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第二章 誰がための罪。
6 シレジアとマザーヒルズ
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「アルメイアは」
ふいに、カミルの声のトーンが変わった。「いかにグランウォルグの商人に牛耳られているとはいえ、そもそも南部の町です」
うつむき気味だったラナーニャは、何の話が続くのかと、訝しく思ってカミルを見る。
カミルの視線は、壁一面にとられた大きな窓に向けられている。そこからはこの家の庭が見えた。整えられた広い敷地に春らしい豊かな色彩あふれ、その庭の主が経済的にはもちろん、精神的にも満ち満ちていることを明確に読み取れる庭だ。
「アティスティポラのご当主もそれをよくわかっている。その証拠にこの家の造りは半分以上が南部様式なんです、特にあの庭の造りは……。彼はよくもわるくも南部人に、マザーヒルズの国に依存して生きている。もちろん南部に起こる色々な可能性を考えて手を広げているのは間違いないですし、それ自体は大したことじゃない。シグリィ様は以前からこのアルメイアの動きに興味を持っていらっしゃいましたが、それはあくまで、アルメイアに限らずあらゆる世界の動きをよく見ていたいという、いつもの興味でしかなかった」
「……?」
「それが最近変化したようです。シグリィ様はアルメイアの動向にいっそう注視なさるようになった。正しく言えば、マザーヒルズに対して」
「シグリィが? それはどうして」
カミルがこちらを向く。彼はラナーニャの顔を、たしかめるようにじっくりと見た。
「……シレジアに何かがあれば、一番に影響を受けるのは、間違いなくマザーヒルズだからです」
ラナーニャの胸の内が、ざわりと騒ぐ。
次いでどくどくと鼓動が波打った。まるで槌で打たれているかのように、痛みを伴ううずき。
一瞬で干上がった喉から、それでもラナーニャは言葉をひり出した。何か言葉を吐き出さなければ――不安に浸食されて、あっという間に内側から壊れてしまいそうだった。
「ま、マザーヒルズは隣国だから? 昔から、マザーヒルズと、……シレジアは、手を結んだり離したり、関係がとても落ち着かなかったと」
「もちろん根本はそういうことです。隣国だからこそ、そしてどちらも同じように、大量の魔術師を抱える国だからこそ……。普通は土地としては距離のある国々の方が手を結びやすいのですが、シレジアは昔から何かを成そうとするときにまっさきにマザーヒルズに手を出すのがお決まりでした。よそに手を回すことももちろん同時に行っていたにしても、マザーヒルズに対しては特に遠慮がなかった」
「ど、どうしてそんなことを」
マザーヒルズとの関係については、リーディナに当然のごとく習っていたつもりだった。
シレジアと隣国マザーヒルズが歴史上何度も衝突と協力を繰り返してきたことなら、もちろん知っている。それらの大半が、シレジアから持ちかけたものであるということも知っている。どんな対話をしてきたのかも……知っていると、思っていた。
それなのに今、カミルから聞かされると、ずいぶんと違う話に聞こえるのはなぜなのか。
ラナーニャの動揺に気づいているはずのカミルは、それでも淡々と言葉を継いだ。
「建国から続く『伝統』とまで、他国では言われています。マザーヒルズの王家はシレジア王家に非常に弱い。立場というよりは精神的に苦手としているらしい。それがなぜなのかは、どうも当事者たちにしかわからないようですが、とにかく――」
そこまで言って、彼はふとその目に翳りを見せた。
「……シグリィ様は心配していらっしゃる。シレジアが大きく動こうとしている――変化しようとしている。その影響を受けるのなら、まずマザーヒルズに違いないと」
シレジアに、変化が。
(父上)
思い出したくない事実が否応なく呼び覚まされて、ラナーニャは息苦しさとともに顔を伏せた。
(父上は亡くなった。代替わりをする。国が動く。変化……する)
あの夜。シレジアを襲った激震は、《扉》が開くのと時を同じくして彼女の父たる王が神の御許に旅立ったことから始まった。
魂送りの失敗と、親族たちの裏切り。エルヴァー島で陥った記憶喪失から回復するということは、同時にそれらの残酷な記憶を鮮明に思い出すということでもあった。あれからラナーニャは何度も夜にうなされては飛び起き、シグリィたちに寝かしつけられる日々を繰り返している。自力で眠れそうにないときは、彼らが術で眠らせてくれたこともある。
人に語るのも苦痛な状態ではあったが、ラナーニャは覚えている限りのすべてを、彼らに話すことを選んだ。
シグリィが聞き出そうとしたわけではない。
ただ、これだけ周りを巻き込んでおきながら、理由を話さずにいられるわけもないから。
問題なのは、起こったことを順に説明することさえ難しいほどに痛みを伴う記憶だったということ。話そうとすればすぐに頭が混乱し、記憶の断片が飛び交い、自分でもそれが正しく自分が見た光景なのかわからなくなっていく。
シグリィがほどほどにラナーニャを休ませながら、彼女の混乱を受け止め、上手に話を誘導し、彼女の支離滅裂な言葉を繋ぎ合わせて理解してくれなければ、きっと永遠に伝わることはなかっただろうと思う。一通りの話を終えるのにかかった時間と苦労を思い返すと、彼女は今でも自分を嘆かずにはいられない。
――シレジアの王が死んだ。その事実を把握したとき、シグリィはとても難しい顔をした。
その場では、話をし終わったラナーニャをいたわることに終始していた。けれど、多分頭の片隅でラナーニャではない別のことを考えていたに違いないと思う。
(シグリィは……父上が亡くなったことを、どう思ったのだろう?)
