月闇の扉

瑞原チヒロ

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第一章 その日、青い光が飛んだ。

第一章 終幕1

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 とろとろと開いた瞼に柔らかな日差しが当たる。
 肌を包むのはぬくもりに満ちた穏やかさ。「春だな」と、目覚めたばかりの意識がそんなことを思う。


「おはようシグリィ。体の具合はどう?」

 シグリィが借りている寝室に入り、労いの口調でそう言ったのは、相変わらず少年のような服装をしたハヤナだった。
 シグリィはベッドで横になったまま、苦笑しながら右手を上げてみせた。

「おはよう、という時刻じゃないよ。ハヤナ」

 細かいことを気にするなよ、とハヤナは笑った。

 ベッドの横の台に水差しを置く少女の満ちた表情。数日前までその顔の隅に必ずこびりついていたとげとげしい何かが、今はきれいになくなっている。

「……今日の当番は、ハヤナなのか?」

 そう問うと、ハヤナはにんまりと意地の悪い顔をした。

「ラナーニャが良かった?」
「……いや、彼女はどうしたんだろうかと思っただけなんだが」

 いつもは彼女だろう、と事実だけを述べるシグリィの口調が気に入らなかったらしい、ハヤナはむうとふくれっ面になった。

「シグリィはもうちょっとこう、気持ちをこめる必要があると思うっ。今のをラナが聞いたら悲しむだろ」
「……ええと?」
「~~もーいいよっ。ほら、手、出して!」
「ああ、手はもう治ったよ」

 すでに中天を通り過ぎた太陽は、さんさんとその慈悲を地上に降らせている。
 窓から差し込む日差しを受けるシグリィの右手。巻かれていた包帯はもうなくなっている。

 脇腹も痛まない。こちらはまだ傷痕があるが、もう動いても大丈夫なはずだ。

 思ったより早かったなとシグリィは胸中で思う。この島の薬草の効き目が強く、水もきれいで、何より手当てが丁寧だったのが要因だろう。

 彼の看護に当たったラナーニャは、行き過ぎなほど熱心に手当てをしてくれた。村の仕事を手伝いながらも隙を見てはシグリィの部屋に戻るその姿は、周りの人間が「少し控えたら」と言いたくなるほどだったが、他ならぬシグリィがそれを大人しく受けていたため、結局誰もラナーニャを止められなかった。



 闇色の少女の来襲らいしゅうから一週間――
 クローディアという名の、ラナーニャの妹の分体を倒したあと。

 彼らに必要なのは休養だった。カミルとセレンもそれなりに疲弊ひへいしていたが、何よりシグリィの体が問題だ。一応旅人として限界まで粘るだけの要領なら持ち合わせているのだが、休めるときには休むに越したことはない。

 クローディアの分体に止めを刺したのは彼だ。都合よく地上に残っていた――あとから聞いたところによると、カミルとジオによるものらしい――草と石を利用しての、青龍の業。大地の力を借りるコーラインの力。

 目論見もくろみ通り分体を消滅させられたはいいがあんじょう怪我に響き、そのあと彼は長く意識を保っていられなかった。思い返してもつくづく自分は体が弱い。

 そこから先は記憶があいまいだ。気が付いたときには、村のベッドの上にいた。
 隣にはラナーニャがいて、彼が目を開けたのを見て涙を見せた。

 よかった――と、彼女は言った。

 それを聞いたシグリィは、「これはまだ夢の中だろうか」とおぼろに思ったものだ。彼女が喜んでくれるとは思っていなかったから。

 ――彼女の妹の形をしたものを消し去ったのは、彼なのだから。

 だからラナーニャが彼の看護をしていることに気づいたときは意外だった。そして、何かを償うかのようにそれに没頭する彼女に何も言えないまま、一週間が過ぎて。

 目が覚めたときに最初に見えたのがラナーニャでなかったのは、今日が初めてだ。

 ハヤナはハヤナで、生まれ変わったかのように清々しい顔でシグリィに脇腹の傷口を見せるように言い、大きな傷痕に若干表情を曇らせたあと、何も言わずに薬と包帯を替え始めた。

