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1年生編:1学期
第15話 アイドルのいる日常
HR(ホームルーム)が終わった瞬間、教室の空気はまるで別物になった。チャイムが鳴り終わるより早く、ざわり、と生徒たちのざわめきが波のように広がる。
黒瀬紗耶が転校してきた。
それだけで、クラスの雰囲気は午前中とは思えないほど熱を帯びていた。
休み時間になると、クラスのあちこちから椅子の脚がこすれる音がして、皆が紗耶の机へ吸い寄せられていく。
「黒瀬さん! 本物だよね!?マジでテレビで観たまんまなんだけど!」
「サイン……一枚だけ、ダメ……?」
「え、ライブ行った友達が言ってた! 歌ヤバかったって!」
声が重なり、弾け、空気を震わせる。
“騒がしい”というより、まるでステージ前の熱気そのものだった。
晴はその様子を自席から眺め、苦笑いを浮かべるしかなかった。
(そりゃ……こうなるよな。人気アイドルが転校してきたんだし)
斜め前の席の美羽も、落ち着かない様子でそわそわと視線を送っていた。
ただ、その表情は晴のものとは違って、不安と緊張が混ざった複雑なものだった。
「紗耶さん……すごい人気だね……」
「まぁ、むちゃくちゃ歌うまいしな」
晴がぼそっと言うと、美羽が半眼になって睨んでくる。
「晴、絶対ハマってたよね? あのライブで。めっちゃ真剣に見てたじゃん!」
「いや、あれは……初めてだったし、なんか、すごかったから……」
言い訳すると、声が少し裏返った。
美羽はむーっと机に頬を乗せ、わざとらしく拗ねた顔を作る。
(……めんどくさいけど、かわいいんだよな)
そう思った瞬間だった。
ふと視線を感じて顔を上げると――
教室の中心にいる紗耶と、まっすぐ目が合った。
ほんの一瞬だけ、紗耶は嬉しそうに微笑んだ。
次の瞬間、囲まれたクラスメイトたちへそっと頭を下げる。
「ごめんね。一回だけ……ちょっと行ってくるね」
そう言って、ゆっくりと人だかりを抜け、こちらへ歩いてくる。
(……え、マジでこっち来るの?)
美羽も驚いたように身体を起こし、目をぱちくりさせた。
紗耶は晴の机の前で立ち止まり、胸の前で両手をそっと揃えるようにして言った。
「晴くん……その、朝も言ったけど……土曜日は、本当にありがとう」
「あ、ああ……」
近くで見る紗耶は、テレビ越しよりもずっと“普通の女の子”だった。
だが、その輪郭の一つひとつが綺麗すぎて、やっぱり普通の枠には収まらなかった。
「ライブ会場で、すごく楽しそうに聴いてくれてて……。ああいう顔、見られるの、すごく……嬉しいんだよね」
晴は言葉を失う。
横から、美羽のじとっとした視線が刺さるのを感じる。
紗耶はその視線に気づき、すぐに美羽へ向き直った。
「水瀬さんもライブ来てくれてありがとう!二人……とても仲が良いんだね」
「あ、え、そ……そんな、仲ってほどでも……ないけど……」
美羽は焦っているが、頬がほんのり赤い。その反応に、紗耶はふわっと笑った。
どこか、ほんの少しだけ寂しそうな笑みだった。
「……いいな。そういうの。普通の高校生同士って感じで」
晴は、胸の奥がずきりとした。
(“普通の高校生活”……か)
アイドルの彼女にとって、当たり前に見える空間が、当たり前ではないのだろう。
そして紗耶は、勇気を振り絞るように続けた。
「それで……もしよかったら、なんだけど……」
指先をもじもじと揃えながら、そっと言葉を落とす。
「お昼……一緒に食べてもいい……?」
美羽の肩がぴくっ、と跳ねる。晴の心臓も跳ねた。
「もちろんいいよ! ね、晴!」
「えっ、あ……ああ、もちろん!」
紗耶は安心したように、ふわっと息を弾ませて微笑んだ。
「ありがとう。本当に、嬉しい」
そして昼休み、三人は机を寄せ、弁当箱を開いた。
周囲のクラスメイトは遠巻きに見ている。
皆、声をかけたいけれど空気を読んで我慢しているのが伝わる。
しかし、紗耶はまるで気にしていないように、美羽の弁当を見て目を丸くした。
「わ……卵焼き、きれい……! 手作り?」
「うん。お母さんと作ったんだ」
「すごい……ひと口、食べてもいい……?」
「いいよ!」
美羽は、どこか誇らしげに卵焼きを差し出した。
紗耶は一口かじると、目を輝かせた。
「おいしい……こんなにゆっくりお弁当食べるの、久しぶりかも……」
その一言に、美羽の表情がほっとゆるむ。
晴はそんな二人を見ながら、心の中で思った。
(……こんな普通の時間を、大切にしてるんだな)
ステージの眩しい光の下に立つ彼女が、こうして自然体で笑っている。
その事実が、胸の奥でじんわり広がった。
「ねえ、晴くん」
「ん?」
「この学校のこと……いろいろ教えてほしいな。まだ分からないことばっかりで」
「もちろん。なんでも聞いてくれ」
晴がそう言うと、紗耶は安心したように小さく笑い、目を伏せた。
「あのね……今日、すごく楽しいんだ。こんな日が来るなんて、思ってなかった」
昼休みの終わり、紗耶は名残惜しそうに立ち上がる。
だがその表情は力強く、どこか決意を秘めていた。
「アイドルとしても頑張りたい。でも……“黒瀬紗耶”としての学校生活も、ちゃんと大事にしたいの。だから……これからも、よろしくね」
