暁の姫

瑞原チヒロ

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プロローグ

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 ファスティス大陸の内陸、小さな土地にその国はあった。
 ティエラ王国――
 資源も豊富ではない、あまり恵まれていないその土地で、しかし彼らが笑顔を絶やさずにいたのは、彼らに奇跡の力が与えられていたからだ。
 願いは形となり、祈りは紡がれ、石に姿を変え。
 石は人々の想いに応えて、輝きを落とす。希望という名の。

 すべての願いを形にするこの国は不滅だと、そう高言する者たちもいる。けれどそれが当たり前となったその中で、すべてを救う願いを一体誰が願いうるというのだろう?
 奇跡と愚は紙一重だと、知っている者がもしもいるのなら、問おう。何を願うのかと……

      ■■■■■

 忘れもしない。それは六歳の誕生日のこと。 
 枕に顔をうずめて泣いていた。ずっとずっと泣いていた。 
 大切に飼っていた小鳥のティエラが死んでしまったから。 
 家族は、彼女のために盛大なパーティをもよおそうとしていた。パーティは夕方からだ。用意をしましょう姫様ここを開けてくださいと、侍女がうるさくドアを叩いていた。 
 わずらわしかった。邪魔だった。パーティなんかどうでもいい、自分にとって今重要なのはティエラが死んでしまったこと、それだけ。 
 ティエラ。この国の名をつけた小鳥は、彼女が三歳の頃から一緒だった。よく懐いて、一緒に遊んだ。人間の言葉が分かるのかと思うほど、意思の疎通が可能だった。 
 それが突然、動かなくなってしまって。 
 何度呼んでもさえずらない。揺り動かしても反応しない。 
 自分の小さい両の掌に乗せると、冷たくて硬くて。まるで石になってしまったようでぞっとした。 
 石。それはこの国では歓迎されるもの。 
 そう、歓迎されるもの。 
 けれど、ティエラは違った。石になってしまって、自分に悲しみをもたらした。 
 まだ学校に通わせてもらえる歳ではなかった自分にとって、誰よりも何よりも身近で、家族であってまた友達であって。 
「姫様、シャール様。ここを開けてください」 
 乳兄妹の声がした。寝室のドア。外側からも開けられる鍵を開けられないように細工したのは自分自身だ。 
 どうやって?――紡石ピエトラを使えば簡単なことだ。小さな紡石ピエトラで鍵穴に細工した。これで誰も入ってこない。 
 誰もいらない。ティエラ以外いらない。 
 帰ってきてほしいのはティエラだけ。 
 しゃべってほしいのはティエラだけ。 
 傍に、 
 いてほしいのは、ティエラだけ。 

 あなたは、とても素晴らしい生成者ね。シャール――
 ふと、母の声が胸によみがえった。
 せいせいしゃ。ねがえば、いのれば、それを形にできる当たり前のこと。

 思い出すなり、自分は泣くのをやめた。ベッドの上に座り込み、紫のビロードの布の上に寝かせていたティエラを膝に乗せた。 
 そして、その上に――掌をかざした。 
 一瞬、ひやっと背筋に冷たい何かが走ったけれど。
 一生懸命祈る。 
 一生懸命願う。 
 もう他には何もいらないからと、幼い心は一心に友の帰りだけを夢見て。 
 ――両の掌が発光した。 
 光は収束し、糸のように細くなった。そしてまるで蚕が繭を作るかのように、くるくると絡まり始めた。 
 じっとりと額に汗をかいた。鍵穴を潰した石に続き、今日二度目の石紡ぎ。精神力を使うこの技は、幼い彼女にはまだ荷が重い。それでも祈り、願う心はやまず。 
 やがて―― 
 繭のように、光の糸が紡がれて、それは楕円形の親指ほどの輝く石となった。 
 紡石ピエトラ―― 
 ティエラ人のみが紡ぐことのできる、奇跡の石。 
 ぼんやりと輪郭がほの白く発光しているその石を、ティエラの遺体の上にのせた。すると光は広がって、ティエラの体の表面を這うように進み、やがてティエラの体全体を包み込んだ。 
 帰ってきて 
 そう、ささやいた。 
 するとほの白い光に包まれた小鳥はぴくんと体を跳ねさせて。 
 彼女は歓喜した。ティエラ、と呼びかけた。一声、かすかな鳴声が返ってきた。ああ―― 
 ティエラ、ティエラ、ティエラ、 
 喜びのままに、小鳥を胸に抱きしめた。 
 けれどその瞬間。 
 すっ――と、体の奥底から何かが抜け落ちたような感覚に襲われて、彼女は体を硬直させた。 
 何かが消えた。何か大切なものを、失った。そんな気がした。 
 ――愚かなことをしましたね。 
 ふいに誰かの声。きょろきょろと寝室を見回したけれど誰もいない。 
 ――生き返らせてくれてありがとう。 
 続いてそんな言葉が聞こえたとき、驚愕でのどが引きつった。もう少しで悲鳴を上げるところだった。 
 胸に抱いていた小鳥の、丸い瞳が間違いなく自分を見ていた。 
 ――けれどこれも儚い夢。 
 声は続ける。それは信じられない事態。 
 ――わたしは、すぐにまた死ぬ。 
 死。 
 その言葉に反応して、激しく頭を振った。いやだと叫んだ。いかないでとすがるように言いつのった。 
 しかし声は冷たく悲しく。 
 彼女を見る丸い瞳も哀れみに満ちて。 
 ――こんなことをしなければ、 
 何をしなければ? 
 ――あなたも、こんなことにはならなかったでしょうに。 
 私が、どんなことに……? 
 ――わたしのかわいい姫。どうか、心を閉ざさないで。 
 最後の言葉はとても優しく。 
 さようなら、と囁くような声が聞こえた。 
 小鳥を包んでいた光が消えていく。 
 彼女は悲鳴を上げた。いやあと泣き叫んで、友を揺さぶった。冷たくなっていく。硬くなっていく。また、石に戻っていく。 
 涙が頬を伝ってとまらなかった。ぽたぽたと、石のようになった友の羽に降りかかった。 
 どうして行ってしまうの、私をひとりにするの 
 どれだけ嘆いても、現実は変わらなくて―― 