 意外と言えばハヤナたちの態度も意外だ。クローディアとの戦いが終わったあと、ハヤナはチェッタを連れてシグリィたちを迎えに来た。あの不自然な雲が晴れたのを見て、思い切って村を離れたのだという。

 朦朧もうろうとする意識の中でシグリィは言った。「もう追手がないとは言い切れないから、村には行けない」と。

 だが、若い姉弟は即答でそれを一蹴いっしゅうした。

『危険があるならあるで、全員で撃退するんだ。ぼくたちが蓄えてる道具も通用するってダッドレイが報告してくれたし、村には結界があるんだろ? 一番安全なところにみんなで集まる。ぼくたちみんなで、そう決めたから』

 そして、胸を張って言い足した。

『大丈夫、ちゃんとマーサ以外のみんなでダッドレイに主張したよ。そしたらアイツも「勝手にしろ」だって。……まあ、ダッドレイが大怪我してたのもあるんだけどさ』

 今思い出しても、そのときのハヤナの誇らしげな様子に顔がほころぶ。



 あれからダッドレイとは顔を合わせていない。彼も自分の家で寝たきりらしい。実は彼の手当てを担当しているのはチェッタだという。そのため毎日毎日大騒ぎだと、マーサが微笑ましそうにシグリィに教えてくれた。

「ラナは海に行ったみたいだよ。カミルさんと一緒に」

 ハヤナが何気なくそう言った。怪我の手当てを終え、持ってきた水桶で包帯を洗いながら。

「カミルと?」
「うん。ラナが彼を誘ったみたいで――セレンさんがぎょっとしてた。面白かったよ」
「それは……さぞ見ものだったろうな」

 見てみたかったとシグリィは真顔でうなずいた。見とくべきだったよ、とハヤナも真顔でうなずいた。

「面白いよね、カミルさんもセレンさんも。でも一番面白いのはラナかな。考えてることがすぐ顔に出る。何にだって大真面目なんだから――」

 絞った包帯をパンと広げる。清涼な気配が辺りに散った。

 窓から差し込む日光はふわふわと彼らを包み込む。いっそう深まった春が、一週間前の騒動の名残を、一度は彼らの間に出来かかっていた溝をも埋めるように満たしていく。

 月闇の扉が開いたあとの人々を慰めるのは、いつだってこの気配だ。全ての芽生えを象徴するこの季節。荒れた大地にさえ、可能性を見いださずにいられない。

 シグリィはベッドの上で少し考え、それから口を開いた。

「その呼び方――」
「え?」
「ラナ、というのはいいな。親し気で響きも優しい」

 そうかな、とハヤナは首をひねった。

「言いやすいから、何度も呼んでるとついこうなっちゃうんだけど」

 〝何度も呼んでいる〟というのが重要だ。シグリィは笑んで、「それがいい」ともう一度言った。

「この先彼女は本当の名前で呼ぶと差支さしつかえがあるかもしれない。だから丁度いい」
「……差支さしつかえって」

 困惑顔で呟いたハヤナは、突然シグリィが体を起こしたのを見て声を上げた。

「ちょっ、まだ怪我が……!」
「大丈夫だ」

 シグリィはベッドの上で体を伸ばした。ほんの少し脇腹に響いたが、これくらいなら問題ない――彼は迷わずベッドから下りた。

 寝たきりで固まった体をゆるゆるとほぐし、慌てるハヤナを安心させるように微笑んで見せる。

「散歩してくるだけだ。大丈夫――ありがとう、ハヤナ」

 ハヤナは顔を赤くした。ごまかすようにそっぽを向いて、小さくため息をつく。「……ほんと、ラナが心配になるよ」と呟かれたその言葉に、シグリィは首をかしげるばかりだったが。



 ハヤナとともに居間まで来ると、そこにはセレンとチェッタがいた。二人向き合う形で床に座り込み、真剣に顔を突きつけあっている。

 声をかけるのもためらわれる雰囲気だったが、セレンはシグリィたちに気づいてあっさりと顔を上げた。

「あ、シグリィ様~。もう起きて大丈夫なんですか?」

 ああ、とシグリィはうなずいて返す。一週間前にはセレンも相当消耗していたのだが、彼女は回復が早い。その日の夜にはあちこち走り回るようになったと聞く。――朱雀の術の疲労は体力よりも精神に来るのが常だ。その点、彼女の精神力は無尽蔵むじんぞうと言えなくもない。

