないんでしょうか……?」
「どうだろうねぇ。あたしが聞いた時は、十人以上を一度に運ぶって話だったから……どこかにかくまわれているんじゃないのかい?」
「それを引き受けているっていう業者の動向は?」
ユンが、おばさんに尋ねる。
「その業者の船が戻ってきたのが、つい昨日のことだよ。船に修理が必要な場所がなければ、今日の夕方か明日にでも出発する可能性はあるんじゃないかね」
「それは、どこの港ですか……!?」
「まあまあ……あんたの気持ちはわかるが、そんなに急ぎなさるなよ」
ナオおばさんは苦笑して、焼き菓子を一切れ口に放り込んだ。
「こういうことは、きちんと調査したほうが成功率は上がるんだよ。知っているかい?」
「ナオおばさん、年の功ですね!」
褒めているのかどうかは微妙だが、ユンはおばさんから情報を引き出そうと躍起になっているのがわかった。
「バカをお言いじゃないよ! あたしと同い年の老人たちが、こんなに賢いわけがないだろう。兄さんが死んだ後、女手一つでこのハザマ商会を盛り立ててきた経営手腕をナメてもらっちゃ困るよ!」
「……す、すみません」
「ホント、旦那も早死にして、息子のリュウは力仕事だけはするものの計算ひとつできず……甥のあんたは、伯爵様のところで兵隊稼業に精を出してるしさ。このあたしに、ボケる暇なんてありゃしないわよ!」
「本当にごめんなさい、おばさん……」
平謝りするユンが、何だか哀れに思える。
「今回、あんたのお願いを聞いてやる代わり、あんたはこの件が片付いたら商会の手伝いをするんだよ? もとはあんたの父親がおこした商売だ。あんたが次期社長だから、そのつもりでいなさいよ!」
ユンも俺も、おばさんの剣幕に圧されっぱなしだった。
いずれにしても、心配していたユンの次の勤め先についてはこの分なら心配いらないようだ。
その意味で、俺はホッとする。
(いいなぁ……家族って)
久しぶりに、あたたかい家庭の雰囲気の中で過ごした気がした。
(でも、俺は孤独なんだよなぁ……)
ふと思うと、途端に切なくなる。血縁関係があるユンとナオおばさん……その二人と一緒にいることはできても、けっしてその二人の間に入ることはできない。
なんというか……そういう絆を見ると、自分が一人ぼっちだということを痛感する。
俺には、アリサしか肉親と呼べる相手はいない。
いつかアリサに愛する人ができたら、俺はその時こそ天涯孤独になってしまうだろう。
……そんなとき、不意にメディス伯爵の整った面立ちが心に過った。
彼の激しい抱擁や、肌の熱さ……限界まで滾った肉の楔で抉られた時の底なしの快楽――。
あんな一過性の行為をしたからと言って、俺と伯爵の間には何の関係も生まれない。
それでも、そういうことをしたということは、赤の他人よりは親密な関係なんじゃないかって思う。
ただ、伯爵の屋敷を逃げてきた今では、そういう刹那的なものさえ俺にはひどく遠いものだ。
(なにを今更……どうせ俺なんてモルモットなんだから、あんなヤツ忘れないと……!)