「シャール様! お願いです、開けてください……!」 

 乳兄妹の必死の声。 
 ――彼女は、友をビロードの布の上に寝かせ直した。 
 そして、壊した鍵を直しにいった。 
 ドアを開けると、ほっとしたような乳兄妹の顔。しかし彼の顔はすぐに凍りついた。 
 なぜ彼がそんな顔をするのか分からず、六歳になったばかりの幼き彼女はにっこりと微笑んでみせた。 
 自分がぼろぼろと大量の涙を流していることにも気づかずに――。 

 窮屈な新品のドレスに着替え、誕生日パーティの主賓として大広間へと向かう。 
「待ちくたびれたぞ、シャール」 
 父が言い、母は娘の顔を見てすぐさま娘を抱きしめた。……母は、ティエラが死んだことを知っていた。
「かわいそうにシャール。……どうか、気晴らしになりますように」 
 ――気晴らしになどなるはずがないのに。 
 父と母の間にちょこんと座り、前菜が並べられるのをぼんやりと見ていた。 
 飲み物が一同のグラスに注がれ、 
「我が娘、シャールコーラルの六歳の日を祝して」 
 乾杯と父が言った。 
 みながグラスを持ち上げた。兄たち、乳兄妹たち、側近たち。 
 ただ一人主賓の少女だけが、グラスを手にすることもなくて。 
 うつむいていた彼女の柔らかい金髪を、母が優しくなでていた。 
 ――大きな、高いケーキが運ばれてきた。甘いものが好きな一人娘のために、特別にあつらえたものだ。 
 少しだけ、幼き彼女の表情が和らいだ。クリームの甘い香りとフルーツの爽やかな香りは、悲しみを溶かす薬。 
「シャール」と父が呼んだ。 
「久しぶりに、私の前で紡石ピエトラを紡いでみせてくれんか」 
 父はにこやかだった。当然だ、四人いる子供たちの中で、一人娘たる彼女が一番、紡石(ピエトラ)の生成がうまかったのだから。 
 父の自慢だったのだ。国一番とさえ言われる王族の一人娘。 
「何を……願いましょうか」 
 ここに来てから初めて、彼女は言葉を発した。 
「そうだな。このケーキが輝くように。これなら簡単でいいだろう」 
「……はい」 
 大人しくうなずいて、彼女は胸の前で両の掌を向き合わせる。 
 願う。願いこそが光を紡ぐ。心を紡ぐ。 
 繭となって、石となって。 
 それは、形となるはずだった。 
 しかし―― 
「………?」 
 誰もがだんだんと不安になった。幼き彼女の掌からは、いつまで経っても光が生まれなかったから。 
 そして誰よりも焦っていたのは、彼女自身だった。 
 なぜ? どうして? 今日はもう三回も紡石ピエトラを紡いでいるから? でもケーキを輝かせるなんて願い、形にするのは簡単なはずなのに、難しくないはずなのに。 
 ふいに石のようになったティエラの冷たい感触がよみがえってきた。鮮明に。 
 掌が震えた。 
 頭を振った。嫌な汗が流れ落ちて、傍らにいた侍女がナプキンで彼女の額をそっと拭った。 
 願った。願い続けた。やり方に間違いはなかったはずだ。 
 けれど―― 
 それはついに、叶うことはなかった。 

 忘れもしない、それは六歳の誕生日のこと。 
 石になったティエラ。 
 紡石ピエトラを生み出せなくなった自分。
 大切な友と、ティエラ人の誇りを同時に失った、辛すぎるあの日のこと――
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