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しおりを挟む神宮寺家――天正元年より続く旧家。
現在の当主は神宮寺宏司であり、彼は株式会社JINGUのCEOも務めている。
彼には三人の息子がおり、数年後には勝手に独立してしまった長男に代わり、次男が跡を継ぐことになっていた。
これは、そんな神宮寺家の三兄弟の物語である。
【長男・神宮寺陸斗の場合】
第一章 社長の調査、始めました。
「あの、大熊さん! 今日みんなで会員数二十万人突破のお祝いしようって話になったんですけどっ! よかったら一緒に――」
「ごめんなさい、今日は用事があるの」
帰宅時、声をかけてきた同僚を、大熊美兎はバッサリと切り捨てた。笑顔だが有無を言わせないその答えに、声をかけた同僚は狼狽える。
「あの、ちょっと顔出すだけでも……」
「かえってお邪魔になっちゃいそうだからやめとくわ。また誘って!」
美兎は長い髪を束ねていたゴムを外しながら、颯爽とフロアの扉に手をかける。肩には鞄をかけていた。
「それじゃ、お疲れ様。私のことは気にしなくていいから、お祝い楽しんできてね!」
「あ、はい……」
呆ける同僚に手を振って、美兎は会社を後にした。
株式会社U-Violetteの社長秘書、大熊美兎はいわゆる『できる女』である。
仕事はいつも素早く、正確で丁寧。持ち前のコミュニケーション能力と培ってきた語学力で、この三年、社長と会社を支え続けていた。彼女の優秀さは誰もが認める一方で、プライベートは謎に包まれていた。
「やっぱり断られたかぁ」
「大熊さん手強いー!」
「誰がどんなに誘っても、飲み会に来ないもんなー。来るのは歓送迎会ぐらいだし!」
美兎の背中を見送った後、社員がわっと盛り上がる。
それと同時に社長室の扉が開き、社長である神宮司陸斗が顔をのぞかせた。
すらりとした体躯に鼻筋の通った顔立ち。一見温和そうにも見える顔だが、業界では有名な怪傑として知られていた。その手腕は、肘の指を使うが如しと褒めそやされるほど。
顔をのぞかせた陸斗に、女性社員が駆け寄る。
「社長。やっぱり大熊さん来ないらしいですよ」
「そうか」
「社長はどうされますか? ご予定は……」
「俺もやめておこうかな。読みたい資料もあるし。気が向いたら顔を出すから、後で場所だけ教えておいてくれ」
「はい!」
声をかけた女性社員は、頬を染めながら元気よく返事をした。
U-Violetteは、ファッションレンタルサービス『インクロ』を運営しているベンチャー企業だ。創立は八年前。当時二十四歳の陸斗が友人と一緒に立ち上げた会社だった。今ではインターネットのショップの他に実店舗も構える。自宅に服が届き、試着をして気に入ったら購入できるサービス『チョイクロ』も運営している。『インクロ』は『インフィニティ・クローゼット』の、『チョイクロ』は『チョイス・クローゼット』の略語である。
会社自体は大きいが歴史は浅い。なので、こうやって気軽に話せるぐらいには社長と社員の距離も近かった。
「社長は大熊さんのプライベート、何か知らないんですか? 付き合い長いですよね?」
陸斗よりも年上の男性社員がそう聞いてきて、陸斗は首をひねった。
「確かに付き合いは長いが、プライベートな話なんてほとんどしないからな。秘書を任せているのも、ここ三年ぐらいだし」
「大熊さんっていつ入社ですっけ? たしか今二十七歳だから……」
「入社はちょうど『インクロ』の事業を始めたぐらいの時期だな。初めてかけた新卒の募集に、あいつが応募してきたんだ。今年で五年目になるのか」
「五年目かぁ。そう考えると、割と初期のメンバーですよね!」
「ま、そういうことになるな。……今はあんな感じだが、最初は結構ドジもやらかしたんだぞ」
陸斗は目を細めながら懐かしむ。今は採用担当に任せているが、あの頃は一次面接から陸斗が行っていた。
