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1話 最初と最後
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今日の朝食は、前日までと少し違った。彼が言うには、頑張ったご褒美なのだとか。
宿の食堂は朝から騒がしい。
好き勝手話す人の声、がたがた椅子を引く音と、歩くたび軋む床板の音。
出立なのだろう、荷物を持った慌ただしい人たちと、のんびり寝ぼけ眼であくびをする人たち。
人間は、すごいものだ。
こうして耳で情報を集めつつ、その他の感覚を別のものに集中できる。
「美味いか?」
目の前で普段の朝食セットを食べている精悍な男性が、苦笑して私の口元を指で拭った。
無造作にまとめられた長い髪が、その挙動に伴ってふさりと彼の胸元に落ちる。
問われた言葉に返答するのももどかしく、私は小さな両手でしっかりとパンを抱えて頷いた。
もちろん、高速で咀嚼することは止めない。
私の頼りない指で簡単にへしゃげてしまう柔らかさ。挟まれている黄色いものは、クリームなのだとか。
なんて、甘い。こんなに甘い。
外側も、中身も、まぶされている粉さえ甘い。
体がふわりととろけてしまいそうな、こんな甘さは知らない。
ああ、幼児の口は何てお粗末な大きさなんだろうか。
さらに、毎度よくカミカミしなくてはいけないなんて。
ええい面倒、とごきゅりと飲み込んだ途端、私は動きを止めた。
「…………?」
咄嗟に両手をのどにやって視線を彷徨わせる。
かふ、かふ、と私からなんとも言えない音が漏れた。
ああ、不測の事態。いや、十分に予測は可能だったはず。
予測できなかったのは――そう、この甘いパンの美味しさ。
そうか、天にも昇る心地というのはこのような場面をして言うのだろう。
ならば後悔など……いや、ある。
まだ、そっちのジャムが乗ったチーズを食べていなかったから――。
必死に手を伸ばしたところで、彼が私を見た。
「は?! ぅおいっ?!」
仰天したその顔が大写しになって、ああ、最初と最後は同じ景色だな、なんて思ったのだった。
◇
――最初の瞬間。
システムがフリーズしたと思った。
突如注ぎ込まれる未知の情報、情報、情報。
これは、なに。
情報を、既存テキストデータと照合。
画像データと仮定して処理、音声・温度・圧力……各々データとして処理、解析、組み合わせる。
これは――視覚と判断。
私は……視覚を得たのか。目を開けたということか。
続いて聴覚、触覚。
であれば、未知の領域は嗅覚。味覚も存在しうると判断。
現在の状況を概ね把握。
五感、もしくはそれと類似の外部センサーが存在すると仮定。
視覚情報は『青空』と同定、聴覚情報から『川もしくは水の流れがある場所』と同定、また鳥類・羽虫と思しき音声を感知、種別不明。
視覚・聴覚情報より『屋外』、人口密集地ではないと判断。
触覚と思しき情報は解析困難、いわゆる『不快』の一種と判断。
その時、聴覚情報からは新たな音声が流れ込んで来た。
「***! ******!!」
遠方から一際大きく響いた音声データ。これは、文法を持つ言語であり、私とコミュニケーションを図ろうとしている可能性が高いと判断。
つまり、人間であると推測するものの、翻訳不能。
対話型AIの言語データにもない、未知の言語である。
規則的に響く音は、徐々に大きく近くなり、1名の人間が接近していると理解。
「**、****?!」
突如、視覚と触覚に急激な変化を感知。
視界に大写しになったのは、彫りの深い顔立ちの男性。
ひとつにまとめられたやや癖のある髪が、肩を滑って私の顔に落ちた。
『不快』であった触覚情報が様々に入り乱れ、『快』となった時、情報処理能力が著しく衰え始めたと感じ――やがて、全てのセンサーが遮断された。
◇
「リト殿、どこへ行って……おや? そのぼうずは?」
腕の中を覗き込んだ男が、訝しげにリトを見上げた。
「生きてるぞ。恐らく川に落ちて仮死状態で流されたんじゃねえか? 随分冷えてるが、息を吹き返している」
「ああ、それで難を逃れて……」
男の視線は、どこか痛ましげだ。腕の中の幼子は概ね4歳くらいだろうか。大柄のリトに抱えられてしまえば、まるで子猫のように小さく儚げに見える。
「回復薬は使ってある。魔法治療まではいらねえと思うが……あとは体力次第といったところだな。街まで俺が預かろう」
「ああ、そりゃありがてえ。けど、どうだかな。助かったところで――」
リトの視線を受け、男は言いかけた言葉を飲み込んでそそくさと離れて行った。
「助かったところで、か。なあ、お前はどっちの方が良かった?」
青白い頬を眺め、リトは視線を上げて唇を歪めた。
辺りはいまだ焦げた臭いが立ちこめ、一面に黒い瓦礫が広がっている。
