こい唄

あさの

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月瀬朔良

5.

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「改めまして、東京から参りました昭仁です。しばらくは本家のこのお屋敷でお世話になりますので、遠慮なさらずなんでもご相談頂けたらと思います。お声も、焦らず一緒にゆっくり治していきましょう」

朔良の自室に通された昭仁は、座卓の向かいに座る朔良に再び挨拶をした。卓上には、彼女のお付きの者が入れたお茶が湯気を立てている。

向かいの朔良は一度頷いて、湯呑みをゆっくりと傾けた。一口飲んで音もなく湯呑みを卓上に戻す。

見た目では、至って普通の良家のお嬢様だ。

しかし、朔良のことを、それこそ昨日今日としか知らないが、一筋縄ではいかない令嬢なのはわかる。ただのお嬢様が、初対面の男を前に簾を跳ねあげようとしたり、自ら犬を捜しまわることはしないだろう。

この離れに戻ってきたときに、姿の見えない朔良を必死に探していたらしい使用人たちに、声が出せない御身に何かあったらどうするのか、次からは必ず居場所のわかるものを持ち歩くように、と滔々と朔良は訴えられていた。声が出せない主人が不便を感じないように、彼女たちは常に側を離れないようにしているらしいのは昭仁にもわかった。が、見る限り、彼女たちも朔良が勝手に何処かへ行くのを諌めるのは諦めているらしい。

使用人の嘆願を、朔良は反省の様子はないが神妙に聞いていた。
その彼女の傍らには、昭仁からは卓で見えないが、赤いりぼんのついた大きな鈴が置かれている。声の代わりにこの鈴を鳴らし、入り用を伝えるのだという。昨晩の訪問の際、朔良に下がらせられた使用人が『いつものように』と言っていたのはこの鈴のことだったのだろう。


わん!と鳴き声がして、雪見障子が開け放たれた縁側を見ると、雪が興味深げに濡れ縁からこちらを見ている。けれど室内にはあがってこないのを見て、頭が良い犬だなあと改めて思う。

「雪は血統の犬ですか? 随分利口ですね」

朔良が首を横に振った。それからしばし迷ってから、彼女は卓上に置かれていた紙の束に、さらさらと鉛筆を滑らせた。
す、と昭仁に差し出された紙を見ると、

『雪は、捨て犬です。だから犬種も歳もわかりません』

と、流れるような字で書かれていた。

「そうなんですか…。朔良さまがお拾いに?」

朔良が頷く。

「お優しいんですね」

世事で言ったわけではなかったのだが、朔良は緩く首を横に振って否定した。

「お世辞じゃありませんよ。朔良様のことがよほど好きなのだと、雪を見ていたらわかりますから」

そう付け足すと、朔良はそっと顔を伏せた。

謙虚さと上品さを兼ね備えた令嬢だ。けれど、その表情は感情に乏しいように見える。微かに微笑んだりするので、まったくの無表情ではないのだが、上辺だけのように見える。声を失ったのだから、それも仕方のないことなのかもしれないが。

雪が小さく吠えて庭に駆けていった。それに我に返る。

「…えっと、初日からいきなり治療やらなんやらは私のやり方ではありませんので、もう少しお話をして、朔良様のことを知っていきたいと思っております。もちろん、私のことを朔良様にも。よろしいでしょうか?」

向かいの少女が心得た様子でこっくりと頷く。再び卓上の紙に筆記具を走らせ、寄越す。

『答えきれないことは、紙でお答えいたしますので、なんでもお聞きください』

「はい、ありがとうございます」

顔をあげた先で、朔良が小さく頷いた。


そのからは、なるべく朔良が頷くだけで答えられる他愛ない質問をいくつかして、その日は終わった。





「昭仁様、お嬢様のお声はいかがでございましょうか?」

朔良の離れを辞する途中で声をかけられ振り返ると、朔良のお付きの使用人がいた。
東京に居る頃もそうだったが、仕事の内容柄、彼女のような問いは必ずかけられる。

「何分、まだ初日ですから。なんとも…」

使用人は自らの失言を恥じるかのように、袂で口許をそっと押さえた。

「そうですわね…。失礼いたしました。でも…やはり、お嬢様のお声が出なくなった原因は、お嬢様のお心にあるのでございましょうか」

「御病気もなく、そして何の前触れもなくいきなりなくしたのならば、心的な要因を疑います。断言はできませんが、心的なものならばお力になれると思います」

「差し出がましいことをお聞きいたしました。お許しくださいませ。昭仁さま、どうぞお嬢様をよろしくお願いいたします」

昭仁の応答に納得したように、使用人は深々と頭を下げた。


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