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水曜日(2)
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ここには僕とユミカしかいないので、助け船は期待できない。何を言うべきかと頭を回転させても、思いつくのはガラクタのような、言わない方がマシとすら思える言葉ばかりだった。
「ねえ、豪介は将来どうするつもりなの?」
唐突に尋ねられて返答に困った。嘘をつくのもためらわれ、恥を忍んで、まだ何も決めていないと白状する。
「とりあえず大学に行って、後のことはそれから考えようと思ってる」
両親も学校の先生も、大学へ入れば後はどうにでもなるような言い方をしていた。そのせいにするつもりはないが、大学に入った後についてはほとんど考えたことがなかった。受験する学部学科すら決めていなかったほどだ。
「若いうちに、なるべく高校生のうちに将来の目標を定めて、そのために何をしなきゃいけないのか、どんな資格や知識が必要になるのか、できるだけ把握しておいた方がいいわ。いとこのお姉さんの受け売りだけどね。その人が言うには、社会に出た後いざ何かしようと思っても、若いうちにやっておけば良かった、ってことがいくつも出てきて、そのときにはもう手遅れってことが沢山あるんだって。私が写真家になろうと決心したのも、そう言われたのが決め手だったんだけどね」
ユミカのように確固とした目標を持っている人に言われると、恥ずかしくて頭が上がらなかった。ただ、僕はどんな仕事に就きたいのか、いくら考えても思い浮かばなかった。昔からそうで、小学生の時、将来何になりたいか書けと言われたが、本当になりたい職業など思い浮かばなかったから、適当に社長と書いたくらいだ。そのようなことをぽつぽつと話した。
「仕事じゃなくても、夢はないの? 例えば漫画を描きたいとか」
「うん、ない」
即答するとユミカは困ってしまったみたいだった。僕は少し迷ってから、自分の特技、即ち、夢を自在に操れることを明かした。
「夢の中なら何でも思い通りになる。誰もが僕を好いてくれる。何も邪魔は入らないし、やらなきゃいけないこともない。ここが僕の本当の人生だと思ってる。だから、夢さえ見られるなら、最低限の稼ぎがあればいいと思ってるんだ。現実の世界は僕にとって、夢を見るためにやむをえず消化しなきゃならないものでしかないんだよ。僕は世界に何も期待しちゃいない。世界も僕をどうこうしない。それでいいんだ」
僕の言葉はしばらく宙をさまよった。情けない男だと思われたのかもしれない。
「……面倒ね、生きるのって」
ユミカは肯定も否定もしないで、ただ物憂げな顔をしていた。
「ねえ、豪介」
その声はか細く、どこか遠いところから、糸を伝って聞こえてきたように感じられた。うん、とうつむいたまま僕は応えた。次の言葉はしばらく出てこなかった。
「二人で死のうか」
一陣の風が僕たちの間を吹き抜け、ユミカの髪をなびかせた。僕は何も答えられなかった。ただ、そのまま深淵まで堕ちても良いと思えるような、甘美な誘惑がそこにはあった。
「冗談よ」
男が惑わされ、道を踏み外すとき、女はこんな顔するものなのだろうか。ユミカはひどく官能的に見えた。僕は動揺を隠すように言う。
「まだ、死にたくない」
ユミカは何も言わず、続きを待っているようだ。いつもの爽やかな顔に戻っている。
「確かに現実世界はつまらないけど、世の中には素晴らしい景色や、おいしいもの、美しい音楽、そういったものが沢山ある。だけど、僕は見たことがないものを夢の世界に出現させるのは難しいんだ。リアルなグランドキャニオンとか、ナイアガラの滝とかがあればこの世界もバリエーションが増えるし、オーロラがいつでも見られたら素敵だろ? それに……」
「それに?」
顔が火照るのを感じた。拳を握りしめて、必死に言葉を振り絞る。
