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本編
あなたらしくありません。―10
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騎士が意気揚々とわたくしの前に現れたのは、その翌日のこと。
「巫女! やったぞ……!」
大声でそう叫びながら、騎士はわたくしの家の塀を乗り越えようとしました。
わたくしはおもむろにほうきで騎士の眼前を払いました。「うお」騎士は軽くかわすと「危ないじゃないか」と抗議をします。
わたくしは冷静に答えました。
「裏庭の塀を乗り越えようとする不審者に対抗しただけです」
「いや裏を通ったらたまたま巫女の気配がしたのでつい」
「ついじゃありません、ついじゃ!」
修道院にいたときのことをしみじみ思い出します。あのころもこうやって、とんでもないところから現れる彼を追い払おうと苦心していたのです。
そんなに遠い日々のことではないはずなのに、何だか懐かしい。
騎士は塀の上からわたくしに声を投げかけてきました。
「だが今さら正面からは入れん、ここから入るぞ。入ってもいいですか」
「……許可を取るのか取らないのかはっきりしてください」
わたくしはため息をついて「どうぞ」と彼を促しました。
彼は顔を輝かせ、即座に飛び降りてきました。それなりに高い塀なのに軽々と、本当に身軽な人です。
それにしても驚きました。庭の掃除をしていると騎士が現れるのは修道院にいたころ普通のことでしたが、さすがに実家の庭の掃除をしているときにも現れるとは思わなかった。
「巫女! 俺は約束を果たしたぞ……!」
改めて騎士は両手を広げました。
満面の笑みが花開いています。わたくしはそんな彼を、じっと見つめました。
「……倒せたのですね? 魔物を」
「ああ。今回は協力者も多かったんでな、思ったより楽勝だった」
彼の口調を聞いていると、本当に楽勝だったかのように思えます。
(……そんなはずはないでしょうに)
わたくしは騎士に歩み寄りました。
騎士は洞窟からここへ直行したようでした。汚れっぱなしの鎧を身につけ、剣や道具袋を腰にさげたままです。
彼に一歩一歩近づきながら、わたくしは言いました。
「ソラさんもかなりよくなりましたよ。もう動きたがって大変です」
「ソラは医務院にいるのか?」
「いいえ、この家です。わたくしが面倒を看たかったので、引き取らせていただきました」
「巫女がソラの面倒を――? それはあれだな、実の姉妹となるための準備だな!」
「違います」
やがて距離が縮まり、彼と真正面から向き合ったところで、わたくしはもう一度騎士を見上げました。
「巫女?」
背の高い彼。夕焼け色の瞳がきらきらと輝いて、わたくしを見下ろしています。子どものように。
わたくしはしばらく黙って彼を見つめていました。彼のささやかな動作を、じっと。
「巫女、俺は」
騎士の手がわたくしに伸びようとします。
わたくしは、それを制止しました。
「駄目です。手当てが先です」
「手当て?」
「怪我をしていますね、騎士ヴァイス。無理をするのはよくありません」
騎士が目を丸くしました。「よく分かったな」と感嘆の声を上げます。
どこですかと問うと、肩だと彼。
「肩当てが戦闘中に外れてしまってな」
「………」
たしかに、向かって右の肩当てが変形しています。しかも騎士がそこを触ると、簡単に取れてしまいました。中から現れたのは包帯をした肩――。
包帯に血がにじんでいます。わたくしは痛ましく目を細めました。
「……包帯を替えましょう。今替えを持ってきます」
「いいのか?」
「何を今さら遠慮するのですか? ここで待っていてください」
わたくしは家に戻ろうとほうきを壁に立てかけました。
……本当は家に入れてあげるべきなのでしょうが、今家の中では母が友人を呼んでティーパーティー中です。そこに彼を入れようものなら何が起こるか分かりません。
ちなみに父はすでに仕事に戻っていていないので、そこは心配ないのですが。
上着の代わりになるものも持ってこよう。わたくしは妙に急いた気持ちで、その場を離れました。
