掌中の珠のように Honey Days

花影

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★卒業した日 3

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 父親と連絡を取りつつ直哉が戻ってくるのを待っていると、フロントから迎えが来たと連絡があった。連絡したばかりなのに随分早いと思いながら、部屋まで来てもらうように頼んで直哉にも迎えが来たことを伝えた。
「お迎えに上がりました」
 現れたのはまさかの安西だった。慌てて扉を閉めようとしたが間に合わず、安西は部屋に踏み込んでくる。そして杏奈の腕を難なく捕まえると、壁際に追い詰める。
「私というものがありながら、桜井製薬の御曹司をたらし込むとは、あの母親の血を引いているだけある」
 何を言っているのか分からなかった。ただ、母親を侮辱されたのは分かった。頭に血が上り、チアリーディングで鍛えた足(怪我をしなかった方)で相手を蹴り上げる。腹をけるつもりがどうやら股間にクリティカルヒットしたらしく、安西は言葉にならない叫び声を上げてその場でうずくまる。その隙に杏奈は部屋を飛び出した。
 とにかく階下へと思い、エレベーターへ向かう。するとちょうど杏奈のいる階にエレベーターが停まり、中から直哉が出てくる。
「杏奈?」
「直哉さん!」
 髪を振り乱し、靴も履かずに胸に飛び込んできた杏奈を直哉は驚きながらも抱き留めた。少し遅れて額に脂汗をにじませながら、前かがみになってよろよろとした足取りの安西が姿を現す。だが、それだけで何があったかは大体察しがついた。
「この……私に手を上げるとは、しつけが必要の様だな」
 脂汗をにじませ、青ざめた顔で言われても全く凄みが無い。杏奈は直哉の腕の中に囲われて余裕が出てきたのか、「上げたのは手じゃなくて足だけどね」と小声で訂正する。
「しつけが必要なのはあんたの方だろう?」
「黙れ。母親に似て節操なく男を誑し込むこの女をしつけるのは夫になる私の役目だ!」
 理解に苦しむ発言に直哉は顔を顰め、杏奈は体を縮こませる。奔放な母親と派手な外見から誤解されがちだが、事実は異なる。3年前の折にもそう決めつけられて強引に迫られたりもしていた。そのことが頭をよぎったのかもしれない。
「そう……君はそんな風に思っていたんだ」
 急に割り込んできた声に杏奈はハッとして顔を上げる。
「な……何故……」
「ママ?」
 前に進み出てきたのは仕事で海外にいるはずの杏奈の母親、美弥子だった。駆け込んできた時は直哉の姿しか目に入ってなかったけれど、どうやら彼と一緒にエレベーターで上がってきていたらしい。
「娘の卒業をお祝いしたくて仕事の都合をつけてきたのがそんなに不思議かしら? それにしてもご両親に頼みこまれて君を高峰総合病院うちで預かったけど、そんな風に思われていたなんて心外だわぁ」
 仁王立ちする美弥子を前に安西は尻餅をついたまま後ずさりする。彼にとっても美弥子の登場は予想外の出来事だったのだろう。
「あの……その……」
「ちょっと反省してもらおうかしら」
 美弥子は逃げようとする安西の襟首を掴んだ。そこへ知らせを受けたらしいホテルのスタッフや警備員が駆け付けてきて安西を取り押さえた。そしてそのまま問答無用で連れ去られていった
 そこからは美弥子の独壇場だった。スタッフにあれこれ指示しつつ、あちこちに連絡を取っていた。直哉と杏奈は抱き合ったままただ呆然と眺めているしかできなかった。
「じゃ、後はよろしくね」
 一通りの手配を終えたらしい美弥子はそう言い残してエレベーターに乗り込んだ。そしてそのまま階下へ降りていく。
「えっと……」
「どうしよう」
 取り残された形となり、抱き合ったままの直哉と杏奈は顔を見合わせ途方に暮れる。そこへホテルの女性スタッフが「お部屋にご案内します」と2人に声をかける。確かに杏奈の服装は乱れたままなので手直しする必要もある。そういえば扉はオートロックなので2人は部屋から閉め出された状態になってしまっている。