死因に不審な点があると、そのことも正直に伝えた。本当は第三者に漏らすわけにはいかないほどの重大機密。あまりに重すぎて、ラナーニャ一人で抱え込むことさえ難しかった事実。
シグリィなら――聡明な彼なら、父王の死因を見抜くことができるのだろうか?
否。ラナーニャが知りたいのは死因ではない。
(どうして、父上が死ななくてはいけなかったのか)
何より王はどうして、次代にラナーニャを指名したのか――
父はこれからシレジアに起ころうとしていた未来を、知っていたのだろうか。
シグリィとセレン、それにオルヴァ・オストレムが居間へと戻ってきたのは、それから一時間後のことだった。
何やらぐったりした様子のマザーヒルズの兵士たる男性は、ソファに座りながらしみじみとシグリィに声をかける。
「いやー……本当にすごいな、お前さん」
「何がですか?」
「どうしてあのご夫人とあんなにふつーに会話が成り立つんだ……」
「別に難しいことではないですよ。それにセレンも普通に話していました」
「いや、そっちの姉さんはな、うん。波長が同じっつーか」
何の話だろうと首をかしげるラナーニャの隣に、シグリィが座った。セレンはカミルの隣を陣取って、「ねえねえ聞いてここのご夫人のチョーカーがすっごく素敵だった!」などとやっている。
……商人とそれなりに重々しい商売の話をしてきたはずなのに、ずいぶんと軽い空気だ。
そんなセレンを適当に無視して、カミルはシグリィに話しかける。
「お疲れ様ですシグリィ様。いかがでしたか」
「ん。問題ない、後で説明する――ラナ、大丈夫か?」
「え」
シグリィに顔をのぞきこまれ、ラナーニャは慌ててこくこくとうなずいた。「う、うん。大丈夫。平気だ」
「そうか。待たせてしまってすまない」
わざわざ謝られてしまうと却って恐縮してしまう。つい肩を縮めながら、「本当に大丈夫だから」と何とか微笑んでみせた。
そんな彼女たちの様子を、オルヴァが興味深そうに見つめている。
機会を見計らった使用人が丁寧に客人たちを労いながら、彼らのティーカップに新しい飲み物を淹れて出ていく。
「……さっきから聞きたかったんだけどな。お前さんら、いつから四人連れになったんだ?」
オルヴァは薫り高い湯気の立つ上等な紅茶を片手に、何気なくそう訊いてきた。「前に関所で会ったときにはまだ三人だったろう?」
「そうですね。彼女と知り合ったのはつい最近なので」
シグリィは何でもないことのように答える。しかしその隣で、ラナーニャはひどく緊張した。
自分に話題が及ぶことは、あらゆる意味で恐ろしい。
そんな彼女の代わりに、シグリィはすらすらと説明していく。
「エルヴァー島で知り合ったんです。彼女は乗っていた船が難破してあの島に流れ着いたんですが、そのせいで現在身寄りがない」
「エルヴァー……“福音の島”か?」
オルヴァが目を見張った。「驚いたな、あの辺りの海域を行く船があったのか。いや――それとも学者どもの船か?」
「そうですよ。彼女は学者の家の出なので、親についていったのだそうです」
「そうか……そりゃあ辛い目に遭ったな」
兵士の顔に沈痛な色が浮かぶ。ラナーニャは曖昧に返事をするしかなかった。確かに親を亡くして身よりがなく、ある意味で島に“流れ着いた”のだが……そんな顔を向けられると申し訳なくなってしまう。
シグリィに身分を隠し、外に対してどう説明するかについてあらかじめ考えてもらってあるとは言え、彼女自身はまだうまく嘘がつけない。そのせいでガナシュでもシグリィたちばかりが説明することになり、そのたびにラナーニャは寿命が縮まる思いをした。
――自分の立場を知られたとき、何が起こるかをはっきりと想像できるわけではなかった。