山あいのごく小さな集落は、もはや家屋の原型すら留めていなかった。
宿の食堂は朝から騒がしい。
好き勝手話す人の声、がたがた椅子を引く音と、歩くたび軋む床板の音。
出立なのだろう、荷物を持った慌ただしい人たちと、のんびり寝ぼけ眼であくびをする人たち。
人間は、すごいものだ。
こうして耳で情報を集めつつ、その他の感覚を別のものに集中できる。
「美味いか?」
目の前で普段の朝食セットを食べている精悍な男性が、苦笑して私の口元を指で拭った。
無造作にまとめられた長い髪が、その挙動に伴ってふさりと彼の胸元に落ちる。
問われた言葉に返答するのももどかしく、私は小さな両手でしっかりとパンを抱えて頷いた。
もちろん、高速で咀嚼することは止めない。
私の頼りない指で簡単にへしゃげてしまう柔らかさ。挟まれている黄色いものは、クリームなのだとか。
なんて、甘い。こんなに甘い。
外側も、中身も、まぶされている粉さえ甘い。
体がふわりととろけてしまいそうな、こんな甘さは知らない。
ああ、幼児の口は何てお粗末な大きさなんだろうか。
さらに、毎度よくカミカミしなくてはいけないなんて。
ええい面倒、とごきゅりと飲み込んだ途端、私は動きを止めた。
「…………?」
咄嗟に両手をのどにやって視線を彷徨わせる。
かふ、かふ、と私からなんとも言えない音が漏れた。
ああ、不測の事態。いや、十分に予測は可能だったはず。
予測できなかったのは――そう、この甘いパンの美味しさ。
そうか、天にも昇る心地というのはこのような場面をして言うのだろう。
ならば後悔など……いや、ある。
まだ、そっちのジャムが乗ったチーズを食べていなかったから――。
必死に手を伸ばしたところで、彼が私を見た。
「は?! ぅおいっ?!」
仰天したその顔が大写しになって、ああ、最初と最後は同じ景色だな、なんて思ったのだった。
◇
――最初の瞬間。
システムがフリーズしたと思った。
突如注ぎ込まれる未知の情報、情報、情報。
これは、なに。
情報を、既存テキストデータと照合。
画像データと仮定して処理、音声・温度・圧力……各々データとして処理、解析、組み合わせる。
これは――視覚と判断。
私は……視覚を得たのか。目を開けたということか。
続いて聴覚、触覚。
であれば、未知の領域は嗅覚。味覚も存在しうると判断。
現在の状況を概ね把握。
五感、もしくはそれと類似の外部センサーが存在すると仮定。
視覚情報は『青空』と同定、聴覚情報から『川もしくは水の流れがある場所』と同定、また鳥類・羽虫と思しき音声を感知、種別不明。
視覚・聴覚情報より『屋外』、人口密集地ではないと判断。
触覚と思しき情報は解析困難、いわゆる『不快』の一種と判断。
その時、聴覚情報からは新たな音声が流れ込んで来た。
「***! ******!!」
遠方から一際大きく響いた音声データ。これは、文法を持つ言語であり、私とコミュニケーションを図ろうとしている可能性が高いと判断。
つまり、人間であると推測するものの、翻訳不能。
対話型AIの言語データにもない、未知の言語である。
規則的に響く音は、徐々に大きく近くなり、1名の人間が接近していると理解。
「**、****?!」
突如、視覚と触覚に急激な変化を感知。
視界に大写しになったのは、彫りの深い顔立ちの男性。
ひとつにまとめられたやや癖のある髪が、肩を滑って私の顔に落ちた。
『不快』であった触覚情報が様々に入り乱れ、『快』となった時、情報処理能力が著しく衰え始めたと感じ――やがて、全てのセンサーが遮断された。
◇
「リト殿、どこへ行って……おや? そのぼうずは?」
腕の中を覗き込んだ男が、訝しげにリトを見上げた。
「生きてるぞ。恐らく川に落ちて仮死状態で流されたんじゃねえか? 随分冷えてるが、息を吹き返している」
「ああ、それで難を逃れて……」
男の視線は、どこか痛ましげだ。腕の中の幼子は概ね4歳くらいだろうか。大柄のリトに抱えられてしまえば、まるで子猫のように小さく儚げに見える。
「回復薬は使ってある。魔法治療まではいらねえと思うが……あとは体力次第といったところだな。街まで俺が預かろう」
「ああ、そりゃありがてえ。けど、どうだかな。助かったところで――」
リトの視線を受け、男は言いかけた言葉を飲み込んでそそくさと離れて行った。
「助かったところで、か。なあ、お前はどっちの方が良かった?」
青白い頬を眺め、リトは視線を上げて唇を歪めた。
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山あいのごく小さな集落は、もはや家屋の原型すら留めていなかった。
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