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番外編
きんいろのねこ―2 [コメディ]
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「――あ、寝ちゃった。あんもう寝顔もかわいー! ねえねえかわいいのよう」
「そうですか」
「ほら見てよ私のお膝! この村の猫ちゃんってみんな人間に慣れてるとは思ってたけど、こんなになつかれると感激もひとしおなのよー?」
「良かったですね」
「ねえこの子って何歳くらいかしら? 一歳とかそれぐらい? ちょっと太ってるのに膝に乗ってても軽いのようかわいいのよう」
「………」
「かわいーかわいーかわいー!」
――それしか言葉を忘れてしまったかのように「かわいい」をくりかえす女の声を背後に聞きながら――
「………」
カミルはもはや無言となり、ひとり部屋の片付けをしていた。
倒された小さな台を直し、その上から落ちてしまった花瓶を乗せなおし、水浸しになった床を拭き、荒らされた花をそっとまとめ、ぐちゃぐちゃになったベッドシーツを整えなおし、それから自分たちの旅道具を――
「もうカミルってば。こんなかわいい寝顔見なきゃ損よー!」
………
返事をしなかったのは、彼としては上等の反応だった。
だがセレンは諦めない。
「カミルってばー」
何度も名前を呼ばれ――
――カミルは、くるりと顔を向けた。
うっと、セレンが引きつった。
青年の顔に、壮絶な笑みが張り付いていた。
「――掃除、替わりますか? セレン……」
「え、ええと」
たらたらと、冷や汗を流しつつ、
それでも何とか笑顔を作ったセレンは、自身の膝の上を指差す。
「――この子、寝ちゃってるから」
ベッドのひとつに座った彼女の膝の上で――
小さな暴れん坊が、丸くなって寝ていた。
くー、すー、と人間と大差ない寝息をたてるのは、生後一年かそこらであろう小猫――
セレンの言うところの“福壷”から現れた小動物。背中の毛色は黄色っぽく、お腹は白く……大変薄汚れている。とりたてて特徴もない、この村ではよく見かけられる猫だ。
――ひたすら、動きが激しいことを除けば。
壷から出てすぐは、おそらく腹をすかせていたのだろう、おとなしかったのだが――カミルが簡単に作ってやった猫まんまをぺろりとたいらげてからは、一瞬たりとも止まらなかった。部屋中を走り回り、つかまえようとする二人の手を器用にすり抜けてはあちこち引っかき回す。まるで暴風のように。
この部屋は元から古くなった空き家を借りているため猫の引っかき傷が気にならなかったが、そうでなければ大変なことになった――カミルは自分の手の甲の引っかき傷を見下ろしてため息をついた。
それから、セレンを見やる。
彼女は旅人のわりに露出を気にしない服装をしていた。それが災いして、今は彼女の白い肌にあちこち赤い傷が走っている。
だが彼女は自身の傷などすでに頭にないらしい、その視線はただうれしそうに眠っている猫を眺めている。「かわいー」と、相変わらずその言葉だけをくりかえす彼女が能天気に思えて仕方がなかったが――
目を閉じた猫の、その寝顔。
……たしかに、普通に「かわいい」と言うのが一番合っているな、とカミルは思った。
口が裂けても言えないが。
それにしても、
「セレン、壷の中に猫が入っているのを知ってて買ってきたんでしょう?」
部屋の隅にほうっておかれていたその壷を取り上げながら、カミルは訊いた。
「それともごまかすためにあなたが壷に入れたんですか? その猫を」
「違うわよ!」
彼女は憤然とこちらを向いた。「私がそんなことするはずないでしょう!? 村を歩いてたらたまたまこの子をつかまえてるオジサンがいて、どうするのかなって見てたら壷に入れてたから――」
かわいそうだと思って、話をつけてお金と引き換えにもらってきたの、と彼女は言った。
「壷に猫を、ね……」
