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第一章 その日、青い光が飛んだ。
25 《鳥》の呼び声
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「あいつがこんな夜に外へいったってホントかよ!?」
「落ち着いて、チェッタ」
チェッタが憤然として怒鳴るのを、長姉が穏やかになだめようとしている。
弟が今までそれを知らなかったのは、別に周りが隠していたからではない。単にこの数刻、チェッタはセレンが語る旅の話を聞くのに夢中になっていて、姉が声をかけられる雰囲気ではなかったのだ。
それは当の話相手であるセレンも驚くほどの熱心さだったのだから、生き生きしている弟の邪魔をしようなどと、優しい姉が思うわけもない。
しかしそんなことはつゆ知らず、チェッタは肩を怒らせて姉に詰め寄る。
「こんな夜にでていっていいわけないだろ! なに考えてんだよ、あのタビビトやろー!」
「うっさいチェッタ! 羨ましいからって怒鳴るな!」
ハヤナが横から弟の頭をはたく。「だれがうらやましいんだよ!」とチェッタはますます顔を赤くする。
「だってそうだろ、お前、単にあの子が自分を頼ってくれなかったのが悔しいだけだろ」
「ちが……っ」
「よしなさいハヤナ、チェッタ。……黙って出て行ったのは、私たちに言えば反対されると分かっていたからだわ。つまりそれだけ外に出たかったのよ」
(……マーサさんは本当に冷静ね)
少し離れたところで三姉弟の会話を聞いていたセレンは、興味深く彼らを見ていた。
「あいつになにかあったらどうするんだよ……っ」
口惜しそうにうめくチェッタ。
彼の言う「あいつ」とは、もちろんあの青星の少女のことだ。
体が回復しつつあるこの数日、村で目立たないようにしながらも、一生懸命働いていた少女。
その彼女が知らないうちに外出していた。どうやら、連れ出したのはセレンたちの主らしい。
「シグリィ様が黙って出ていくことを選ぶなんてねえ」
隣で床に座り込み、黙々と薬草の仕分けをしているカミルに、小さな声で話しかける。「よほど彼女が外に出たがっていたのかしらね」
「というより、シグリィ様が『外に出したほうがいい』と判断なさったんでしょう。あの子自身には、積極的に外に出ようとする思考があるとは思えません」
手を休めることもなく、カミルはそう言った。
そうねとセレンは軽く嘆息する。
彼女が腰辺りに掲げている右手には、話題の少年たちの部屋で見つけた〝もの〟がある。
最初に気づいたのはセレンだった。
シグリィ自身も、気づくならセレンだと分かっていただろう。なぜならそれは朱雀の術によるものだったから。
上向けた右手の上、ふわふわと浮くようにして存在しているほの白い球体は、≪追跡≫の術の具現――セレンはよくそれを≪鳥≫と呼ぶ――である。対象の居場所を追跡するための術で、工夫によってはあらかじめ記憶させた対象の現在の状態を、離れた場所に知らせることもできる。
この≪鳥≫は間違いなくシグリィたちを対象としている。
つまりシグリィたちに何かがあれば、この≪鳥≫が反応するということだ。
セレンは己の手にある球体を見下ろした。
(……シグリィ様の判断、か……)
マーサたちにはともかく、セレンたちにさえ直接告げることなく出ていくことを、簡単に決断するような少年ではない。それくらいしなければ、連れて行きたい少女のほうが安心しないと――そう思ったのだろうか。
(珍しいことよね。シグリィ様がそんなに肩入れすることって)
少年の顔を思い出し、少しばかりの驚きとともに思う。
かの少年に情がないわけではない。だが、それよりも理性が勝つ。冷静な判断が勝つ――そういう性格だ。
だからこそ彼は情に流されがちな人間が大好きで、時おりその〝真似事〟をすることがある。
今回もそれなのだろうか――
想念をこねくりまわしながら、軽く右手の球体を持ち上げてみる。
いつもの少年の術と、特別違いはないように見える。だがどこかに何かの片鱗があるかもしれない。
目をすがめて眺めていたそのとき。
ふっ、と、球体が明度を下げた。
白かった色彩に、赤い色が混じりこむ。とぐろのように流れ込んできた赤の流れが、やがて球体全体を染め上げる。
この反応――
(〝迷い子〟!?)
