女神の心臓

瑞原チヒロ

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第二話 記憶は水鏡に映して

第一章 3

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「――その五種類全部。大きめの花束にしてくれ」
「かしこまりました。精霊宿りでよろしいですか?」
「いや、精霊はいらない」
「でもお客さま、女性への贈り物には精霊宿りの方が――」
「いい。絶対になしで頼む」
 客の強い口調に、花屋の店員は小首をかしげながらも「承知しました」と引き受けた。
 ゼーレの中央道に並ぶ商店。その中でも花屋は、敷地もそこそこ、従業員数もそこそこ、賑わっている店のひとつだ。
 と言っても、あいにくの雨で今日はがらがら――
 否。トリバーが何気なく視線を送る店内のあちこちに、いくつもの小さな気配がある。詳しく言えば、この店に並ぶたくさんの花たちの陰でちょろちょろしている“人型”がいるのだが、それらの存在はトリバーにとってとりたてて不快なものではなかった。
 トリバー・シェリオットは雨が大嫌いである。それはもう、問答無用で嫌いである。雨なんぞ消え去れ、と考えるほど乱暴な思考回路は持ち合わせていないが、雨が降ればいつもの九割増し外に出なくなる。そもそも普段も引きこもりがちなのだから、これはもうほぼ百パーセントだ。
 だが、今日はどうしても外に出なくてはいけなかった。
 この花屋をはじめ、回りたい店は基本的に客が多い店だ。雨の日でもなければ混雑して、人ごみの嫌いなトリバーとしては不要の苛立ちを強いられなくてはならない。だから多少天気の悪い日や、その他ゼーレの住民の動きが鈍くなる日を待っていたのだ。
 今日の天候は前々から分かっていた。彼の友人――というか、腐れ縁というか、気持ちとしては赤の他人なのに運命が寝ぼけて間違って二人の人生を重ねてしまったというか――は有能な予報士の役割も果たしてくれる。
 客がいないのはありがたい。それでも立ち振る舞いがどことなく落ち着かないのは、常日頃自分の体の一部となっている本の類を、今は一切身につけていないからだ。ふとした瞬間にいつもの癖で本を触ろうとしては手が空を撫で、軽く苛立つのを繰り返すというのが雨の日の彼の困った日常である。ちなみにそんなときに問題の友人、アークが傍にいようものなら理不尽な八つ当たりをすることになる――もちろんアークも倍くらいの勢いで盛大にやり返してくるのだが。
「ご注文、繰り返させて頂きます。ポインセチアにスノーフレーク、スノードロップ、プリムラ、セントポーリア。お届け先はベルティストンの――」
 店員が丁寧に注文用紙を読み上げていく。
 それを耳で聞きながら、トリバーは何気なく店内を見渡す。
 人工栽培の品が多いこの店では、季節外れの花も多い。冬のこの時期でも、まるでここだけ春が来たかのように色鮮やかな品ぞろえだ。トリバーの故郷では花屋は男性が来る店だったが、ゼーレでは女性が来ることの方が多いらしかった。女性たちはもちろん美しい花たちが目当てでもあり、またその陰でちょこまかと動く存在目当てでもある。
 それらは、属性としては地属性として見なされている――地霊ヒューレは一般的にずんぐりむっくりの小人だが、全てがそうではなかった。大地に芽を出す花々の精霊は、平均して大人の掌ほどのサイズの、愛らしい姿をした小人である。花の周囲をちょこまかと動き、まるで小動物のように見ていて飽きない……と、女性はよく言う。おまけに、人間が触ることも可能だ。ただしあまり花から引き離すと実体を保てず消滅してしまうのだが。
 トリバーはふと傍らの青紫の小さな花に目を留めた。
 そこにいた小さな少年が、片手を己の花の茎に、もう片手の人差し指を子供のように唇に当てながら、好奇心にきらめく目でトリバーを見上げている。
 視線がぶつかると、ニヤァと悪戯っ子の笑みを浮かべ、ひょいとトリバーに背中を向けて“お尻ぺんぺん”をした。
「………」
 トリバーは見なかったことにした。何かもうこの店の花全てを見るのが嫌になってきたので、大きく取られた窓に視線を移すことにする。
 窓の外には、雨の日特有の灰色が低くまで垂れこめていた。人々がまだ忙しい夕方少し前の時間帯だというのに、窓から見える広い中央道には人がほとんど通っていなかった。雨と寒さの二重攻撃対策として、街人たちは家にこもることを選んだらしい。元々この街では、雨に濡れることを厭う者は比較的少ないはずなのだが――
(まあ、それだけ今日の天気が珍しいということだな)
 過去のデータを見る限り特別“異常気象”というわけでもない。『ゼルトザム・フェー』の貴重な客の世間話によると、五年ぶりらしい。まあ、五年も前の話ではほとんど覚えていない者がいてもおかしくはない。
「――精霊宿りではないもので――」
「ああ。絶対にな」
「はあ。ではお会計は――」
 不思議そうな面持ちのまま、店員は金額を述べる。
 “精霊宿り”と呼ばれる花にしない場合、金額は安くなる。だが現状、“精霊宿り”にしない者は滅多にいない。
 ――この店員は花屋で働き始めてからまだ日が浅いな。
 トリバーはそう思った。
 だが、だからと言って何をする気になるわけでもなかった。店員の反応は完全無視で代金を支払い、店員が処理を終えるのを待つ――
「説明しないのかい?」
 唐突に、傍らから声が湧いた。「きっと誤解されているよ。ケチな男だ、なんてね」
 ひそめた声に含み笑いの気配。
 トリバーは半眼になった。横を見やることなく、険悪な声音で呟く。