「僕はまだ、女の子とキスさえしたことがない。一度は諦めたけど、やっぱり、恋愛してみたいって思ったんだ。……その、ユミカと話してると」
一瞬時が止まって、それからユミカは吹き出した。
「なにそれ、告ってるつもり? ごめんね、タイプじゃないわ」
恐る恐るユミカの顔を見ると、彼女は意地悪そうに笑っていた。深刻な気配もなく一蹴されたので、僕も笑ってごまかした。不思議と、痛みや悲しみは感じなかった。
「まあ、オーロラとかは私もいつか写真に撮りたいと思ってるから、一緒に行ってあげてもいいけど」
「良かった、それで生きる理由がもう一つできた」
「社交辞令よ。あんまりあてにしないで」
僕たちは笑った。今はこれで構わない。
「ヴェネツィアだっけ? 水の都。あそこも一度……あっ」
ふと、奇妙なことに気がついた。ユミカの体が透けて見えたのだ。全体が半透明になり、向こうの景色がぼんやりと見えた。それは恐らく、悪い兆候だった。
「ユミカ、すぐに戻った方がいい」
「どうしたの、急に……」
ユミカは僕の剣幕に驚いたようだ。
「体が透けてる。現実世界の肉体が弱ってるのかもしれない。手遅れにならない内に戻るんだ」
「……自分じゃわからないわ」
ユミカは自分の手や髪の毛を点検して首をかしげた。彼女の意思を尊重したいのはやまやまだが、ここは無理にでも帰した方が良さそうだ。僕はそう考え、ユミカの意識があるべき場所へ、肉体へと戻るよう念じた。しかし何も起こらない。やはり彼女だけはコントロールできないのだ。
「私を追い出そうとしてるの?」
僕はいきむような顔をしていたのだろう。ユミカは図星をついた。
「悪いけど、まだいさせてもらうから」
ユミカは立ち上がると、まるで僕がそうするように、何もない空間から絨毯を取り出した。赤地に白く刺繍が施されている。呆気にとられる僕を尻目に、ユミカを乗せた絨毯は宙に浮かんだ。
「さっき気がついたんだけど、これは私の夢でもあるのよね」
ユミカは勝ち誇ったような顔をして「じゃあね」と言い残し、そのまま空の彼方に消えていった。
厄介なことになった。
「ねえ、豪介は将来どうするつもりなの?」
唐突に尋ねられて返答に困った。嘘をつくのもためらわれ、恥を忍んで、まだ何も決めていないと白状する。
「とりあえず大学に行って、後のことはそれから考えようと思ってる」
両親も学校の先生も、大学へ入れば後はどうにでもなるような言い方をしていた。そのせいにするつもりはないが、大学に入った後についてはほとんど考えたことがなかった。受験する学部学科すら決めていなかったほどだ。
「若いうちに、なるべく高校生のうちに将来の目標を定めて、そのために何をしなきゃいけないのか、どんな資格や知識が必要になるのか、できるだけ把握しておいた方がいいわ。いとこのお姉さんの受け売りだけどね。その人が言うには、社会に出た後いざ何かしようと思っても、若いうちにやっておけば良かった、ってことがいくつも出てきて、そのときにはもう手遅れってことが沢山あるんだって。私が写真家になろうと決心したのも、そう言われたのが決め手だったんだけどね」
ユミカのように確固とした目標を持っている人に言われると、恥ずかしくて頭が上がらなかった。ただ、僕はどんな仕事に就きたいのか、いくら考えても思い浮かばなかった。昔からそうで、小学生の時、将来何になりたいか書けと言われたが、本当になりたい職業など思い浮かばなかったから、適当に社長と書いたくらいだ。そのようなことをぽつぽつと話した。
「仕事じゃなくても、夢はないの? 例えば漫画を描きたいとか」
「うん、ない」
即答するとユミカは困ってしまったみたいだった。僕は少し迷ってから、自分の特技、即ち、夢を自在に操れることを明かした。
