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欲深になれというのなら⑤
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控えめに辺りを見回してみる。会場内より静かとはいえぽつりぽつりと海を眺めるカップルや、イベント会場から抜けて休憩しているらしき人たちもいる。さすがにここでキスはと(今の状況もよっぽどだとは思う)先生に視線を戻すが、待てをされた犬のようにずっと俺を見つめ待っていた様子だった。うう、断りづらい。
「人前ですよ……いくらなんでも……」
「みんなも、僕らも、酔っぱらい……」
「でも」
「したくない?」
表情を変えずに小首を傾げて俺を見上げるお顔に、嫌だとハッキリ言えるわけがない。そもそも自分の感情に素直になればしたくないわけがない。
昔は頬まで前髪がかかっていた。今はその白く肉の薄い頬がよく見える。不摂生のくせして相変わらず毛穴一つない綺麗な頬に手を添えた。
「じゃあ、こちらに……失礼します」
尖らせた唇の先だけが触れる、そんなキスを頬にした。今頃お酒が回ってきたのか恥ずかしくて仕方ないからか、頬や首筋が熱い。羽織っている黒いミリタリージャケットを脱いでしまいたいくらい。照れ隠しに持っているだけだったビールをぐいっと普段の一口よりもたくさん飲んだ。力が抜けて、はぁ、と息が漏れる。
「いずも?」
「はい?」
「顔……真っ赤」
「赤くないですっ……もういいじゃないですか、下ろしてください」
気が立って大きな声が出てしまい、その反動で仰け反ってしまったら、ふらっと後ろに倒れ落ちそうになる。それでもあれ? ふわっとするな、くらいにしか俺が感じなかったのは、慌てる様子もなく表情も変えることなく先生が背中を支えてくれたからだ。
「下ろして……平気? もっと寄りかかっても、いいよ?」
「やです。下ります。先生のスーツ見るっ……」
「口調……」
「なんですか?」
「んーん……じゃあ、下ろすよ? 暴れないで、いい子にね?」
足が地面に着いても音がしないくらい、そっと丁寧に下ろしてもらう。先生はそのまま海に面した柵に肘を掛けてもたれかかり、俺の肩を抱き寄せた。これでは結局人目が気になるのだけれど。
「離してください。これでは恥ずかしいままです……」
「だめ。ふらふら、してる」
そんなことないと文句を言う代わりにお酒をまた口にする。喉の乾きを潤すのが目的のように、ごくり、ごくりと。気がつけばビールは残りあと少しだったので、ええい、とさらに飲み切る。低アルコールですらこんなペースで飲むことはない。
「きみ……飲めない、よね」
「そんなことないですっ……昔と一緒にしちゃだめですよぉ、お酒扱うバイトしてますから。ふふふ、カクテルとか、作れますよ。俺のことお家に置きますか?」
恥ずかしいと言っていたのも忘れ、先生の肩に頬を寄せて腕を組む。柵の向こうに投げ出された、肩を抱くのとは逆の手に指を絡めてみたら、とても冷たかった。指先なんて氷のよう。ごそごそともう片方の手も出して、温めたい一心でその手を両手で包み込んだ。両手でやっとこさ包み込める大きな手。
「卒業式出なかったんですよ」
「知ってる」
「そりゃあご存知ですよね。全然後悔とかしていないのですが、先生のスーツ姿が見れなかったのだけが少し心残りで」
実際は少しどころの後悔ではない。気がついてその場にごろごろと転がりまわって悔しくてうーうー唸りまくった。いつも裾丈のあってないズボンにゆるキャラかパチモンの長袖Tシャツ、そしてくたびれた白衣だった先生の、スーツ! 見たいに決まっている。
さり気なくチラチラと見ていたが、スーツを着ているとスタイルの良さが際立つ。腰の位置の高さとか、手足の長さとか、オーダースーツなのだろう、サイズが合っているだけでも感動ものだ。股下が長すぎて股間どこにあるのか疑問に思うほど。丈を測らせていただきたい。
