群青の空の下で(修正版)

花影

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第1章 群青の騎士団と謎の佳人

28 飛竜レース3

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 しばらくして次の神殿が見えてきた。目印として立つ旗には大地の紋章が染め抜かれていて、ここにも多くの見物人が集まっている。
 さすがにこのくらいの時間になると、日差しが随分と強くなっている。エアリアルの体力を考え、ルークはここで水分補給させることにした。
 優雅に着地すると、エアリアルは水飲み場に直行し、ルークは神殿内に駆け込む。別ルートをたどる竜騎士とも鉢合わせしたが、滞りなく印章を押してもらえた。炎の印章を押してもらった時同様に祈りの言葉をかけてもらったので、ルークは礼を言ってから神殿を飛び出した。
「行こう!」
 水を飲み終えていたエアリアルは助走を始めていた。ルークは彼に走り寄り、勢いを止めることなくその背に乗った。見物人の声援に片手を上げて応える余裕もある。
「次は水の印章だな」
 喉を潤したエアリアルは力強く羽ばたき、上昇気流を捕まえるとぐんぐんと高度を上げる。そして高度が安定すると、ルークも革袋を手にして自分も喉を潤す。随分と減っているので、次では自分の水も補給する必要がある。
 日差しは一層強くなり、次でもエアリアルに水は必要だろう。彼の背にしがみつきながら、頭に叩き込んだ地図をもう一度思い浮かべる。
「問題はあの気流だな」
 ルークが最後に寄ると決めた風の印章をもらう神殿の上空には、通常飛竜が飛行する高度よりさらに高い位置に、皇都に向けて突風と言っていいくらいの気流があった。
 昨日の昼間、辺りを飛んでいて見つけたのだ。昨夜のアスターの話では、その気流は皇都勤務の竜騎士には有名なのだが、使いこなせるのは一部だけだと言う。ルークも数度チャレンジしてその難しさは分かっていた。少しバランスを崩しただけで、大きく高度を落としてしまう。
「いけるかい?エアリアル」
 ルークの問いかけに彼は力強く答えた。彼らの戦いはまだまだ続く。



 レースも中盤を迎えていた。アスターがヒースと共に警備する水の印章の神殿も、もう3人の竜騎士が立ち寄っていた。まだルークは来ていないが、昨夜の話しぶりからすると、あの気流を利用するつもりのようだ。それならばきっと最後に立ち寄るのは風の印章を押す神殿のはずだから、そろそろ寄る頃合いである。
「とりあえずは順調だな」
「ああ」
 朝、飛竜を止めていた崖にアスターとヒースは戻っていた。地上の警備は一般の兵士に任せ、彼らはもっぱら崖の上で監視をしていた。彼らの存在感を示すだけで十分に効果があるのだ。時折辺りを飛んで警戒し、選手が来たら邪魔にならないように気をつけながら動向を監視する。夏の日差しは強く、こうしているだけでも熱いので、2人は日よけのフードをかぶっている。
「これがワインだったらなぁ……」
 革袋からぬるくなった水を一口飲んで、ヒースがしみじみと呟く。
「仕事にならなくなるだろう」
 アスターは言い返し、彼も革袋の水を口に含んだ。
 8年前のレースも暑い最中に行われた。彼とファルクレインもこの暑さと戦いながらゴールを目指した。序盤からデットヒートを繰り返し、結局一番手の鐘を鳴らしたのは、今隣にいるヒースで、アスターは一歩及ばず2番手だった。悔しいとも思ったが、精一杯やったので悔いは無い。ルークにも順位に関係なく悔いを残さないレースをして欲しかった。
 あの時のレースのおかげで上級騎士と認められ、そしてその後、エドワルドに副官として抜擢されて今の自分があった。そんな思い出に浸っていると、ここに向かってくる飛竜の姿が見えた。ファルクレインが空に向かって声を上げる。

 ゴッゴゥ…

 仲間の飛竜に対する挨拶である。
「お、次がきたな」
「あれは、エアリアルだな」
 ファルクレインの行動でアスターはすぐに気付いた。
「エアリアル? お前の所の若い奴の飛竜か?」
「ああ」
 エアリアルは滑らかに着地すると、真直ぐ水飲み場に向かい、乗り手のルークは飛竜が着地するより前に飛び降りて、神殿に駆け込んでいく。しばらくしてルークが出てくると、水を飲み終えていたエアリアルは既に離陸の助走に入っていて、彼は身軽にその背中に飛び乗った。
「なかなかやるな」
 ヒースにそう言ってもらえると、アスターも嬉しかった。ルークは自分と同じ風の資質を持っているので、連携をとる為にかなり厳しく指導した愛弟子だった。長く見習いをさせられた割には武術をほとんど教えてもらっていなかった事もあり、基礎から徹底的に叩き込んだ結果、鍛え上げられた彼の体は入団当初よりも一回りも大きくなっている。
「ああ。速さだけなら私も負ける」
「ほぉ……」
 エアリアルは風を敏感に読み取る能力が優れている。そしてそれを的確に分析する能力がルークには備わっていて、最早アスターとファルクレインが同じルートを飛んでも追いつけない程になっていた。その能力を生かし、妖魔討伐の折にはアスターと共に先鋒を任されるまでになっていた。
 エアリアルが上昇し、2人に近づいてくる。ファルクレインとアスターに気づいてルークは目礼し、次の神殿を目指してエアリアルはスピードを上げた。