リクルート姿の初々しい美兎の姿を思い出し、陸斗の頬はわずかに緩む。
「へぇ。あの、大熊さんがねぇ」
「今は『ザ・完全無欠』って感じだもんな」
「新卒の大熊さん、見てみたかったなぁ」
「……けど、それだけ付き合いが長いのに、プライベートなことは何も知らないんですよね」
ふいにかけられた若い社員の言葉に、陸斗はムッと顔をしかめる。彼女のことを『知らない』と評されたのが、なんだか気に入らない。
普段もそうだが、忙しい時はそれこそ文字通り四六時中一緒にいるのだ。宿の部屋はもちろん別だが、出張にだって一緒に行くこともある。ここ数年で美兎と一番長い時間を過ごしている人間は自分だと、はっきりと言い切ることができた。
そんな思いから、陸斗の声はわずかに硬くなる。
「そんなことはない。もう何年も一緒にいるんだから、たいていのことはわかっているつもりだ」
「でも、プライベートなことは知らないんですよね?」
間髪容れずに発された一言に、陸斗は「それは……」と一瞬言いよどむ。
「別に、何もかもをさらけ出すことが信頼の証というわけではないだろう? 俺はわきまえているだけだ」
『知らない』のではなく、『踏み込まない』だけなのだと暗に言って、陸斗は腕を組む。自分でもなんでこんなにムキになるのかわからない。『知らない』のならば『知らない』と言えばいいだけなのに、その一言を言うのを躊躇してしまう。
「それなら、大熊さんが付き合っている人のことについて知っていますか?」
「は? 付き合っている人⁉」
思わぬ情報に、陸斗らしからぬ素っ頓狂な声が出た。
すると、噂好きの女性社員がぐっと顔を寄せてくる。その瞳はイキイキと輝いていた。
「大熊さんがこういう飲み会に来ないのって、彼氏がいるからじゃないかって噂になってるんですよ!」
「そうそう! ヤキモチ焼きの彼氏が止めてるんじゃないかって話で……」
「それはない」
陸斗の口から、被せるように否定の言葉が飛び出した。もはや脊髄反射の勢いだ。
美兎とは結構な時間を共有しているはずだが、今まで男の影など一切感じたことがない。指輪をしているところなんて見たことがないし、アクセサリーが急に男性から贈られたようなダサいものに変わっていたためしもない。誰かからの連絡を待つようにスマホを気にしているそぶりもないし、クリスマスやバレンタインデーのような恋人たちのイベントの日に、急遽泊まりがけの仕事を入れても嫌な顔一つしたことがない。
そんな彼女に、彼氏がいると思うだろうか。
陸斗の答えは『否』だった。
(大熊に限ってそれはない)
それは確信というより、どこか願いに近かった。
しかし、そんな彼の願いはあっけなく吹き飛ばされることとなる。
「いやでも! 見たって人がいるんですよ! 大熊さんが男性と仲よく歩いてるの!」
「は?」
「しかも、腕を組んでたって!」
「腕⁉」
「楽しそうにケーキを食べさせあいっこしてたって目撃情報も……」
「……」
言葉もなく立ち尽くしてしまった社長をよそに、社員たちはきゃっきゃと盛り上がっている。
「どんな人だったって?」
「大柄で、いかつい感じのイケメンだったらしいぞ!」
「きゃあ! 同じイケメンでも社長とは違うタイプなんですね!」
「好みが分かれるところねぇ。私としては……」
「おい」
陸斗の低い声に、社員たちは固まった。眉間に皺を寄せた状態で、不機嫌さを隠しもせず腕を組んでいる。
「あ、すみま――」
「その情報提供者は誰だ。今すぐ教えろ」
今まで見たことない剣幕に、詰め寄られた社員は頷くことしかできなかった。
◆ ◇ ◆
「姉ちゃんもさ。もうちょっと会社の人と付き合ったらいいのに」
「えぇー。なんでよ」
リビングからかけられた声に、キッチンにいる美兎は唇をとがらせた。手にはできたばかりの野菜炒めが入ったフライパン。隣にはスープの入った鍋が火にかけられていた。
