群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

72 綻び始めた計略1

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 祈りを捧げに神殿に籠る朝、出立前にアルメリアは特別に許可が出たので祖父を見舞っていた。
「お祖父……様……」
 2か月ぶりに会った祖父は随分と弱弱しくなっていた。アルメリアが声をかけると、アロンは寝台に横になったまま、可愛い孫娘に手を差し伸べる。
「アル……メリア……。すまぬ……すまぬ……」
 アロンはアルメリアの手を握りしめ、ひたすら謝罪の言葉を口にする。
 現在の状況を生み出した原因は、やはり政が苦手なアロンがそれらを家臣に任せきりだったことに尽きるだろう。アロンも竜騎士の資質が低かったこともあり、グスタフに親近感を抱いた彼が、特にグロリアが国政から引退した後はサントリナ公やブランドル公よりもワールウェイド公の進言を重用してきた結果ともいえる。
 2人の優秀な息子を失い、更にはかわいい孫娘までが不便を強いられているという事態に陥り、ようやく自分がとんでもない間違いを犯してきたことに彼は気づいた。精神的なショックとストレスが相まって、彼の病状は悪化の一途をたどっていた。
「お祖父様、お祖父様が謝られる事ではありません」
 アルメリアは骨ばった祖父の手をそっと握り返す。久しぶりに会った2人は感無量でそれ以上の言葉が出てこない。
「皇女様、出立のお時間が迫っております」
 そんな2人を気遣う様子もなく、ドロテーアは無機質に淡々と面会時間の終了を告げる。
「もう? もう少しどうにかできないの?」
「皇女様、予定の変更は私どもを初め、護衛の兵や付き添う文官及び神官方の時間と手間を無駄に致します。その様な影響を考えなしに仰られるとは如何な事かと存じますが?」
「……」
 彼女の言葉にアルメリアは反論できずにうなだれる。だが、国主付きの年配の女官が彼女を庇う。
「おや、その程度の変更も出来ないとは、最近の女官は随分と質が落ちたこと。主の我儘に応えてこそ、その力量が試されるのではなくて? 尤《もっと》も、そなたの主はワールウェイド公か。だが、皇女様のご身分はその上に有らされる。秩序を守るのも我らの務めではありませんか?」
 人生の大半をこの本宮で過ごし、女官長も務めた事もあるこの女官は、グスタフが政権を牛耳った直後に配置換えを命じられていた。だが、見事に彼を言葉で言い負かして国主の世話係に居残った強者だった。一介の女官が彼女に勝てる筈も無く、すごすごと引き下がって時間の延長を認めた。更には家族の語らいを邪魔してはならないと部屋からも追い出される。
「さ、皇女様、心配なさらずにごゆっくりお祖父様とお話ししてくださいませ」
 彼女自身もそう言うと、2人に丁寧に頭を下げる。
「ありがとう……」
 彼女の去り際にアルメリアはようやく感謝の言葉を口に出来た。女官は微笑むと部屋の戸を閉めた。
「これを……」
 2人きりになると、アロンはアルメリアに小さな紙片を渡す。それは、母セシーリアからの手紙だった。小さな文字でびっしりと書かれた紙面に彼女は素早く目を通す。その内容に彼女は思わず手が震えてくる。
「お祖父……様……」
「わしらは……気に致すな……。その、通りに……」
 既に手筈が整えられているのだろう。ここでアルメリアが躊躇ちゅうちょしたら、全てが水の泡となって関わった人達全てに危険が及ぶことになる。彼等の為に、ひいてはこの国の未来の為に彼女は決意した。
「必ず……必ず戻ってまいります」
 アルメリアの言葉にアロンはうなずいた。彼女は手紙に書かれた指示通り、内容を全て暗記すると、その手紙を細かくちぎって暖炉の炎で燃やした。全てが灰になると、彼女は立ち上がって再度祖父の手を取って挨拶し、部屋を後にする。
「参りましょう」
 表で待っていたドロテーアに声をかけると、彼女は相変わらず無表情で彼女の後に続く。周囲には警護の兵士が付き従い、物々しい雰囲気が漂う。
 前日にゲオルグがフォルビアへ出立した際には、楽団が招かれて仰々しいほどの見送りがあったのだが、見送りする者も無く、彼女の立場からすると実にそっけない出立となった。警備上の都合という理由で、彼女の動向は公にされていないからだ。
 アルメリアは窓がカーテンで閉ざされた薄暗い馬車に乗り込むと、ドロテーアと2人きりになる。神殿に着くまで重苦しい沈黙が続いた。



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