群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

90 フォルビア解放劇2

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 エドワルドは1人、その時を待っていた。あれ以来用心をしているのかここへは姿を現していないが、ウォルフは彼の要望に応え、温かな食事と痛み止めをきちんと用意してくれた。
 ただ、添えられた手紙には彼の要望が通った事と、月が中天に差し掛かる頃に行われる事になったと記されていた。既に竜騎士達にも伝えてあると言う。時間的な目安がはっきりしているので、竜騎士達も突入のタイミングを取りやすいだろう。
 体力温存の為、体に出来るだけ負担がかからないように横になったまま瞑目する。痛み止めを飲んではいるが完全には抑えられず、脇腹に鈍い痛みが残っている。それを紛らわすかのように左手首に巻いた組み紐に触れる。
「私に力を貸してくれ、フロリエ」
 囚われていた間、心の支えとなってくれた組み紐は元の色が分からなくなるくらい変色して擦り切れている。彼は愛する妻子に思いをはせながら夜に供えて目を閉じた。
 人の近づく気配でエドワルドは目を覚ました。既に辺りは真っ暗となっており、僅かに月の光が差し込んでいる。寝台に体を起こして身構えていると、扉の外から事務的な会話が聞こえ、軋んだ音と共に扉が開いた。入ってきたのは盆を手にしたウォルフだった。
「お加減はいかがですか?」
 寝台に近寄り、粗末なテーブルに盆を置くと、彼は小声で話しかけてくる。
「あまり良くないな。来て大丈夫なのか?」
「大丈夫です。昼間から呑んで騒いでいますから、私が抜けたところで誰も気づいていません。どうぞ、温かいうちに召し上がって下さい」
 彼が持ってきたお盆の上には湯気が立つ深皿が乗っていて、いい匂いが漂っている。野菜と肉の煮込みに薄焼きのパンが添えられていて、エドワルドは盆を受け取ると早速口に運ぶ。
 口の中も少し切れていてみるのだが、それでも温かい料理は嬉しかった。野菜も肉も口の中でとろける程柔らかく煮込んであり、それにパンを浸しながらエドワルドは完食した。
「殿下、こちらが痛み止めです。あまり強いと睡眠薬の効果の方が高くなるので、眠くならないギリギリの物を用意しました」
「そうか。ありがとう」
 ウォルフから丸薬を受け取ると、エドワルドは水と共に飲みこんだ。
「落ち着かないか?」
「何だか緊張してしまって……竜騎士方は来られるでしょうか?」
 ウォルフは落ち着かない様子で扉の外を気にしてみたり、僅かに空が見える窓を振り仰いだりしている。逆に刑場に連れ出される予定のエドワルドの方が落ち着いていた。
「来るさ。ルークは飛び込んでくるだろう」
「信頼しておられるのですか?」
「当然だろう」
 不敵な笑みを浮かべるエドワルドの姿が妙に眩しく感じる。ゲオルグだけでなくグスタフもここまで部下を信用する姿を彼は見た事が無かった。彼の下に優秀と言われる人材が集まるのはこの差なのかもしれない。
「私はこれで下がります。どうか……うまくいきますように」
「ありがとう。君も気を付けてくれ。もし竜騎士達に捕えられたら、名乗りなさい。すぐに解放するように周知させる」
「わ、分かりました。ありがとうございます」
 作戦のその後の事まで考えているエドワルドに、ゲオルグとの差をまざまざと見せつけられる気がした。彼の下では何をするにしても全て自分の仕事なのだが、何よりも楽しいことを優先させるためにその計画通りに出来た例はなかった。
 ウォルフは盆を手にすると、エドワルドに頭を下げて独房を後にした。



 宴もたけなわとなり、本日の趣向の準備が整ったと促されてゲオルグはほろ酔い気分でテラスに出た。ここから一段低くなった中庭で、あの憎らしい叔父の処刑が行われるのだ。刑場となる中庭には篝火が焚かれ、周囲にはラグラスの私兵達が物々しく警備している。
 ゲオルグはラグラスにあてがわれた若い女性の腰を抱き、用意された席に着いた。薄物一枚纏っただけの彼女は身じろぎして嫌がるそぶりを見せているが、そんなものお構いなしで引き寄せて自分の隣に座らせる。
 ラグラスも同様に女性を侍らせて自分の席に付き、ゲオルグの側近となった2人の取り巻きは彼等の後に控えた。
「……ウォルフはどこいった?」
「そう言えばいないな」
 ようやくウォルフの姿がない事に気付き、ゲオルグは辺りを見渡す。するとようやくウォルフが姿を現した。
「申し訳ありません。料理の皿をひっくり返してしまい、服が汚れたので着替えておりました」
 自分を探していた様子に気づき、彼は適当に言い繕った。ゲオルグもそれを信じた様で、彼の失態を笑っている。これから行われる処刑の方に意識が向いているので気にも留めていない。それよりも血が流れ、集められた女達が騒ぐのも楽しいし、何よりも目障りなあの叔父がいなくなるのだ。彼は実に上機嫌だった。
「ラグラス様」
 ラグラスの側近のダドリーが上司に何かを耳打ちする。ウォルフは自分が竜騎士達に情報を漏らした事がばれたのではないかと冷や汗をかきながら耳をそばだてる。
「……花嫁……車……。……隻眼の……」
 断片的な会話から聞こえた内容を推測すると、どうやらラグラスの花嫁となる予定だったマリーリア嬢が何者かに連れ去られたらしい。主犯は隻眼の男らしいが、彼の記憶の中には該当する竜騎士はいない。一体、誰だろうか?
「捜索しろ」
 端的に命じるのが聞こえた。これで少しだが城の警備が薄くなる。おそらく、そこまで計算されているのだろう。竜騎士達の用意周到な計画にウォルフはだんだんと首を絞められていくような錯覚を感じる。
「始めようぜ」
 ゲオルグがまだダドリーと話をしているラグラスを急かす。彼も細かいことは部下に任せ、席に着くと別の部下に罪人を連れて来る様に命じた。
 ほどなくして、髪や顔を隠すように、頭へ布をかぶせられた男が中庭に連れ出された。1人で立つことも出来ない様子で、屈強な男が両脇から腕を抱えて引きずるようにしている。ウォルフは思わず握っている拳に力が入る。
「くくく……。何とも情けない姿だな、おい」
「この間はついつい力が入りましたからねぇ」
「まだ動けるようですな。もう少し痛めつけても良かったですね」
 ゲオルグが男の姿を笑うと、側近2人も同調して笑う。ラグラスは満足そうな笑みを浮かべると、処刑人が待つ中庭の中央に連れて来る様に命じる。あとちょっとで着くという時に男は躓いてその場に倒れる。
「無様だな。くくく……」
「立たせて跪かせろ」
 ラグラスの命令に従い、屈強な男2人が両脇から立たせようとする。だが、今までの弱弱しい様子が一転して彼はその2人の足を薙ぎ払い、鳩尾に蹴りを入れて昏倒させた。
「な……」
 一瞬何が起きたか分からなかった。気付けば、連れて来られた男は被せられた布をむしり取っていた。少しくすんではいるが月光を受けてそのプラチナブロンドが輝いている。その男……エドワルドは射抜くような目で特等席にふんぞり返っている彼等を睨みつけていた。
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