遺言

文字の大きさ
上 下
1 / 2

しおりを挟む
 寒い冬の日。
雪は降らず雨も降ってない。だが、風は冷たく吹き荒ぶ。
ホットカーペットをつけ、休みの昼下がり携帯を見つめ、眺める。
動画投稿サイトに何か面白いものがないか、とスクロールをすれば、普段見ないものがおすすめに上がっていた。
それを選んでしまうのは人間の性か。はたまた、自分だけか。

 人におすすめされてしまうと、断れない自分がいる。正確に言うと、お試し期間にどっぷりハマってしまうのだ。将来壺を買わされそうだな、とよく言われたものだ。
動画を見ながら、冷えた麦茶を口に運ぶ。オススメされたものは確かに面白かった。
こんな日は、昔の自分。
特に小学生の時を思い出す。
こんなに穏やかな時間は過ごしてはいただろうか。いや、過ごしていたがもう既に記憶は曖昧だ。あまり、深くは思い出せない。
しかし人間、ひいては卑屈な自分は嫌な記憶はよく覚えている。
そう、冬の日だった。


 小学三年生の時だったか。正確な日にちは覚えていない。だが、外に出ると雪が降っていて、とても寒かったのを思い出す。四人兄弟の3番目の私は、上の兄姉に言われコンビニにお使いとして、出かけていた。
モコモコなダウンを来て、歩いて2分もかからないコンビニにとぼとぼと歩いていた。
兄弟がいる家庭なら、もしくは兄や姉がいる家庭なら分かるだろう。
いわゆるパシリだ。ほとんど日常茶飯事のこと。特に年齢が離れていなくても、はたまた離れていたとしても、基本的にこのイベントは避けられないだろう。

 話を戻そう。要は、私は命令されるのが嫌だったのだ。基本として、めんどうくさがりな性格な私と、その兄弟の為基本的に人にやらせてしまいがちだったと思う。
その中で、普段はしなかったであろうくちごたえを行ったのだ。兄には軽く叩かれ、姉には暴言を吐かれた。これがどこまで本気だったかは知らないが、当時は大きな声を上げて泣いてしまった。
3番目の言うことなど、基本的に無視だ。このちっぽけな世界では、度々人権は無視される。そんなものだ。
泣いても、行かされるのでとぼとぼと歩き自分の身の丈を呪った。そんなものだ。

そんな時、車に轢かれかけた。下を向いていて、見えなかったのだ。
当時はそれにも恐怖したものだ。
しかし、それよりも恐怖したのは車の窓が空いたかと思うと、若い男性、だいたい20前半だったと思う、そんな人が、こちらに向けて

『殺すぞ、ガキ』

と言い放ち、その場を去ったのだ。
子供になんてことを言うのか。いや、大人びていた方かも知れない。体は大きかったから、そう見えたかもしれない。
だが、小学三年生の私は本当に恐怖したものだ。言われ慣れていない言葉を、見ず知らずの人に言われたのだ。私が悪いとは思うが、そこまで言われるのか、と今では思う。

当時の私は、またその場で泣いてしまった。公共の場なので、盛大に泣くことはしなかったが、それでもポロポロと涙を零してしまった。
軽くお使いを済ませてしまったあと、今度はしっかりと前を向き、帰路を歩いた。

  少し遅くなってしまったので、また怒られるのでは無いかと思いつつ家に入った。
ただいま、の後にこっちを向いた兄におかえりと言われ、渡したお使いの品。
その時にいきなり肩を掴まれた。
やっぱり、怒られるかと思ったので自然に身体に力が入ったのを覚えている。
しかし、以外にも怒られるのではなく。

『どうした。』

と優しく、言われた。また、泣いた。当時の私はきっと泣き虫だったのだろう。
とりあえず、先程の事を話した。
兄は神妙な顔になった後、笑い飛ばされた。

『そんなことでか。気にするな。』

…もう少し気の利いたことを言えばいいのに。そんなこと、と言うふうに笑われた。
それには、少し私も憤慨した。



 結局、その後にも、前にもその車の人と会うことはなく、時は過ぎていった。
 冬の日に思い出す出来事。
車にひかれかけて兄に笑い飛ばされてその日は色々と散々な日だった。
今となれば可愛らしい思い出かもしれない。       
しかし、その当時の私にとってはとても恐怖すべき事だった。
 たとえ嘘でも言ってはいけないと言うふうに言われていたから。
時々みんな忘れてしまうのだ。言葉の重みと言うものを。
皆、忘れないで欲しい。言葉とは簡単に人を傷つける道具であること。
皆、忘れないで欲しい。自分の言葉の重みを。

しおりを挟む

処理中です...