「……どこから湧いた、この芥虫あくたむし
「失敬な。大体ゼーレに芥虫はいないよ?」
「その通りこの街はアンタの居場所じゃないからさっさと出て行けという意味だ」
「つれないねえ。芥虫はネズミのように病気を運ばないから危険ではないじゃないか。みんな外見の気味悪さで決めすぎだね」
「芥虫。残飯どころか椀もかじる。あらゆるものを喰う。おまけに寝ている人間の体も齧る。まさしくあんたそのものだな――殺虫されたくなけりゃさっさとどっかへ行け」
「ひどいなあ」
 隣の男がへらっと笑った気配がした。きっといつもの糸目をますます楽しそうに笑ませているに違いない。罵れば罵るほど悦んでいる気がする辺りこいつは被虐趣味だろうかと、トリバーは時々本気で疑うことがある。
 ちらりと横目で見やった相手は、相変わらずの黒髪、黒ずくめの服。
 いつどこで見ても、この男は変化がない。トリバーより明らかに歳上で、似合わない無精ひげを常に生やしている。この無精ひげの長さが常に変わらないところもこの男『情報屋アラギ』の七不思議のひとつである。
 店員がトリバーの注文について何か疑問でも起きたのか、別の店員を呼んで相談している。まだ時間がかかりそうだ。
 それを見て舌打ちしたトリバーは、「何の用だ」とアラギに投げやりな声を向けた。
「いいことを教えてあげようと思ってね。――ああ、いい香りだねえ」
 ゼーレの白ユリに顔を近づけ、ひたった表情をする男の足を、トリバーは思い切り踏みつけた。
 アラギは「のはっ」と妙な声を上げた。
「……早く話せ」
「せっかちだなあトリバー君は。あんまり邪険にすると大切な情報を逃すことになるよ?」
「俺の最大の寛大さをもって話を聞いてやろうと言っている。さっさと話せ」
 アラギの愉快そうな笑みがいっそう深くなった。
 体勢を立て直した情報屋は、ようやく彼の商売道具をその口から吐き出し始めた。押し殺しているわけではないのに、必要な人間以外には聞こえない、独特な声だ――
「精霊保護協会ゼーレ支部がまた動き出した。もっとも今回の首謀者は支部長じゃなく、教師長だがね。アリム君の森の一件の折はベルティストンに出張していていなかった――先日帰ってきて、勝手に森が<終焉の刻>を迎えていたことに激昂したと聞いている」
「……それで?」
「教師長はね、講義より専ら研究の方で頭角を現した男でねえ。その執念深さからくる成果のおかげで、確かに協会が提唱する精霊学に対する貢献度は大きい。あれで人柄さえまともならベルティストン本部から出されることはなかったんだろうが。まあそれはともかく、そんな男が森の埋め合わせも込めて改めて調査に乗り出すという。対象は――『女神の左目』」
 情報屋が何気なく窓の方角を見やる。
 つられて、トリバーも窓の外を見た。
 雪に変わる前の、大人しい雨粒たち。軒先にパタパタと落ちる雫は、無邪気に戯れているようにも見える。
「夜には雪になるね」
 と、アラギはことさらじっくりとした声で言う。
 ――女神の左目。
 そうしてアラギはトリバーの方を見た。優しげに見えなくもない奇妙な顔で。
「早く『ゼルトザム・フェー』に戻るといい。アリム君はもう巻きこまれているよ」
 その表情とは裏腹の、あまりにも不穏な内容。
 トリバーは険悪な気分で歯噛みした。
「あんたはどうしてそう……っ」
 目的が見えない。決して直接関わらない癖に、誰よりも詳しい。誰よりも詳しいから、誰にもこの男の情報の真偽を確かめられないのだ。常若の森のときもそうだった――
 苛立ちが最高点に達した。トリバーはアラギの膝を横から思い切り蹴りつけ、体勢の崩れた男の懐に生み出した風の塊を叩きつけた。
 周囲の空気が乱れる。髪の先が舞う。まともに喰らえば怪我はさせなくとも、衣服を切り裂く凶暴な風のはずだった。しかもこの至近距離、外れるはずがなかった。
 だというのに、気がつけばアラギは数歩離れた場所にいた。術が店の床を傷つけそうになり、トリバーは即座に風を消滅させた。
 蹴りつけた足の感触も妙だった。おそらく寸前で巧妙に足を曲げて衝撃を受け流したに違いない。
 アラギはのろりとしたたたずまいのまま、糸目を柔和な形にした。
「ダメだねえトリバー君。君は接近戦には向いていないんだから、無理しないことだ。かくいう私も接近戦は苦手だから反撃はしないけれども」
「黙れ」
「ご機嫌斜めだな。もう退散するよ。――それじゃ、また」
 二度と現れるなっ! 叫ぶトリバーに、驚いて振り向いたのは離れた場所にいた店員たちの方だ。
 黒ずくめの男はまるで意に介した様子なく、背中を向けて片手をひらひらさせた。
 チリン。ドアを出入りするたび鳴る鈴が、場違いに明るい音を立てた。
「あの……お客さま?」
 アラギが店から出ていってしまったころ、ようやく困惑の声をかけてきた店員に、トリバーは「何でもない」と苛立ち紛れの声を返す。
 ――アリムがもう巻きこまれている。
「ふざけやがって……」
 腹立たしい。何が腹立たしいって、聞いてしまった以上はアラギの言う通り、自分はこれからすぐにアリムの様子を見に行くことになるのだ。
 そして、やっぱり自分も巻き込まれることになるのだ。
 アラギの消えた扉を睨みつける。物言わぬ戸の中央に、あの人を喰ったような糸目が浮かんで、トリバーはドアごと踏みにじりたい衝動に駆られた。
 あいにく“弁償”の二文字を忘れることができない程度には、彼は冷静だったのだけれど。
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