半眼になって、セレンを見る。「それで、言い訳がわりに私には“福壷”だなどと言ったわけですね」
セレンはごまかすようにあさっての方向を見ている。
カミルは空になった壷の中に目を落としながら軽くため息をついた。たしかにその話だけを聞けば猫がかわいそうだし、それを見てセレンが壷を引き取りたがることにも納得はできる。だが、
――何となく部屋を見渡してみる。
彼自身の手で片付けられた部屋は、今は元通りと言っても良かった。
だが床や壁に残る引っかき傷が、少し前までの部屋の惨状を思い出させて……
カミルは低く呟いた。
「……壷に入れていた方というのは、怒っていたんじゃないですか……?」
「たしかに怒ってたけど……どうして分かるの?」
セレンは不思議そうに尋ねてくる。
カミルは額に手を当て、頭を振った。
いまさらあれこれ言ってもしょうがあるまい。さしあたっての問題は――
「さて……どうしたものでしょうね、この猫は……」
手にしていた壷をもう一度床に下ろす。
見やった先に、セレンの膝に乗って丸くなった小猫の姿があった。 無防備な寝顔。
妙に人間慣れしているのは、この村ではおかしなことではないだろうが――それにしてもずいぶんななつきようだった。類は友を呼ぶとはこのことだろうか。
「シグリィ様だって喜んでくれるわよ」
小猫の少し乱れた毛並みを優しくなでながら、彼女は言った。
かの少年の顔を思い出し、カミルは「まあ、そうでしょうね」とため息まじりに呟いた。
彼らの主たる少年は、動物が嫌いではない。現にこの村に来てすぐのときも、あちこちで見られる猫の姿にセレンとともに盛り上がっていたのだ。
だが……
「……何にせよ、逃がしてやらなくてはいけませんよ。まさか旅につれていくわけにはいきませんからね」
カミルは腕組みをして、ベッドの上のセレンを見下ろした。
一瞬、
セレンが、言いようのない表情をした。その青い瞳に走った光は翳った色――
反論するのでは、なく。
ただ顔を伏せた彼女に、彼は言葉を続けた。
「分かっているんでしょう? 我々の旅に小動物など連れていけば、むしろ動物のほうが危ないんですから。猫のことを思うなら――」
旅に、動物をともとして連れていく旅人自体はそれほど珍しくはない。
それでも、人が集まる場所から少しでも離れれば魔物がはびこる危険地帯が広がるこの世界において、魔物と戦うすべを持たない小動物が旅に加わることは無益でしかないのだ。
それを分かっている上で、連れていく旅人もいる。
動物というものは、傍にいてくれるだけでいいものだと――危険を承知で離れられない人間もいる。
だが、自分らは――
「――猫を連れていくなんて、足手まといになるだけですからね」
きっぱりと彼は言った。
うつむいたままだった彼女が――ふと、呟いた。
「――なによ」
「……何ですか?」
「正論ばっか言ってる人間なんか、私は嫌いだわ……っ」
足手まといだなんてひどいと、セレンは叩きつけるように言ってくる。
「――」
「ひどいのよ! だ、だいたい私別に連れていくなんて言ってないもの! ただかわいいねって、それだけで、だから、」
――だから……
言葉が途切れた。
小猫の背を撫でる指先が、止まったまま震えていた。
「セレン……」
「もう、いいわよ」
投げやりな調子で会話を打ち切ろうとする女を、カミルはやるせない思いで見つめる。
セレンは彼の顔を見ないまま、
もう話さないから
と言った。
何かを言いたい衝動にかられて、カミルは口を開きかけた。と、
……ふいに。セレンの膝の小さな動物が、動いた。
目を覚ましたらしい、ごそごそと体をくねらせ、大きく伸びをし、それから、
なーご
とその背をセレンの腹にこすりつけて鳴いた一声……
「………」
そのまま再び丸くなる小猫を、セレンはずっと見下ろしていた。
やがて、止まっていた指先が動いた。優しく、優しく……小猫の毛並みを愛撫する。
「ほんと……かわい……」
セレンは微笑んだ。
溶けていく何か……
