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いつまで夢を見ればいいのでしょう③
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二杯目のオンザロックを椎名ちゃんの前に無言で置くと、彼はニヒルに唇の片方だけで笑った。それに僕も笑顔で答える。
「店長? 頼んでないよ?」
「僕のおごり。山崎の十二年よ」
「ええ? 怖いなぁ、どうしたの?」
「さっきのキョウくんのお話、もう少し詳しく教えてくれないかしら」
椎名ちゃんは背もたれに身体を預けて腕を組み、チラリと出雲くんがいるカウンターの奥に目をやる。十分に距離はあるし、ジュンヤくんとまだ話をしているみたいでこちらを気にする素振りはない。椎名ちゃんはひとつ頷くと、山崎の十二年出されちゃね、と承諾した。
「俺もなんにも知らないに等しいよ? さっきのだって元々体毛の薄いキョウくんに興味本位で脱毛の理由を聞いたら、たまたまそんな回答が引き出せただけ」
「でもあの子、本気で言ってたわよ?」
「うん、本気なんだろうね」
美意識の高い子だ。スキンケアも真面目にやっているようだし、おしゃれも大好きでいつの間にか僕のクローゼットの半分以上は出雲くんの私服に占拠されていた。だからレーザー脱毛をしていたところで何も気にしてはいなかったけれど、それが監禁されるための準備だったなら話は別だ。実際のことはわからないが、少なくとも本人は真剣にそのつもりでいるのだ。
就職活動をしないで来年もバイトを続けるというからうちで社員になるか聞いてみたが、悩む素振りもなくあっさりと断られてしまった。もしかしたらそれも、いつかどこかへ消えてしまうつもりだからなのだろうか。
「俺と一緒にいた頃は彼とても不安定だったから、色々あったけどね」
「意味深なこと言うじゃない」
「話したっけ、キョウくんとどこで知り合ったか」
「ええ。キョウくんにサロンでって聞いてるわ」
「あ、そうなんだ。知られたくないなら言わないほうがいいか」
もう既に口をつけたグラスを顎で指しながら睨むと椎名ちゃんは、彼に悪いよと苦笑した。椎名ちゃんは出雲くんをキョウくんと呼ぶのにどうしても慣れないようで、店では名前をあまり呼ばずに“彼”という。
「隠してることは言えないけどさ……」
言おうか言うまいかまだ悩んでいるようだったけれど、ウイスキーを舐めてから「奢ってもらったしな」と自分に言い聞かせるように呟いて、また出雲くんに目を向ける。ジュンヤくんを贔屓にしてくれている女性客とそのお連れさん数人でなにやら盛り上がっているようだった。あらジュンヤくんのお酒一口もらってるけど大丈夫かしら。
心配で様子を伺っていたら椎名ちゃんも出雲くんを見つめたまま、控えめな声で昔話を始めた。もう新しい恋をしているはずのその目は、ただひたすらに思いやりで溢れている。
「彼の二十歳の誕生日がくる少し前にさ、もう会えませんって言われたんだよね。それはもう嬉しそうに」
「それは傷つくわね」
当時の心境を察して間髪入れずに返せば、そうなんだよと眉をハの字に下げて椎名ちゃんは笑った。
「とうとう監禁されちゃうのって聞いたら、返事はしないけどほっぺた赤くしてもっと笑うんだよね。あんな顔見たら、そっかとしか言えないよ」
想像して自分ならどうするだろうかと考えた。出雲くんは基本的に笑顔を絶やさない、というより元々顔立ちが微小を携えているような作りをしている。
親しくならないとわからないが、そんな彼が本当に心から笑っている瞬間というのは意外と少ない。だからそんな風に笑う顔を見て、それを止めることは確かに躊躇われるだろう。
でも実際には出雲くんは今もここいる。
無言で続きを催促したら、察した椎名ちゃんは笑顔を消して、でも、と口を濁した。
