群青の空の下で(修正版)

花影

文字の大きさ
上 下
376 / 435
第3章 ダナシアの祝福

11 グルースの受難2

しおりを挟む
 和やかでいて終始甘い空気が漂っていたお茶会という名の苦行をどうにか乗り切り、ホッとしたのも束の間、グルースはフレアに呼び止められた。
「グルース、ちょっと診て貰いたい子がいるの」
「それは……構いませんが……」
 フレアに懇願されればグルースに断る理由は無い。城下に出かけるスパークとレイドと別れ、彼はフレアと彼女の護衛も兼ねていると言うワールウェイド女大公、年配の軍医に何故か隊長の記章を付けた竜騎士を伴って別室に案内される。
 そこには大きめのゆり籠が2つ並べられ、中にはそれぞれ赤子が眠っていた。1人は相変わらずポヤポヤの髪をしたエルヴィンでもう1人はエルヴィンよりも小さいながらもふさふさとした赤毛が生えそろっている赤子だった。室内には他につい先日までラトリ村にいたオリガと見知らぬ女性が2人、そしてソファには5歳くらいの男の子が横になっていた。
「お待たせいたしました」
 フレアの話では1人は第3騎士団長の奥方で、眠っている赤毛の赤子は生後1か月になる彼等の息子だった。もう1人の女性はディアナと名乗り、彼女とソファで横になっている子供は親子で、団長夫妻とは懇意にしていると説明される。同行した隊長は彼女と親しいらしく、側に寄ると元気づけるように肩を抱き、横になっている子供の顔を覗き込んで声をかけていた。
「診て貰いたいのはこの子なの」
 フレアが指したのは赤子では無く、ソファで横になっている男の子だった。見ると顔や手に赤い発疹が出来ており、膿んでいる箇所もある。着ているシャツをはだけると、体のあちこちに同じような発疹が出来ている。かゆみを緩和させる為か、水の入った皮袋が用意されているが、そんなものでは気休めぐらいにしかならないだろう。
「ひどいな」
 子供は余程痒いらしく、ズボンの上から掻こうとしている。グルースはその手を軽く掴んで止めさせると、フレアや心配そうに覗き込んでいる母親に断ってから子供のズボンを脱がせた。
「これはいつから?」
「10日程前です。最初はちょっとだけだったから手持ちの薬を塗っていたのですけど、治るどころかひどくなってきて、4日前に町のお医者様に診て頂きました」
 団長夫妻や隊長がエドワルドとフレアの婚礼の前日に会った時にはここまでひどくなかったらしい。この数日でどんどんかぶれの範囲が広がり、慌てて診て貰った町医者から処方された薬を塗ったのだが、見ての通り一向に良くなる気配はない。
 子供の状態に驚き、ディアナの憔悴ぶりを気の毒に思った夫人や隊長の口添えでバセットが診察したのだが、それでもかんばしい結果が得られなかったようである。
「昨日ワシが診るとこのような状態だった。町医者の処方したものと別の薬を用意したが、大して効いてはいない様じゃ」
 バセットと名乗った老医師は高名な医師ではあるが、彼の専門は妖魔の傷病。普段診ているガタイのいい竜騎士と目の前にいる幼児とでは勝手が異なり加減が難しいらしい。困っていた所へフレアが話を聞きつけ、今日来るグルースに見て貰おうと提案したのだと言う。
 勝手な事を……と思わなくはないが、目の前には苦しんでいる患者がいる。幸いにもこの症例を治療した経験もあり、自分達の技で救える人がいるのなら、その技を惜しむべきではないと敬愛する師に教え込まれているグルースに迷いは無かった。
「俺の荷物を」
「すぐお持ちします」
 部下に命じれば済むところを隊長自ら動いて部屋から出て行く。グルースは他に綺麗な水の入った桶と清潔な布を頼み、子供には大丈夫だと安心させる。そして自分は顔合わせの為に着ていた一張羅の上着を脱いでシャツの袖をまくった。
「失礼します」
 バセットから軟膏の成分を聞き出していると、隊長がグルースの荷物を持って戻ってきた。手伝いに駆り出されたのか、竜騎士見習いの服装をしたティムを伴っている。
「おう、坊主じゃねぇか」
「お久しぶりです、グルースさん。念願がかないました」
「良かったじゃねぇか」
 見知った顔がいるおかげでどうやらいつもの調子が戻ってきた。軽口をたたきながらも、運ばれてきた荷物の中から手慣れた様子で中の物を取り出していき、手近にあったテーブルにそれらを広げた。そしてオリガが持ってきた桶の水で手を清めると、早速その場で調合を始める。その真剣なまなざしにその場にいた一同は固唾をのんで見守る。
「さっきの軟膏をこまめに塗り、これを煎じて薬湯にしたものを朝晩飲ませれば大丈夫だろう。今は効きが悪いように見えるが、数日たてば良くなってくるはずだ」
 調合を終えたグルースは薬をオリガに手渡した。ラトリでペドロ直々に教えを受けた彼女なら、薬効を無駄なく抽出できると思ったからだ。受け取った彼女は早速薬湯を作るために席を外した。
「良かった……」
 安堵した様子のディアナの肩を隊長はさりげなく抱いている。その様子を他の女性陣は暖かく見守る。ティムがこっそり耳打ちしてくれた話によると、隊長の方がディアナに思いを寄せているらしい。彼女の方もまんざらではないらしいのだが、何やら屈託があってその思いに応えられずにいるという。
 まあ、グルースにしてみれば、誰が誰と付き合おうとも関係ない話なのだが……。