泣きそうになるのを、俺は必死に堪えていた。
そんな俺を、ユンが心配そうに見つめていた。
ナオおばさんのご厚意で、二階にある空き部屋を使わせてもらえることになった。
伯爵邸ほどの豪奢な設備はないにしても、快適に整えられていた。
ハザマ商会の事業はそれなりに成功しているらしい。食事はあっさりとした東方の郷土料理を振舞ってもらい、湯も使わせてもらった。
(ユンがいなかったら、どうなっていたんだろう……)
清潔な寝床に横になって、俺は思いを巡らした。
もし一人だったらこの街にさえも、辿り着くことさえできなかったかもしれない。
振り返ってみれば、伯爵領から歩いてきた道程は平坦なものではなかった。山道は険しく、民家が見当たらないような寂しい場所を通ってきた。
俺のようなオメガが一人でいたら、夜盗に襲われていたかもしれない。それこそ、かどわかされて人身売買の餌食にさせられていたかもしれない。それを思うと、命があることさえもボディーガードをしてくれたユンのお陰だと言える。
それに、ナオおばさんに出会えたのは大きな収穫だ。そのお陰で、おぼろげではあってもアリサの居場所の手掛かりが掴めた。
だから、ユンにはいくら感謝しても、し足りないだろう。
……と、思っていたところにさっき出かけたユンが戻ってきた。
「おかえりー」
喜怒哀楽がわかりにくいユンが、珍しく焦燥感溢れる表情で部屋に入ってきた。
なにがあったのか、と俺は体を起こす。
「ユン、どうかした?」
「……シェリル様! 妹さんの幽閉場所がわかりました!」
その言葉に、俺は息を呑む。
「なんだって……! それはいったい?」
「先代侯爵が愛人のために建てた別宅……そのうちの一つが、港の近くにあるのです。囚われた者たちがそこに幽閉されているという情報が、叔母の知り合い筋から入りまして」
「なんだって……!?」
「しかも、その船の出航が今夜だという話で……!」
あまりの急展開に、俺は寝台から飛び降りて椅子に掛けてあった外套を身につけた。
「早く、アリサを助けに行かなきゃ!」
「いえ、シェリル様はここで待っていてください。なにかあったら、旦那様に合わせる顔がありません!」
「ユン、お前ってメディス伯爵を裏切ってここにいるのに、まだヤツに義理立てするんだな」
「……不器用な性分でして」
その不器用なユンを説得するのを早々にあきらめて、俺は外套を羽織った。
「シェリル様……!」
「俺が役に立つこともあるってことを、お前によーく見せてやるよ」
軽くウインクすると、クローゼットの中から武器を取り出すユンに先立って階下に急いだ。
夜の港を見下ろす場所にある別宅は、オランディーヌ侯爵の本宅に負けず劣らず豪奢なものだった。
このような素晴らしい屋敷を二桁もいたという噂の愛人のほとんどに寄贈したというのだから、前代の金遣いの荒さと領民が課せられた税の重みがわかる。
俺とユンは木陰に隠れ、細心の注意をしながら、着々と屋敷への距離を縮めていった。
この屋敷の裏手の海には、夜の闇に隠れるように中型船が停泊している。
マルトの港から程近い場所にあって、この屋敷に物資を運ぶために作られたボート用の船着場がある。というよりも、ここ最近新設されたものだというからその目的は明白だった。
どうあがいても、その船が出発してしまえば囚われの者たちは祖国の地を二度と踏むことはないだろう。
あの愛らしいアリサを、そんな酷い目に合わせたくはなかった。
しかし、ここに同行すると決めたときに、ユンはこれだけは絶対忘れないでほしい、と言ってきた。
無闇に戦うのも、人の命を奪うのも、自分が死ぬのもすべてがムダだということを……。
自分が妹の復讐をし、その相手を殺して、自分も刑死する寸前だったユン。彼の願いは、それだけ真剣だった。
『絶対、生きて帰りましょう……! もちろん、妹さんも一緒に』
そんな約束をした俺とユンは、とにかくコソコソと泥棒にでもなったかのように見張りの目を盗んで闇の中を進んでいく。
ようやく屋敷の裏門に近づくと、そこは表門よりも警備が手薄だった。長銃を持った兵士が一人いるのみである。
俺が外套の中に着ているのは、木綿の薄ピンクの小花柄のドレス。
馬鹿げた女装でも、それで屋敷に入れるなら何だってやるさ……!
