【完結】オメガバース イタズラな情欲

江原里奈

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30 俺の生きる道【最終話】

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 メディス伯爵が領地に戻ったのは、それからひと月後のことだった。
 そして、マルニック王国の王が、自国のオメガに対し無償で抑制剤を支給するという驚くべき決断をしたのも、まさにその頃のこと。
 それは、王族貴族を始めとするアルファを頂点にした封建制社会を根幹から覆す歴史的な出来事。
 新しい時代の予感を感じさせる知らせを、俺はマルトの街で知ることになる。
 大聖堂の横にある市場で、抑制剤を配る衛生省の役人に何度も頭を下げるオメガたちを見ながら、ユンが俺に言った。
「これはすべてシェリル様のお陰です。無料で抑制剤が手に入れられるようになる、だなんて」
 感慨深い様子で、彼らを見守るユンに俺は首を傾げる。
「……なんで、俺なんだ? お前の主が国王に進言したから、とかじゃないのか?」
 オメガたちが手にしている薬包には、俺が飲んでいるのと同じメディス伯爵家の紋章が入っていた。
 新たな抑制剤を俺とアリサに与えて問題がないと知った伯爵は、その薬をさらに広める決意をしたのだろう。
 俺たちに先行で薬を与えたのは、人体実験のようなものだったのかもしれない。
 それは、王立研究所にいたときと同じ。だが、みんながしあわせになるためのモルモット扱いなら、俺はよろこんで引き受けよう。
 オメガたちの哀れな境遇が、少しでも改善されれば満足だ。虐げられてきた歴史はあくまで過去のもので、これからの自分たちには無縁のものだと実感してほしかった。
「まぁ、とにかくよかった! 国王陛下、万歳だな」
 涙を流して喜んでいる親子連れを横目に見ながら、俺は笑った。
「お貴族様の道楽にしちゃあ、趣味がよすぎるぜ。メディス伯爵」
 と、小声で付け加える。
 この件で、最終判断をしたのは国王陛下だ。
 しかし、そもそも前提条件でそれだけの抑制剤があることが条件になる。
 薬を作る当事者はメディス伯爵なのだから――。
 どれだけの負担を彼が強いられたのか、労働者の一人でしかない俺はあずかり知らぬところだけれど。
「……いえ、道楽ではございません」
 独り言じみた呟きを聞いて、ユンは俺の考えを否定してきた。
「シェリル様の存在があったから……ですよ。抑制剤の研究を始めたのは、もともとオメガを取り巻く環境について思うところがあってのことでしょう。しかし、今回の件については身近にシェリル様がいたからこそ、決断をされたんだと思います」
 落ち着いた声音で言われると、そういうものかと納得してしまう。
「少年時代にシェリル様と出会って、そして……そ、そういう関係になられて。オメガもアルファやベータと同様の社会的地位を得なくてはならない、と考えるようになったのです」
「……そうなのか」
「シェリル様が抑制剤を使って、お元気に暮らしているご様子を見て、旦那様はひどく感慨を受けました。今、抑制剤を買うために身売りしている人々も、薬さえ手に入れられたらふつうの生活ができると。だから、王都に長く滞在されて、王族やほかの大貴族を説得していたのです」
「伯爵が、そんなことまで……!」
「そのために、旦那様は国王陛下より魔法を使うことを禁じられました。この国では、メディス伯爵家以外にはそうした特殊能力を持つ者は生まれないのです。いたとしても子ども騙しの手品程度で、本当の魔術師は旦那様だけ。その力を使ってクーデターを企むのでは、とかねてから王族たちは懸念していたようで、その条件を突き付けたようです」
 そんな犠牲を払ってまで、メディス伯爵はオメガを守ろうとしてくれたのか――。
 先日、俺のもとにやってきた彼の様子を思い出した。
 いつもあいつは、忽然と現れて忽然と去っていくイメージが強かった。魔法を使う者の特権だと言える。
 ……が、あの時は他の人間と何ら変わることなく馬で来て、帰りもまた馬で戻っていった。
 伯爵家に生まれた特権を封印してまで、彼がオメガを救ってくれたことに対しては感謝の気持ちしかない。
 言葉を失っている俺に、ユンは苦笑した。
「ここまでオメガのことを考えてくれる貴族を、俺は他に知りません。オランディーヌ侯爵のように、私利私欲しか考えないアルファがどれだけ多いことか」
「ユン……」
「俺はお二人の関係にとやかく言うつもりも、その権利もありません。ただ、当事者じゃなく、第三者の立場じゃないとわからないことってあると思うんです」
「え……?」
「旦那様は、シェリル様のことを心から愛しています。だからこそ、無理矢理、屋敷に連れ戻したい気持ちを押し殺しているんですよ」
 それを聞いて、俺は首を横に振った。
「馬鹿な……そんなことがあるものか」
「人って、本気で誰かを愛すると途端に臆病になりますからね。シェリル様がどうお考えか、俺は知りません。ただ、旦那様に多少でもお気持ちがあるのなら……ぜひ、それを伝えてもらえませんか?」
 メディス伯爵が力を封じられた魔法使いなら、ユンは人の心を読みとる能力を持つ魔法使いなのかもしれない。
(こいつといっしょにいる限り、アリサは一生安泰だろうな)
 妹のしあわせを確信して、俺は知らぬ間に微笑みを浮かべていた。
 そして、もう一つ心に浮かんだことがある。
 メディス伯爵に会いたい……いや、会いに行かなくてはいけないということ。
 彼にとって俺の存在がどんなちっぽけなものであろうと、俺にとっては誰よりも愛しい相手だ。
 だから、オメガたちを助けてくれたことに「ありがとう」だけでも伝えたかった。
「シェリル様、旦那様はきっとあなたのことをお待ちですよ」
「ああ、お前に言われなくとも今すぐ行くさ!」
 俺は笑って、ユンの肩を叩いた。
「かしこまりました! 親方には、しばらくこちらで滞在するって伝えておきます」
「感謝するぞ、ユン!」
 置いてあった荷馬車に乗り込んで、伯爵領へと急いだ。


