群青の空の下で(修正版)

花影

文字の大きさ
上 下
243 / 435
第2章 タランテラの悪夢

95 砂上の楼閣1

しおりを挟む
 助け出されて3日経っていた。ヒースやアスターが各方面に働きかけて準備を整え、今、エドワルドは皇都に向かう船の中にいる。今日の夕刻には最終寄港地に着き、明日はいよいよ飛竜で皇都へ向かう予定となっていた。
 だが彼は、相変わらず寝台に横になったまま天井を見上げていた。寝ているのもそろそろ飽きてきたのだが、バセットが許してくれないのだ。せめて書物や報告書を読ませてもらえればいいのだが、とにかく体力を温存しろと言われて寝ているしかできない。辛うじて窓の外を眺められるので、外の景色をぼんやりと眺めていた。
「殿下、失礼いたします」
 そこへアスターが書類を持って現れた。グランシアード同様、ファルクレインもまだ本調子とは言えず、以前のように長距離を飛ぶことがまだ出来ない。その2頭にフレイムロードとカーマインを加えた4頭はリーガスやケビンといった竜騎士達が引率し、寄港先の竜舎で休みながら皇都を目指している。
 その為、アスターはマリーリアと共に護衛を兼ねてこの船に乗っていた。他にはアルメリアとユリウス、エルフレート、そして無理やりついて来たバセットとオルティスが乗っており、ロベリアの有力者が手配した船員によって船は操られていた。
 そして忘れてはいけないのが、牢に改装した船倉へ押し込められているゲオルグ。ラグラスの罪は反逆罪ではっきりしており、どうあがこうとも極刑は免れない。だが、ゲオルグの場合は皇家に属している事もあって審議をしてから刑が決まる。その為に一旦皇都へ連れて行くことになり、厳重な監視を付けた上で船に乗せたのだ。
 身柄を拘束された最初の頃は抵抗し、牢の中で暴れたり喚いたりしていたが、誰も見向きもしないので諦めたらしく、船に乗せられてからは随分と大人しくなった。食事には未だに不満を訴えているらしいが、拒否した所で自分の食事が無くなるのを学習したらしく、不平を言う割には残さず食べきっているらしい。
「どうした?」
「お体に障らなければですが、こちらの書簡にご署名を頂きたいのですが」
「問題ない」
 エドワルドはこれで退屈から解放されると安堵し、ゆっくりと体を起こして傍らに用意してあったガウンに袖を通した。アスターは書類を一旦傍らのテーブルに置くと、エドワルドの背中にクッションを宛がい、寝台の上でも使えるテーブルをすぐに用意する。
「フォルビアの解放と殿下のご存命を通達する書簡なのですが、我々の署名だけでは信じて頂けない方もいらっしゃるので、直筆のご署名をお願いいたします」
「分かった」
 差し出された書簡は、ラグラスの主張が偽りであり、彼に囚われていたエドワルドを第3騎士団が中心となって解放した事を伝える内容となっていた。エドワルドは一通り目を通すと、用意された10通余りの手紙全てにサインをしていった。
「お疲れ様でした」
 アスターがサインを済ませた書簡を受け取ると、それを見計らったかのようにマリーリアがお茶を持って現れる。
「お茶を飲まれますか?」
「ああ、もらおう」
 フロリエやオリガに手ほどきを受け、ルバーブ村にいる間はエルデネートにも指導を受けたマリーリアのお茶はエドワルドも唸らせるほどの味わいだった。救出されてからも寝てばかりだったので、本当に久しぶりにエドワルドはお茶を堪能する事になる。
「腕を上げたな。おかわりを貰えるか?」
「はい……」
 褒められたマリーリアは嬉しそうにエドワルドにおかわりのお茶を淹れる。エドワルドが満足そうに2杯目のお茶に口をつけていると、マリーリアは横から無言で出された茶器にも阿吽あうんの呼吸でお茶を注いだ。2人のその雰囲気にエドワルドの悪戯心が沸き起こる。
「そういえばアスター、お前、花嫁姿のマリーリアを強引に攫ったと聞いたが?」
