月闇の扉

瑞原チヒロ

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番外編

トキモドリ――4

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 びくん、とラフティの体が震えた。
「……始まったかな」
 シグリィは椅子に座ったまま、ラフティの様子を一瞥してから再び手の上で『トキモドリ』を転がす。
「あ、あのう……」
 不安そうにラフティの父親が声をかけてくる。
「大丈夫なんでしょうか? 息子も、中に入った――という皆さんも」
「大丈夫ですよ」
 シグリィはあっさりとうなずいた。
「うちの連れはあれで相当の腕です。この程度の敵では相手になりません。セザンさんのことを含めても余裕があるでしょうね。それにしても――」
 少年はラフティの手を握ったまま意識を失っている三人を順繰りに見つめて、やがてセザンに目をやった。
「ラフティさんには幼馴染で元恋人のハーベットさんという方がいらっしゃると聞きましたが……今は彼女が恋人ということで。何だか、人の心は不思議に思えますね」
 子供の私には分からないだけでしょうかね――と十四歳のシグリィは苦笑する。
 ああ――とラフティの母親が両手を軽く握り合わせた。
「セザンちゃんはラフティに一生懸命尽くしてくれたから……ハーベットは一緒にいるのが当たり前すぎて、分からなくなったと言っていたわね……でも、セザンちゃんのことは間違いなく好きだって言えるって……言って……」
「旅の薬師様がいらしたのは今から四年ほど前なんですが。その頃はラフティとハーベットに、薬草は扱えないんですが天候読みの手伝いでセザンちゃんが一緒になって薬師様の話を聞いていたんです。その時、ラフティはセザンちゃんに結婚の約束をしたと言っていました」
 懐かしそうにラフティの父親が言った。
「結婚の約束……」
 シグリィはつぶやく。口元に手を当てて。
 でも、とラフティの父は寂しそうに息子の顔を見た。
「この子が過去に戻ってまで会いたがる人物……やはり、ハーベットでしょうか。会いたい会いたいと。あんなに熱心に……」
「会うなら今でも会えるでしょう」
「――かつて、恋人同士だった頃の二人で、ですよ」
「………」
 シグリィはぐっと掌の『トキモドリ』を握り締めた。
 そして顔をラフティの両親に向け、
「話を変えて恐縮ですが、さきほどハーベットさんにお会いした時、ラフティさん――もっと言えばラフティさんのお父様と彼女に同じ系統の青龍の気配がしました。何かお二人の家系には関係があったりはしますか?」
「え?」
「よ、よくお分かりになりますね?」
 ラフティの父親が慌てたように頭に手をやる。シグリィは真顔で二人に向き直り、
「四神の《印》は血筋では決まりませんが、かといってまったく無関係ではありません。血筋によって力が濃くなることもあるし、似たような力を持つこともある。――お二方の家系では?」
「おっしゃる通りです。私の母が、ハーベットの母方の父親……つまりラフティとハーベットははとこですね」
「なるほど」
シグリィはうなずいた。
 ――思わぬところで思わぬ縁がある。そんな縁があってこそ、ラフティとハーベットはより仲良く幼馴染をしていたに違いないと彼は思う。これは意外な展開だ、と、とんとんと、指先で自分のあごをつつきながら。