諸々のものを抱えて裏庭に戻ると、騎士は庭の樹を見上げて楽しげに触ったり叩いたりしていました。冬なので葉はありませんが、ひとつ季節を越すと芳醇な果実を成す樹です。
「何をしているのですか?」
「この樹は古いのだろう?」
「ええ」
「巫女の小さいころも全部見てきたのだろうと思うとな」
そう言って、幹をぺしぺしと叩きます。「いいなあお前は」などと語りかけながら。
「………」
何だか頬が少し熱くなった気がします。わたくしはふるふると顔を振り、熱を逃がそうとしました。
「何だ巫女。何かあったか?」
「いいえ! 包帯を持ってきました。座りましょう」
ちょうどその樹の下に日だまりがありました。わたくしはそこに、騎士を座らせました。
剣と道具袋をはずし鎧を脱ぐと、血と金属と、土のにおいがただよいます。戦いの後とはこういうものなのでしょうか。
鎧の下は薄めの鎖帷子を身につけていました。しかし肩のところは壊れてしまい、包帯も露出しています。
たしか鎖帷子はそれだけで相当の重量があるはずですが、それを鎧と二重に着ているとは、この人は本当に常軌を逸しているようです。
手当てをするのに帷子が邪魔だと思ったのか、騎士は自らそれを脱いでしまいました。
わたくしは赤面しました。その下は肌着なのです。
(き、気にしている場合ではないわ)
そもそも、怪我をした肩の部分の肌着は破れています。包帯は、その肌着を乱雑に避けた上で巻かれていました。
昨夜まで父の手当てで似たような男性の姿を見ているはずなのに――勝手がまるで違う。
落ち着かない気持ちを何とか振り払って、わたくしは手当てに取りかかりました。
包帯だけ巻いて、破れた肌着を放置している騎士。その状態で鎧を着ているのはさぞかし不快だったでしょうに。
包帯をゆっくりはずしている間、騎士はずっと戦いの話をしていました。まるでしゃべってないと落ち着かないかのようです。
「ラケシス殿も活躍していたぞ。いやあさすが噂のハンターだ。なかなかいい腕だ」
「それは良かったです。足手まといにはならなかったのですね?」
「足手まといどころか。うむ、うちのパーティに入ってくれてもいいくらいだな!」
きっと彼にとって最上級の褒め言葉です。わたくしは微笑みました。
包帯をはずし終わると、現れたのは恐ろしい裂傷。思ったより大きな傷です。
「薬をつけますね。リリン草の塗り薬です」
わたくしは家から持ってきた薬を騎士の傷口に丁寧に塗り込んでいきました。
指先に感じる、騎士の肌の熱さ。傷口が持っている熱だけではないような気がします。
……何だか、それだけで胸が騒いでしまう。この気持ちは……。
「リリン草の塗り薬なんか家にあったのか? すごいな、さすが町長の家だ」
騎士は妙な感心の仕方をしました。
それはリリン草の薬、特に塗り薬が非常に高価だということを言っているのでしょう。
わたくしは首を振りました。
「元から家にあったわけではありません。今朝ヨーハン様にいただいたのです」
「……ヨーハンに?」
とたんにむっとした顔になる騎士。わたくしは構わず話を続けました。
「ヨーハン様に教えていただきました。ヨーハン様は昔、あなたがたのパーティの一員だったそうですね?」
「まあ、そうだな」
彼はしぶしぶと話に乗ってくれました。何だか少し、申し訳ないですが――。
ヨーハン様は、アレス様や騎士が冒険を始めたばかりのころの、ごく初期のパーティメンバーだったそうです。
ですが、ヨーハン様の無謀な行動が元で、当時の仲間が一人再起不能になり……
そのときのパーティは結局解散してしまったそう。ヨーハン様はそれをとても後悔していらっしゃいました。
「言っとくがヨーハンが勝手に出て行ったんだぞ。俺やアレスは引き留めたんだ。あいつの知識は十分に活用できるからな」
騎士は身を乗り出すようにして主張しました。
「だがあいつは本当にさっさと自分に見切りをつけるやつでな。それをやめろと昔から言っているんだが、直らん」
ぶすっと口をとがらせます。
わたくしは新しい包帯の用意をしながらそれを聞いていました。
「……わたくしは、ヨーハン様の気持ちが少し分かる気がします。わたくしも『致命傷になる前に去りたい』と、考えてしまいますし」
「そうか?」
騎士は首をかしげました。「巫女はどちらかというと諦めないタイプじゃないのか? 俺はそう思っていたぞ」