「……何をしているんだ?」
「覚悟検定です!」

 座ったまま――しかもなぜか正座で――セレンはピンと背筋を伸ばした。「いいオトコになるための心構えをチェッタ君に――あ、しまった」

「わー! 言っちゃダメだって言っただろーーーーー!」

 チェッタが真っ赤になってあわあわと両手を振った。

 隣でハヤナがすうと息を吸い込んだ。盛大に噴き出す前兆。シグリィはチェッタの姉をひそかに制止した。……少年の純粋な本気を笑ってはいけない。

「そうか。大変だな」

 毒にも薬にもならない反応をしておくと、チェッタは膨れた顔でシグリィをにらんだ。
 その幼い顔が、ふと真剣みを帯びる。「ケガ、ほんとうに大丈夫なのか」と彼は呟くように問う。

「ああ、大丈夫だ。この島の環境も、手当の腕もいい」

 そう応じると、チェッタは正座をしているその膝の向きを、セレンからシグリィに変えた。

「……シグリィ」
「ん?」
「わるかった」

 唐突にチェッタは深く頭を下げた。
 シグリィは首をかしげた。疑問を口にする前に、チェッタは自分から説明した。

「オトコとオトコの約束だった。ケッカイのことはみんなに言わないって――でもおれ、言っちまったから」
「ああ」

 チェッタとメリィの二人に、村を護る結界符を埋めてくるように指示したこと――それを、村の他の皆には秘密にすること。
 確かにそれは〝約束〟だった。あのときはそれが必要だと考えたのだ。

 チェッタがそれを村人に打ち明けたのは、本人いわく「お前らをもういちど村につれてくるため」だったらしい。シグリィはそれを、まだベッドの上で寝たきりだったころに聞いていた。

 思い返して、改めてうなずいた。

「問題ない。それが君の判断だったんだから――実際君が皆に話すことで私たちは救われたんだ。感謝こそすれ怒りはしない」

 事実、シグリィの中にわだかまりなどない。約束破りと言えば聞こえは悪いが、それが彼の判断なら、そして実際役に立ったならそれでいいと、彼は思う。

 しかしチェッタは納得のいかない顔で、下からシグリィをにらむように見た。

「いーやっ。約束をやぶるよーなヤツはろくなオトコにならないっ! おれは二度と約束をやぶらないオトコになる!」

 断固とした口調でそう宣言し、それから視線を床に落とす。ぐっと唇を引き結んだあと、決意に満ちた独り言のような呟きがこぼれた。

「……約束、まもるのにも力がいる。もっとおれが頭よかったら、きっと約束まもりながらおまえらを助けることができた。ていうか、そもそも村からおまえらを追い出さずにすんだ。……だからおれは、もっと強くなる」

 シグリィは目を細めて少年を見つめる。

 頼もしい子だ。きっとこの先村を支えていくのは彼のような子なのだろう。気を張れば張るほど力をつける人間が、世の中にはいる。

 ユキナがあっさりと自身の消滅を受け入れたのは、こういう子がいるからなのかもしれない。



 ハヤナがそんな弟を複雑な表情で見ていた。何かを言いかけてためらい、やがてふんとそっぽを向く。

「なーにかっこつけてんだか。お前はまず洗濯できるようになるのが先だろ!」
「あっ、てめ、ハヤナ! オトコの決意に水をさすなよっ! そんなんだからヨメにいけねーんだぞ!」
「んなっ! オトコオトコってそればっかり強調するような男がいい男のワケないだろこのちんちくりん!」
「ちんちくりんじゃねー! 背だって今にハヤナを追いこすからな……っ! けっ、おれのヨメになれねーのいつか絶対くやしがる日がくるぜ!」
「そんな日未来永劫えいごうくるもんか!」

 ふん! と姉弟は揃って腕を組んでそっぽを向いた。
 そっくりな仕種しぐさだった。

 セレンが噴き出すのをこらえて肩を震わせている。シグリィも平和な気分で姉弟を眺める。

 チェッタの座っている場所。窓から日差しが惜しげもなく降り注いで、少年の横顔を明るく照らしている。
 くっきりと輪郭の浮かぶその顔。子供っぽく分かりやすい表情の中に、形になりつつある〝凛々りりしさ〟。