ただ、知られてはいけないという思いだけは明確で、エルヴァー島を出て大陸を踏んだそのときからずっと警鐘を鳴らしている。
ラナーニャはただ息をひそめて、シグリィがオルヴァに説明するのを聞いていた。
できることならオルヴァが自分に関するすべてを聞き流してくれればいいと、祈るように思いながら。
しかしそんな願いに爪を立てて引っ掻くかのように、オルヴァは言う。
「そっちのお嬢ちゃんはどこの出身だ? 学者の家ってこたぁうちの国かね」
びくりと肩を震わせるラナーニャとは対照的に、シグリィはやはり落ち着き払っている。
「シレジアです。まあ親御さんは、頻繁にマザーヒルズと行き来していたらしいですが……彼女自身はほとんどシレジアから出たことがない」
嘘ではない。父王はたしかに、しょっちゅう大陸に足を向ける人だった。
ははぁとオルヴァは気の抜けた声を出し、しげしげとラナーニャを見た。
「そりゃあますます大変だったな。まあ俺にできることも限られてるが、困ったことがあればいつでも言ってくれ」
「は、はい」
慌ててラナーニャはうなずく。その反応をどう受け取ったのか、オルヴァは気にする様子もなく軽く笑った。
胸の奥がしくしくと痛む。
うつむくラナーニャからオルヴァの意識を逸らそうとするかのように、シグリィが話を変えた。
「オルヴァさん、色々教えてほしいことがあるんです。取り急ぎ我々は“霧のカーテン”を手に入れなくてはならないので――この家のご主人が言っていた話、あなたはどう見ましたか?」
ふいに真剣になる言葉のトーン。オルヴァが、ちらりとシグリィを見て片眉を上げた。
ふいに、カミルの声のトーンが変わった。「いかにグランウォルグの商人に牛耳られているとはいえ、そもそも南部の町です」
うつむき気味だったラナーニャは、何の話が続くのかと、訝しく思ってカミルを見る。
カミルの視線は、壁一面にとられた大きな窓に向けられている。そこからはこの家の庭が見えた。整えられた広い敷地に春らしい豊かな色彩あふれ、その庭の主が経済的にはもちろん、精神的にも満ち満ちていることを明確に読み取れる庭だ。
「アティスティポラのご当主もそれをよくわかっている。その証拠にこの家の造りは半分以上が南部様式なんです、特にあの庭の造りは……。彼はよくもわるくも南部人に、マザーヒルズの国に依存して生きている。もちろん南部に起こる色々な可能性を考えて手を広げているのは間違いないですし、それ自体は大したことじゃない。シグリィ様は以前からこのアルメイアの動きに興味を持っていらっしゃいましたが、それはあくまで、アルメイアに限らずあらゆる世界の動きをよく見ていたいという、いつもの興味でしかなかった」
「……?」
「それが最近変化したようです。シグリィ様はアルメイアの動向にいっそう注視なさるようになった。正しく言えば、マザーヒルズに対して」
「シグリィが? それはどうして」
カミルがこちらを向く。彼はラナーニャの顔を、たしかめるようにじっくりと見た。
「……シレジアに何かがあれば、一番に影響を受けるのは、間違いなくマザーヒルズだからです」
ラナーニャの胸の内が、ざわりと騒ぐ。
次いでどくどくと鼓動が波打った。まるで槌で打たれているかのように、痛みを伴ううずき。
一瞬で干上がった喉から、それでもラナーニャは言葉をひり出した。何か言葉を吐き出さなければ――不安に浸食されて、あっという間に内側から壊れてしまいそうだった。
「ま、マザーヒルズは隣国だから? 昔から、マザーヒルズと、……シレジアは、手を結んだり離したり、関係がとても落ち着かなかったと」