「そんなときもたまにあるだけです。逃げたい気持ちのほうが多いくらいですよ。……がっかりしますか?」
「がっかり? どうしてだ?」
本気で理解できないと言いたげにきょとんとする騎士。
わたくしは騎士のその表情を、胸に焼き付けました。
彼の反応に、ほっとしている自分の心ごと。
『時には、致命傷を恐がらない勇気が必要なんですよ』
ヨーハン様は最後にそう言って、悲しげに笑いました。
自分にはまだできないんです、と。
致命傷――命に至る傷。
命を懸けるほどの……勇気。
実際には、人はそんなに簡単に勇気を発揮できません。何より命が大切、それが当たり前なのですから。生存本能は、修道院でもっとも肯定されている概念です。
なのに――世の中にはたやすくその勇気を出す人がいる。
それは例えば、『ご褒美』ひとつのために強力な魔物に立ち向かうこの騎士のように。
「この傷……痕が残りそうですね」
「そうだなあ」
騎士は呑気な返事をします。それがとてももどかしい。
「あなたの体ですよ。もうちょっと真剣に考えてください」
「しかし傷痕ひとつで命は取られん。気にしすぎるのは性に合わない」
「それは……そうですが」
わたくしはぐっと唾を飲み込みました。気迫を込めて騎士をにらむように見、
「……わ、わたくしが、あなたが怪我をしているのを見るのは好きではないと……言ったら?」
「………」
騎士は一瞬、言われた意味が分からなかったようでした。
しかし徐々にその顔が輝き――
「それは俺の裸が見たいということか!?」
「違います!」
あああもう! 本当にこの人はっ!
「と、とにかくですね。傷が早く治ってほしいという話です!」
「本当にそういう話だったのか? どう考えても俺と裸の付き合いをしたいという――」
「言ってません!」
――これじゃ駄目。わたくしは自分に言い聞かせました。
騎士の調子に乗せられては駄目。自分の本心が分からなくなってしまう。
決心が、くじけてしまう。
今までのように――認めるのが恐くて逃げるのは、もう止めようと決めたのに。
ひょんなことから、『強さ』に苦手意識を持っていた理由を思い出すことができました。
そして、もう大丈夫と思いました。男性たちとも向き合っていける、と。
でもひとつだけ答が出ていなかった。どうしてもしっくりこない、騎士への思い。
自分はこの人を、結局どう思っているのか――
わたくしは巻き直した包帯に触れ、そっと騎士の肩を撫でてみました。
騎士は目を細めて心地よさそうにしていました。この寒い時期に肌着姿で外にいさせられている、それなのに文句ひとつ言うことはない人。
わたくしなどのために、魔物と戦うと簡単に言ってしまえる人……
そのことに戸惑い、信じられず、ずっと今まで過ごしていました。
彼に惹かれる自分を素直に認めることができず、心を偽ってきました。
彼は『強さ』の象徴だった。恐怖であり、憧れだった。それは……本当のこと。
でも……何かあるたびに揺り動かされるこの思いは、もうそれだけじゃない。
原因なんて分かりません。直接のきっかけさえ、なかったに違いありません。
それでも生まれてしまった感情が。
彼は自分にとって『例外な男性』だと分かっていた、そのときにはもう――。
引き返せないところまで、進んでいたのでしょう。
わたくしは用意していた上着を騎士の肩にかけました。
そして――そっと騎士に身を寄せ、包帯を巻いた肩口に口づけを落としました。
「………、巫女?」
騎士の呆然とした声が聞こえます。
恥ずかしくて顔を見ることができず、わたくしはうつむきました。
「……その、おまじないです。傷が治るように……」
嘘。そんなの後付けです。
本当は体が自然に動いてしまっただけ。理由なんかないのです。
全身が炎にあぶられるように熱くなってくる――。ドキドキと、心臓が大きくなっていく。
するんじゃなかったと後悔する気持ちと、騎士の反応を知りたい気持ちとで、心の中が嵐のように乱れます。
騎士は――。
そんなわたくしを、やにわに抱きしめました。
土のにおいがいっそう近くなる。彼の、勇ましさの象徴。
「巫女。……アルテナ」
名前を呼ばれればつんと目の奥に何かがこみあげます。なぜ今、泣きたくなるのでしょう?