優しげな女の横顔を見つめたまま、けれど青年は心が晴れぬまま立ちつくした。
――彼女の笑みから翳りが消えないことに、気づいていたから。
「そうですか」
「ほら見てよ私のお膝! この村の猫ちゃんってみんな人間に慣れてるとは思ってたけど、こんなになつかれると感激もひとしおなのよー?」
「良かったですね」
「ねえこの子って何歳くらいかしら? 一歳とかそれぐらい? ちょっと太ってるのに膝に乗ってても軽いのようかわいいのよう」
「………」
「かわいーかわいーかわいー!」
――それしか言葉を忘れてしまったかのように「かわいい」をくりかえす女の声を背後に聞きながら――
「………」
カミルはもはや無言となり、ひとり部屋の片付けをしていた。
倒された小さな台を直し、その上から落ちてしまった花瓶を乗せなおし、水浸しになった床を拭き、荒らされた花をそっとまとめ、ぐちゃぐちゃになったベッドシーツを整えなおし、それから自分たちの旅道具を――
「もうカミルってば。こんなかわいい寝顔見なきゃ損よー!」
………
返事をしなかったのは、彼としては上等の反応だった。
だがセレンは諦めない。
「カミルってばー」
何度も名前を呼ばれ――
――カミルは、くるりと顔を向けた。
うっと、セレンが引きつった。
青年の顔に、壮絶な笑みが張り付いていた。
「――掃除、替わりますか? セレン……」
「え、ええと」
たらたらと、冷や汗を流しつつ、
それでも何とか笑顔を作ったセレンは、自身の膝の上を指差す。
「――この子、寝ちゃってるから」
ベッドのひとつに座った彼女の膝の上で――
小さな暴れん坊が、丸くなって寝ていた。
くー、すー、と人間と大差ない寝息をたてるのは、生後一年かそこらであろう小猫――
セレンの言うところの“福壷”から現れた小動物。背中の毛色は黄色っぽく、お腹は白く……大変薄汚れている。とりたてて特徴もない、この村ではよく見かけられる猫だ。
――ひたすら、動きが激しいことを除けば。
壷から出てすぐは、おそらく腹をすかせていたのだろう、おとなしかったのだが――カミルが簡単に作ってやった猫まんまをぺろりとたいらげてからは、一瞬たりとも止まらなかった。部屋中を走り回り、つかまえようとする二人の手を器用にすり抜けてはあちこち引っかき回す。まるで暴風のように。
この部屋は元から古くなった空き家を借りているため猫の引っかき傷が気にならなかったが、そうでなければ大変なことになった――カミルは自分の手の甲の引っかき傷を見下ろしてため息をついた。
それから、セレンを見やる。
彼女は旅人のわりに露出を気にしない服装をしていた。それが災いして、今は彼女の白い肌にあちこち赤い傷が走っている。
だが彼女は自身の傷などすでに頭にないらしい、その視線はただうれしそうに眠っている猫を眺めている。「かわいー」と、相変わらずその言葉だけをくりかえす彼女が能天気に思えて仕方がなかったが――
目を閉じた猫の、その寝顔。
……たしかに、普通に「かわいい」と言うのが一番合っているな、とカミルは思った。
口が裂けても言えないが。
それにしても、
「セレン、壷の中に猫が入っているのを知ってて買ってきたんでしょう?」
部屋の隅にほうっておかれていたその壷を取り上げながら、カミルは訊いた。
「それともごまかすためにあなたが壷に入れたんですか? その猫を」
「違うわよ!」
彼女は憤然とこちらを向いた。「私がそんなことするはずないでしょう!? 村を歩いてたらたまたまこの子をつかまえてるオジサンがいて、どうするのかなって見てたら壷に入れてたから――」
かわいそうだと思って、話をつけてお金と引き換えにもらってきたの、と彼女は言った。
「壷に猫を、ね……」
半眼になって、セレンを見る。「それで、言い訳がわりに私には“福壷”だなどと言ったわけですね」
セレンはごまかすようにあさっての方向を見ている。
カミルは空になった壷の中に目を落としながら軽くため息をついた。たしかにその話だけを聞けば猫がかわいそうだし、それを見てセレンが壷を引き取りたがることにも納得はできる。だが、
