群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

38 不協和音2

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 皇都、本宮南棟の執務室。ワールウェイド公グスタフは、差出人が異なるフォルビアから来た2通の手紙を机に並べ、苦笑していた。
 一通は現在仮のフォルビア家当主として認めてやっているラグラスからの物で、手配中の女が死んでいたことを報告してきた。もう一つはフォルビアの親族からの物で、無能なラグラスに代わって彼の息子をフォルビア公として認めてもらいたいという内容だった。どちらも彼と縁戚を結びたいと言ってきており、ラグラスはマリーリアに、その息子はグスタフの末の孫娘に求婚してきていた。
「悪い気はしないが、さて……」
 タランテラ国内の実権をほぼ手中に収めた彼の元へは似たような申し入れはいくつも来ていた。むろんすべてに応じることはできないので、本当に自分の役に立つ相手の申し入れを厳選して受けるつもりでいた。
「どちらを優先するか……」
 どちらにも応じる義務はなく、どちらかを無理に選ばなくてもよかった。ただ、現段階ではラグラスの申し出に応じた方が得策のように思える。だからと言ってこのままあの男が自分に従順であるとは思えなかった。
「親族達も考えたものだな……」
 幼い子供であれば、育てようによっては周囲の大人に頼るように仕向けることもできる。かつて自分がゲオルグにした同様の事を彼等はしようとしているのだ。手の内がわかるだけに、周囲を固めようとする大人は邪魔に感じる。
「保険をかけておくことにしよう」
 グスタフはそう呟くと、親族達からの手紙を破り捨てた。このままマリーリアをラグラスに嫁がせて跡継ぎが出来ればそれでよし、もしできなかった、もしくはその前に自分にはむかうようであれば親族達が担ぎ出そうとしている子供をフォルビア公に仕立てようと考えたのだ。もちろん邪魔な親族達は排除してからの話である。
 グスタフは手早く2通の手紙に返事をしたためた。ラグラスには了承した旨を、親族達には子供に会ってみたいから皇都に連れてくるようにという内容だった。
「誰か」
 グスタフは呼び鈴を鳴らして侍官の一人を呼び出す。
「これをフォルビアへ。くれぐれも宛名を間違えないように」
 そう指示を与えると、手紙を侍官に渡す。若い侍官は指示を復唱し、手紙を持って退出していった。
「さて、これでもうあの娘を見なくて済む」
 従兄の孫にあたるマリーリアを見ると、否応なしに血塗られた己の過去を思い出してしまう。せめて髪があの色でなければ、こうまで罪悪感にかられることは無かっただろう。
『嘘やごまかしで足場をいくら固めても、ひとつの真実で崩れゆくものだ』
 彼が……マリーリアの実の父親が今際の際に語った言葉だった。
「嘘だろうとまやかしだろうと、勝ち残った者が真実だ」
 グスタフはひとり呟いた。



 囚われてから1月余りたったとある夜更け、エドワルドはいつものように固い寝台で横になっていた。受けた傷もすっかり良くなり、動かせるようになった手足を出来るだけ動かして以前の様に鍛えなおす努力をする一方で、愛する妻子の無事を祈る日々を送っていた。
 ふと、扉の外に人が近づく気配がして目を覚ました。妙だと思い、油断なく身構えていると、重い扉があいて数人の護衛と共にラグラスが現れた。
「貴様!」
 エドワルドは反射的につかみかかろうと体が動きかけるが、ラグラスは護衛を盾がわりにしているので、容易に近づけないのに気付いて思いとどまる。
「これは殿下、ご機嫌麗しゅう」
 にやけた表情でラグラスが挑発するように声をかける。
「麗しいように見えるか?」
 エドワルドは思いっきり侮蔑を込めてかえす。だがラグラスは、そんなことを気にもとめずに護衛の後ろから何かを取り出して彼に見せる。
「これが何だかわかるか?」
 鎖の先に、表面にフォルビアの紋章が刻まれた硬貨ほどの丸いものが見える。
「……」
 エドワルドは答えない。それの正当な持ち主は彼の妻であり、ひと月程前にリラ湖で別れた時にも彼女は肌身離さず持っていたはずのものだった。それが今ラグラスの手にあるということは、彼女の身に何かあったことを示していた。
「リラ湖の西岸に漂着した小舟に親子の死体があったそうだ。荒れた湖に出たばかりにかわいそうなことをしたな。いい女だったが、惜しい事をした」
 エドワルドは他人事のように話すラグラスの言葉を聞き流す努力をするが、自分でも青ざめているのがはっきりとわかった。
「ま、来月には正式に私の就任式を行うことで皇都の宰相殿と合意している。前祝に妻子の元へ送ってやるから安心しろ」
 部屋が暗かったことが幸いし、彼の表情までははっきりとは分かっていないらしい。ラグラスは得意気に己の栄達を披露する。
「ワールウェイド公に更なるよしみを結ぶために、彼の娘との婚礼を申し入れたら了承された。誰だかわかるか?マリーリア嬢だ。あの高貴な髪を我が物にできると思うとたまらないな。どのようにいたぶるか、今から楽しみだ」
「な……」
 皇家と同じ髪を持つ、自分には妹の様にも錯覚する女性の名をきき、エドワルドは今度こそ狼狽を隠せなかった。
「就任式と同じ日に婚礼を行い、その10日後にはゲオルグ殿下の即位式が行われる。見せてやれないのが残念だな。ははは……」
 言いたい事だけ言うと、ラグラスは踵を返し、護衛達に守られながら部屋を後にする。重い扉には再び鍵がかけられ、静けさが戻ってきた。
「嘘……だろう……」
 突き付けられた現実にエドワルドは立ち直ることが出来なかった。


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12時に次話を更新します。
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