美兎は手早くそれらを皿に盛り付ける。すると、先ほどの声の主が、キッチンのほうへと顔をのぞかせた。そして、美兎の手から野菜炒めが盛られた大皿を取る。
「持ってく」
「それじゃ、お願い」
美兎よりも頭一つ以上背が高い彼は、大皿をリビングのローテーブルへ運ぶと、慣れた手つきで二人分の取り皿と箸を用意した。その間に美兎はご飯をよそう。
彼は大熊知己。美兎より八歳年下の弟である。何かスポーツでもやっていそうなぐらい身体は大きく、頭もスポーツ選手のようにツーブロックに刈り上げていた。顔の彫りが深く、髪も明るく染めているので、一見すると外国人のように見える。見てくれの通り、スポーツは得意だが、今は実家近くの大学で建築を学んでいた。
二人は向かい合わせで座り、手を合わせる。そして「いただきます」と声を重ねた。
「さっき、『会社の飲み会に誘われたんだけど、断って帰ってきた』って言ってたじゃん? このままじゃ、本当に姉ちゃん嫁き遅れちゃいそうでさー」
野菜炒めの一口目を口に入れた瞬間、先ほどの話の続きと言わんばかりに、知己がそう言った。美兎はしかめっ面のまま、口に入った野菜炒めを呑み込む。
「何で会社の飲み会を断ったのと、私が嫁き遅れるのが関係あるのよ」
「だって、会社の飲み会って出会いが転がってそうじゃん? 同僚と仲よくなったり、紹介してもらったり」
「転がってるわけないでしょ。あんなのお金がかかるだけで、別にたいした話をするわけじゃないんだから」
呆れたといわんばかりに、美兎はため息をつく。そしてふたたび野菜炒めに箸をのばした。
「そもそも嫁き遅れたって、別にいいじゃない。私が結婚しようがしまいが知己に関係ないんだし」
「いいや、関係あるね。俺、将来姉ちゃんの介護したくねぇもん」
「なんで今からそこまで想像を膨らませるかなぁ。何十年後の話よ、それ」
「俺的には今すぐ結婚は無理でも、せめて恋人ぐらいは作ってほしい!」
「知ってる? そういうの余計なお世話っていうのよ」
弟の嘆願を美兎ははねのける。そんな姉を一瞥して、知己は目の前の取り皿に視線を落とした。
「でもさ。冗談抜きで、姉ちゃんには幸せになってもらいたいんだって」
らしくない真剣な声のトーンに、美兎は箸を止めて視線を上げた。
「このまま姉ちゃんが独り身だったら、絶対俺のせいじゃん」
「そんなわけないでしょ。馬鹿ね」
知己の憂いを晴らすように、美兎は軽く笑った。
美兎と知己は姉弟であり、お互いに唯一の家族だった。両親は美兎が大学三年生の時に事故で亡くなっており、弟の知己はそれから彼女が育てたようなものだ。八歳年下の知己は当時中学一年生だった。
「いや、だって。姉ちゃんがお金にがめついのって、俺のせいだろ?」
「がめついって言うな。がめついって。あと、何度も言うけど倹約は単に私の趣味よ! 知己が気にすることじゃないの!」
美兎の趣味は預金通帳を眺めることだ。好きな日は給料が入る毎月二十五日。好きな言葉は『特売』『半額』。嫌いな言葉は『浪費』『割高』である。知己を育てていく過程で目覚めた趣味ではあるが、別に彼のせいというわけではない。
現に、死んだ両親の残してくれたお金やら保険金やらで、金銭的にはさほど苦労はしていないのだ。ローンを払い終わったマンションだってある。だからといって、浪費ができるほど裕福ではないし、いざという時のため貯金には手を付けないようにと努力はしている。
しかし、そのことを何度説明しても知己は納得していないようだった。
「でも、会社の飲み会とかを断ってるのって『お金がかかるから』だろ?」
「そりゃまぁ……そうだけど……」
「合コンとか、同窓会にも行かないよな?」
「だって、そんなことでお金使うのもったいないじゃない。会いたい人には同窓会なんか行かなくても会えるわけだし」
「そういうところだって!」
知己は大げさに肩を落とし、首を振った。
