掌中の珠のように2

花影

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遭遇4

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「沙耶、おじ様から伝言よ。部屋で待ってなさい…だって」
 未だ熱気の籠る会場から逃げ出す様に、沙耶はジェシカと早々にロビーに出ると、見送りで立っていた杏奈が小声で伝える。どうやらステージ上で義総が杏奈に耳打ちしていたのはこの伝言だったらしい。
「ありがとう、杏奈さん」
「こちらこそ。来てくれてありがとう。それに、ママの趣味に付き合わせてごめんね」
 杏奈は申し訳なさそうに頭を下げ、ちらりと会場内に視線を移す。まだ中には招待客の多くが残っており、その大半が最後に姿を現した義総に群がっている。彼の周りには特に華やかな女性が多く、中でも沙耶にぶつかってきたあの女性は彼の横に陣取って枝垂しなだれかかる様に豊満な体を摺り寄せていた。だが……見事なくらいに彼はそれを無視している。
「行きましょうか? お部屋までご一緒しますわ」
 複雑な表情を浮かべる沙耶にジェシカはおっとりと申し出る。沙耶も小さく頷くと、2人はフロントへ出向く。名前を告げるとすぐにスタッフが案内を申し出てくれたので、ちょうど迎えが来たジェシカには礼を言って別れた。
「あの、君」
 女性スタッフに案内されてエレベーターに向かっていると、後ろから声をかけられる。振り向くとあの女性を同伴していた男性だった。
 中肉中背で割と整った顔立ちをしているが、良くも悪くも育ちの良さがにじみ出ている。着ている物もいい物だろうが、常日頃外身も中身も最上級ばかり目にしている沙耶には何かが物足りなく感じるのは仕方がないのかもしれない。
「何でしょう?」
 正直、初対面の男性の相手は今でも苦手なのだが、沙耶は逃げ出したい衝動を必死でこらえながらどうにか平静を装って応対する。
「さっきは、千景さん……同伴していた女性が失礼をしました。あの、お詫びにお茶でも如何ですか?」
 青年はにこやかに話しかけて来るが、沙耶は突然の申し出に驚き、完全に固まっていた。それでも誘いに応じる訳にはいかないので、断ろうとどうにか口を開く。
「申し訳ありませんが、約束がございますので……」
「ああ、未だ名乗って無かったね。僕はこのホテルを運営しているエトワール・グループの専務をしている吉浦明人。ここの最上階にあるレストランからの眺めはすごく良いんだ。きっと気に入るはずだよ」
 肩書を聞いて一緒に居た女性スタッフの方が固まってしまっていた。明人が下がる様に身振りで示すと、彼女はおどおどしながらその場から立ち去ってしまった。
「いえ、あの、」
「遠慮はいらないよ。僕が一緒ならお金はいらないから」
 明人は沙耶の手を無理やり引いて、ちょうど来たエレベーターに乗り込もうとする。
「待ってください……」
 馴れ馴れしく肩を抱いてくるが、汗ばんだ手が気持ち悪くて沙耶はその手を振り払って離れた。
「遠慮しなくていいんだよ」
 明人はもう一度沙耶に手を伸ばしてくる。
「約束がございますし、先ほどの事はもう気にしておりませんのでお気持ちだけで充分でございます」
「それでは僕の気が済まないよ。君が見た事も無いような極上のスイーツを用意させよう」
 人の話を聞いていないのか、明人は執拗に沙耶に誘いをかける。伸ばしてくる彼の手を逃れて後ずさりしていると、背中が壁に当たって逃れなくなっていた。腕をつかまれ、そのままエレベーターに連れ込まれそうになる。
「何をしている?」
「僕はエトワールの専務だ。邪魔をするな!」
 突然、割り込んだ声に明人は不快感を露わに喚くが、相手の姿を見て彼は固まる。その隙に沙耶はその手を振りほどいて声の主……義総の陰に逃げ込んだ。
「義総様……」
「大丈夫か?」
 義総は逃げてきた沙耶の震える肩を抱いて引き寄せる。その後ろには青柳とこのホテルの支配人らしき年配の男性が控え、そして先ほどの女性スタッフもその後ろから心配そうに様子を窺っている。
「お……叔父さん……」
 明人の呼びかけに義総は不快そうに顔を顰める。明人は義総が毛嫌いする姉、久子の息子だった。それを知らない沙耶は驚いて義総を見上げる。
「そのエトワールの専務が仕事をサボって何している? 今朝の会議を欠席したのは体調不良ではなかったのか?」
 義総は安心させる様に沙耶の頭を撫でると、明人に鋭い眼光を向ける。彼は一瞬たじろぐが、余程沙耶を気に入ったのか、怯える沙耶に近寄ろうとする。
「そんな事はどうでもいいじゃないですか。その女性は叔父さんの知り合いですか? ぜひ紹介してください」
「そんな事……か? エトワールの専務であるお前にとって仕事はその程度の物か?」
「つまらない会議など部下に任せておけばいいんですよ。エリートの僕には僕にしかできない仕事があるんです。落ちぶれた叔父さんに言われる筋合いはありませんね」
「……」
 明人の言葉に義総よりも背後に控える青柳や支配人が怒気を強める。義総は無言で沙耶を抱き寄せると彼女の匂いを嗅いで気分を落ち着け、甥への怒りをどうにか抑えた。
「お嬢さんは清尚学園の生徒ですよね? そんな落ち目の叔父さんよりも将来有望の僕と付き合わない? 近い将来、社長になる男だよ、僕は」
 神経が図太いのか、ただ単に空気が読めないのか、明人はなおも沙耶に言い寄ろうとする。その狂気を孕んだ執着心に沙耶は怖くなって義総に縋りつく。
「行くぞ」
 議論するだけもう無駄と思ったのか、義総は沙耶の肩を抱いてエレベーターに乗り込む。
「待てよ! その子は僕と付き合うんだ。置いて行けよ」
 明人が追い縋ろうとすると、義総が振り向いて無神経な甥を睨みつける。怒りの籠った眼差しにさすがの彼も動きが止まる。
「身の程を弁えろ」
「な……」
 立ち尽くす明人をその場に残し、後の事を青柳と支配人に任せて義総は沙耶とエレベーターに乗り込んだ。


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明人にとって最大の不幸は、優秀すぎる大倉兄弟と常に比べられているところだろう。だが、当の本人は彼等と遜色は無いと思い込んでいる非常に残念な人だった……。
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