――何となく部屋を見渡してみる。
彼自身の手で片付けられた部屋は、今は元通りと言っても良かった。
だが床や壁に残る引っかき傷が、少し前までの部屋の惨状を思い出させて……
カミルは低く呟いた。
「……壷に入れていた方というのは、怒っていたんじゃないですか……?」
「たしかに怒ってたけど……どうして分かるの?」
セレンは不思議そうに尋ねてくる。
カミルは額に手を当て、頭を振った。
いまさらあれこれ言ってもしょうがあるまい。さしあたっての問題は――
「さて……どうしたものでしょうね、この猫は……」
手にしていた壷をもう一度床に下ろす。
見やった先に、セレンの膝に乗って丸くなった小猫の姿があった。 無防備な寝顔。
妙に人間慣れしているのは、この村ではおかしなことではないだろうが――それにしてもずいぶんななつきようだった。類は友を呼ぶとはこのことだろうか。
「シグリィ様だって喜んでくれるわよ」
小猫の少し乱れた毛並みを優しくなでながら、彼女は言った。
かの少年の顔を思い出し、カミルは「まあ、そうでしょうね」とため息まじりに呟いた。
彼らの主たる少年は、動物が嫌いではない。現にこの村に来てすぐのときも、あちこちで見られる猫の姿にセレンとともに盛り上がっていたのだ。
だが……
「……何にせよ、逃がしてやらなくてはいけませんよ。まさか旅につれていくわけにはいきませんからね」
カミルは腕組みをして、ベッドの上のセレンを見下ろした。
一瞬、
セレンが、言いようのない表情をした。その青い瞳に走った光は翳った色――
反論するのでは、なく。
ただ顔を伏せた彼女に、彼は言葉を続けた。
「分かっているんでしょう? 我々の旅に小動物など連れていけば、むしろ動物のほうが危ないんですから。猫のことを思うなら――」
旅に、動物をともとして連れていく旅人自体はそれほど珍しくはない。
それでも、人が集まる場所から少しでも離れれば魔物がはびこる危険地帯が広がるこの世界において、魔物と戦うすべを持たない小動物が旅に加わることは無益でしかないのだ。
それを分かっている上で、連れていく旅人もいる。
動物というものは、傍にいてくれるだけでいいものだと――危険を承知で離れられない人間もいる。
だが、自分らは――
「――猫を連れていくなんて、足手まといになるだけですからね」
きっぱりと彼は言った。
うつむいたままだった彼女が――ふと、呟いた。
「――なによ」
「……何ですか?」
「正論ばっか言ってる人間なんか、私は嫌いだわ……っ」
足手まといだなんてひどいと、セレンは叩きつけるように言ってくる。
「――」
「ひどいのよ! だ、だいたい私別に連れていくなんて言ってないもの! ただかわいいねって、それだけで、だから、」
――だから……
言葉が途切れた。
小猫の背を撫でる指先が、止まったまま震えていた。
「セレン……」
「もう、いいわよ」
投げやりな調子で会話を打ち切ろうとする女を、カミルはやるせない思いで見つめる。
セレンは彼の顔を見ないまま、
もう話さないから
と言った。
何かを言いたい衝動にかられて、カミルは口を開きかけた。と、
……ふいに。セレンの膝の小さな動物が、動いた。
目を覚ましたらしい、ごそごそと体をくねらせ、大きく伸びをし、それから、
なーご
とその背をセレンの腹にこすりつけて鳴いた一声……
「………」
そのまま再び丸くなる小猫を、セレンはずっと見下ろしていた。
やがて、止まっていた指先が動いた。優しく、優しく……小猫の毛並みを愛撫する。
「ほんと……かわい……」
セレンは微笑んだ。
溶けていく何か……
優しげな女の横顔を見つめたまま、けれど青年は心が晴れぬまま立ちつくした。
――彼女の笑みから翳りが消えないことに、気づいていたから。
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