群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

171 急転する事態2

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 執務中のヒースは書類に署名する手を止め、壁に掛けてある絵を眺めた。群青色の服を着た竜騎士らしい人間と画面からはみ出すくらい大きな飛竜が描かれ、その下側には子供の字で「父上とオニキス」と書かれている。この絵はヒースの7歳になる長男と4歳になる次男が描いたもので、つい先日、送られてきたものだった。
 アスターの婚礼に出席する為、急遽皇都に行った帰りに、ルークの勧めもあってヒースは所領に一泊し、ほぼ1年ぶりに家族に会っていた。長男には大喜びで抱きつかれ、人見知りの次男は遠巻きに眺められ、抱き方が悪かったのか、生後半年になる三男には大泣きされた。それでも家族そろって賑やかに夕餉を囲み、夜には久しぶりに妻と夫婦水入らずで過ごしたのだ。
 翌朝の出立の折には、長男だけでなく次男までもヒースにすがって別れるのを嫌がってしまい、国が落ち着いたら必ずフォルビアに呼んで一緒に暮らす事を約束してなだめたのだった。
「頑張らねばな」
 家族を思い浮かべてやる気を引き出すと、ヒースは再び書類に向かう。予定よりも早まったが、今日の夜にはエドワルドがフォルビアへ到着する。更に3日後にはベルクも到着するので、今後の対応に追われ、マーデ村で行われる追悼の儀式といった行事に参加すれば、なかなか執務の時間も取れなくなる。時間の融通が出来る今のうちに終わらせておきたいところだ。
 静かな室内にはカリカリとペンの動く音だけが響いていたが、俄かに慌ただしい足音が近づいてくる。
「団長!」
 飛び込んで来たのはルーク部下のラウルだった。
「何事か?」
「例の砦で暴動が起きました」
 もたらされた報告にヒースは腰を浮かせる。
「状況は?」
「マーデ村に待機していた小隊とジグムント卿率いる傭兵団が既に突入しております。ただ、混乱に乗じてラグラスと側近には逃げられた模様」
「奴の兵力は?」
「正確な数字は把握しておりませんが、50人前後と思われます」
 ヒースは地図を取りだす。最悪の事態は常に想定していた。今回の事もあらかじめ予測し、その対応も綿密に計画を立てていた。この写しの地図にはその計画が事細かに書き込まれている。
「ラウル、このまま皇都方面に飛んでこの事を殿下に知らせろ。ルークは砦か?」
「はい。こちらへ報告するように命じられて、砦へは真っ先に突入されました」
「あいつめ……。まあいい、一刻を争う。先に行け」
「はい!」
 ラウルは敬礼すると、すぐに飛び出していく。すると知らせを聞いたのか、城に残っていた竜騎士達が続々と集まってくる。
「この計画通りに街道を封鎖しろ。奴らを絶対に町や村に近づけるな。手が足りなければフォルビア周辺に待機している各騎士団に応援を求める」
 もう執務どころでは無い。ヒースは行き着く間もなく矢継ぎ早に命令を出していく。するとそこへヒースの補佐をしている文官が恐縮したように伺いを立ててくる。
「ヒース卿、ベルク準賢者の部下の方がお目通りを願っておられるのですが、如何致しますか?」
「こんな時に……」
 サントリナ領で足止めされ、痺れを切らしたベルクが部下を先行させたと報告を受けていた。しかし、思った以上に早い到着にヒースは思わず舌打ちする。
「如何致しますか?」
 部下が来たとなると砦での暴動の件がベルクに届くのも時間の問題だろう。そうなるとフォルビアへの到着を早めてくる可能性がある。彼が来れば、あれこれ嗅ぎ回られ、挙句に何かと口出しされるに違いない。
「マーデ村に本陣を用意し、報告は全てあちらに届ける様に通達しろ。面会が終わり次第私も移動する。ラウルはもう出たか? まだならばこの事も殿下に伝える様に言え」
「はい」
 苦しい冬を共に協力し合って乗り切った仲である。彼等の間には連帯感が生まれており、ヒースの新たな命令にも躊躇ちゅうちょなく従う。そして、ヒースがベルクの部下との面談を手早く済ませる頃には、その命令は実行されており、ヒースがオニキスと共にマーデ村へと移動するだけとなっていた。