 ――伯爵領に到着したのは、すっかり日が暮れてからのこと。
 城門に近づくと、案の定、ごつい体をした衛兵たちが誰何してきた。
 その中に、俺の顔を見知った衛兵がいたため、即座に俺は拘束されて城の上の階へと連行される。
「おい、さっさとヤツに会わせろよ!」
「生意気なガキだな! 少しは礼儀正しくしないと、地下牢につれていくぞ!」
 衛兵に脅され、追い立てられて、俺は瞬く間に見覚えのある部屋に閉じこめられた。
(このままずっと解放されず、一生ここで暮らすことになったら……そうしたら、どうしよう?)
 前みたいに、アリサの心配は要らない。
 でも、今手にしている平凡な暮らしは、俺にとって大事なもの。
 囚われの身のまま、どれだけ時を過ごさねばならないのか……後先考えずに来てしまったことに、後悔の念が込み上がってくる。
 ――が、そんな懸念は、階下から響いてくる靴音でかき消された。
 ガチャリと音をたてて鍵が解除されると、ずっと会いたかった相手が姿を現した。
 言葉もなく立ちすくんでいる彼に、俺はベッドから立ち上がって彼の目の前へと進んだ。
「……なんだよ? わざわざ仕事放り出して来てやったのに、出迎えの言葉もないわけ?」
「……シェリル!」
「ってのはウソ。ありがとーな……抑制剤の件、あんたが進言してくれたんだろう? オメガの一人として、感謝するよ」
 そう笑った俺に、彼は駆け寄って抱きしめた。
 懐かしい香りと、やさしいぬくもり――それは、永遠に続けばいいって思うほど大事なものだった。
 明日、いつも通りの生活に戻っても、彼と出会ったことや愛し合った記憶、与えてくれた平凡なしあわせは俺にとってかけがえのない真実。
 だから、本当に最後の最後かもしれない大切なぬくもりを俺は目を閉じて味わっていた。
「……だったら、私にご褒美をいただけませんか?」
「ご褒美?」
 俺は顔を上げて、美しい面立ちを見つめた。
「ずっと……これからも、こうやって会いにきてくれるって」
「伯爵!」
「あなたをこの部屋にずっと閉じこめておきたいって、前は思っていました。でも、それは私の身勝手な考えだから改めましょう。もし私を求めてくれるのなら、これからも私に会いにきてください。私の恋人として……」
 語尾が微かに掠れている。
 彼がどんな思いで、その願いを口にしたのか……それを考えただけで、心が喜びに震えた。
「馬鹿だな。泣いてんのかよ」
 彼の目尻に光るものを見て、俺は苦笑した。
 でも、そう言う俺にも涙が伝染して、目頭が一気に熱くなってくる。
「また、来るさ。お前がもう会いたくないって言ってもな!」
「シェリル!」
「そうと決まったら、ヤろうぜ? わりと欲求不満だから、覚悟しろよ?」
 俺の淫靡な囁きに、夜の帳が一気に淫らなものに変わっていった。


 ヤツの提案通り、俺たちは定期的に交際(?)を続けている。
 名目上はひと月分の「抑制剤」を、直接彼からもらうため。
 もちろんそのたびに、一晩中熱くてめちゃくちゃいやらしい夜を過ごしている。
 そのまま彼の屋敷に留まって、貴族の愛人のように過ごす道を選ぶことはできる。もしかしたら、それはオメガとして一番しあわせな生き方なのかもしれない。
 ……でも、俺は自由でいたいんだ。
 抑制剤のお陰で「オメガ」ではなく、ようやく一人の人間として生きることができるようになった。
 アルファとオメガいう主従関係にとらわれずに、自由な選択肢の一つとしてメディス伯爵を愛し続けたい。
 だから、俺は今も変わらず親方のところで働いている。
 毎日当たり前のことをできるしあわせを噛みしめながら……そして、次にあいつに会える日を指折り数えながら。
 
                                           END

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