ユンに目配せをすると、外套をはだけて覚束ない足取りをしながら、俺は兵士の方へ歩き始めた。
世にも恐ろしい話だけあって、部屋の中は気まずい空気が流れた。
その沈黙を打破したのは、ユンだった。
「それは、もちろんですよ……おばさんは、正しいことをしたんです」
隣にいた彼は、安心させるようにおばさんの背をポンポンと叩いた。
俺も、おばさんの言い分はよくわかる。お金のために、犯罪に加担する必要はないと思う。
それ以上に、人身売買の疑惑を彼女が持つことも理解できた。
「それ以外に、おばさんがご存じのことはありますか?」
「そうだね……結局、その役目はほかの移民系の船主が引き受けたって噂だよ。突然、そいつらの暮らしぶりがよくなったみたいだしね、事情を知っているあたしが見れば一目瞭然さ」
ハザマ商会が断ったからといって、オランディーヌ侯爵の野望はついえなかったということか。
俺は、恐る恐る口を開く。
「……ってことは、妹は……もう、ここにはいないんでしょうか……?」
「どうだろうねぇ。あたしが聞いた時は、十人以上を一度に運ぶって話だったから……どこかにかくまわれているんじゃないのかい?」
「それを引き受けているっていう業者の動向は?」
ユンが、おばさんに尋ねる。
「その業者の船が戻ってきたのが、つい昨日のことだよ。船に修理が必要な場所がなければ、今日の夕方か明日にでも出発する可能性はあるんじゃないかね」
「それは、どこの港ですか……!?」
「まあまあ……あんたの気持ちはわかるが、そんなに急ぎなさるなよ」
ナオおばさんは苦笑して、焼き菓子を一切れ口に放り込んだ。
「こういうことは、きちんと調査したほうが成功率は上がるんだよ。知っているかい?」
「ナオおばさん、年の功ですね!」
褒めているのかどうかは微妙だが、ユンはおばさんから情報を引き出そうと躍起になっているのがわかった。
「バカをお言いじゃないよ! あたしと同い年の老人たちが、こんなに賢いわけがないだろう。兄さんが死んだ後、女手一つでこのハザマ商会を盛り立ててきた経営手腕をナメてもらっちゃ困るよ!」
「……す、すみません」
「ホント、旦那も早死にして、息子のリュウは力仕事だけはするものの計算ひとつできず……甥のあんたは、伯爵様のところで兵隊稼業に精を出してるしさ。このあたしに、ボケる暇なんてありゃしないわよ!」
「本当にごめんなさい、おばさん……」
平謝りするユンが、何だか哀れに思える。
「今回、あんたのお願いを聞いてやる代わり、あんたはこの件が片付いたら商会の手伝いをするんだよ? もとはあんたの父親がおこした商売だ。あんたが次期社長だから、そのつもりでいなさいよ!」
ユンも俺も、おばさんの剣幕に圧されっぱなしだった。
いずれにしても、心配していたユンの次の勤め先についてはこの分なら心配いらないようだ。
その意味で、俺はホッとする。
(いいなぁ……家族って)
久しぶりに、あたたかい家庭の雰囲気の中で過ごした気がした。
(でも、俺は孤独なんだよなぁ……)
ふと思うと、途端に切なくなる。血縁関係があるユンとナオおばさん……その二人と一緒にいることはできても、けっしてその二人の間に入ることはできない。
なんというか……そういう絆を見ると、自分が一人ぼっちだということを痛感する。
俺には、アリサしか肉親と呼べる相手はいない。
いつかアリサに愛する人ができたら、俺はその時こそ天涯孤独になってしまうだろう。
……そんなとき、不意にメディス伯爵の整った面立ちが心に過った。
彼の激しい抱擁や、肌の熱さ……限界まで滾った肉の楔で抉られた時の底なしの快楽――。
あんな一過性の行為をしたからと言って、俺と伯爵の間には何の関係も生まれない。
それでも、そういうことをしたということは、赤の他人よりは親密な関係なんじゃないかって思う。
ただ、伯爵の屋敷を逃げてきた今では、そういう刹那的なものさえ俺にはひどく遠いものだ。
(なにを今更……どうせ俺なんてモルモットなんだから、あんなヤツ忘れないと……!)