そしてサイズが合っているからこそわかる、先生の上半身のライン! 路彦さんのようなウエストの絞られた逆三角形ももちろんカッコいいのだが、先生は細身の割にウエストはそこまで細くなく、四角い体型だ。その全体的に硬さの目立つフレームの大きな骨格の作りがとても好みで、張ってる骨をそこらじゅう撫で回したくなる。
「先生のスーツ姿……やっぱりとっても素敵です。ネクタイ曲がってますけど、そこも先生らしくて良いですね。お直ししてもいいですか?」
「うん」
海を横目に、お互い向かい合う。ネクタイの結び目に手をかけたら、何だか落ち着かなくなってそわそわした。指先を結び目に差し込んで、すっと時間をかけてほどく。
「ネクタイ結ぶのは苦手ですか?」
「うん? 気にしたこと、ない」
「そうでしたか」
めっきりネクタイを結ぶことはなくなったが、高校三年間きっちり締めていたため指が覚えている。自分にするのと人にするのはまた違うけれど、まぁ問題ない。結び目を作ってキュッと締め上げる。やや上を向いて待っている先生の顎を見上げながら、毎日でも結んで差し上げたいと思った。
「できた?」
「いえ……」
本当はできたけれど、目の前にある喉仏があまりにえっちだったのでつい唇を寄せてしまった。ちゅ、と軽く吸って歯を当てる。ジャケットのボタンも外して、中に手を滑らせてワイシャツ越しに抱きつく。やっぱりこの体型たまらない、だいすき。
「人目……気になるんじゃないの?」
「だって先生の身体がえっちなんですもん」
「酔ってる……?」
「酔いませんよぉ……ムラムラはしてますけどぉ……」
肩に頬擦りしながら、背中をなでなでする。肌に直接触りたい。
先生は左耳を撫でる。すぐにわかった、ピアスとピアスの間にまだ見えるように残してあるほくろに触れているのだ。まるで何かのスイッチのように、ン、と身体を震わせてしまう。
「卒業式の日……どこに、いたの?」
「ふふふ。実は一ヶ月くらい貧乏旅行したんですよ。離島に行ってみたり。自由を満喫です」
「そう……君は本当に、真面目だな……」
まじめ? と聞き返したが、先生がピアスを一つずつ撫でていくのにぞくぞくして、すぐにそれどころではなくなってしまった。左耳が終わったら今度は右耳も。
「この耳も、自由の結果……かな?」
「あ……先生、中のピアスは……」
「自由に過ごそうと……努力、したんだね? 君らしい。ちゃんと僕の言うこと聞いて、いい子だったね」
耳輪より内側にある軟骨のピアスを撫でられると身体が熱くなって、熱い吐息が漏れぬよう自らの人差し指の第二関節に歯を立てる。
「ピアスッ……お嫌い、ですか?」
「うん? いいと思うよ? ただ、僕が……開けたかったな」
ピアスの下、何もないところに爪が立てられる。
「君の皮膚や……骨に……針を通すと、どんな感触がするか、知りたい」
「ん、せんせ……」
耳たぶを引っ張られて穴の奥の方に向けて囁かれる。もう何が何だか、とにかくたまらなくて、下腹部あたりをすり、と先生に擦り寄せてしまう。
お酒が回ってぽーっとした頭でも、これ以上この雰囲気でいたら我慢できなくなることはわかった。
「先生、あの、今お仕事はなにを……先生はいまでも、先生ですか?」
「いや……? 今は、輸入と……飲食店経営と……ほかにもあるけど、いろいろやってる会社に、いる。社内システムの運用とか、してる」
回らない頭で、貰った情報からの返事を必死で考える。そこに集中しないとまだ弄られている耳のせいで声が出そう。
「あ……じゃあ、えっと……先生の会社では、システムトラブルがあったら先生が来てださるんですね。羨ましいです。先生の会社に就職したいくらい」
「それは……無理」
耳から手が離れていく。まともに開けることができていなかった目を開けると視界がぼやけていて、夜ということもあり前がよく見えなかった。顎を掴んだ手の指が、首筋の……朱色の金魚を、撫でる。
「こんな目立つとこに、お絵描きしたら……どこも、雇ってくれないよ?」
ぞくっとした。
気持ちいいぞくぞくじゃない。熱い身体が冷えていく、背筋を襲う寒気だ。久しぶりに向けられたこの感情に血の気が引き、思わず一歩後退して先生の身体から離れた。