     ◆◇◆◇◆

 鋭き風に裂かれぬものなし――!
 セレンがあたり一面を薙いだ。とっさにカミルがセザンの目を手で閉ざす。血が飛んだ。きしゃあああと、とても人の声とは思えない音が聞こえてくる。
「……っ目なんか閉じてなくていい!」
 セザンは怒りのままカミルの手を引きはがす。ラフティの過去にハーベットがいた。ラフティがすがっていたのはハーベットだった。ハーベットだった。ハーベットだった。彼が望んでいたのはハーベットとの過去だった。
 渡すものか渡すものか渡すものか渡すものか――
「怒れる我らに抗いし愚かなる者に死を! 滅波!」
 セザンの目が閉ざせないことを知ったセレンが戦法を変えた。彼女自身得意ではない〝滅〟魔術を発動させる。これは成功率がとても低い魔術だが――
 女の姿を取った触手――植物の触手の一部が、それによって溶けるように消えていった。
 カミルはまだ迷っているようだった。揺れる幽霊のような動きでこちらへふらりと近づいてくる触手から出来た女たちに剣を向けて威嚇しながらも――
 しかし、セザンはそんなカミルの心配を一蹴した。
「殺してやる! 殺してやる!」
 彼女は己が駆け出し女の懐に飛び込んだ。シグリィから渡された短剣をぐっと前に押し出す――
 が、
 途中で、彼女は短剣から手を離した。
「あ……あ……?」
 女は腹に短剣をつきたてたままにやりと笑う。血が流れていた。女はそれを自ら抜いた。
 血があふれ出た。驚くほど大量に――
「ひい……っ」
 セザンは両手を口元に当てて悲鳴をあげ、その場にしゃがみこんだ。
 その彼女の目を背後から塞ぎながら、カミルが目の前の女を剣で一閃した。
「何をやってるんです!」
 塞いでいた手をはずし、カミルは主人の短剣を拾いながらセザンを叱咤する。
 セザンはがたがたと震えていた。
「さ……刺した、感触が……怖……怖かっ……」
 カミルが小さく息をつき、セレンが駆け寄ってきてよしよしとセザンの髪を撫でた。
「そりゃ怖いわよ。人間刺したんだもの……そういうのに慣れちゃだめ。だから、怖くていいの」
 私たちみたいなのに任せて――とセレンは言った。
「私たちは、慣れてるから」
「………」
 セザンは濡れた目で二人を見上げた。
「……目を閉じていていいですよ」
 カミルが優しい顔でいい、護りますから、と最後につけたした。
 こくんとセザンはうなずいた。
 ――人間の肉を貫く感触。まだ手から離れない。ただ鶏や豚をさばくだけなら、自分だってしていることなのに。
 彼らはそれに慣れていると言った。
 あんな恐ろしい感触に慣れていると言った。
 けれど、
「護りますから」
 ――その一言を、無条件に信じた。
「風が呼ぶ一陣の嵐を呼ぶそして呼ぶ戦神の業火を!」
 突風が吹き荒れた。その後には全身に染みるような熱さ。ふたつの魔術の合わせ技だろうか。
 きしゃあきしゃあとのたうちまわる触手の――女の気配がする。
 ハーベットの。
 ――ぎゅっと胸がしめつけられた。
 ラフティとハーベットの長い付き合いは知っている。家が向かいだったから。お互い、植物に関することが得意な青龍の家系に生まれていたから。
 気がついたら恋人で、誰もがそう認めていた。
 セザンまでも。
 けれどセザンは、きっと他にも持つものがいたであろうラフティに対する秘めた想いをそのままにできなかった。
 五年前、ラフティに頼み込んで植物について習い始めた。
 どうにも得手不得手というものはあって、セザンにはなかなか植物は扱えなかったのだけれど。それでもセザンの得意な天候読みはラフティにも役立った。それが嬉しかった。
 旅の薬師がラフティに指南していった時も、彼女は邪険にされなかった。一緒に話を聞くことを許してもらった。
 そしてラフティが薬師になることを正式に決心した時に――セザンは言ったのだ。
「じゃあ、その時は私を、あなたを生涯支えるパートナーにして」
 驚いたような顔をしたラフティは、それから微笑んだ。そして、いたずらっぽく小指を差し出してきた。〝ゆびきりげんまん〟。     
 その時の小指がどれだけ熱かったことか。どれだけ震えていたことか。
 セザンは右手の小指をぎゅっと握る。
 約束した。この小指で約束した。笑顔で約束した。
 それなのに、やっぱり彼はハーベットを求めているんだ――
 ぽろぽろと、目から雫があふれ出てきた。止まらない。止められない。
 ――何度目か分からない、大きな魔物の悲鳴が上がった。
「……終わりましたよ」
 カミルの声がして、それからセレンが優しく肩を叩いてくれた気配がして、セザンはゆっくり目を開けた。
 視界はぼんやりしていた。にじんでいた。セザンは袖で涙を拭った。
 カミルが誰かを抱えている。確かめるまでもない、それは気絶したままのラフティだ。過去のラフティだ。……自分を愛してくれないラフティだ。
「過去は……夢」
 セザンはつぶやいた。
「過去は……夢だと思い知らされるものだと思っていたけれど」
「セザン?」
「まさか……過去を知って現在が嘘だと思い知らされるとは思わなかった……」
 くすん、とすすりあげるセザンを、セレンが優しく抱いた。
 そしてラフティを抱えたカミルに向かって手を差し出すと、
「――早く現代に戻りましょ」
 彼女の胸元で、青い宝石のアミュレットが輝き始めていた。
 同時に青年の胸元では赤い宝石のアミュレットが――
 二人は手を重ね合わせた。
 二つの宝石が、輝きをからませた。

 ――来い。

 彼らの主人の呼び声が、聞こえる――
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