「ああいう場に行かないから、出会いもないんだって。ただでさえ学生時代は、バイトと勉強ばっかりで全然遊んでなかったんだし」
「そんなこと――」
「ある! 何年も姉ちゃんを見てきた俺が言うんだから間違いない!」
いつになく強気な知己の態度に、美兎は困って頬を掻いた。
「というか、最後に恋人いたのいつだよ!」
「大学一年生の時……かな」
その彼には、両親が死んであれこれと忙しくしている間に浮気をされてしまった。当時はショックだったが、今となっては、早い時期に正体に気づけてよかったと肯定的に捉えている。
「大学に行かせてもらってる俺が言うのもなんだけどさ。俺ももう来年で二十歳なんだし、姉ちゃんにはもう少し自分を優先して欲しいんだよ」
どうやら知己は、姉に恋人ができないのは自分のせいだと思い込んでいるようだった。美兎としては単にそっちに興味が湧かなかっただけなのであるが、彼はそれをいまいち理解できないらしい。
(結婚ね……)
美兎は箸を進めながら逡巡する。
仕事は充実しているし、このまま一生独身でもそれなりになんとかなるくらいの稼ぎはある。そもそも、結婚=幸せとは限らないのが昨今の常識だ。
しかし、彼が気に病むのならば重い腰を上げるべきなのだろう。結婚とまではいかなくても、せめて恋人ぐらいは作って弟を安心させるべきなのかもしれない。
(でも、恋愛ってお金がかかるのよねー)
デートをするための費用や、化粧品や洋服代。記念日にはプレゼントも必要だろうし。それなりに関係が進めば、旅行に行くこともあるだろう。
守銭奴で倹約家な美兎だが、その辺りは禍根を残さないように折半が望ましいと考えていた。全部出してもらっておいて、別れた後に「金を返せ!」とトラブルになっても仕方がない。そういう例も友人から聞いたことがある。さすがにラのつくホテル代ぐらいは出してくれる殿方と恋愛がしたいが、折半と言われても別に構わない。
そう考えると、やはり恋愛には金がかかる。
(今、貯金いくらあったっけ?)
ただでさえ知己の学費もかさんでいるのだ。両親の残したお金があるとはいえ、自分のことにあまりお金を割きたくはないというのが美兎の本音だった。
(恋愛の前に、副業でも始めようかしら)
U-Violetteは副業禁止の会社ではなかったはずだ。しかし、いつ何時呼び出されるかわからない社長秘書に、そんな時間的余裕があるわけもない。
(なんかいい感じの臨時収入とかないかしら)
ゴロゴロと野菜の入ったスープ椀に口を付けながら、美兎は自分の預金残高に思いを馳せるのであった。
◆ ◇ ◆
翌日、美兎が出勤すると、後輩の南田楓が頬を膨らませていた。
「もー、美兎さん! なんで昨日の飲み会来てくれなかったんですかー! 秘書課で来てるの私一人だけだったんで、超寂しかったんですよ!」
「ごめんね。ちょっと用事があったから」
「毎回それじゃないですかー!」
全身で『怒っている』を表現している楓は、美兎の三つ下。大変可愛らしくあどけない相貌に、大きな瞳。庇護欲をかき立てられるような低めの身長に、たわわな胸が特徴の女性である。しゃべり方や明るすぎる性格から、ちょっと抜けていそうな印象を周りに与える彼女だが、これでどうして大変に優秀なのだから人はわからないものだ。
「美兎さんがあまりにも飲み会に参加しないから、他の課では何やら噂されまくってますよ! それとも噂通りに束縛ヤンデレ気味な彼氏がいるんですか⁉」
「なに、その束縛ヤンデレ気味な彼氏って。響きだけですごく怖いんだけど」
「そういう噂です! さて真相は?」
「噂は噂です」
はっきりとそう言い放ち、美兎は自分のデスクに鞄を置いた。
現在、社長秘書は三人いる。美兎と楓とあと一人、来栖奏汰という男性だ。