騎士はわたくしの首筋に顔をうずめ、肌に唇を這わせました。くすぐったいような感覚が、わたくしの背筋を駆け抜けていく――。
触れる吐息が、熱い。
「アルテナ。約束のご褒美をもらってもいいか?」
強く抱きしめられ、耳元で囁かれ……
頭の中がぼうと熱に浮かされていくのを、わたくしは感じていました。
心地いい。流されたい。
……今まではそんなことを考える自分が弱く思えて、この気持ちをごまかしてきたけれど。
もう、いい。嘘をついたままでは大切なことを見失う。わたくしは彼に抱きしめられるのが好き。
――彼のことが、好き。
「……あなたらしくありません、ヴァイス様」
声が震えていた。でも、きっと彼は知らんふりしてくれる。
「考える隙なんか、与えないで」
いつものように強引に、わたくしから奪っていって。
今なら全部差し出せる。不安で見せられなかった全てを、あなたに。
くいとあごを上げさせられて、気がつけば彼の夕日の瞳が目の前にありました。
彼は、ヴァイス様は、ふわりと微笑んで――
重なった唇は優しかった。ささやかに下唇を吸われると、体の奥底がじんとうずきました。
リズムの速い呼吸が徐々に絡まり、交換する吐息が深くなる。熱い舌先がわたくしの唇をなぞり、するりと中へ入り込んでくる。
頬を撫でられるときゅうと胸が締め付けられました。舌を絡めれば、いっそう熱くなる体。
わたくしは逃げませんでした。何もかもを任せました。きっと何が起ころうとも、恐いことは何もない――。
「―――っ」
はっと騎士が顔を上げました。「誰か来る」
わたくしを抱きしめたまま、見やるのは家の表の方角。
「誰か……?」
わたくしはぼんやりと応えました。体がうまく動かず、彼にもたれかかったまま。
「今の声は――巫女のお父上か?」
「!!」
はたして騎士の言葉は当たっていました。
「アルテナ! ここにいたのか」
わざわざわたくしを捜しに来たらしい父は、わたくしの隣に騎士がいるのを見てたいそう驚いたようでした。もちろんそのときにはもう、抱き合ってはいなかったのですが。
「お父様、どうしたの? まだお仕事の最中でしょう?」
「いや、今日は早退させてもらった。職員が体調を心配するのでな」
「素晴らしい部下をお持ちですな」
騎士がそんなことを言い、父は渋面を作ります。「なぜ君が……」とぶつぶつ言っていますが、腹巻きは今日もしているのでしょうか。
「いやそんなことより。アルテナ、大変なことになったぞ」
「大変なこと……?」
わたくしは眉をひそめました。父がこんなに取り乱すのは珍しいことです。
よっぽどのことが起こった――?
