群青の空の下で(修正版)

花影

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第1章 群青の騎士団と謎の佳人

62 踏みにじられた温情2

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「……この女は……」
「子供は……」
「……後は手筈通りに」
 重く感じる頭を抱えてフロリエが目を覚ますと、複数の男女が交わす会話が聞こえた。ルルーの気配はしないが、傍らにはコリンシアの温もりを感じる。しかし、ぐっすりと眠っている様子で身動きがない。手で触れて辺りの様子を確認すると、固い寝床に寝かされていて一応毛布らしきものがかけられている。彼女は肌寒さに思わず身震いをする。
「ここは……どこ?」
 霞がかかったような記憶をたどろうとするのだが、ズゥンという頭の痛みが邪魔をする。この頭の重さに何故か心当たりがあった。少量でも良く効く睡眠薬の一種で、この頭重感が副作用だった記憶がある。それを自分達に使われたのだとはっきり自覚すると、フロリエは肝が冷えた。
「女がもう起きたぞ」
「何?」
「朝まで効くはずじゃないの?」
 フロリエが起きた事に気付いて彼らは慌てた様子だった。何も見えず、状況が把握できない彼女は不安で押しつぶされそうだったが、確かめなければならない。傍らのコリンシアを手探りで抱き寄せ、必死に呼びかけて揺り起こそうとする。
「コリン様、コリン様」
 ぐっすりと眠っていてコリンシアは起きる気配もない。そんな姫君を抱きしめ、フロリエは人の気配がする方向に顔を向ける。
「何が目的かはわかりませんが、まさか子供のコリンシア様にも薬を使ったのですか? 幼い子供への薬の使用は、一歩間違うと重篤な障害が残る恐れがあります!」
 怒る論点は違う気がするが、それでも彼女はコリンシアの為に語気を荒くする。そんな彼女に彼らは一瞬怯んだ様子だったが、男の1人が彼女の乱れた髪を乱暴に引っ張る。
「随分と強気だが、自分の立場がわかってねぇのか?」
「嘘か本当か知らないけど、目が見えないという話よ」
 女性の声を聞いて何があったのか思い出した。小神殿での慰問が終わり、応接間で休憩しているところへグロリアの館に侍女奉公に上がっていたリリーという名前の女性が謝罪をしたいと言って入ってきたのだ。
 オリガは随分と警戒していたが、彼女にも同席してもらって話を聞くことにしたのだ。だが、その話の途中で記憶が途切れている。
「何が、目的なの?」
「貴女、殿下と婚約したんですって?」
 リリーはフロリエの質問には答えず、逆に高飛車に訊ねてくる。しかし、婚約など全く身に覚えのないフロリエは首を傾げる事しかできない。
「何の事でしょうか?」
「とぼけないで。先日の夜会では殿下との仲を見せびらかして随分と楽しそうだったじゃない」
 先日の祝いの席の事だと気付いたフロリエは、密やかに交わされる会話の中に自分がエドワルドの恋人だと噂されていた事を思い出した。心配になってエドワルドに尋ねたが、いつもの事だから気にしなくてもいいと言われ、そのまま特に気にかけていなかった。
「私は女大公様の名代で参ったのでございます。グロリア様に頼まれて殿下は私に付き添って下さっていたのです」
 彼女はあの時の噂を信じてこんな事をしたのだろうか? コリンシアはただ巻き込まれただけなのだろうか? 一緒にいたオリガや護衛達はどうしたのだろうか? グルグルとフロリエの頭の中で疑問符が飛び交っている。
「事故を装って同情を誘い、子供を出しに殿下に近づくなんて随分とやり手なのね。もしかして、今までにもこうやって同情を誘って稼いでいたの?」
「何を……」
 相手の言っている言葉が理解できず、フロリエは昏々と眠り続けるコリンシアを抱きしめた。
「知っているのよ、私。貴女娼妓なんですって? あのお館は貴女みたいな人がいていい場所じゃないの。ましてやこの国で最も高貴な血に連なる殿下のお傍に近寄ることも許されないのよ。さっさと元居た場所に帰りなさいよ」
「な……」
 投げかけられた言葉が理解できないでいると、彼女はフロリエからコリンシアを奪い取ろうとする。必死に抵抗するが、目の見えない彼女はなすすべもなく小さな姫君を奪い取られ、なおもすがろうとすると硬い床に突き飛ばされてしまう。
「あ……」
「扱いにくいけど、姫様は私が預かるわ。甘やかしさえすればいいんだし、楽なものよね。そうすれば殿下の寵愛も得られるし、陰気臭い修道院からも出られる」
 リリーは己の行動が正しいと信じている様子だが、これはれっきとした犯罪だ。皇家の姫君を拉致しているのだから、通常よりも罪は重くなる。彼女はそれが分かっているのだろうか?
 自分はともかくコリンシアを助けるために、エドワルドは躊躇せずに部下を集めて全力でその行方を追うだろう。飛竜の力も加われば居場所はすぐに判明し、いくら護衛がいても精鋭の竜騎士が突入してくれば抵抗する間もなく制圧されるだろう。
「この様な手段を用いた時点であなた方は既に罪を犯しています。ましてや、皇家に連なる姫君を攫ったのです。それこそ一生牢に入る事になりかねません」
 フロリエは半身を起こし、毅然として顔を上げる。そして挫けそうになる心を叱咤して見えない目で相手を見返す。彼女は幼い姫君を守る為に必死だった。それでも語調を荒げず、冷静に淡々とした口調で相手の説得を試みる。
「あんたに惑わされた殿下が真実に気付かれればそれで済む話だわ」
「貴女の仰る真実が何であろうと、これは許される事ではありません」
「うるさいわね!」
 リリーに突き放され、側に居たガラの悪い男がフロリエの髪を強く引っ張った。
「後は好きにしていいんだよな?」
 髪を掴んでいた男はフロリエの腕を掴んで固い寝台へ引きずり戻す。そして固い寝台に押し倒されて伸し掛かってくる。男の気配は1人ではない。もがいて必死に抵抗を試みるが、手も足も押さえつけられている。
「なかなかの上玉じゃないか」
 舌なめずりをしていそうな野卑な言葉にフロリエは改めて恐怖を感じた。
「後は好きにして」
 リリーはそう言い残して立ち去ろうとするが、別の男にその行く手を遮られる。
「ちょっと、どけてよ」
「待ちねぇ、嬢ちゃん。あんたもその姫さんも一緒に来てもらうぜ」
「冗談でしょ?」
「いい金蔓を手に入れてくれて感謝するぜ、嬢ちゃん」
 言い争う声が聞こえる。リリーは手を組んだ相手に裏切られたらしく、事態は余計に悪化していた。
「離して!」
 とにかくコリンシアを助けなければ。フロリエは懸命に抵抗するが、のしかかってきている男には敵わない。
「大人しくしろ」
 バシッと頬をはたかれる。抵抗が弱まったところで伸し掛かった男は嬉々としてフロリエの衣服に手をかけた。
「いやー!」
 フロリエは力の限り叫んだ。