 無事に水の印章をもらい、次は光の印章の神殿である。ここでルークは勝負に出る事にした。次の神殿でしっかりエアリアルに水を飲ませ、最後の神殿では上空待機させてロスを無くす事にしたのだ。そこからならば皇都に帰るだけだし、あの風を効率よくつかむためには出来るだけ体を軽くしておいた方がいい。
「頼むよ」
 ルークの声にエアリアルが一声鳴いて答える。飛竜と騎手は一丸となってひたすら次の神殿を目指した。
 そして光の印章の神殿に着くと、ルークは予定通りたっぷりと水を飲むようにと飛竜に促しておく。今までの神殿同様、祈りの言葉をもらって印章を襷に押してもらう。エアリアルも十分に喉を潤したらしく、彼が神殿から出てくるとすぐに離陸の助走に入った。その背中にルークは飛び乗り、最後の神殿に向かう。
「あと1つ!」
 ここまでは順調だった。気を抜かないように自分に喝を入れ、エアリアルにはもう少しだから頑張ろうと声をかける。彼からは楽しい、嬉しいという思念が返ってきて、ルークもつい口元が綻ぶ。シャツに縫い付けたお守りを握りしめ、エアリアルに先を促した。




 太陽が随分と高くなった頃、最後の神殿に着いた。最初の印章の時と同じように、エアリアルが低空で滑空したところで飛び降りると、ちょうど1人の騎士が神殿から出てきた。第1騎士団の記章がかろうじて分かったが、騎竜帽で顔は分からない。すれ違う時に片手を上げて挨拶だけはしておいた。おそらく彼もここが最後だろう。急がねばならない。
 逸る気持ちを抑え、神官から祈りの言葉をもらって印章を押してもらい、外へ駆け出す。ベストなタイミングでエアリアルがきたので、うまく飛び移って背中に上る。これにも見物人からは大きな喝采を浴びた。
「さあ、皇都に帰ろう!」
 自分を鼓舞する為に声に出して気合を入れる。それに応じるかのようにエアリアルは高度を上げる。覚えていた地形を頼りに高度を上げてあの風を探していると、グンとスピードが上がった。
「捕まえた!」
 エアリアルはすぐに風を受けやすいように羽根の角度を変え、スピードをグングンと上げていく。やがて、前方にさっきの竜騎士らしき人物が乗る飛竜が見えた。彼もこの風を利用しているらしく、なかなか差は縮まらない。それでも最後まで諦めたくは無かった。
「あれをしてみるか……」
 脳裏に浮かんだのはアスターに習った、上空から急降下する技である。魔物を混乱させる効果があり、群れの前後を挟み撃ちにするために、その精度を上げる訓練を重ねてきた。だが、こんな上空から使った事は無く、一抹の不安がよぎる。
「できるな、エアリアル?」
 ルークの問いかけに飛竜は力強く答えた。彼はお守りを握りしめ、腹をくくった。
 山を越えて平原の向こうの川沿いに皇都が見えてきた。一際大きく、それでいて白く優美な本宮の手前、特設の会場の中心に鐘が見える。あれを鳴らせばゴールである。
 そろそろ限界なのだろう、前を飛ぶ飛竜が高度を落とした。ルークとエアリアルはそこを耐え、風に乗り続ける。そして広場の少し手前、皇都の街並みを見下ろす位置に来たところでエアリアルにサインを送る。
「ゴー!」
 エアリアルは翼をたたみ、きりもみするほどの勢いで急降下する。ルークは飛ばされないようにしっかりとしがみつきながらも迫りくる地面を見据えていた。絶妙なタイミングで合図をすると、エアリアルは羽を広げて急制動をかけた。ルークはその背を蹴って飛び降りると、広場の中央にある鐘を目指す。先行していた竜騎士も彼らの左側に着地しており、ほぼ同時に飛竜から飛び降りている。2人の竜騎士が同時に飛び込むようにして鐘を鳴らす紐に手を伸ばした。
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