「ごめんなさい……」
怒っていらっしゃる。
先生は謝る俺を仰向いて見下した。そしてポケットからお煙草とライターを取り出し、箱を軽く叩いて飛び出た一本を直接咥えて抜き取り、火をつけた。
「君に会えて……嬉しいよ」
辺りは暗く先生のスーツはその色に紛れて、まるで煙草とそれを持つ手と白い煙だけが、そこに浮かんでいるようだった。
「というより……会いたかったんだろうな……だからわざわざ、こんな平日に……来た。君の店の、定休日に」
「え? なんで知ってるんですか……?」
問いかけると先生は僅かに口の端をあげ微笑んだ。
そして届いた煙の放つ香りに違和感を覚える。
「先生、あの……お煙草変えました?」
「ううん?」
「でも、においが……」
慣れ親しんだあの香りとは違う。首を傾げる俺に先生はため息をついた。
「ああ……彼の、シャンプーの匂い。強いから、混ざっている……のかな」
先生が何を言っているのかさっきからよく分からない。お酒をあんなに飲むんじゃなかった。ぐるぐるする、ぐるぐるして、そのまま目眩に倒れそうになったのを背後から誰かが受け止めた。
背後からは先生の匂いがして、でも目の前に先生はいて、違う香りがして。訳が分からないまま振り返れば、そこには待ち合わせしていた彼がいた。
「出雲くんお酒飲んだわね? 絶対だめって言ったのに!」
「路彦さん……」
名前を呼ぶと安堵したように笑って見せて、視線が外れた。視線の先には先生がいる。
「加賀見ちゃん、もらったチケット使いにきたわ。でもどうしてこの子といたの?」
「迷子の、保護」
「なによそれ?」
「その子……キョウくん。店の子、でしょ。写真、見たことある……」
二人の会話が聞こえてくる。加賀見ちゃん? キョウくん? 何故この二人が顔見知りなんだ。どうして俺の店での名前を知っているんだ。
酔っているところに目眩に混乱、あまりに気持ちが悪くて吐き気がしてくる。心臓もバクバクと鳴って痛いくらいだった。
とにかく少しでも落ち着かないとあまりのパニックで心臓麻痺でも起こして死んでしまいそう。俺を支える路彦さんの腕を掴んで、なんとか声を絞り出す。
「路彦さん、お水……お水が飲みたいです。買ってきていただいてもいいですか……?」
「もちろん、すぐ買ってくる」
しっかりと頷いて手をきゅっと握ってくれた路彦さんは先生に会釈して、そのまま俺を託すように体を預けさせた。
「うちのキャストがご迷惑お掛けしてごめんなさい。お客様にこんなことお願いして申し訳ないのだけれど、もう少し面倒をお願いしてもいいかしら……?」
「うん」
「ありがとう、すぐ戻るわね」
珍しくロングスカートではなくチノパンとブーツ姿の路彦さんが、颯爽と急ぎ足でその場を離れる。先生はもたれかかる俺の身体を支えながら、首筋で泳ぐ金魚の形を指先でなぞる。
「君の恋人は……器が、大きいね。僕なら絶対に、嫌だけどね。君を他の男に任せる、なんて……」
「違う、違います、恋人じゃないです」
「ふうん?」
金魚をなぞる指はそのまま、腰を支えていた手が登ってきてジャケットの中で胸の敏感なところを引っ掻いた。久しぶりなのに服の上から一発で見つけてしまうのが先生らしい。
「せんせ、こんなとこで……」
弱々しい声を出すだけの抵抗をバカにするように、低く笑う声が響く。
「相変わらず、簡単そうだ……君の身体、溶かすのは。彼はまた、セフレ?」
「違います、そんなんじゃないです。バイト先の店長で……」
「一緒に……住んでるね?」
「なんでそんなに色々、ご存知なんですか? 俺のことずっとどこかでっ……」
「そんな説明する時間、ない」
カリ、とまた爪が食い込む。さっきまで先生と再会できて喜びや懐かしさでいっぱいだったのに、それらの感情はすっかり泡となり消え、罪悪感と後悔で埋め尽くされた。
あと少し我慢していれば、もっと自信をもって身の潔白を説明できたのに。路彦さんには大変お世話になっているけれど先生の思っているようなことは何もない、と。なんの後ろめたさもなくこの体が先生だけのものであるうちに再会できたのに。
