愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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メフィストの娘

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 もうすこし広げるかなあと口々にみんなが言うのでサインペンの書き込み範囲からさらに外側へ目を流すと大きな川が気になる。市街地で駅もあるため交通量も普通に多い。あまりしたくない想像だが万が一車に撥ねられていたりすると、連絡は来るのだろうか。念のために近隣の獣医には知らせてあるけれど。

 もっふぁ~は宿直も含めると職員が十二人、パートの事務員が三人、そして龍達アルバイトが十人ちょっといる。学生以外の人員は働く時間帯がまるっと異なっていたりするので名前しか見たことがない同僚もいる。NPO法人としての規模はどうだかわからないが、ビルのテナントを借りていたり預かっている動物達のケアも行き届くあたりは、けっこう上等なのではないかと思っている。

 お喋りな調に聞いたが、なんでも一生かかっても資産を使いきれないどこぞやの金持ちが支援してくれているそうで、活動資金は潤沢にあるとか。非営利活動が原則なので依頼料も比較的安価で、一度かかわるとしっかり責任を持ってくれて、もっと大々的に宣伝したらいいのにという声もバイトの世間話では出るのだが代表はそれには反対らしい。

 たしかに迷子の捜索はともかく飼えなくなったペットを安易に押しつけられても困る。初めからあてにして環境も整わないのに手を出されたら動物だって迷惑だろう。あくまで必要な人が自ら検索して辿りつき、おなじように悩んでいる人に口頭で教えてあげて、そのくらいでちょうどいい。対象は遠方の人でなく地域の住民なのだ。どうしてもの例外でもないかぎりは、基本的に受け付けない。

「宇宙人的には何かねえの? サーチ能力」
 懲りずに宇賀神にそんなことを言うので呆れて肘を飛ばした。脇腹にキマって歩が「ぐええ」と大袈裟な呻き声をあげる。

「役に立てなくてごめんね」
「いや相手にしなくていいから宇賀神」
「龍ってば塩なのは顔だけにしとけよなー」
「なにおう」
「イチャイチャしないで」

 一二三の鋭いツッコミにばっさりやられて、龍も歩も思わず微妙な顔になった。周囲も白々しい反応をする。宇賀神だけが、ほわほわと柔和な笑みを湛えてふたりを見守っていた。

 前々から思っていたといえばそうなのだけれど、一二三はこういう面がある。特に龍に対して厳しめだった。理由があっての振る舞いなので甘んじてはいるが人間なので何も感じないわけじゃない。歩がうまくフォローしてくれる時もあるが、今みたいに間に合わない場合もままあった。
 女子はどうせみんなイケメンの肩を持つ、と一般論にあてはめるのは乱暴だ。一二三はそんな軽薄な女子でもない。だから地味に堪えてしまうのだが、俺が悪いよと龍はちゃんと理解していて、さりげなく席を外した。

 事務所に他の出入り口はないため正面ドアからふらりと外へ出る。無人の階段を降り、表に出ると龍が来た時は停まってなかった車が帰ってきていた。まさかと思いつつビルのすぐ横の路地を覗くと案の定、長い黒髪を無造作にまとめた女性が排煙機能つきの灰皿の傍でうまそうに紫煙を味わっている。こちらに気づいて片手をあげる仕種はこう言ってはなんなのだが中年の男性みたいだ。

「おかえりなさい、お疲れ様です」
「須恵くんもお疲れ~」

 馨子かおるこが指先に挟んでいた煙草を咥え、龍にソフトケースのくちを見せる。この夏に法定年齢は満たしているし、ちょっとだけ堕落したい気分だったので遠慮なく分けてもらう。ライターはと目を投げると黙って穂先を近づけてくる。したこともなかったので緊張したけれど、かるく吸うと簡単に火は移った。

 じょうず、と言われて曖昧に笑む。化粧っけが全然なく、いつも揃いの法人名入りブルゾンにデニムかジャージ、足元はスニーカーという動きやすさに全振りの出で立ちなので異性と失念しがちで、こういう行動がさらに拍車を掛ける。まだちゃんと肺に入れて喫めない龍に横から教えてくれたりして、ひと回り以上齢は離れているのにそんな感じがしない。学校の先輩みたいだ。もっふぁ~の代表なので上司でもある筈なのだが、すくなくともアルバイトには気安い。

「げんちゃん見つかった?」
「いえ、まだっすね」
「そっか……」

 今日は譲渡会の打ち合わせに行き、やや遠いがその施設周辺も念のためパトロールして、ラジオ局にもまた頼んできたと神妙な面持ちで言う。代表は直接家族と面会するのでどうしても他人事とは思えないのだろう。馨子自身こういう仕事をしているだけあってとても動物が好きなのだ。オフの時まで個人的に迷子捜索をして、結局仕事の日とおなじことをして過ごしていると親しい職員にばらされて調に小言をいただいていた。

 そういう熱意に溢れる馨子だから依頼人も預けてくれるのだろう。ペットは家族の一員だ。信用できない人間にはとても頼めないと龍も思う。子どもと違ってものも言えない。陰で不当な扱いでも受けていたらと疑いだしたらきりがないかもしれない。これだけ需要が増えてきているのだから、いい加減物扱いは改めてほしいと職員達はいつも話題にしている。

 一二三や宇賀神みたいに学内の知り合いが増えたのもよかったが、馨子のようにそうでない人ともアルバイトの御蔭で縁が繋がって世界が広がっている。それが仇になったこともあったけれど、全部ひっくるめて運命だったなあと感慨深かった。
 
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