群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

176 悪夢の終焉1

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 妻に続いて娘との再会を果たしたエドワルドは、感無量で娘を抱きしめていた。泣きじゃくっていたコリンシアもようやく落ち着いて来たので、エドワルドは数歩離れたところに控えるオリガとティムの姉弟に娘を抱えたまま歩み寄る。
「オリガ、ティム、ありがとう。こうして会えたのもそなた達のおかげだ」
「いえ、私達はただ必死で……」
 オリガは目を潤ませて言葉を詰まらせる。代わりにティムがその場にひざまずく。
「あの時、俺……僕の力が足りないばかりに、殿下の身代わりにもなれなかったから……。だから……だから……もう必死で……」
「ティム……」
「……あのね、ティムはね、コリン達の為にいっぱい、いっぱいがんばってくれたの」
 エドワルドに抱かれたままのコリンシアが父親にどれだけ彼が頑張ったか話し出す。辛い逃避行を支えてくれた少年は、彼女にとって本物の騎士に等しかったのかもしれない。
「いかに腕がたとうと、そなたが残ったのでは命が無かっただろう。私が助かったのも、ラグラスの気まぐれによるものだ。あの時、そなた達だけでも逃げのびてくれて、本当に良かったと思う」
 エドワルドの目の前で彼の妻を寝取ると言うラグラスの歪んだ欲望は永久に理解不能だ。純粋な彼等には聞かせたくも無いし、口に出して言いたくもない。
「ですが……こうして無事でいる事を知らせることが出来ませんでした。ご心配をおかけして申し訳ありません」
 オリガとティムはこの事をずっと気に病んでいた。2人はその場に跪くと深々と頭を下げる。
「それは貴方達の所為ではありません。私が寝込んでしまい、もっと安全な場所への移動が叶わなかったから内密にするしかなかったのです」
 フレアは2人に立つようにうながし、簡単にベルクとの確執を説明した。元よりその事をとがめるつもりは無く、彼も2人に立つように促した。
「ルークが常に力説していた。ティムがいれば我が妻子を飢えさせることは無い、とね」
 エドワルドが手にしていたのはあの村に預けられていたフレアとコリンシアの髪で作られたお守りだった。それを目にしてオリガはあっと息を飲む。
「ルークはあの村にたどり着いた。その仮説は裏付けられ、ついさっきまでそれだけを励みに働いていた。この一件が終わればきっと会えるかもしれない、と思っていた」
「エド……」
 娘を左腕で抱いたまま、妻を右手で抱き寄せる。その彼女の腕の中には、ついさっきその存在を知ったばかりの息子もいる。その幸せをいつまでも満喫していたかったが、今の状況はそれを許してはくれない。
「……」
 エドワルドは空を見上げて目を細める。しばらくは干渉を控えろと命じていたグランシアードから全軍が揃ったと知らせて来たのだ。思わぬ再会に時間が経つのも忘れ、痺れを切らしたアスターが飛竜経由で帰還を促してきたのだ。
「……行かねばならない」
「エド?」
 不審そうにフレアが夫を見上げる。
「立て籠もっていた砦で暴動が起き、ラグラスは僅かな手勢だけ連れてのがれた。今夜中に決着をつける」
 エドワルドの言葉に4人は息を飲む。
「フォルビアの城にはベルクの部下が滞在していると聞いている。君の存在をまだ知られない方が良いだろう。護衛を付けるからロベリアで待っていてくれないか?」
 妻子の顔を交互に見て言うが、2人は素直にうなずかなかった。
「今でも私がフォルビア大公なのでしたら、私は最後まで見届ける義務があります」
「フレア……」
「父様、あのね、村でね、母様が教えてくれたの。おばば様はコリンに女大公になって欲しかったって。だったらね、コリンも最後までいないといけないと思うの。それがね、えっと為政者となるものの責務だってお兄ちゃんが教えてくれた」
 とても子供が発した言葉とは思えず、エドワルドは驚きのあまり言葉に詰まる。だが、ここで引いてしまう訳にはいかなかった。
「何が起こるか分からない。危険だからロベリアで待っていてくれ」
「嫌です。……もうこれ以上、何もせずにただ待っていたくありません」
「フレア……」
 光を映す事のない彼女の双眸から強い意志を感じてエドワルドはひるんだ。どう説得するか言葉を探っていると、新たな気配が近づいてくる。
「彼女達の護衛は俺達がする。だから連れて行ってくれないか?」
 そこには2人の若者が立っていた。1人は金髪。良い男なのだが、何故だか左の頬を腫らしていて、唇の端を切っていた。理由を聞かない方が良いんだろうなと頭の片隅で冷静に分析していると、ルルーを通じて見えたのか、僅かに傍らの妻が息を飲んだのに気付いた。
 もう1人の若者は黒髪で傍らにいる妻によく似ており、肩には見覚えのある小竜を乗せていた。いつも情報を流してくれていたのはどうやら彼だったようだ。
 そしてこの2人の内1人がコリンシアに為政者としての心構えを説いてくれたのかもしれない
「弟……ですの」
 遠慮がちに妻が2人を紹介してくれる。それでようやく彼等が得た情報を惜しげも無く流してくれた理由が理解出来た。彼等もフレアの為に必死だったのだ。
「初めまして。アレス・ルーンといいます。彼はルイス・カルロス」
 エドワルドは2人と握手を交わす。ブレシッド家の内情には詳しくないが、紅蓮の公子の異名を持つルイスの名は知っている。彼を弟だと紹介されたことから妻の養父母はあの高名な夫婦なのだろう。冬を乗り切るために行われた不可解ながらもありがたい援助の数々は、きっと彼等が手を回してくれた結果なのだと彼は瞬時に理解した。
「姉は言い出したら聞きませんし、何より時間が惜しいかと。竜騎士は我らの他に9名同伴しておりますので、護衛は任せて下さい」
「……いざという時は連れて逃げてもらえるか?」
「勿論です」
「仕方ない。最後まで見届けてもらおう」
 エドワルドは仕方なく了承する。確かにエドワルド自身も再会したばかりの家族と離れがたかったし、時間が押し迫っていた。飛竜経由でアスターから催促されたらしい護衛達も姿を現して陣への帰還を促してくる。
 その時、南西から現れた飛竜が見事な軌跡を描き、タランテラ軍が簡易の陣を敷いた東側の麓へ舞い降りた。そのスピードにアレスもルイスも軽く目を見張る。
「エアリアルだな」
 エドワルドに言われるまでも無く、そうと気付いていたオリガは落ち着かない様子でエアリアルが降りた東側の麓へ視線を送る。
「先に行きなさい」
 エドワルドに後押しされてもまだ躊躇ためらっていたが、フレアが優しくうなずくと、2人に頭を下げて彼女は駆け出した。すぐにティムもそれに続くが、彼女達だけでは不審者とみなされてしまう。エドワルドの指示で護衛の1人がすぐに後を追っていった。
「さ、我々も行こう」
 エドワルドは娘を抱えたまま、妻を促して歩き始めた。その様子をルイスは複雑な気分で眺めていたが、アレスに促されて彼も幸せそうな家族に続いて歩き出した。
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