*
怪鳥の最後の一体が、喉元を貫かれ、けたたましい悲鳴を上げながら消滅していく。
とどめを刺した鋼糸が、力を失い地面に落ちる。
「………っ」
気力を振り絞って、シグリィは鋼糸を手元へと引き寄せた。地に両膝をついた体勢を無理にひねって放った攻撃。その反動が、体に重くのしかかろうとしていた。
横腹にじわじわと痛みが広がっていく。
致命傷は避けた。だが浅い傷とも言い難い。押さえる指の隙間から、血が徐々にあふれ出る。
「シグリィ!」
ラナーニャが駆け寄ってくる。声が泣きそうに揺らいでいた。
「シグリィ……わ、私……!」
「いい。大丈夫……死にはしないから」
シグリィはラナーニャに顔を向け、何とか微笑んでみせた。
だがその瞬間に、辺りが一気に暗くなった。彼の術が切れて、灯りが消えたのだ。
重苦しい闇が落ちてくる。
ラナーニャが何かをしている。刃物で布を裂くような音がする。
見えない。視界がかすんでいる。
「ラナーニャ、怪我は……」
「私は大丈夫だから!」
悲痛な声とともに、傷を押さえていたシグリィの手がのけられ、代わりに布を押しつけられた。
――布。服を裂いたのか。
「横になって……!」
さらに布を破く音をさせながら、ラナーニャ。
その声は意外なほど強く、しっかりしていた。この事態に動揺していないはずはなかったが、少なくとも今取るべき行動を迷っているようには見えない。
シグリィは大人しく従うことにした。かすむ視界の代わりに全身の神経を張り巡らせて辺りの気配を窺う。――もう、警戒すべき敵はいない。それを確かめてから。
横になったシグリィの傷を、ラナーニャの手が必死で押さえている。彼女はしきりに周囲を見回しているようだった。「薬、薬が」と何度もつぶやく声。ここは薬草島であるということを忘れてはいないらしい。
「ここらには傷薬の原料はない、ラナーニャ。……大丈夫、家に置いてきた術が……」
ある、と言いかけて、シグリィは咳き込んだ。
「シグリィ!」と少女の痛々しい声が上がる。
かすむ視界でラナーニャを見上げ、シグリィはおぼろげに思った。
(君のほうがよほど痛そうだな……)
「君のせいではないよ」と言ったところで、多分彼女は納得しないだろう。ではどうすれば彼女を安心させることができるのか。
――家に術は置いてきた。助けが来るのにそう時間はかからないはずだ。
改めてそう告げてみても、ラナーニャの心はかすかにも和らがなかった。
乱れた彼女の呼吸。空気を通して伝わってくるそれが、ひどく頼りない。
「………」
シグリィは片手を動かした。
そして、傷を押さえている彼女の手に重ねた。
軽く力をこめる――少女の手を包むように。
こわばっているラナーニャの手は、シグリィのそれよりよほど冷えてしまっている気がする。彼女の緊張を感じながら、彼はただ繰り返した。
「大丈夫だ」
ラナーニャが声を詰まらせる――
言葉が途切れて、辺りがしんと静まり返った。
シグリィが横たわった地面を這うように、音のない風が渡っている。
重ねた手を、お互い動かすことのなかった数瞬。
実際にはさほど時間は経っていなかったのだろう。体温が奪われるその前に、その場に新たな気配が現れた。
「シグリィ様! ご無事ですか――っ!」
深刻さよりも軽快さのほうが勝る声が、一瞬で場の色を変えた。突如降り立った女が、空気を一気に弛緩させる。
シグリィが残してきた術は、さらに力を加えれば転移もできるようになっていた。セレンはそれを誤ることなく発動させたようだ。急ぎ短く詠唱し灯りを灯したセレンは、シグリィたちを見つけるなり「はうあっ!?」と妙な声を出した。
「やだもーシグリィ様怪我ですか怪我ですね痛いの痛いの飛んでけー!」
「……いや、その声が傷に響くから」
「はうっ。ごめんなさいっ」
杖を地面に突き刺して膝をつき、セレンはまずシグリィを、次いで傍らのラナーニャを見た。
「あなたは大丈夫? あら」
何かに気づいたかのように、女は言葉を切った。
シグリィは何事かとラナーニャを見やった。
そして、当惑した。
「………」
少女の頬に一筋の涙が流れていた。ゆっくりと肌を滑る透明な雫が、魔力の灯火をか細く照り返す。
けれど本人はその自覚がないかのように、呆けた表情をして。
「ラナーニャ?」
呼ぶと、ようやく我に返ったのか、ラナーニャは顔を手の甲で擦った。そして、