「もちろん根本はそういうことです。隣国だからこそ、そしてどちらも同じように、大量の魔術師を抱える国だからこそ……。普通は土地としては距離のある国々の方が手を結びやすいのですが、シレジアは昔から何かを成そうとするときにまっさきにマザーヒルズに手を出すのがお決まりでした。よそに手を回すことももちろん同時に行っていたにしても、マザーヒルズに対しては特に遠慮がなかった」
「ど、どうしてそんなことを」
マザーヒルズとの関係については、リーディナに当然のごとく習っていたつもりだった。
シレジアと隣国マザーヒルズが歴史上何度も衝突と協力を繰り返してきたことなら、もちろん知っている。それらの大半が、シレジアから持ちかけたものであるということも知っている。どんな対話をしてきたのかも……知っていると、思っていた。
それなのに今、カミルから聞かされると、ずいぶんと違う話に聞こえるのはなぜなのか。
ラナーニャの動揺に気づいているはずのカミルは、それでも淡々と言葉を継いだ。
「建国から続く『伝統』とまで、他国では言われています。マザーヒルズの王家はシレジア王家に非常に弱い。立場というよりは精神的に苦手としているらしい。それがなぜなのかは、どうも当事者たちにしかわからないようですが、とにかく――」
そこまで言って、彼はふとその目に翳りを見せた。
「……シグリィ様は心配していらっしゃる。シレジアが大きく動こうとしている――変化しようとしている。その影響を受けるのなら、まずマザーヒルズに違いないと」
シレジアに、変化が。
(父上)
思い出したくない事実が否応なく呼び覚まされて、ラナーニャは息苦しさとともに顔を伏せた。
(父上は亡くなった。代替わりをする。国が動く。変化……する)
あの夜。シレジアを襲った激震は、《扉》が開くのと時を同じくして彼女の父たる王が神の御許に旅立ったことから始まった。
魂送りの失敗と、親族たちの裏切り。エルヴァー島で陥った記憶喪失から回復するということは、同時にそれらの残酷な記憶を鮮明に思い出すということでもあった。あれからラナーニャは何度も夜にうなされては飛び起き、シグリィたちに寝かしつけられる日々を繰り返している。自力で眠れそうにないときは、彼らが術で眠らせてくれたこともある。
人に語るのも苦痛な状態ではあったが、ラナーニャは覚えている限りのすべてを、彼らに話すことを選んだ。
シグリィが聞き出そうとしたわけではない。
ただ、これだけ周りを巻き込んでおきながら、理由を話さずにいられるわけもないから。
問題なのは、起こったことを順に説明することさえ難しいほどに痛みを伴う記憶だったということ。話そうとすればすぐに頭が混乱し、記憶の断片が飛び交い、自分でもそれが正しく自分が見た光景なのかわからなくなっていく。
シグリィがほどほどにラナーニャを休ませながら、彼女の混乱を受け止め、上手に話を誘導し、彼女の支離滅裂な言葉を繋ぎ合わせて理解してくれなければ、きっと永遠に伝わることはなかっただろうと思う。一通りの話を終えるのにかかった時間と苦労を思い返すと、彼女は今でも自分を嘆かずにはいられない。
――シレジアの王が死んだ。その事実を把握したとき、シグリィはとても難しい顔をした。
その場では、話をし終わったラナーニャをいたわることに終始していた。けれど、多分頭の片隅でラナーニャではない別のことを考えていたに違いないと思う。
(シグリィは……父上が亡くなったことを、どう思ったのだろう?)
死因に不審な点があると、そのことも正直に伝えた。本当は第三者に漏らすわけにはいかないほどの重大機密。あまりに重すぎて、ラナーニャ一人で抱え込むことさえ難しかった事実。
シグリィなら――聡明な彼なら、父王の死因を見抜くことができるのだろうか?