その言葉は、彼女の祈りのようにも聞こえた。
晴と美羽の高校生活、そして紗耶の新しい一歩。
その三つが重なり合って、静かに、確実に動き始めたのだった。
黒瀬紗耶が転校してきた。
それだけで、クラスの雰囲気は午前中とは思えないほど熱を帯びていた。
休み時間になると、クラスのあちこちから椅子の脚がこすれる音がして、皆が紗耶の机へ吸い寄せられていく。
「黒瀬さん! 本物だよね!?マジでテレビで観たまんまなんだけど!」
「サイン……一枚だけ、ダメ……?」
「え、ライブ行った友達が言ってた! 歌ヤバかったって!」
声が重なり、弾け、空気を震わせる。
“騒がしい”というより、まるでステージ前の熱気そのものだった。
晴はその様子を自席から眺め、苦笑いを浮かべるしかなかった。
(そりゃ……こうなるよな。人気アイドルが転校してきたんだし)
斜め前の席の美羽も、落ち着かない様子でそわそわと視線を送っていた。
ただ、その表情は晴のものとは違って、不安と緊張が混ざった複雑なものだった。
「紗耶さん……すごい人気だね……」
「まぁ、むちゃくちゃ歌うまいしな」
晴がぼそっと言うと、美羽が半眼になって睨んでくる。
「晴、絶対ハマってたよね? あのライブで。めっちゃ真剣に見てたじゃん!」
「いや、あれは……初めてだったし、なんか、すごかったから……」
言い訳すると、声が少し裏返った。
美羽はむーっと机に頬を乗せ、わざとらしく拗ねた顔を作る。
(……めんどくさいけど、かわいいんだよな)
そう思った瞬間だった。
ふと視線を感じて顔を上げると――
教室の中心にいる紗耶と、まっすぐ目が合った。
ほんの一瞬だけ、紗耶は嬉しそうに微笑んだ。
次の瞬間、囲まれたクラスメイトたちへそっと頭を下げる。
「ごめんね。一回だけ……ちょっと行ってくるね」
そう言って、ゆっくりと人だかりを抜け、こちらへ歩いてくる。
(……え、マジでこっち来るの?)
美羽も驚いたように身体を起こし、目をぱちくりさせた。
紗耶は晴の机の前で立ち止まり、胸の前で両手をそっと揃えるようにして言った。
「晴くん……その、朝も言ったけど……土曜日は、本当にありがとう」
「あ、ああ……」
近くで見る紗耶は、テレビ越しよりもずっと“普通の女の子”だった。
だが、その輪郭の一つひとつが綺麗すぎて、やっぱり普通の枠には収まらなかった。
「ライブ会場で、すごく楽しそうに聴いてくれてて……。ああいう顔、見られるの、すごく……嬉しいんだよね」
晴は言葉を失う。
横から、美羽のじとっとした視線が刺さるのを感じる。
紗耶はその視線に気づき、すぐに美羽へ向き直った。
「水瀬さんもライブ来てくれてありがとう!二人……とても仲が良いんだね」
「あ、え、そ……そんな、仲ってほどでも……ないけど……」
美羽は焦っているが、頬がほんのり赤い。その反応に、紗耶はふわっと笑った。
どこか、ほんの少しだけ寂しそうな笑みだった。
「……いいな。そういうの。普通の高校生同士って感じで」
晴は、胸の奥がずきりとした。
(“普通の高校生活”……か)
アイドルの彼女にとって、当たり前に見える空間が、当たり前ではないのだろう。
そして紗耶は、勇気を振り絞るように続けた。
「それで……もしよかったら、なんだけど……」
指先をもじもじと揃えながら、そっと言葉を落とす。
「お昼……一緒に食べてもいい……?」
美羽の肩がぴくっ、と跳ねる。晴の心臓も跳ねた。
「もちろんいいよ! ね、晴!」
「えっ、あ……ああ、もちろん!」
紗耶は安心したように、ふわっと息を弾ませて微笑んだ。
「ありがとう。本当に、嬉しい」
そして昼休み、三人は机を寄せ、弁当箱を開いた。
周囲のクラスメイトは遠巻きに見ている。
皆、声をかけたいけれど空気を読んで我慢しているのが伝わる。
しかし、紗耶はまるで気にしていないように、美羽の弁当を見て目を丸くした。
「わ……卵焼き、きれい……! 手作り?」
「うん。お母さんと作ったんだ」
「すごい……ひと口、食べてもいい……?」
「いいよ!」
美羽は、どこか誇らしげに卵焼きを差し出した。
紗耶は一口かじると、目を輝かせた。
「おいしい……こんなにゆっくりお弁当食べるの、久しぶりかも……」
その一言に、美羽の表情がほっとゆるむ。
晴はそんな二人を見ながら、心の中で思った。
(……こんな普通の時間を、大切にしてるんだな)
ステージの眩しい光の下に立つ彼女が、こうして自然体で笑っている。
その事実が、胸の奥でじんわり広がった。
「ねえ、晴くん」
「ん?」
「この学校のこと……いろいろ教えてほしいな。まだ分からないことばっかりで」
「もちろん。なんでも聞いてくれ」
晴がそう言うと、紗耶は安心したように小さく笑い、目を伏せた。
「あのね……今日、すごく楽しいんだ。こんな日が来るなんて、思ってなかった」
昼休みの終わり、紗耶は名残惜しそうに立ち上がる。
だがその表情は力強く、どこか決意を秘めていた。
「アイドルとしても頑張りたい。でも……“黒瀬紗耶”としての学校生活も、ちゃんと大事にしたいの。だから……これからも、よろしくね」
その言葉は、彼女の祈りのようにも聞こえた。
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