泣きそうになるのを、俺は必死に堪えていた。
そんな俺を、ユンが心配そうに見つめていた。
ナオおばさんのご厚意で、二階にある空き部屋を使わせてもらえることになった。
伯爵邸ほどの豪奢な設備はないにしても、快適に整えられていた。
ハザマ商会の事業はそれなりに成功しているらしい。食事はあっさりとした東方の郷土料理を振舞ってもらい、湯も使わせてもらった。
(ユンがいなかったら、どうなっていたんだろう……)
清潔な寝床に横になって、俺は思いを巡らした。
もし一人だったらこの街にさえも、辿り着くことさえできなかったかもしれない。
振り返ってみれば、伯爵領から歩いてきた道程は平坦なものではなかった。山道は険しく、民家が見当たらないような寂しい場所を通ってきた。
俺のようなオメガが一人でいたら、夜盗に襲われていたかもしれない。それこそ、かどわかされて人身売買の餌食にさせられていたかもしれない。それを思うと、命があることさえもボディーガードをしてくれたユンのお陰だと言える。
それに、ナオおばさんに出会えたのは大きな収穫だ。そのお陰で、おぼろげではあってもアリサの居場所の手掛かりが掴めた。
だから、ユンにはいくら感謝しても、し足りないだろう。
……と、思っていたところにさっき出かけたユンが戻ってきた。
「おかえりー」
喜怒哀楽がわかりにくいユンが、珍しく焦燥感溢れる表情で部屋に入ってきた。
なにがあったのか、と俺は体を起こす。
「ユン、どうかした?」
「……シェリル様! 妹さんの幽閉場所がわかりました!」
その言葉に、俺は息を呑む。
「なんだって……! それはいったい?」
「先代侯爵が愛人のために建てた別宅……そのうちの一つが、港の近くにあるのです。囚われた者たちがそこに幽閉されているという情報が、叔母の知り合い筋から入りまして」
「なんだって……!?」
「しかも、その船の出航が今夜だという話で……!」
あまりの急展開に、俺は寝台から飛び降りて椅子に掛けてあった外套を身につけた。
「早く、アリサを助けに行かなきゃ!」
「いえ、シェリル様はここで待っていてください。なにかあったら、旦那様に合わせる顔がありません!」
「ユン、お前ってメディス伯爵を裏切ってここにいるのに、まだヤツに義理立てするんだな」
「……不器用な性分でして」
その不器用なユンを説得するのを早々にあきらめて、俺は外套を羽織った。
「シェリル様……!」
「俺が役に立つこともあるってことを、お前によーく見せてやるよ」
軽くウインクすると、クローゼットの中から武器を取り出すユンに先立って階下に急いだ。
夜の港を見下ろす場所にある別宅は、オランディーヌ侯爵の本宅に負けず劣らず豪奢なものだった。
このような素晴らしい屋敷を二桁もいたという噂の愛人のほとんどに寄贈したというのだから、前代の金遣いの荒さと領民が課せられた税の重みがわかる。
俺とユンは木陰に隠れ、細心の注意をしながら、着々と屋敷への距離を縮めていった。
この屋敷の裏手の海には、夜の闇に隠れるように中型船が停泊している。
マルトの港から程近い場所にあって、この屋敷に物資を運ぶために作られたボート用の船着場がある。というよりも、ここ最近新設されたものだというからその目的は明白だった。
どうあがいても、その船が出発してしまえば囚われの者たちは祖国の地を二度と踏むことはないだろう。
あの愛らしいアリサを、そんな酷い目に合わせたくはなかった。
しかし、ここに同行すると決めたときに、ユンはこれだけは絶対忘れないでほしい、と言ってきた。
無闇に戦うのも、人の命を奪うのも、自分が死ぬのもすべてがムダだということを……。
自分が妹の復讐をし、その相手を殺して、自分も刑死する寸前だったユン。彼の願いは、それだけ真剣だった。
『絶対、生きて帰りましょう……! もちろん、妹さんも一緒に』
そんな約束をした俺とユンは、とにかくコソコソと泥棒にでもなったかのように見張りの目を盗んで闇の中を進んでいく。
ようやく屋敷の裏門に近づくと、そこは表門よりも警備が手薄だった。長銃を持った兵士が一人いるのみである。
俺が外套の中に着ているのは、木綿の薄ピンクの小花柄のドレス。
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