否。ラナーニャが知りたいのは死因ではない。
(どうして、父上が死ななくてはいけなかったのか)
何より王はどうして、次代にラナーニャを指名したのか――
父はこれからシレジアに起ころうとしていた未来を、知っていたのだろうか。
シグリィとセレン、それにオルヴァ・オストレムが居間へと戻ってきたのは、それから一時間後のことだった。
何やらぐったりした様子のマザーヒルズの兵士たる男性は、ソファに座りながらしみじみとシグリィに声をかける。
「いやー……本当にすごいな、お前さん」
「何がですか?」
「どうしてあのご夫人とあんなにふつーに会話が成り立つんだ……」
「別に難しいことではないですよ。それにセレンも普通に話していました」
「いや、そっちの姉さんはな、うん。波長が同じっつーか」
何の話だろうと首をかしげるラナーニャの隣に、シグリィが座った。セレンはカミルの隣を陣取って、「ねえねえ聞いてここのご夫人のチョーカーがすっごく素敵だった!」などとやっている。
……商人とそれなりに重々しい商売の話をしてきたはずなのに、ずいぶんと軽い空気だ。
そんなセレンを適当に無視して、カミルはシグリィに話しかける。
「お疲れ様ですシグリィ様。いかがでしたか」
「ん。問題ない、後で説明する――ラナ、大丈夫か?」
「え」
シグリィに顔をのぞきこまれ、ラナーニャは慌ててこくこくとうなずいた。「う、うん。大丈夫。平気だ」
「そうか。待たせてしまってすまない」
わざわざ謝られてしまうと却って恐縮してしまう。つい肩を縮めながら、「本当に大丈夫だから」と何とか微笑んでみせた。
そんな彼女たちの様子を、オルヴァが興味深そうに見つめている。
機会を見計らった使用人が丁寧に客人たちを労いながら、彼らのティーカップに新しい飲み物を淹れて出ていく。
「……さっきから聞きたかったんだけどな。お前さんら、いつから四人連れになったんだ?」
オルヴァは薫り高い湯気の立つ上等な紅茶を片手に、何気なくそう訊いてきた。「前に関所で会ったときにはまだ三人だったろう?」
「そうですね。彼女と知り合ったのはつい最近なので」
シグリィは何でもないことのように答える。しかしその隣で、ラナーニャはひどく緊張した。
自分に話題が及ぶことは、あらゆる意味で恐ろしい。
そんな彼女の代わりに、シグリィはすらすらと説明していく。
「エルヴァー島で知り合ったんです。彼女は乗っていた船が難破してあの島に流れ着いたんですが、そのせいで現在身寄りがない」
「エルヴァー……“福音の島”か?」
オルヴァが目を見張った。「驚いたな、あの辺りの海域を行く船があったのか。いや――それとも学者どもの船か?」
「そうですよ。彼女は学者の家の出なので、親についていったのだそうです」
「そうか……そりゃあ辛い目に遭ったな」
兵士の顔に沈痛な色が浮かぶ。ラナーニャは曖昧に返事をするしかなかった。確かに親を亡くして身よりがなく、ある意味で島に“流れ着いた”のだが……そんな顔を向けられると申し訳なくなってしまう。
シグリィに身分を隠し、外に対してどう説明するかについてあらかじめ考えてもらってあるとは言え、彼女自身はまだうまく嘘がつけない。そのせいでガナシュでもシグリィたちばかりが説明することになり、そのたびにラナーニャは寿命が縮まる思いをした。
――自分の立場を知られたとき、何が起こるかをはっきりと想像できるわけではなかった。
ただ、知られてはいけないという思いだけは明確で、エルヴァー島を出て大陸を踏んだそのときからずっと警鐘を鳴らしている。
ラナーニャはただ息をひそめて、シグリィがオルヴァに説明するのを聞いていた。
できることならオルヴァが自分に関するすべてを聞き流してくれればいいと、祈るように思いながら。
しかしそんな願いに爪を立てて引っ掻くかのように、オルヴァは言う。
「そっちのお嬢ちゃんはどこの出身だ? 学者の家ってこたぁうちの国かね」
びくりと肩を震わせるラナーニャとは対照的に、シグリィはやはり落ち着き払っている。
「シレジアです。まあ親御さんは、頻繁にマザーヒルズと行き来していたらしいですが……彼女自身はほとんどシレジアから出たことがない」
嘘ではない。父王はたしかに、しょっちゅう大陸に足を向ける人だった。
ははぁとオルヴァは気の抜けた声を出し、しげしげとラナーニャを見た。
「そりゃあますます大変だったな。まあ俺にできることも限られてるが、困ったことがあればいつでも言ってくれ」
「は、はい」
慌ててラナーニャはうなずく。その反応をどう受け取ったのか、オルヴァは気にする様子もなく軽く笑った。
胸の奥がしくしくと痛む。
うつむくラナーニャからオルヴァの意識を逸らそうとするかのように、シグリィが話を変えた。
「オルヴァさん、色々教えてほしいことがあるんです。取り急ぎ我々は“霧のカーテン”を手に入れなくてはならないので――この家のご主人が言っていた話、あなたはどう見ましたか?」
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