 アレスも日々届く、各方面からの報告書の山に囲まれていた。ベルクが自身の情報の拠点と信じて疑わない小神殿にいる為に、味方だけでなく、ベルク側の情報も次々と入って来る。
 先だっては情報だけでなく、ラグラスの監視役をしていたベルクの部下が現れた。今までこの小神殿がアレス達に乗っ取られている事にも気づいて無かったので、相手が疑問を持つ間も無く拘束して早速ラグラス側の内情を聞き出した。これにより、内部崩壊も時間の問題だと判断し、レイドを通じてフォルビア側にも伝えておいたのだ。
 更にはアリシアが側に居るのに全くベルクに気付かれていない事や、シュザンナがうまく芝居をしてベルクをサントリナ領に誘導し、時間稼ぎをしてくれた事も知っている。一方でベルクが長引く滞在に痺れを切らしていて、一足早く部下を薬草園へ差し向け、それをうまくスパークがあしらった事も知っている。
 情報を得るだけでは無い。ベルク側には手紙を細工し、自分達の計略が順調であるかのように思い込ませなければならない。これらの事をボロを出さない様に1人でこなすのは無理があったが、ミハイルが派遣してくれたブレシッドの諜報員達のおかげでこの計略は成功している。
「若、砦で暴動が起きました!」
 アレスが諜報員達とベルクがフォルビアに到着した際の対応を協議していると、レイドが息を切らしてやっていた。自重する事を知らないラグラスの暴虐ぶりにとうとう部下達も我慢できなくなったのだろう。
「フォルビア側の対応は?」
「マーデ村に駐留していた小隊と傭兵部隊が混乱に乗じて突入しています。ただ、ラグラスは逃げ出した後だったようです」
「逃げ足の速い奴め」
 アレスは忌々しげに舌打ちをする。
「既に非常線が張られ、奴らの動きは封じてあるようです」
「もうじき日が暮れる。それに乗じて突破する可能性は?」
「無いとは言い切れません。ですが、奴と行動を共にしている部下は50人前後ではないかと言われております。離脱者も出ていますし、竜騎士や騎馬兵相手に力ずくで突破するのは無理かと思います」
 当初、ラグラスの手勢は盗賊も含めて数百人はいたと言われていた。それから比べると随分と数を減らしているが、村や隊商を襲うには十分な数だろう。それを懸念し、今、フォルビアの南西部は竜騎士達によって封鎖されているらしい。
「パットは?」
「砦の制圧に力を貸しています」
「お前も協力しろ。また後で詳細を知らせてくれ」
「分かりました」
 レイドが飛び出して行こうとしたところへ、窓から1匹の小竜が入って来た。クワッと一声鳴くと、パタパタと飛んできてアレスの肩に止まる。
「レイド、ちょっと待て」
 アレスは一目見ただけで、その小竜がラトリに滞在しているルイスと情報をやり取りしている小竜だと気付く。また何か問題でもあったのか、それともブレシッドの養父から何か言って来たのか、胴輪に付けられた小さな書簡入れから手紙を取り出し、素早くそれに目を通していく。
「……」
「若、良くない知らせですか?」
 手紙の内容を読み進めていくアレスの顔色がみるみる青ざめていく。気になったレイドは読み終わるのを待たずに声をかけていた。
「フレアが来る」
「え?」
「姫君もちびも連れてこっちに向かっている」
「えっー!」
 何事にも動じず、常に冷静なレイドもこれには驚いたようだ。
「首座様はご存知で?」
「そんな筈ないだろう。完全にルカの独断だ。ただ、ラグラスの戯言がフレアの耳に入った。さすがに黙っていられなかったのだろう」
「……どうするんですか?」
 レイドは恐る恐るアレスの顔色をうかがう。
「もう来てるな。あの廃墟の外れで待っているとある。……予告してからだと引き返させられると思ったんだろうな。こちらに着いてからこいつを寄越したみたいだ」
 小竜には罪は無い。アレスは手紙を運んできた小竜を労い、手近にあった干し肉を分けてやる。それでも腹立たしいのか、「アイツめ、勝手な事を……」と呟いている。
「如何致しますか?」
 レイドはもう一度お伺いを立ててみる。
「……仕方ない。こうなったらこのまま義兄上に会わせよう。俺をあそこへ連れて行ってくれ」
「分かりました」
 もう砦の事はどうなっても構わない。とにかくフレアの警護の強化が急務である。アレスは手早く身支度を整えると、レイドの駆るイルシオンで館の廃墟を目指した。



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ラグラスが約束した報酬を支払わず、とうとう暴動が勃発。
それにしても逃げ足だけは早い……。
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