 エドワルドが問題の猟師小屋がある森に着くと、捜索に加わっていた全ての竜騎士と多くの騎獣兵が集まっていた。気配を殺し、突入の指示を今か今かと待っている。ただ、それだけの人数が集まっていても、小屋への入口は限られている。
「外の見張りは3人。中には男女合わせて4人確認されています」
 現場で指揮を執っていたアスターの説明を聞きながら、エドワルドが離れた上空で現場を確認する。そして仮の陣に戻ってくるととんでもない指示を与える。
「まずは外の見張りを中にいる仲間に気付かれない様に確保しろ。その後、屋根を飛竜で一気にはがし、竜騎士は上から突入する。残りの兵士たちは周囲を固め、逃れた犯人を捕えよ」
 壁は石造りで頑丈にできているが、屋根は木で組んだ枠に板が打ち付けられたものを上にのせて留めてあるだけの簡素な造りとなっていた。飛竜の力ならば簡単に剥がせるだろう。無茶だと思われるが、誰も反対はしなかった。
 簡単な打ち合わせが済むと、すぐに全員配置につき、エドワルドの号令の下、作戦が決行される。
「かかれ!」
 先ずは、音もなく忍び寄っていた精鋭が表にいた3名の見張りを昏倒させる。そしてフォルビア騎士団の飛竜達が強引に屋根が引きはがす。

バキッ!メリメリメリ……

 屋根の破壊音に混ざってフロリエの悲鳴を聞きつけたエドワルドは、グランシアードの背から飛び降り、埃が立ち込める小屋の中へ真っ先に突入した。目の前にあるのは猟師が仮眠用に使っていたと思われる固い寝台。そしてそこには男に組み敷かれたフロリエの姿があった。
「!」
 それを目にしたエドワルドは瞬時に頭に血が上った。あっけにとられている男の顎に渾身の一撃を見舞うと、すぐにフロリエを抱きしめる。
「フロリエ」
 衣服は乱れているが、辛うじて間に合ったらしい。抱きしめる腕が自分でも気づかないうちに震えていた。
「……殿下?」
 安堵したのか、彼女の目からは涙が溢れている。
「遅くなって済まない」
「いえ……。コリン様は?」
 だが、気丈な彼女は自分が助かり安心する間もなく、コリンシアの安否を気にする。驚きながらも彼女を抱き上げて振り向くと、リリーも男達も竜騎士達によって全員取り押えられていた。最大の懸念であった姫君もルークの腕の中で場違いなほど健やかな寝息を立てている。右腕一本でフロリエの体を支え、左手で娘の頭を撫でる。何も知らない無邪気な寝顔は埃で少し汚れていた。
「でも、強い薬を飲まされています。何かあったら……」
 無事だと分かってなお、フロリエはコリンシアの体を気遣う。そんな彼女が痛々しくもあり、エドワルドは胸が熱くなった。
 視線をルークに送ると、心得た彼はすぐさま館に向かった。エドワルドもその後に続いて埃っぽい現場を離れ、後をアスターに任せると彼女を抱えたままグランシアードの背に跨った。
 月明かりの下、フロリエの顔を見れば痛々しいほどに腫れている。それでも彼女は気丈に振る舞おうとするが、恐怖感がわいてきたのか彼の胸に縋って泣き始めた。その姿に彼は改めて彼女を守りたいと切に思うのだった。
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