「人前ですよ……いくらなんでも……」
「みんなも、僕らも、酔っぱらい……」
「でも」
「したくない?」
表情を変えずに小首を傾げて俺を見上げるお顔に、嫌だとハッキリ言えるわけがない。そもそも自分の感情に素直になればしたくないわけがない。
昔は頬まで前髪がかかっていた。今はその白く肉の薄い頬がよく見える。不摂生のくせして相変わらず毛穴一つない綺麗な頬に手を添えた。
「じゃあ、こちらに……失礼します」
尖らせた唇の先だけが触れる、そんなキスを頬にした。今頃お酒が回ってきたのか恥ずかしくて仕方ないからか、頬や首筋が熱い。羽織っている黒いミリタリージャケットを脱いでしまいたいくらい。照れ隠しに持っているだけだったビールをぐいっと普段の一口よりもたくさん飲んだ。力が抜けて、はぁ、と息が漏れる。
「いずも?」
「はい?」
「顔……真っ赤」
「赤くないですっ……もういいじゃないですか、下ろしてください」
気が立って大きな声が出てしまい、その反動で仰け反ってしまったら、ふらっと後ろに倒れ落ちそうになる。それでもあれ? ふわっとするな、くらいにしか俺が感じなかったのは、慌てる様子もなく表情も変えることなく先生が背中を支えてくれたからだ。
「下ろして……平気? もっと寄りかかっても、いいよ?」
「やです。下ります。先生のスーツ見るっ……」
「口調……」
「なんですか?」
「んーん……じゃあ、下ろすよ? 暴れないで、いい子にね?」
足が地面に着いても音がしないくらい、そっと丁寧に下ろしてもらう。先生はそのまま海に面した柵に肘を掛けてもたれかかり、俺の肩を抱き寄せた。これでは結局人目が気になるのだけれど。
「離してください。これでは恥ずかしいままです……」
「だめ。ふらふら、してる」
そんなことないと文句を言う代わりにお酒をまた口にする。喉の乾きを潤すのが目的のように、ごくり、ごくりと。気がつけばビールは残りあと少しだったので、ええい、とさらに飲み切る。低アルコールですらこんなペースで飲むことはない。
「きみ……飲めない、よね」
「そんなことないですっ……昔と一緒にしちゃだめですよぉ、お酒扱うバイトしてますから。ふふふ、カクテルとか、作れますよ。俺のことお家に置きますか?」
恥ずかしいと言っていたのも忘れ、先生の肩に頬を寄せて腕を組む。柵の向こうに投げ出された、肩を抱くのとは逆の手に指を絡めてみたら、とても冷たかった。指先なんて氷のよう。ごそごそともう片方の手も出して、温めたい一心でその手を両手で包み込んだ。両手でやっとこさ包み込める大きな手。
「卒業式出なかったんですよ」
「知ってる」
「そりゃあご存知ですよね。全然後悔とかしていないのですが、先生のスーツ姿が見れなかったのだけが少し心残りで」
実際は少しどころの後悔ではない。気がついてその場にごろごろと転がりまわって悔しくてうーうー唸りまくった。いつも裾丈のあってないズボンにゆるキャラかパチモンの長袖Tシャツ、そしてくたびれた白衣だった先生の、スーツ! 見たいに決まっている。
さり気なくチラチラと見ていたが、スーツを着ているとスタイルの良さが際立つ。腰の位置の高さとか、手足の長さとか、オーダースーツなのだろう、サイズが合っているだけでも感動ものだ。股下が長すぎて股間どこにあるのか疑問に思うほど。丈を測らせていただきたい。
そしてサイズが合っているからこそわかる、先生の上半身のライン! 路彦さんのようなウエストの絞られた逆三角形ももちろんカッコいいのだが、先生は細身の割にウエストはそこまで細くなく、四角い体型だ。その全体的に硬さの目立つフレームの大きな骨格の作りがとても好みで、張ってる骨をそこらじゅう撫で回したくなる。
「先生のスーツ姿……やっぱりとっても素敵です。ネクタイ曲がってますけど、そこも先生らしくて良いですね。お直ししてもいいですか?」
「うん」
海を横目に、お互い向かい合う。ネクタイの結び目に手をかけたら、何だか落ち着かなくなってそわそわした。指先を結び目に差し込んで、すっと時間をかけてほどく。