 予定では翌日に薬草園へ行き、作業員達を束ねていたスパークから彼等を紹介してもらうつもりでいたのだが、患者の経過が気になったグルースはもう数日ロベリアに逗留とうりゅうする事に決めた。薬草園へはタランテラ側が送ってくれることになり、事情を聞いたスパークとレイドは聖域に引き返していった。
「なんだかなぁ……」
 ロベリアに留まると決めたはいいが、グルースはまたもや後悔していた。始終側に付いていなければならないような重篤な患者では無いので、朝と晩に子供の様子を見に行く程度しかする事が無い。しかもたいていの場合あの隊長が同席しており、常に母親に熱い視線を送っているので見ているこっちが胸やけを起こしそうである。
 幸いにも回復の兆しが見えており、今日は早々に切り上げてきた。今はエルヴィンと一緒にいた団長夫妻の長男の検診を行っている。手厚いお世話を受けているおかげで、2人共発育は順調そのもの。特に問題点も見当たらない。
「健康そのもの。問題なし」
 グルースのお墨付きをもらい、母親2人は顔を綻ばせた。そして一仕事終えたグルースは彼女達に勧められて濃い目に淹れてもらったお茶を飲んでいた。そこへ午前中の仕事を終えたエドワルドがひょっこりと姿を現す。
「お仕事終わりましたの?」
「ああ。ロベリアでの仕事はこれで済んだ。後はしばらくゆっくりできる」
 当然のようにフレアの隣に腰かけたエドワルドは、ホッとした様子で着ている竜騎士正装の襟元を緩めた。彼女は夫にねぎらいの言葉をかけると、彼の好きなお茶を淹れて差し出した。
 ロベリアの視察は当初から予定に組まれていたものだが、フレアが帰還し、そしてその素性が明らかになった事で大幅な見直しが必要になった。一行がロベリアに到着する前日から面会の申し込みが殺到したのだ。単に祝いに来てくれるなら構わないが、明らかに取り入ろうとする下心が丸わかりなのだ。特にフロリエとしての彼女を見下していた者達は、取り繕おうと躍起になっている。
 結局、元々親しくしていた者達とはフレアを同伴して個別に会い、それ以外の者達は妻子の安全を考慮してエドワルドが1人で応対していた。それもようやく終わったらしい。
しおりを挟む

処理中です...