群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

163 蠢動する者達5

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 2人で祭壇の前に進み出ると、進行役の神官長から婚姻の儀式の開始が告げられる。神官長の言葉に従いながら、2人はダナシアの言葉が引用された誓いの言葉を交わし、祭壇前の台に置かれた婚姻証明書に署名した。
「ダナシア様の末永いお恵みがあらんことを」
 女神官がうやうやしく捧げ持ってきた盆には2人で選んだ赤を基調とした2本の組み紐が乗せられている。神官は祝福の言葉を唱えながらその組み紐を1本ずつ重ねられた2人の手に結び付けていく。すぐにほどけない様に固く結びつけられ、古い慣例では初夜もこの状態で過ごす事になっている。だが現在では、祝いの宴の席で外され、それぞれの腕に巻くところを来た客に披露するのが一般的だった。
 神官長に促され、アスターは片手でマリーリアのヴェールを上げる。曝された彼女の顔は美しく化粧が施され、緊張で震える手で彼女の顎を支えると口づけを交わした。
「ダナシア様の祝福を受け、2人の婚姻はここに成立した事を宣言する」
 最後に婚姻の成立を神官長が宣言し、婚姻の儀式は終了した。列席者からの拍手が鳴りやまない中、手を取り合った2人は正面の扉に向かって歩き始めた。