社長のスケジュール等を管理しているのが美兎で、書類や資料を作るのが楓。その他、雑務もろもろと運転手を務めているのが来栖である。と言ってもほとんどの場合、陸斗は自ら社用車を運転して、一人でどこへでも行ってしまうので、来栖の仕事は基本的に雑務ばかりなのが現状だ。運転手を必要とするのは、人が集まるパーティや、会議の場所に行く時だけである。
どうやら来栖はまだ出勤していないようだった。
「あ、そういえば! 社長が美兎さんが出社したら社長室に顔出すようにって言ってましたよ」
「社長室に?」
「また何か突飛な用事でも入れたんじゃないですか? それで諸々スケジュールを調整してくれって話じゃ……」
「……あり得るわね」
美兎は深く頷いた。
陸斗のスケジュールは過密だ。基本的に出社から退社まで分刻みのスケジュールである。会社の方針で、社長共々早出も残業もあまりしないようにしているのだが、時間外勤務を抑えている分、勤務時間内は目の回るような忙しさなのだ。
にもかかわらず、陸斗は次から次へと自分で新規の仕事を持ってくるものだから、美兎はいつでも大わらわだ。この前だって、いきなりライバル会社との会議を勝手に入れてしまい、そのせいでパズルゲームのような時間捻出を余儀なくされた。
大変働き者で、社員のことを考えてくれるよい社長ではあるが、社長秘書としてはあの仕事好きな面だけは少し直してもらいたいものである。
「どうしようかしら、今月三回目よ? 来月は大事な会議や出張が目白押しだから、これ以上予定はずらせないし……」
「まぁ、ここで悩んでいてもしょうがないじゃないですか! 案ずるより産むが易しですよ。とりあえず社長室に行ってみてくださいよ!」
「……それもそうね」
「そして、ついでにこの資料を渡してきてください! 昨日、社長に頼まれたやつです!」
「……楓ちゃんって、案外ちゃっかりしてるわよね」
美兎は楓から資料を受け取ると、秘書室隣の社長室へ向かう。
社長室の扉を開けると、そこには社長である陸斗の他にもう一人見慣れた人間がいた。
「おはようございます。新垣副社長もご無沙汰しております」
「美兎ちゃん、おはよう! いきなり来ちゃってごめんね。ちょっと話したらすぐ帰る予定だから」
そう言って手を振るのは新垣司。陸斗と一緒にこの会社を立ち上げた人物である。今は実店舗の運営を担っており、各店舗や出店予定地をぐるぐると回る毎日らしい。会議以外で会社に立ち寄るのは一週間に一度ほどしかなく、社長室ぐらいにしか顔を出さないので、美兎が新垣に会うのも数週間ぶりだった。
「まだ勤務時間前なので、お気になさらず」
「勤務時間になったら出て行けってことね。あーあ、美兎ちゃんはやっぱり手厳しいなぁ」
「社長のスケジュールは過密ですので」
「ですよねー」
新垣は軽い感じで相づちを打つ。
美兎は新垣の奥にいる陸斗に視線を合わせた。
「それで、用事とはなんでしょうか?」
「その、実はスケジュールを調整してもらいたいんだ」
「社長、それは……」
「違う! 俺のじゃなくて、君のスケジュールを調整して欲しいんだ」
陸斗の思いも寄らぬ言葉に、美兎は目を瞬かせた。
「……と、言いますと?」
「実は、来月末のパーティにこいつが行けなくなってな」
指したのは、ひらひらと機嫌よく手を振る新垣だ。
美兎は一瞬だけ新垣に視線を移すと、頭の中にある陸斗のスケジュール帳をめくる。
「来月末と言いますと……デザイナー・HIGUCHI氏の誕生日パーティのことですか?」
「そうだ。そこで併せて商談をやることになっていただろう? なのに新垣が……」
「娘のお遊戯会と被ってることに今朝気がついちゃってさー。商談はいつでもできるだろ? でも、娘のお遊戯会は一年に一度しかないからな!」
「という理由で、行けないと言い出してきた。……まぁ、俺としてもそういう理由なら仕方ないと思っていたんだが、俺一人だとどうもいろいろと手に余りそうだからな、代わりに誰かもう一人連れて行こうという話になって……」
「それで、私ですか?」
陸斗は頷いた。