 ――これが見えているから、ハヤナはきっと寂しいのだ。

 チェッタは勢いよく立ち上がった。

「洗濯だってもうヘイキだ! 今日はマーサがやるって言ってたけどやっぱりおれがやる! みてろよハヤナ……!」

 ハヤナにびしっと指を突きつけたあと、即座に身をひるがえしてドタバタと家を出て行った。本当に洗濯場に向かうつもりらしい。

 その姿を見送って口をつぐんだハヤナに、シグリィは笑いかけた。

「大丈夫、何があってもチェッタはちゃんとハヤナの弟のままだと思うよ」
「―――っ」
「そうそう」

 セレンがのんびり立ち上がり、スカートの裾を払う。「そもそもチェッタ君の行動理念の基本は、〝マーサとハヤナを泣かさない〟だもの、どっちかっていうとハヤナちゃんたちがお嫁さんに行っちゃったときのほうが問題――あら、これも言っちゃだめだったんだわ」

「……セレン、うっかり約束を破るのはどうかと思う」

 頭に手をやって「てへー」とかやっているセレンを呆れてたしなめた。約束というのはそんな簡単に破っていいものでもない。

 とは言え、まあ。
 ――もどかしげだったハヤナの顔がほんの少しやわらいだのは、悪いことではないと思うけれど。



 台所仕事をするというハヤナと別れ、今度はセレンを伴って玄関へと向かう。

「シグリィ様、どちらへ行かれるんですか?」
「いや、特別決めていないが。――そういえばジオさんは?」
「海岸にいるんじゃないですか? 村の子の手を借りて舟を造るって言ってましたから」
「舟?」
「行きに乗ってきた舟じゃ、帰りには小さすぎるだろうって」
「―――」

 玄関を開けると、少し離れたところに女性の背中が見えた。

「マーサさん」

 呼ぶ。年長の村長は振り返り、「あら」と片手を口に当てて微笑んだ。

「チェッタに聞きました。今日は調子がいいようで良かったわ」
「ありがとうございます。洗濯はチェッタが?」
「ええ、それはもう猛然もうぜんと。全部奪われてしまいました」

 言いながらくすくすと笑う。彼女が見ているのは川の方向だ。弟が洗濯ものを抱えて走って行ったはずの。

「なので次の仕事をしないと。今日の晩御飯はハヤナの担当ですから、私はその間にみんなの様子を見回ろうかしら」

 言いながら家へとゆっくり歩いて来る。シグリィは言った。

「ダッドレイさんのお見舞いは?」
「後回しです」

 にっこりとマーサは言った。「あんまりに無茶をするので叱ったら口論になってしまって。『もう来るな』と言うから遠慮なく最後に回させてもらいます。他の子たちとは積もる話もありますけど、今のダッドレイと話すことはほとんどありませんしね」

 何やら穏やかな村長らしからぬ言葉。疑問符を浮かべたシグリィだったが、

「レイばかり特別扱いできませんから」

 付け加えられた一言が、何気なく記憶を呼び覚ました。
 自分も以前、村の人々と交流しようと家々を回ったとき、必ずダッドレイの家を最後にしたのだった。

 その理由と言えば。

「……なるほど」

 つまるところそれもやっぱり〝特別扱い〟なのだろうけれど。

 それを言うのはめにした。代わりに、違うことを口にする。

「あまり、ご自分を追い詰めないように気を付けてください。頂点がかたくなな組織はもろい」

 ええ――と。おそらくシグリィが呑み込んだ言葉をも察しているのだろう聡明な村長は、神妙な面持ちで眼差しをシグリィに向けた。

「未熟なのは百も承知です。私では力不足なのも。でも……幸い私には、意見してくれる者も励ましてくれる者もいますから。ユキナのようにとはいかなくとも、私の信じるものを選び出そうと思います」