「しばらくしたら……また俺の家に来たんだよ。最後に会ったときの笑顔が嘘みたいに、涙を流しながら。しかももう何日も泣いてることがわかるくらい、目を腫らしてて痛々しかった」
「あら。チャンス到来じゃない」
「うん。まさに。自分を最低なやつだとは思うけど、同じこと思った」
「え、ちょっと待ちなさいよ。一応恋人ではなかったのよね? 慰めセックスだけ?」
「下品だなぁ、してないよ。したかったけど、してない」
したかったけど、してない。
その言葉は大事だった恋心への無念が全部詰まっているような、そんな切ない響きだった。そこでできなかったから、きっともう出雲くんとこれ以上の発展は無理だと悟ってしまったのだろう。
「ご愁傷さまね」
「はは……いいところまでいったんだけどさ。寸前で、できないって……でも一人で帰すのも心配だったから、そのまま一緒に寝て。かっこ悪いけどこっそり泣いたよ」
「その時点で随分一緒にいたんでしょう? もう諦めるしかないものねぇ。そりゃ泣けちゃうわ」
「俺が話せるのはそれくらいだよ。大したことなくて悪いね」
いいえと首を横に振りながら、いつの間にか空になっていたグラスを下げた。もう過ぎたこととはいっても辛い話をさせてしまった。それに本人は大したことないと言っているけれど、こちらとしてはそれなりの収穫があったように思う。
十代の頃から今までずっと、出雲くんは心待ちにしているのだ。
キャスターを吸っていて先生と呼んでいる男に監禁されるのを。
一体二十歳の誕生日に何があったのかしら。椎名ちゃんと出会った場所を誤魔化されていたのも気になるし、本人とも様子を見て話をする必要がありそうだ。
そんなに監禁されたがってるなら、いっそのこと僕がしてあげようかしら。
「これオクトーバーフェストのチケットじゃないですか!」
やや物騒なことを考えていたら、珍しく出雲くんの大きな声が店内に響いた。僕も含めて皆が一斉に彼の方へ向くと、それに気がついた赤い顔をした声の主が気まずそうに会釈をした。こんな早くからお酒飲ませたわねとジュンヤくんを睨めば、悪びれもなくお茶目に舌を出す。全く。
お客様は赤い顔のキョウくんに喜んで「キョウくんかわいい!」「こっちで飲みなよ!」と口々に声をかける。人気者も大変ね。
「椎名ちゃん、ごめんなさい。ちょっと席外すわ。ありがとうね」
「いえいえ。俺はだめだったけど、店長はがんばって」
「何言ってんのよ。ヒナちゃん、椎名ちゃんになんかカクテル作ってあげて。伝票には入れなくていいわ」
彼のことは近くにいたキャストに託し騒がしい渦の中心にいけば、僕を見てへにゃりと笑う出雲くんの姿があった。飲ませた張本人に代わってカウンター越しのお客様が、水飲んだらと声をかけ、心配してくださっている。
「もう! お客様に気を遣わせちゃだめじゃない」
「固いこと言うなよ、てんちょー。これも店の楽しみ方だって」
お調子者はほっといて、俯いたままチケットの束をぱらぱらとめくって遊んでいる出雲くんの顔を覗き込む。
「キョウくん、大丈夫? 大声出しちゃだめでしょう?」
話しかけても反応がないのでそっと肩に手を置いてみたら、ゆっくりとした動作で顔をあげた。ふらふらと覚束ない視線が時間をかけて僕を捉える。
「路彦さん……」
「こら、店では店長って呼びなさい」
「路彦さん、このチケットください」
声をひそめてした注意なんてなんの効果も発揮せず、気の抜けた声で出雲くんはお願いしてきた。
彼が遊んでいたのは先日お客様が置いていったオクトーバーフェストという、横浜で行われるドイツビールのイベントの入場券だった。
その方自身がイベント関係者のようで、お酒が好きな人にたくさん来てほしいからキャストやお客様に配って欲しいと渡されたものだ。テーブル会計のためカウンターの奥にひっそりと設置されている、レジのところに置いてあったはず。