星祭りだったんだ、と父は言いました。
「昨夜が星祭りだったんだ、王都では」
「え? 明日ではなかったのですか?」
「今回は色々狂ったらしい。王都の連中の考えることなど知らんが」
父の言葉はどことなく投げやり。王都への敵愾心は日に日に増しているようです。
とにかく、と父は口を開きました。王都で起こった、重大な出来事を早口に――。
「星の託宣が、今回も下ったそうだ。『半年以内に、再び魔王が現れる』――と」
「巫女! やったぞ……!」
大声でそう叫びながら、騎士はわたくしの家の塀を乗り越えようとしました。
わたくしはおもむろにほうきで騎士の眼前を払いました。「うお」騎士は軽くかわすと「危ないじゃないか」と抗議をします。
わたくしは冷静に答えました。
「裏庭の塀を乗り越えようとする不審者に対抗しただけです」
「いや裏を通ったらたまたま巫女の気配がしたのでつい」
「ついじゃありません、ついじゃ!」
修道院にいたときのことをしみじみ思い出します。あのころもこうやって、とんでもないところから現れる彼を追い払おうと苦心していたのです。
そんなに遠い日々のことではないはずなのに、何だか懐かしい。
騎士は塀の上からわたくしに声を投げかけてきました。
「だが今さら正面からは入れん、ここから入るぞ。入ってもいいですか」
「……許可を取るのか取らないのかはっきりしてください」
わたくしはため息をついて「どうぞ」と彼を促しました。
彼は顔を輝かせ、即座に飛び降りてきました。それなりに高い塀なのに軽々と、本当に身軽な人です。
それにしても驚きました。庭の掃除をしていると騎士が現れるのは修道院にいたころ普通のことでしたが、さすがに実家の庭の掃除をしているときにも現れるとは思わなかった。
「巫女! 俺は約束を果たしたぞ……!」
改めて騎士は両手を広げました。
満面の笑みが花開いています。わたくしはそんな彼を、じっと見つめました。
「……倒せたのですね? 魔物を」
「ああ。今回は協力者も多かったんでな、思ったより楽勝だった」
彼の口調を聞いていると、本当に楽勝だったかのように思えます。
(……そんなはずはないでしょうに)
わたくしは騎士に歩み寄りました。
騎士は洞窟からここへ直行したようでした。汚れっぱなしの鎧を身につけ、剣や道具袋を腰にさげたままです。
彼に一歩一歩近づきながら、わたくしは言いました。
「ソラさんもかなりよくなりましたよ。もう動きたがって大変です」
「ソラは医務院にいるのか?」
「いいえ、この家です。わたくしが面倒を看たかったので、引き取らせていただきました」
「巫女がソラの面倒を――? それはあれだな、実の姉妹となるための準備だな!」
「違います」
やがて距離が縮まり、彼と真正面から向き合ったところで、わたくしはもう一度騎士を見上げました。
「巫女?」
背の高い彼。夕焼け色の瞳がきらきらと輝いて、わたくしを見下ろしています。子どものように。
わたくしはしばらく黙って彼を見つめていました。彼のささやかな動作を、じっと。
「巫女、俺は」
騎士の手がわたくしに伸びようとします。
わたくしは、それを制止しました。
「駄目です。手当てが先です」
「手当て?」
「怪我をしていますね、騎士ヴァイス。無理をするのはよくありません」
騎士が目を丸くしました。「よく分かったな」と感嘆の声を上げます。
どこですかと問うと、肩だと彼。
「肩当てが戦闘中に外れてしまってな」
「………」
たしかに、向かって右の肩当てが変形しています。しかも騎士がそこを触ると、簡単に取れてしまいました。中から現れたのは包帯をした肩――。
包帯に血がにじんでいます。わたくしは痛ましく目を細めました。
「……包帯を替えましょう。今替えを持ってきます」
「いいのか?」
「何を今さら遠慮するのですか? ここで待っていてください」
わたくしは家に戻ろうとほうきを壁に立てかけました。
……本当は家に入れてあげるべきなのでしょうが、今家の中では母が友人を呼んでティーパーティー中です。そこに彼を入れようものなら何が起こるか分かりません。
ちなみに父はすでに仕事に戻っていていないので、そこは心配ないのですが。
上着の代わりになるものも持ってこよう。わたくしは妙に急いた気持ちで、その場を離れました。