「ネクタイ結ぶのは苦手ですか?」
「うん? 気にしたこと、ない」
「そうでしたか」
めっきりネクタイを結ぶことはなくなったが、高校三年間きっちり締めていたため指が覚えている。自分にするのと人にするのはまた違うけれど、まぁ問題ない。結び目を作ってキュッと締め上げる。やや上を向いて待っている先生の顎を見上げながら、毎日でも結んで差し上げたいと思った。
「できた?」
「いえ……」
本当はできたけれど、目の前にある喉仏があまりにえっちだったのでつい唇を寄せてしまった。ちゅ、と軽く吸って歯を当てる。ジャケットのボタンも外して、中に手を滑らせてワイシャツ越しに抱きつく。やっぱりこの体型たまらない、だいすき。
「人目……気になるんじゃないの?」
「だって先生の身体がえっちなんですもん」
「酔ってる……?」
「酔いませんよぉ……ムラムラはしてますけどぉ……」
肩に頬擦りしながら、背中をなでなでする。肌に直接触りたい。
先生は左耳を撫でる。すぐにわかった、ピアスとピアスの間にまだ見えるように残してあるほくろに触れているのだ。まるで何かのスイッチのように、ン、と身体を震わせてしまう。
「卒業式の日……どこに、いたの?」
「ふふふ。実は一ヶ月くらい貧乏旅行したんですよ。離島に行ってみたり。自由を満喫です」
「そう……君は本当に、真面目だな……」
まじめ? と聞き返したが、先生がピアスを一つずつ撫でていくのにぞくぞくして、すぐにそれどころではなくなってしまった。左耳が終わったら今度は右耳も。
「この耳も、自由の結果……かな?」
「あ……先生、中のピアスは……」
「自由に過ごそうと……努力、したんだね? 君らしい。ちゃんと僕の言うこと聞いて、いい子だったね」
耳輪より内側にある軟骨のピアスを撫でられると身体が熱くなって、熱い吐息が漏れぬよう自らの人差し指の第二関節に歯を立てる。
「ピアスッ……お嫌い、ですか?」
「うん? いいと思うよ? ただ、僕が……開けたかったな」
ピアスの下、何もないところに爪が立てられる。
「君の皮膚や……骨に……針を通すと、どんな感触がするか、知りたい」
「ん、せんせ……」
耳たぶを引っ張られて穴の奥の方に向けて囁かれる。もう何が何だか、とにかくたまらなくて、下腹部あたりをすり、と先生に擦り寄せてしまう。
お酒が回ってぽーっとした頭でも、これ以上この雰囲気でいたら我慢できなくなることはわかった。
「先生、あの、今お仕事はなにを……先生はいまでも、先生ですか?」
「いや……? 今は、輸入と……飲食店経営と……ほかにもあるけど、いろいろやってる会社に、いる。社内システムの運用とか、してる」
回らない頭で、貰った情報からの返事を必死で考える。そこに集中しないとまだ弄られている耳のせいで声が出そう。
「あ……じゃあ、えっと……先生の会社では、システムトラブルがあったら先生が来てださるんですね。羨ましいです。先生の会社に就職したいくらい」
「それは……無理」
耳から手が離れていく。まともに開けることができていなかった目を開けると視界がぼやけていて、夜ということもあり前がよく見えなかった。顎を掴んだ手の指が、首筋の……朱色の金魚を、撫でる。
「こんな目立つとこに、お絵描きしたら……どこも、雇ってくれないよ?」
ぞくっとした。
気持ちいいぞくぞくじゃない。熱い身体が冷えていく、背筋を襲う寒気だ。久しぶりに向けられたこの感情に血の気が引き、思わず一歩後退して先生の身体から離れた。
「ごめんなさい……」
怒っていらっしゃる。
先生は謝る俺を仰向いて見下した。そしてポケットからお煙草とライターを取り出し、箱を軽く叩いて飛び出た一本を直接咥えて抜き取り、火をつけた。
「君に会えて……嬉しいよ」
辺りは暗く先生のスーツはその色に紛れて、まるで煙草とそれを持つ手と白い煙だけが、そこに浮かんでいるようだった。
「というより……会いたかったんだろうな……だからわざわざ、こんな平日に……来た。君の店の、定休日に」