「夢の中なら何でも思い通りになる。誰もが僕を好いてくれる。何も邪魔は入らないし、やらなきゃいけないこともない。ここが僕の本当の人生だと思ってる。だから、夢さえ見られるなら、最低限の稼ぎがあればいいと思ってるんだ。現実の世界は僕にとって、夢を見るためにやむをえず消化しなきゃならないものでしかないんだよ。僕は世界に何も期待しちゃいない。世界も僕をどうこうしない。それでいいんだ」
僕の言葉はしばらく宙をさまよった。情けない男だと思われたのかもしれない。
「……面倒ね、生きるのって」
ユミカは肯定も否定もしないで、ただ物憂げな顔をしていた。
「ねえ、豪介」
その声はか細く、どこか遠いところから、糸を伝って聞こえてきたように感じられた。うん、とうつむいたまま僕は応えた。次の言葉はしばらく出てこなかった。
「二人で死のうか」
一陣の風が僕たちの間を吹き抜け、ユミカの髪をなびかせた。僕は何も答えられなかった。ただ、そのまま深淵まで堕ちても良いと思えるような、甘美な誘惑がそこにはあった。
「冗談よ」
男が惑わされ、道を踏み外すとき、女はこんな顔するものなのだろうか。ユミカはひどく官能的に見えた。僕は動揺を隠すように言う。
「まだ、死にたくない」
ユミカは何も言わず、続きを待っているようだ。いつもの爽やかな顔に戻っている。
「確かに現実世界はつまらないけど、世の中には素晴らしい景色や、おいしいもの、美しい音楽、そういったものが沢山ある。だけど、僕は見たことがないものを夢の世界に出現させるのは難しいんだ。リアルなグランドキャニオンとか、ナイアガラの滝とかがあればこの世界もバリエーションが増えるし、オーロラがいつでも見られたら素敵だろ? それに……」
「それに?」
顔が火照るのを感じた。拳を握りしめて、必死に言葉を振り絞る。
「僕はまだ、女の子とキスさえしたことがない。一度は諦めたけど、やっぱり、恋愛してみたいって思ったんだ。……その、ユミカと話してると」
一瞬時が止まって、それからユミカは吹き出した。
「なにそれ、告ってるつもり? ごめんね、タイプじゃないわ」
恐る恐るユミカの顔を見ると、彼女は意地悪そうに笑っていた。深刻な気配もなく一蹴されたので、僕も笑ってごまかした。不思議と、痛みや悲しみは感じなかった。
「まあ、オーロラとかは私もいつか写真に撮りたいと思ってるから、一緒に行ってあげてもいいけど」
「良かった、それで生きる理由がもう一つできた」
「社交辞令よ。あんまりあてにしないで」
僕たちは笑った。今はこれで構わない。
「ヴェネツィアだっけ? 水の都。あそこも一度……あっ」
ふと、奇妙なことに気がついた。ユミカの体が透けて見えたのだ。全体が半透明になり、向こうの景色がぼんやりと見えた。それは恐らく、悪い兆候だった。
「ユミカ、すぐに戻った方がいい」
「どうしたの、急に……」
ユミカは僕の剣幕に驚いたようだ。
「体が透けてる。現実世界の肉体が弱ってるのかもしれない。手遅れにならない内に戻るんだ」
「……自分じゃわからないわ」
ユミカは自分の手や髪の毛を点検して首をかしげた。彼女の意思を尊重したいのはやまやまだが、ここは無理にでも帰した方が良さそうだ。僕はそう考え、ユミカの意識があるべき場所へ、肉体へと戻るよう念じた。しかし何も起こらない。やはり彼女だけはコントロールできないのだ。
「私を追い出そうとしてるの?」
僕はいきむような顔をしていたのだろう。ユミカは図星をついた。
「悪いけど、まだいさせてもらうから」
ユミカは立ち上がると、まるで僕がそうするように、何もない空間から絨毯を取り出した。赤地に白く刺繍が施されている。呆気にとられる僕を尻目に、ユミカを乗せた絨毯は宙に浮かんだ。
「さっき気がついたんだけど、これは私の夢でもあるのよね」
ユミカは勝ち誇ったような顔をして「じゃあね」と言い残し、そのまま空の彼方に消えていった。
厄介なことになった。
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