「ぐっ……げほっ、げほっ」
 お茶を飲みかけていたアスターは思いっきりむせて咳き込み、マリーリアは顔が赤くなるのをごまかすように彼の背中を摩る。
「だ、誰からそんな話を……」
 何時かは耳に入るかもしれないと思ってはいたが、こんなに早く、しかも唐突に切り出されてアスターは思いっきり動揺していた。エドワルドが臥せっている事もあって、関わった竜騎士達はそんな事を漏らす余裕は無かったはずである。だとすれば……。
「バセットだ」
「……あの爺さん」
 あっさり出てきた犯人の名にアスターは拳を強く握る。きっと背鰭に尾鰭も付けて面白おかしく吹聴したに違いない。
「私は嬉しいのだよ。いつも自分の事は二の次だったお前が、そこまで思える相手に巡り合えた事に。しかも、相手は妹のようにすら思う娘だ。で、もう組み紐は交わしたのか?」
「……まだです」
 興味津々のエドワルドに対し、アスターは憮然として答える。
「そんな事をしている場合ではないのは殿下もご存知かと思いますが?」
「こんな時だからこそだろう?」
 見るとエドワルドはもう笑っておらず、真っ直ぐアスターを見ていた。
「私が皇都に戻ればワールウェイド公の更迭は避けられない。その後、誰が後を継ぐかで揉める事になるだろう」
「確かにそうですが……」
「私は責任の追及を恐れて誰もなりたがらないと読んでいる。混乱が続けば最悪の場合、フォルビアの二の舞になりかねない」
 エドワルドの中では帰還後復権する事は既に決定事項となっている。その帰還後の事も既に考えている彼の姿勢に2人はただ感服するばかりだ。
「政治的手腕にも優れたお前とワールウェイド家の血を引くマリーリアが結婚すればそれで全て解決する」
「殿下……」
「私は狡いのかもしれない。親友のお前の結婚を喜ぶ以前に、政に利用しようとしている。今後の事を考えるとどうしても、な……。だが、嬉しいのは本当だぞ。早く公表して式を挙げてしまえ」
 エドワルドはため息をつくが、それでも柔和な笑みを浮かべて2人に早く籍を入れるように催促する。
「……」
 アスターとマリーリアは困惑したように互いの顔を見合す。だが、何かを確かめ合うように頷き合うと、アスターが古ぼけた日記の様な物を取りだす。
「殿下、お疲れでなければもう少しお付き合いいただけますか?」
「どうした?」
 2人の様子を見れば、エドワルドが望んでいた様な慶事に纏わる物ではなさそうだが、このタイミングで切り出すと言う事は全くの無関係ではないのだろう。
正直、もう寝ているのは苦痛で仕方が無かった彼は、アスターの要望に一も二も無く応じた。
「この日記と手記に目を通して頂きたいのです」
「これは……随分と古いな」
 エドワルドは差し出された日記とそれに挟んであった数枚の紙を受け取る。細かい字でびっしりと埋められたその手記と日記を手に取り、怪訝そうに2人を振り仰ぐ。
「その手記はマリーリアの生母が残したもので、日記は彼女の姉でマリーリアの伯母にあたる女性の物です」
「全てに目を通すとなるとかなり時間がかかりそうだが?」
「殿下に預かって頂いて、お時間のある時に読んでください」
 どちらもマリーリアには大切な物の筈である。エドワルドは確認の為に彼女を見ると、マリーリアは小さくうなずいた。
「良いのか?」
「はい」
「分かった、預かろう」
 もっと2人には話を聞きたいが、アスターが書簡を持ち込んでから随分と時間が経っている。そろそろバセットが休むようにと煩く言ってくる頃合いだった。
 アスターもマリーリアもそれが分かっているので、エドワルドが返事をすると後片付けを始める。
「先程の件は早急に結果を出すように」
 部屋を退出しようとする2人にエドワルドはそう言って念を押した。2人は曖昧な返事でごまかすようにして部屋を退出したのだった。
しおりを挟む

処理中です...