「え? なんで知ってるんですか……?」
問いかけると先生は僅かに口の端をあげ微笑んだ。
そして届いた煙の放つ香りに違和感を覚える。
「先生、あの……お煙草変えました?」
「ううん?」
「でも、においが……」
慣れ親しんだあの香りとは違う。首を傾げる俺に先生はため息をついた。
「ああ……彼の、シャンプーの匂い。強いから、混ざっている……のかな」
先生が何を言っているのかさっきからよく分からない。お酒をあんなに飲むんじゃなかった。ぐるぐるする、ぐるぐるして、そのまま目眩に倒れそうになったのを背後から誰かが受け止めた。
背後からは先生の匂いがして、でも目の前に先生はいて、違う香りがして。訳が分からないまま振り返れば、そこには待ち合わせしていた彼がいた。
「出雲くんお酒飲んだわね? 絶対だめって言ったのに!」
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名前を呼ぶと安堵したように笑って見せて、視線が外れた。視線の先には先生がいる。
「加賀見ちゃん、もらったチケット使いにきたわ。でもどうしてこの子といたの?」
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「なによそれ?」
「その子……キョウくん。店の子、でしょ。写真、見たことある……」
二人の会話が聞こえてくる。加賀見ちゃん? キョウくん? 何故この二人が顔見知りなんだ。どうして俺の店での名前を知っているんだ。
酔っているところに目眩に混乱、あまりに気持ちが悪くて吐き気がしてくる。心臓もバクバクと鳴って痛いくらいだった。
とにかく少しでも落ち着かないとあまりのパニックで心臓麻痺でも起こして死んでしまいそう。俺を支える路彦さんの腕を掴んで、なんとか声を絞り出す。
「路彦さん、お水……お水が飲みたいです。買ってきていただいてもいいですか……?」
「もちろん、すぐ買ってくる」
しっかりと頷いて手をきゅっと握ってくれた路彦さんは先生に会釈して、そのまま俺を託すように体を預けさせた。
「うちのキャストがご迷惑お掛けしてごめんなさい。お客様にこんなことお願いして申し訳ないのだけれど、もう少し面倒をお願いしてもいいかしら……?」
「うん」
「ありがとう、すぐ戻るわね」
珍しくロングスカートではなくチノパンとブーツ姿の路彦さんが、颯爽と急ぎ足でその場を離れる。先生はもたれかかる俺の身体を支えながら、首筋で泳ぐ金魚の形を指先でなぞる。
「君の恋人は……器が、大きいね。僕なら絶対に、嫌だけどね。君を他の男に任せる、なんて……」
「違う、違います、恋人じゃないです」
「ふうん?」
金魚をなぞる指はそのまま、腰を支えていた手が登ってきてジャケットの中で胸の敏感なところを引っ掻いた。久しぶりなのに服の上から一発で見つけてしまうのが先生らしい。
「せんせ、こんなとこで……」
弱々しい声を出すだけの抵抗をバカにするように、低く笑う声が響く。
「相変わらず、簡単そうだ……君の身体、溶かすのは。彼はまた、セフレ?」
「違います、そんなんじゃないです。バイト先の店長で……」
「一緒に……住んでるね?」
「なんでそんなに色々、ご存知なんですか? 俺のことずっとどこかでっ……」
「そんな説明する時間、ない」
カリ、とまた爪が食い込む。さっきまで先生と再会できて喜びや懐かしさでいっぱいだったのに、それらの感情はすっかり泡となり消え、罪悪感と後悔で埋め尽くされた。
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(5月14日より連載開始)
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漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
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