「早く家に戻って手当をしないと。いつまたやつらが現れるかわからない」
「……逃がしたんですか? シグリィ様」
「いや。だが別働隊がいるかもしれない」
戻ろう、とシグリィは痛みを押し込んで上半身を持ち上げた。ラナーニャの言う通り、こんなところで横になっている場合ではない――
「落ち着いて、チェッタ」
チェッタが憤然として怒鳴るのを、長姉が穏やかになだめようとしている。
弟が今までそれを知らなかったのは、別に周りが隠していたからではない。単にこの数刻、チェッタはセレンが語る旅の話を聞くのに夢中になっていて、姉が声をかけられる雰囲気ではなかったのだ。
それは当の話相手であるセレンも驚くほどの熱心さだったのだから、生き生きしている弟の邪魔をしようなどと、優しい姉が思うわけもない。
しかしそんなことはつゆ知らず、チェッタは肩を怒らせて姉に詰め寄る。
「こんな夜にでていっていいわけないだろ! なに考えてんだよ、あのタビビトやろー!」
「うっさいチェッタ! 羨ましいからって怒鳴るな!」
ハヤナが横から弟の頭をはたく。「だれがうらやましいんだよ!」とチェッタはますます顔を赤くする。
「だってそうだろ、お前、単にあの子が自分を頼ってくれなかったのが悔しいだけだろ」
「ちが……っ」
「よしなさいハヤナ、チェッタ。……黙って出て行ったのは、私たちに言えば反対されると分かっていたからだわ。つまりそれだけ外に出たかったのよ」
(……マーサさんは本当に冷静ね)
少し離れたところで三姉弟の会話を聞いていたセレンは、興味深く彼らを見ていた。
「あいつになにかあったらどうするんだよ……っ」
口惜しそうにうめくチェッタ。
彼の言う「あいつ」とは、もちろんあの青星の少女のことだ。
体が回復しつつあるこの数日、村で目立たないようにしながらも、一生懸命働いていた少女。
その彼女が知らないうちに外出していた。どうやら、連れ出したのはセレンたちの主らしい。
「シグリィ様が黙って出ていくことを選ぶなんてねえ」
隣で床に座り込み、黙々と薬草の仕分けをしているカミルに、小さな声で話しかける。「よほど彼女が外に出たがっていたのかしらね」
「というより、シグリィ様が『外に出したほうがいい』と判断なさったんでしょう。あの子自身には、積極的に外に出ようとする思考があるとは思えません」
手を休めることもなく、カミルはそう言った。
そうねとセレンは軽く嘆息する。
彼女が腰辺りに掲げている右手には、話題の少年たちの部屋で見つけた〝もの〟がある。
最初に気づいたのはセレンだった。
シグリィ自身も、気づくならセレンだと分かっていただろう。なぜならそれは朱雀の術によるものだったから。
上向けた右手の上、ふわふわと浮くようにして存在しているほの白い球体は、≪追跡≫の術の具現――セレンはよくそれを≪鳥≫と呼ぶ――である。対象の居場所を追跡するための術で、工夫によってはあらかじめ記憶させた対象の現在の状態を、離れた場所に知らせることもできる。
この≪鳥≫は間違いなくシグリィたちを対象としている。
つまりシグリィたちに何かがあれば、この≪鳥≫が反応するということだ。
セレンは己の手にある球体を見下ろした。
(……シグリィ様の判断、か……)
マーサたちにはともかく、セレンたちにさえ直接告げることなく出ていくことを、簡単に決断するような少年ではない。それくらいしなければ、連れて行きたい少女のほうが安心しないと――そう思ったのだろうか。
(珍しいことよね。シグリィ様がそんなに肩入れすることって)
少年の顔を思い出し、少しばかりの驚きとともに思う。
かの少年に情がないわけではない。だが、それよりも理性が勝つ。冷静な判断が勝つ――そういう性格だ。
だからこそ彼は情に流されがちな人間が大好きで、時おりその〝真似事〟をすることがある。
今回もそれなのだろうか――
想念をこねくりまわしながら、軽く右手の球体を持ち上げてみる。
いつもの少年の術と、特別違いはないように見える。だがどこかに何かの片鱗があるかもしれない。
目をすがめて眺めていたそのとき。
ふっ、と、球体が明度を下げた。
白かった色彩に、赤い色が混じりこむ。とぐろのように流れ込んできた赤の流れが、やがて球体全体を染め上げる。
この反応――
(〝迷い子〟!?)
