掌中の珠のように2

花影

文字の大きさ
56 / 79

聖夜1

しおりを挟む
「うわぁ……」
 午後から降り始めた雪は一面を銀世界へと変えていた。午睡から覚めた沙耶は窓の外を見るなり感嘆の声を上げる。今まで住んでいた所では雪が降っても積もるのは年に数えるほど。それもすぐに溶けてしまう程度だったので、目の前に広がる光景が目新しくてならない。加えて今日はクリスマスイブ。最高にロマンチックな演出である。
「沙耶様、お風邪を召されます」
 雪に見とれて薄着のままテラスに出た沙耶に、美弥子の好意で付けてくれたメイドの葉月が慌てた様子でコートを着せかける。
「ありがとう」
 歳が近い事もあり、この10日余りの間で彼女とはすっかり打ち解けて話せるようになっていた。彼女がいてくれたおかげで、この別荘でもさほど寂しい思いをせずに済んでいるのは確かだろう。
 あの翌朝、高嶺家の客間で目を覚ました沙耶は状況が良く飲みこめずにひどく取り乱した。側に居た幸嗣がどうにか彼女を宥め、落ち着いたところで事情を説明してこの別荘へ連れて来たのだ。それでも最初の3日くらいは精神的に不安定で、重度の眩暈を起こしてベッドから起き上がれない日もあった。
 よく気の利く葉月が沙耶の体の様子を見ながら気が紛れるものを用意し、時には話し相手となってくれた。管理人の山崎夫妻はまるで孫の様に可愛がり、連れて来た2匹の犬が癒しになった。そして毎日義総とネットを介して会話をしたのが功を奏し、寂しさは感じるものの、どうにか日常生活を送れるまで回復していた。
「グレイスもおいで」
 雪がちらつく中でも元気なアレクサンダーは既に庭に出て走り回っているが、グレイスは初めて触る雪の冷たさにびっくりして部屋の中に戻って行ってしまった。沙耶が呼んでも暖炉の前に敷かれたラグの上に寝そべって動こうともしない。そんなグレイスを誘うのは仕方なく諦めると、用意してもらった長靴に履き替えて沙耶も庭に出る。
「きれい……」
 はらはらと舞い落ちてくる雪を手で掬うように受け止める。だが、それは手の熱ですぐに溶けてしまい、また次を受け止める。何度かやって飽きて来ると、今度は積もった雪を丸めて小さな雪だるまを作る。今度はもうちょっと大きいのを作ろうと思って雪玉を作り始めると、駆け寄ってきたアレクサンダーが小さな雪だるまを壊してしまう。
「もう、アレク」
 沙耶は怒って犬を追いかけるが、アレクサンダーは素知らぬ顔で逃げていく。走りにくい長靴を履いているし、元より犬に敵う筈も無い。それでも気付けば庭の端の方まで犬を追いかけて来ていた。ここからだと美しく雪化粧した遠くの山々が見渡せる。そのまま立ちすくんでその美しい景色を眺めていた。
「義総様にも見せてあげたいな……」
 そう呟くと、後ろから誰かが着ているカシミヤコートですっぽりと包まれて抱きしめられる。すると覚えのある男性用の香水がふわりと鼻孔をくすぐる。
「俺には見せたくないの?」
「……幸嗣様!」
 慌てて声がした方を向くと、傷ついた表情を浮かべた幸嗣が立っていた。仕事用のスーツにダウンコートを羽織り、予め渡してもらうように言付けてあったあのネックウォーマーを付けてくれている。彼がそこにいるのなら、背後から抱きしめてくれているのは……。
「沙耶」
 一番会いたい人の声が耳元で聞こえる。心臓が高鳴り、沙耶はゆっくりと背後の人物を振り仰いだ。
「……義総様」
「会いたかった」
「義総様!」
 沙耶は夢中で義総に抱きついた。義総もそれに応えるようにきつく沙耶の体を抱き返す。
「沙耶」
「義総様、義総様……」
 しばらくの間、夢中で互いの名を呼びあいながら抱きしめあっていたが、互いの顔を見合すと唇を重ねる。周囲はもう目に入っておらず、2人だけの世界に浸っていた。
「あの……俺の事忘れてない?」
 呆れたように幸嗣が声をかけるとようやく2人も我に返る。沙耶は頬を染めて慌てて体を離したが、自分が思っていた以上に体が冷えていたらしく小さなくしゃみをする。
「風邪を引く。中に入ろう」
 義総に促され、沙耶は別荘へと歩き始める。すると、幸嗣が近寄って来て軽々と彼女を抱き上げた。
「お連れしましょう、お嬢様」
「歩けるのに……」
 幸嗣はにっこり笑うとそのまま沙耶に口づけた。
「沙耶が風邪をひく。行くぞ」
 まだ空からは雪が舞い落ちている。少しぶっきらぼうに幸嗣を促した義総は忠実な愛犬を連れて先に別荘へ向かう。自分から愛しい少女を抱き上げようとしないのは、やはりまだ完全に回復していないからなのだろう。
「すぐ……お帰りになられるのですか?」
 義総の後を追って歩き出した幸嗣に沙耶は恐る恐る尋ねる。会えて嬉しい。だが、幸嗣が義総の仕事も背負い込んで多忙を極めているのを沙耶は知っていた。折角のクリスマスイブなのだから、楽しく過ごしたいとも思うのだが、それは無理なお願いだろうと半ば諦めてもいた。
「帰るのは明日の早朝かな。折角のクリスマスイブだからね。今夜はパーティするよ」
「本当に?」
 沙耶が顔をほころばすと、幸嗣はにっこりとほほ笑む。この10日間、この為に頑張ったと言っても過言では無い。幸嗣はその笑顔だけで苦労が報われる気がした。
「ああ。このネックウォーマーのお礼も用意したから、楽しみにしていて」
「嬉しい」
 沙耶は嬉しさのあまり幸嗣の首に抱きつく。役得とばかりに彼は彼女に軽く口づけた。
「幸嗣」
 不機嫌そうな義総がテラスで仁王立ちしている。無理が出来ないのを自分でも分かっているから幸嗣にその役目を任せたのに、いちゃついてすぐに戻ってこないのが腹立たしいのだろう。
「やばっ……」
 義総から吹き付ける見えないブリザードにさすがの幸嗣もまずいと思ったらしい。彼は沙耶を抱えたまま器用に肩を竦めると、足を速めて別荘に向かったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】

remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。 本宮 のい。新社会人1年目。 永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。 なんだけど。 青井 奏。 高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、 和泉 碧。 初恋の相手らしき人も現れた。 幸せの青い鳥は一体どこに。 【完結】 ありがとうございました‼︎

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…? ※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。

密室に二人閉じ込められたら?

水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

処理中です...