諸々のものを抱えて裏庭に戻ると、騎士は庭の樹を見上げて楽しげに触ったり叩いたりしていました。冬なので葉はありませんが、ひとつ季節を越すと芳醇な果実を成す樹です。
「何をしているのですか?」
「この樹は古いのだろう?」
「ええ」
「巫女の小さいころも全部見てきたのだろうと思うとな」
そう言って、幹をぺしぺしと叩きます。「いいなあお前は」などと語りかけながら。
「………」
何だか頬が少し熱くなった気がします。わたくしはふるふると顔を振り、熱を逃がそうとしました。
「何だ巫女。何かあったか?」
「いいえ! 包帯を持ってきました。座りましょう」
ちょうどその樹の下に日だまりがありました。わたくしはそこに、騎士を座らせました。
剣と道具袋をはずし鎧を脱ぐと、血と金属と、土のにおいがただよいます。戦いの後とはこういうものなのでしょうか。
鎧の下は薄めの鎖帷子を身につけていました。しかし肩のところは壊れてしまい、包帯も露出しています。
たしか鎖帷子はそれだけで相当の重量があるはずですが、それを鎧と二重に着ているとは、この人は本当に常軌を逸しているようです。
手当てをするのに帷子が邪魔だと思ったのか、騎士は自らそれを脱いでしまいました。
わたくしは赤面しました。その下は肌着なのです。
(き、気にしている場合ではないわ)
そもそも、怪我をした肩の部分の肌着は破れています。包帯は、その肌着を乱雑に避けた上で巻かれていました。
昨夜まで父の手当てで似たような男性の姿を見ているはずなのに――勝手がまるで違う。
落ち着かない気持ちを何とか振り払って、わたくしは手当てに取りかかりました。
包帯だけ巻いて、破れた肌着を放置している騎士。その状態で鎧を着ているのはさぞかし不快だったでしょうに。
包帯をゆっくりはずしている間、騎士はずっと戦いの話をしていました。まるでしゃべってないと落ち着かないかのようです。
「ラケシス殿も活躍していたぞ。いやあさすが噂のハンターだ。なかなかいい腕だ」
「それは良かったです。足手まといにはならなかったのですね?」
「足手まといどころか。うむ、うちのパーティに入ってくれてもいいくらいだな!」
きっと彼にとって最上級の褒め言葉です。わたくしは微笑みました。
包帯をはずし終わると、現れたのは恐ろしい裂傷。思ったより大きな傷です。
「薬をつけますね。リリン草の塗り薬です」
わたくしは家から持ってきた薬を騎士の傷口に丁寧に塗り込んでいきました。
指先に感じる、騎士の肌の熱さ。傷口が持っている熱だけではないような気がします。
……何だか、それだけで胸が騒いでしまう。この気持ちは……。
「リリン草の塗り薬なんか家にあったのか? すごいな、さすが町長の家だ」
騎士は妙な感心の仕方をしました。
それはリリン草の薬、特に塗り薬が非常に高価だということを言っているのでしょう。
わたくしは首を振りました。
「元から家にあったわけではありません。今朝ヨーハン様にいただいたのです」
「……ヨーハンに?」
とたんにむっとした顔になる騎士。わたくしは構わず話を続けました。
「ヨーハン様に教えていただきました。ヨーハン様は昔、あなたがたのパーティの一員だったそうですね?」
「まあ、そうだな」
彼はしぶしぶと話に乗ってくれました。何だか少し、申し訳ないですが――。
ヨーハン様は、アレス様や騎士が冒険を始めたばかりのころの、ごく初期のパーティメンバーだったそうです。
ですが、ヨーハン様の無謀な行動が元で、当時の仲間が一人再起不能になり……
そのときのパーティは結局解散してしまったそう。ヨーハン様はそれをとても後悔していらっしゃいました。
「言っとくがヨーハンが勝手に出て行ったんだぞ。俺やアレスは引き留めたんだ。あいつの知識は十分に活用できるからな」
騎士は身を乗り出すようにして主張しました。
「だがあいつは本当にさっさと自分に見切りをつけるやつでな。それをやめろと昔から言っているんだが、直らん」
ぶすっと口をとがらせます。
わたくしは新しい包帯の用意をしながらそれを聞いていました。
「……わたくしは、ヨーハン様の気持ちが少し分かる気がします。わたくしも『致命傷になる前に去りたい』と、考えてしまいますし」
「そうか?」