 スタッフに促されるまま歩き出そうとして直哉は杏奈が靴も履いていないことに気付き、彼女を抱き上げる。突然の行動に杏奈は狼狽うろたえるが、彼は構わずスタッフの後についてスタスタと歩いていく。
「どうぞ、こちらです」
 案内されたのは先程まで杏奈がいた部屋ではなく、このホテルの中でも上位に入るスイートルームだった。
「えっと……」
「高峰様からこちらのお部屋をお使い頂くように言付かっております。お荷物は後程お持ちいたします」
 女性スタッフはそう説明すると、丁寧に頭を下げて部屋を退出していった。取り残された直哉は杏奈を抱えたまま立ち尽くしていたが、我に返ると近くにあったソファーに彼女を座らせた。備え付けのスリッパを杏奈に履かせ、自分はコートと上着を脱いで襟元を緩める。
 ほどなくしてホテルのスタッフが前の部屋に残していた荷物を運んできてくれる。杏奈は早速自分のカバンから携帯端末を出すと、母親に連絡を入れていた。直哉も先程から連絡をとろうと試みているのだが、スルーされているらしくつながる気配はない。そんな彼にスタッフの1人が美弥子から預かったらしい何かの紙袋を手渡した。そして荷物を運び終えたスタッフが部屋から出て行ったところでようやくその中身を確認する。
「うぉっ」
 中身は避妊具と栄養ドリンクだった。それを確認した直哉の口から変な声が漏れ、驚いた杏奈が振り向いたので、彼は慌ててその紙袋の口を閉じた。
「どうしたの?」
「い、いや、何でもない。それより、美弥子さん、反応あった?」
「まだだけど……」
 直哉の態度に首を傾げながらも杏奈は再度携帯端末に向き直る。直哉はその隙に紙袋を目立たない場所に隠し、猛烈な勢いでメッセージを送る。
『美弥子さん、あれは一体どういうつもりなんですか?』
『杏奈を迎えに来たんじゃないんですか?』
『俺をけしかけるなんて正気ですか?』
『おーい、美弥子さーん』
『おーい』
『いい加減に返事ください!』
 一向に返事の帰ってこない携帯端末に直哉が集中している一方で、杏奈の方へはようやく美弥子からの返事が返ってきた。
『ママ、どういうつもり?』
『私からの卒業祝いよ。直哉君といい思い出作りなさい』
『思い出って……』
『せっかくの記念すべき日にあんな騒動で終わりたくないでしょ?』
『そうだけど……』
『さっきみたいに思いっきり彼の胸に飛び込んじゃいなさい』
 母親が何を言わんとするかは初心な彼女でも理解した。杏奈はそっと恋人になったばかりの彼の様子を伺うと、眉間にしわを寄せて携帯端末に向かっていた。杏奈はもう一度母親にメッセージを送ったが、返事は帰ってこなかった。
 少し迷った後、杏奈は決意を固めるといまだ携帯端末とにらめっこしている直哉に声をかける。
「直哉さん、私、ちょっと、その、シャワー浴びてさっぱりしてくるね」
「あ、ああ……」
 不意に声を掛けられ、携帯端末に集中していた直哉は彼女が言った言葉をすぐには理解しきれなかった。だが、頬を染めた彼女が浴室へ姿を消すと我に返る。
「いや、走って汗もかいただろうし、服装も乱れていたもんな。そう、そうだよな」
 自分にそう言い聞かせて内心の動揺を抑えようと努力する。そこへ絶妙なタイミングで待ちわびた相手から連絡が来る。
「美弥子さん? どういうことですか?」
『あら、案外察しが悪いわね』
「美弥子さん?」
『杏奈はそこにいるの?』
「いえ、あの……汗を流すと……」
『じゃあ、あの子は覚悟を決めたのね』
「……」
『そういうことだから、後はよろしくね』
 美弥子はそれだけ言うと通話を切ってしまった。携帯端末を握りしめたまま、直哉は呆然としてその場に立ち尽くした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


当初、登場予定になかったのですが、話の展開が面白くなりそうだったので美弥子様見参。直哉も杏奈も悪役の安西も引っ掻き回されてタジタジ。
次話はエロくなる予定ですが、また間が空くと思いますので気長にお待ちいただけたら幸いです。
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