「HIGUCHIは海外で活躍しているデザイナーだ。だからこのパーティにも海外から呼んだ客がたくさん来ることになっている。大熊は語学が堪能だから、万が一、一人になってもその辺りは困らないだろう?」
「それはそうですが。商談のことについては、内容を記録しておくぐらいしかできませんよ? 商談内容も『チョイクロ』とコラボする、ぐらいしか知りませんし……」
「その辺りは後で資料を見せよう。あと、商談といっても、今までに決まったことの最終確認ぐらいだから、あまり気負う必要はない」
確かにそれなら資料を読み込んでおけばなんとかなるだろう。美兎は頷いた。
「了解しました。おそらく大丈夫だと思いますが後で予定を確認して、またもう一度ご報告します」
「あぁ」
陸斗はいつも通りに返事をした後、今度は何か迷うように視線をさまよわせた。
「それで、だ」
「はい。まだ何か?」
「何か、というわけではないんだが。その、……今晩は暇だろうか?」
いつになく弱気な声を出す陸斗に、美兎は首をひねった。
こんな風に予定を聞かれたことなど今までにない。
「何か急遽予定でも?」
「いや。……今回もそうだが、いつも俺のスケジュールで振り回してばかりだからな。労う意味も含めて食事でもどうかと思ったんだが……」
「食事? プライベートで、ということですか? それは……」
美兎の問いかけに何かを察知したのか、陸斗は焦ったように立ち上がった。
「いや、違う! 待ってくれ! ドレスを買いに行こう‼ パーティ用のドレスだ。俺のせいで急遽用意することになるだろうから、付き合わせてくれ!」
「それなら結構です」
美兎が笑顔でそうはっきりと断ると、陸斗は固まった。
「経費で落としていいのなら、自分で買いに行きますよ。社長の手を煩わせるわけにはいきませんから」
「いや……」
「それに、社長にはそんな暇がないことを私が一番存じ上げております」
これには何も言えないとばかりに、陸斗は椅子に座り直した。
「念のため、何色のスーツを着ていくかだけ教えていただけますか? それに見合うものを見つけてきます。あと、ブランドはもちろんHIGUCHIのもので揃えますよね?」
「……あぁ」
テキパキとした美兎の質問に、陸斗は力なく返事をした。
◆ ◇ ◆
「フラれてやーんの」
その声は美兎の背中が社長室から消えたすぐ後にかけられた。陸斗はその言葉を発した友人をじっとりとした目で睨み付ける。
「……うるさい」
「ようやく自分の気持ちに気がついたってところか。正直、一生気づかないもんだと思ってたんだが、さすがにそこまでニブちんじゃなかったなぁ!」
ニヤニヤと笑う新垣を一瞥して、陸斗は鼻を鳴らしながら窓の外を見た。無視を決め込む算段だ。不機嫌になった陸斗に構うことなく、新垣はさらに笑みを強くした。
「まさか彼氏がいるんじゃないかって噂で、自分の気持ちに気がつくとはなぁ。『失って 初めて気づく 恋心』ってところか」
「なんだその五・七・五は! 大体、失っていないし、恋人の件もただの噂だ!」
たまらずといった感じで言葉を返す。
陸斗は昨晩、美兎の彼氏を目撃したという社員を飲み会で質問攻めにした。目撃した社員曰く『確かに美兎は男といたが、それが彼氏だったかはわからない。けれど、とても仲がよさそうに見えた』とのことだったので、陸斗の中では『大熊に彼氏はいない』となっているらしい。そこには彼の信じたくない心が反映されていた。
「美兎ちゃん綺麗だからなぁ。本当に彼氏の一人や二人いてもおかしくなさそうだけど」
「大熊はそんな尻軽な女じゃない。いたとしても一人だ!」
「え? 一人だったら彼氏いてもいいの?」
「いいわけないだろう!」
勢いのまま、机を叩き立ち上がる。
それを見て、新垣はまたおかしそうにケラケラと笑った。
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