騎士は首をかしげました。「巫女はどちらかというと諦めないタイプじゃないのか? 俺はそう思っていたぞ」
「そんなときもたまにあるだけです。逃げたい気持ちのほうが多いくらいですよ。……がっかりしますか?」
「がっかり? どうしてだ?」
本気で理解できないと言いたげにきょとんとする騎士。
わたくしは騎士のその表情を、胸に焼き付けました。
彼の反応に、ほっとしている自分の心ごと。
『時には、致命傷を恐がらない勇気が必要なんですよ』
ヨーハン様は最後にそう言って、悲しげに笑いました。
自分にはまだできないんです、と。
致命傷――命に至る傷。
命を懸けるほどの……勇気。
実際には、人はそんなに簡単に勇気を発揮できません。何より命が大切、それが当たり前なのですから。生存本能は、修道院でもっとも肯定されている概念です。
なのに――世の中にはたやすくその勇気を出す人がいる。
それは例えば、『ご褒美』ひとつのために強力な魔物に立ち向かうこの騎士のように。
「この傷……痕が残りそうですね」
「そうだなあ」
騎士は呑気な返事をします。それがとてももどかしい。
「あなたの体ですよ。もうちょっと真剣に考えてください」
「しかし傷痕ひとつで命は取られん。気にしすぎるのは性に合わない」
「それは……そうですが」
わたくしはぐっと唾を飲み込みました。気迫を込めて騎士をにらむように見、
「……わ、わたくしが、あなたが怪我をしているのを見るのは好きではないと……言ったら?」
「………」
騎士は一瞬、言われた意味が分からなかったようでした。
しかし徐々にその顔が輝き――
「それは俺の裸が見たいということか!?」
「違います!」
あああもう! 本当にこの人はっ!
「と、とにかくですね。傷が早く治ってほしいという話です!」
「本当にそういう話だったのか? どう考えても俺と裸の付き合いをしたいという――」
「言ってません!」
――これじゃ駄目。わたくしは自分に言い聞かせました。
騎士の調子に乗せられては駄目。自分の本心が分からなくなってしまう。
決心が、くじけてしまう。
今までのように――認めるのが恐くて逃げるのは、もう止めようと決めたのに。
ひょんなことから、『強さ』に苦手意識を持っていた理由を思い出すことができました。
そして、もう大丈夫と思いました。男性たちとも向き合っていける、と。
でもひとつだけ答が出ていなかった。どうしてもしっくりこない、騎士への思い。
自分はこの人を、結局どう思っているのか――
わたくしは巻き直した包帯に触れ、そっと騎士の肩を撫でてみました。
騎士は目を細めて心地よさそうにしていました。この寒い時期に肌着姿で外にいさせられている、それなのに文句ひとつ言うことはない人。
わたくしなどのために、魔物と戦うと簡単に言ってしまえる人……
そのことに戸惑い、信じられず、ずっと今まで過ごしていました。
彼に惹かれる自分を素直に認めることができず、心を偽ってきました。
彼は『強さ』の象徴だった。恐怖であり、憧れだった。それは……本当のこと。
でも……何かあるたびに揺り動かされるこの思いは、もうそれだけじゃない。
原因なんて分かりません。直接のきっかけさえ、なかったに違いありません。
それでも生まれてしまった感情が。
彼は自分にとって『例外な男性』だと分かっていた、そのときにはもう――。
引き返せないところまで、進んでいたのでしょう。
わたくしは用意していた上着を騎士の肩にかけました。
そして――そっと騎士に身を寄せ、包帯を巻いた肩口に口づけを落としました。
「………、巫女?」
騎士の呆然とした声が聞こえます。
恥ずかしくて顔を見ることができず、わたくしはうつむきました。
「……その、おまじないです。傷が治るように……」
嘘。そんなの後付けです。
本当は体が自然に動いてしまっただけ。理由なんかないのです。
全身が炎にあぶられるように熱くなってくる――。ドキドキと、心臓が大きくなっていく。
するんじゃなかったと後悔する気持ちと、騎士の反応を知りたい気持ちとで、心の中が嵐のように乱れます。
騎士は――。
そんなわたくしを、やにわに抱きしめました。
土のにおいがいっそう近くなる。彼の、勇ましさの象徴。
「巫女。……アルテナ」
名前を呼ばれればつんと目の奥に何かがこみあげます。なぜ今、泣きたくなるのでしょう?