会計時に領収書と一緒に渡したり他のキャストの子にはあげたりしていたけれど、まさかお酒が飲めない出雲くんが欲しがるとは思わなかったので彼には話してもいなかった。
「いいけど、これビールのイベントよ? そりゃあソフトドリンクも少しは売っているだろうけど」
「いいんです。どうしても行きたいんです……もらっちゃだめですか……?」
だめと言ったわけではないのに、肩をこれでもかというほど落として項垂れる姿にため息が漏れた。口もへの字に曲げちゃって子供みたい。お酒を飲むと本当にこの子は駄目だ。
この状態で仕事になるのかもわからないしどうしようかと思ったら、ちょうど食事のオーダーが入ってしまった。しかもパスタとチキングリル。食事のラストオーダーギリギリだっていうのにがっつり頼むじゃないの。オーダーを取ってきたヒナちゃんが出雲くんを見て苦い顔をする。
「どうします……?」
「大丈夫よ、僕が作ればいいだけだから」
真面目なヒナちゃんには笑顔で返し、平常運転でお客様と会話をするジュンヤくんの耳たぶを掴んで引っ張ってやった。いでででで、と小さなキンキラキンの頭がこっちに引き寄せられてくのを見て女の子たちがキャーキャー笑っている。お気楽で明るいのがこの子のいいところだし人気の秘訣でもあるけれど、人を巻き込むのはよろしくない。
「キョウくんにはこのままカウンターに入っててもらうから。責任持ってちゃんとお守りしてちょうだいね?」
「痛い、痛いって、わかってるよ! 本当さー、店長はキョウくんのことになるとすぐムキになるんだぜ。このクソデカおかま!」
「誰がクソデカおかまよ!」
呆れて去り際にベシッとお尻叩いてやったら今度はセクハラだなんだと騒ぎ出して、うるさいったらありゃしない。でも本人もお客様も大口開けて笑っちゃって、びっくりするくらい楽しそうだ。そんなところを見てしまったらもうクソデカおかまでもなんでもいいわと、くすりと笑ってキッチンにつく。
人が好きだし、楽しそうにしている人を見るのがとても好きだ。笑顔はもちろんのこと、笑い声も、賑やかなその空間も。もちろん料理もお酒も好きだけれど、多くの人と関わってその人達を楽しませたいからこの仕事をしている。
キッチンに入りながらも横目で様子を伺えば、キャストとお客様が談笑を続ける中で出雲くんはどこか上の空だった。
お酒を飲んでいるからというのもあるのかもしれない。でもあの子はいつだって、賑やかにしている人たちの中でどこか寂しげだった。どう見たって輪の中にいるのに、どこか遠くにいるみたいだ。
もっとあの子に深く触れたい。心の底から笑わせてやりたい。
オクトーバーフェスト、か。デートするのもたまにはいいかもしれないわね。
一品目の料理が仕上がり、受け取りにきたヒナちゃんが、そういえばと口を開いた。
「あのチケットってどのお客様がくださったんでしたっけ?」
「ヒナちゃん接客したことあったかしら……たまに来てくださる方でね、背が高くてイケメンなのよ。ヒール履いてるクソデカおかまより大きいんじゃないかしら」
突然の自虐にいつもクールなヒナちゃんが顔をそらして吹き出すのを見て、このネタは使えるかもしれないわねとほくそ笑む。
「わかりました。イケメン好きのアンズちゃんが接客するの嫌がってたイケメンですね?」
「そう、その人よ。なんていうか……独特な感じの人なのよね。悪い人じゃないけど、ニコリともしないからやりづらいのかもしれないわね」
そんなお客様他にもいらっしゃるのに、そういえばあのお客様の煙草の銘柄は僕と同じものだったとふと思い返した。しかしその考えはすぐに手のひらで払い、オーブンのハーブチキンを確認する。
ローズマリーのいい香りが開店前の可愛い出雲くんを思い出させてくれ、心配性すぎる僕の懸念はすぐに拭い去られていった。
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