 大公位の認証式はワールウェイド家の公邸に場所を移して行われる。婚礼をあげたばかりの2人が馬車で移動していると、公邸までの沿道には多くの市民が押し寄せていた。
 稀代の英雄と薄幸の令嬢の恋物語は、娯楽の乏しかった冬の間に瞬く間に広がり、それを模倣し、脚色された読み物が出回るほどである。その人気は未だ衰えることを知らず、今日は結婚式だと聞きつけた市民が2人を祝福しようと集まったらしい。
「凄いね……」
「そうだな」
 唖然としながらも無視することも出来ず、2人は車の窓を開けて手を振ってみる。すると大歓声が起こり、結局公邸に着くまで彼等は窓の外に手を振り続けた。
 以前の公邸は夫人の好みで様々な工芸品や絵画でゴテゴテと飾り付けられていたのだが、現在はそのほとんどが売り払われてとても5大公家の公邸とは思えない程質素な内装となっていた。
 ここだけでは無い。ワールウェイド領の城や各地に所有する別荘に有る先代当主夫妻が集めた贅沢品のほとんどは売り払われ、ワールウェイド領の立て直しと、国庫への返還に使われていた。
 先代当主の急死に伴うゴタゴタを処理しつつ、リカルドはそれらの手配を一冬かけて黙々とこなしたのだ。この才能を今までひた隠しにしてきたわけだが、エドワルドが黙って見過ごす筈も無く、引き続き城代として領内を治める事を承諾させられていた。
 認証の儀式は至って簡素なものである。公邸に移動し、少し休憩をはさんでから会場となる広間に組み紐で結ばれたままの2人が姿を現す。着替えは出来なかったので婚礼衣装のままだが、マリーリアの婚礼衣装の引き裾とヴェールは外されていた。
「我等の総意としてマリーリア・ジョアンとその夫アスターをワールウェイド公に認める」
「その総意を受け、この証を2人に授ける」
 広間には婚礼の儀式に立ち会った人々が証人として既に集まっており、上座に進んだ彼等に一族を代表してリカルドが総意を伝え、今回は国主代行のエドワルドの意向が強く反映されているので、エドワルドから当主の証を2人に手渡された。
「身に余る大役ですが、謹んでお受けいたします」
「家名の回復に誠心誠意努めます」
 2人で仲良く証を受け取る。その血筋から普段はそれをマリーリアが身に付ける事になり、アスターは右手だけで器用に彼女の首に証をかけ、頬に口づけた。
「無粋な奴だな。そこじゃないだろう?」
 冷やかす様にエドワルドが横やりを入れると、マリーリアは頬を染め、アスターは憮然として上司を見返す。
「婚礼で披露したじゃありませんか」
「皆は納得していないぞ」
 証人として集まった人々も何かを期待するようにして自分達を見ている。アスターは深くため息をつくとマリーリアの顎に手を添えて、そっと唇を重ねた。
 見物していた一同から歓声が上がり、婚礼と大公位の継承を祝うささやかな宴が始まった。
「先ずは一曲披露してもらおうか」
 エドワルドの無茶ぶりは続く。楽団が軽やかな音楽を奏で始め、アスターは肩を竦めるとマリーリアの手を引いて軽やかなステップを踏み始める。内輪だけの格式張らない宴である。大いに冷やかされながらも舞踏は決して嫌いではない2人はだんだんと複雑なステップを踏んでいく。動きにくい婚礼衣装のまま激しく踊った結果、2人共曲が終わると息をきらし、礼もソコソコに椅子に座り込んでいた。
「息切れするほど本気で踊らなくても良かったのだが……」
「踊りだしたら夢中で……」
 エドワルドは苦笑しながら2人にワインの杯を差し出す。アスターもマリーリアも感謝してそれを受け取り、乾いた喉を潤す。
「ま、分からなくもないが……」
 1年前、春分節の宴でフロリエと夢中になって踊った光景がよみがえる。彼女と相思相愛になり、更にはグロリアのおかげで組み紐を交わして有頂天になっていた頃だった。把握していたはずの親族達の動向にどこか抜けがあったのだろう。その後に続く苦い記憶に一筋涙が流れる。
「殿下?」
「兄上?」
 2人が心配して声をかけてくる。
「すまん。気を使わせた」
 慌てて涙を拭い、2人に詫びる。幸い気付いたのは2人の他には近くにいたヒースだけだった。彼は素知らぬ顔をして他の出席者の気を逸らしてくれている。
「祝いの席なのにすまん。……大丈夫だ」
 なおも心配気な2人にエドワルドは気丈に笑みを浮かべる。そして気持ちを無理やり切り替えると、赤を基調とした組み紐で結ばれたままの2人の手を指さす。
「そろそろ解いた方が良い。お前はともかく、マリーリアの手に痕が残っては大変だ」
「……確かに」
 その心情を察し、アスターは指摘された通り早速組み紐に取り掛かる事にした。知恵の輪の様に複雑に結ばれた組み紐は、片手だけで解くのは当然無理で、2人で協力するのだが、これが思う様にいかない。
「あー、難しい」
 あーでもない、こうでもないと2人で仲良く紐を解いていく様子をエドワルドは飲み物片手に見物する。気付けば宴を楽しんでいた他の出席者も微笑ましげに彼等を眺めていた。
 全ては解けなかったが、やがて紐が緩んで手から抜ける。両手が使えるようになり、2人は残った結び目をようやく解き、改めて互いの腕に巻きなおした。
 それを見届けると、宴は早々にお開きとなった。皆、忙しいのもあるが、新婚の2人の時間を邪魔するような野暮な真似はしたくないのだ。彼等は口々に礼を言って公邸を後にしていく。
「マルモアでゆっくりして来い」
 未だに3日も休みをとる事に抵抗を感じるアスターに、エドワルドは肩を叩いてそう言い残すと迎えの馬車に乗り込んだ。新婚の2人はその車に深々と頭を下げて見送る。
「マリーリア」
「はい」
 馬車が見えなくなると、傍らの妻にアスターは真剣な表情で向かう。
「政治的な理由があるとはいえ、今こうして私達が夫婦になれたのもあの方のおかげだ。早く……あの方も笑っていられる世にするために私は尽力するつもりだ。手伝ってくれるか?」
「勿論です」
 応えるマリーリアにも迷いは無かった。アスターは新妻の頬に口づけると、揃いの組み紐を巻いた腕をからめ、屋敷の中へ入って行った。


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夫婦になったアスターとマリーリア。
ゆっくり蜜月を楽しんでもらおうと、この時点ではまだ2人にラグラスの要求は知らされていません。
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