騎士はわたくしの首筋に顔をうずめ、肌に唇を這わせました。くすぐったいような感覚が、わたくしの背筋を駆け抜けていく――。
触れる吐息が、熱い。
「アルテナ。約束のご褒美をもらってもいいか?」
強く抱きしめられ、耳元で囁かれ……
頭の中がぼうと熱に浮かされていくのを、わたくしは感じていました。
心地いい。流されたい。
……今まではそんなことを考える自分が弱く思えて、この気持ちをごまかしてきたけれど。
もう、いい。嘘をついたままでは大切なことを見失う。わたくしは彼に抱きしめられるのが好き。
――彼のことが、好き。
「……あなたらしくありません、ヴァイス様」
声が震えていた。でも、きっと彼は知らんふりしてくれる。
「考える隙なんか、与えないで」
いつものように強引に、わたくしから奪っていって。
今なら全部差し出せる。不安で見せられなかった全てを、あなたに。
くいとあごを上げさせられて、気がつけば彼の夕日の瞳が目の前にありました。
彼は、ヴァイス様は、ふわりと微笑んで――
重なった唇は優しかった。ささやかに下唇を吸われると、体の奥底がじんとうずきました。
リズムの速い呼吸が徐々に絡まり、交換する吐息が深くなる。熱い舌先がわたくしの唇をなぞり、するりと中へ入り込んでくる。
頬を撫でられるときゅうと胸が締め付けられました。舌を絡めれば、いっそう熱くなる体。
わたくしは逃げませんでした。何もかもを任せました。きっと何が起ころうとも、恐いことは何もない――。
「―――っ」
はっと騎士が顔を上げました。「誰か来る」
わたくしを抱きしめたまま、見やるのは家の表の方角。
「誰か……?」
わたくしはぼんやりと応えました。体がうまく動かず、彼にもたれかかったまま。
「今の声は――巫女のお父上か?」
「!!」
はたして騎士の言葉は当たっていました。
「アルテナ! ここにいたのか」
わざわざわたくしを捜しに来たらしい父は、わたくしの隣に騎士がいるのを見てたいそう驚いたようでした。もちろんそのときにはもう、抱き合ってはいなかったのですが。
「お父様、どうしたの? まだお仕事の最中でしょう?」
「いや、今日は早退させてもらった。職員が体調を心配するのでな」
「素晴らしい部下をお持ちですな」
騎士がそんなことを言い、父は渋面を作ります。「なぜ君が……」とぶつぶつ言っていますが、腹巻きは今日もしているのでしょうか。
「いやそんなことより。アルテナ、大変なことになったぞ」
「大変なこと……?」
わたくしは眉をひそめました。父がこんなに取り乱すのは珍しいことです。
よっぽどのことが起こった――?
星祭りだったんだ、と父は言いました。
「昨夜が星祭りだったんだ、王都では」
「え? 明日ではなかったのですか?」
「今回は色々狂ったらしい。王都の連中の考えることなど知らんが」
父の言葉はどことなく投げやり。王都への敵愾心は日に日に増しているようです。
とにかく、と父は口を開きました。王都で起こった、重大な出来事を早口に――。
「星の託宣が、今回も下ったそうだ。『半年以内に、再び魔王が現れる』――と」
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