*
怪鳥の最後の一体が、喉元を貫かれ、けたたましい悲鳴を上げながら消滅していく。
とどめを刺した鋼糸が、力を失い地面に落ちる。
「………っ」
気力を振り絞って、シグリィは鋼糸を手元へと引き寄せた。地に両膝をついた体勢を無理にひねって放った攻撃。その反動が、体に重くのしかかろうとしていた。
横腹にじわじわと痛みが広がっていく。
致命傷は避けた。だが浅い傷とも言い難い。押さえる指の隙間から、血が徐々にあふれ出る。
「シグリィ!」
ラナーニャが駆け寄ってくる。声が泣きそうに揺らいでいた。
「シグリィ……わ、私……!」
「いい。大丈夫……死にはしないから」
シグリィはラナーニャに顔を向け、何とか微笑んでみせた。
だがその瞬間に、辺りが一気に暗くなった。彼の術が切れて、灯りが消えたのだ。
重苦しい闇が落ちてくる。
ラナーニャが何かをしている。刃物で布を裂くような音がする。
見えない。視界がかすんでいる。
「ラナーニャ、怪我は……」
「私は大丈夫だから!」
悲痛な声とともに、傷を押さえていたシグリィの手がのけられ、代わりに布を押しつけられた。
――布。服を裂いたのか。
「横になって……!」
さらに布を破く音をさせながら、ラナーニャ。
その声は意外なほど強く、しっかりしていた。この事態に動揺していないはずはなかったが、少なくとも今取るべき行動を迷っているようには見えない。
シグリィは大人しく従うことにした。かすむ視界の代わりに全身の神経を張り巡らせて辺りの気配を窺う。――もう、警戒すべき敵はいない。それを確かめてから。
横になったシグリィの傷を、ラナーニャの手が必死で押さえている。彼女はしきりに周囲を見回しているようだった。「薬、薬が」と何度もつぶやく声。ここは薬草島であるということを忘れてはいないらしい。
「ここらには傷薬の原料はない、ラナーニャ。……大丈夫、家に置いてきた術が……」
ある、と言いかけて、シグリィは咳き込んだ。
「シグリィ!」と少女の痛々しい声が上がる。
かすむ視界でラナーニャを見上げ、シグリィはおぼろげに思った。
(君のほうがよほど痛そうだな……)
「君のせいではないよ」と言ったところで、多分彼女は納得しないだろう。ではどうすれば彼女を安心させることができるのか。
――家に術は置いてきた。助けが来るのにそう時間はかからないはずだ。
改めてそう告げてみても、ラナーニャの心はかすかにも和らがなかった。
乱れた彼女の呼吸。空気を通して伝わってくるそれが、ひどく頼りない。
「………」
シグリィは片手を動かした。
そして、傷を押さえている彼女の手に重ねた。
軽く力をこめる――少女の手を包むように。
こわばっているラナーニャの手は、シグリィのそれよりよほど冷えてしまっている気がする。彼女の緊張を感じながら、彼はただ繰り返した。
「大丈夫だ」
ラナーニャが声を詰まらせる――
言葉が途切れて、辺りがしんと静まり返った。
シグリィが横たわった地面を這うように、音のない風が渡っている。
重ねた手を、お互い動かすことのなかった数瞬。
実際にはさほど時間は経っていなかったのだろう。体温が奪われるその前に、その場に新たな気配が現れた。
「シグリィ様! ご無事ですか――っ!」
深刻さよりも軽快さのほうが勝る声が、一瞬で場の色を変えた。突如降り立った女が、空気を一気に弛緩させる。
シグリィが残してきた術は、さらに力を加えれば転移もできるようになっていた。セレンはそれを誤ることなく発動させたようだ。急ぎ短く詠唱し灯りを灯したセレンは、シグリィたちを見つけるなり「はうあっ!?」と妙な声を出した。
「やだもーシグリィ様怪我ですか怪我ですね痛いの痛いの飛んでけー!」
「……いや、その声が傷に響くから」
「はうっ。ごめんなさいっ」
杖を地面に突き刺して膝をつき、セレンはまずシグリィを、次いで傍らのラナーニャを見た。
「あなたは大丈夫? あら」
何かに気づいたかのように、女は言葉を切った。
シグリィは何事かとラナーニャを見やった。
そして、当惑した。
「………」
少女の頬に一筋の涙が流れていた。ゆっくりと肌を滑る透明な雫が、魔力の灯火をか細く照り返す。
けれど本人はその自覚がないかのように、呆けた表情をして。
「ラナーニャ?」
呼ぶと、ようやく我に返ったのか、ラナーニャは顔を手の甲で擦った。そして、
「早く家に戻って手当をしないと。いつまたやつらが現れるかわからない」
「……逃がしたんですか? シグリィ様」
「いや。だが別働隊がいるかもしれない」
戻ろう、とシグリィは痛みを押し込んで上半身を持ち上げた。ラナーニャの言う通り、こんなところで横になっている場合ではない――
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