 風に髪を乱されて、マーサはそっと頭を振った。その表情が陰になって見えなくなる――それも一瞬。

「シグリィさん。大陸はいつか、私たちを受け入れてくれると思いますか?」
「―――」

 シグリィはじっとマーサを見つめた。
 彼女が聞きたい言葉、彼の予測、大陸の事情、彼らの事情、四神というもの、――人というもの。

 一言で表現するにはあまりにも複雑なそれら。

 答を待たずにマーサは顔を上げる。予想外にも明るい表情で。

「例え大陸が私たちに最悪の未来をつきつけるのだとしても――私たちはきっと生きることを望まずにはいられません。それが罪であっても」

 問いかけではない。
 まごうことなき、決意。
 柔らかでしなやかで、――活力にあふれている。
 シグリィはただ、うなずいた。

 ふと見ると、隣でセレンが物言いたげにシグリィを見ていた。そちらに視線を流し、目だけで制した。

 ――言わないと決めた。ユキナがこの世に戻ってきていたことは。

 言えば喜びにはなるかもしれない。悲しみにもなるかもしれない。何をもたらすのかシグリィには想像もつかない。それでも。

 ユキナは一瞬たりとも村に戻ることを考えなかった。それが事実だ。

 そして何度考えても、シグリィにはそれが間違っていたようには思えなかった。きっと――それがユキナとシグリィに共通するもので。

 もしもこれがシグリィでなかったら――ユキナの幻の最後に立ち会ったのが別の人間であったなら、事態は変わったのだろうけれど。

 現実に、そこにいたのはシグリィだけだったから。ユキナもそれに抗おうとはしなかったから。
 だから――こうすることを決めた。

 近くで木から鳥が飛び立った。薄い色の翼を広げ、一瞬たりとも迷わず空の道をゆく。その悠然とした風情は、どこかユキナに似ていた。

「あら。メリィ――」

 ふとマーサが村に顔を向け、とてとてと走ってきた一人の少女の名を呼ぶ。

 兄と並んで歩いて来ていたメリィは、こちらを見つけるとぴょんと跳び上がり、そこからは兄を置いて駆けてきた。
「転ぶなよメリィ!」と追いかけてくる兄の心配げな声をもろともせずシグリィたちの近くまでやってくると、マーサに向かってぺこりとお辞儀をし、それからシグリィに向き直る。

「こん、こんにち、はっ。おけが、どうですかっ?」

 大丈夫だよありがとう――返事をしたシグリィは、メリィの抱えている大きな紙を見下ろした。

「今日は何を描いていたの? メリィちゃん」

 セレンがかがんでメリィの顔をのぞき込む。メリィはにこっと愛らしい笑顔を見せた。

「ゆめ、みたの……!」

 笑顔のままシグリィたちの前に紙を広げて見せる。

 紙いっぱいに描かれた生き生きとした色彩を見たシグリィは、しばし口をつぐんだ。メリィは重ねて言った――

「ね、きっとね、ゆめじゃないの!」



「今日はいい風が吹いていますね」

 セレンが心地よさそうに目を細めた。

 マーサたちとも別れて外に出た二人を、春の日差しは柔らかく出迎えた。暖気だんきをはらんだ風が、ほわりと彼らの横を行き過ぎる。地上ではそよそよと風とたわむれ、かすかに揺れる草々。豊かな土の匂いは怪我にも優しく、心なしか体が軽くなったように感じる。

 ふと、シグリィは思い出した。
 ――この島に初めて足を下ろしたそのときに、吹いた風のことを。

 まるで彼らを出迎えたかのような心地よい風だった。自然は時として、語りかけてくるものだ。自然と心を通わすことに長けたコーラインの力を用いる必要もない。
 そこから明確な意味を見出すのは、あくまで人の心の作用なのだけれど。

(……あの青い光を見たときに感じたものは)

 夜空を流れた一条の光。
 けれどあれは流れ星ではなかった。彼を導いたのは、大自然の欠片たる星ではなかった。星の落ちた先にいたのは――。

「どこへ行きましょーか」

 セレンはほがらかに呑気な声音で訊く。

「そうだな……」

 本当は、迷う必要などない。心は自ずとそこへと向かっている。あの少女――ラナーニャと初めて出会った場所。
 そして今、彼女が行っているかもしれない場所。

「海へ行こう」

 そこで彼女が、待っている気がした。
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