愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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理屈じゃないの

04

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 龍の家は両親の両親が揃って早くに他界しており、物心ついた時から祖父母がいなかった。なので身近な人の死というものにまだ触れたことがなく、こんなに身の細る思いがするものなのかと愕然とした。悲しいなんてわかりやすい感情じゃない。怖いとかつらいとか、どうしていいかわからないとか、そういう悪いものが全部合わさったような複雑な、でも漠然とした負のイメージに押し潰されそうだった。

 もう関係性なんてどうでもいい。何でもなくなってもかまわないから、こんなことは二度と起きないでほしい。川に落ちた時、八色に咎められて腹を立てたが、龍が間違っていたのだとこんなかたちで理解させられて最悪だ。絶対に故意じゃないけれど、あんまりだと苦り切る。

「――龍」
「香さん……!」

 まだ青白い顔はしているがしっかり自分の足で歩いて八色がロビーへやって来た。上半身は裸で、肩に入院着を掛けている。まっすぐ伸ばした左腕が袖を通せないのだ。龍の上着を脱いで貸そうとすると「入るかよ」とあっさりフラれた。たしかに物によってはMでも充分だが、これでも上背を基準にすればLサイズなのに。ハラスメントはやめてもらいたい。
 先程の看護師が毛布を持ってきてくれたのでそれを掛けてあげた。高い体温は平時もまあまあそうだが、今はとりわけ身体が治ろうと働きを活発にしているのだろう。隣に座って、そういえばと思い出し救急隊員に預かっていた貴重品類を本人に返した。

「ご家族に連絡しようかと思ったんだけど俺わかんなくて」
「あー、いい、いい」

 緊急連絡先とか決めてねえしな、と呟きながらスマートフォンをさわる八色は本当に何げなくて、だから自分のほうが変なのかと龍はわからなくなる。俺はあんただと思ってたのに? そんなことはなかったのか。
 入院はしなくてもいいらしいが通院は必要で、傷が塞がったらすこしだけリハビリを受けなければならないと聞いて龍のほうが落ち込んだ。別に八色はアスリートでも職人でもないけれど、心配するほど重くはないのかもしれないけれど、以前よりすこしでも不自由なところができてしまったのなら悲しかった。彼は何も悪くないのに。

「俺、龍のこと泣かせてばっかだな」
「……そうかもな」

 今はだいぶましだが今朝など瞼が盛大に膨らんでいたのだ。音も笑うどころかひいていた。前髪で目立たないようにして何とか切り抜けたけれど、一二三の両親もさぞや驚いたのではないかと思っている。「記念写真撮ろうぜ!」と言った歩は言語道断だが、大したことじゃないと励まそう的な意図は透けて見えていたので、龍からスマホを掲げてやった。
 あとで笑い話にするつもりだったが、どうやら笑えない傷になりそうだ。もう上手に取り繕えている自信が全然なくて顔ごと背けるしか道がない。でもそれでは八色が気にして覗き込んでくる。直接会うのなんて久し振りで、なのにこんなに居心地が悪い。

「香さんなんでこの時間に来てたんだ?」
「ああ……」

 珍しく濁すような素振りをするので予感はあった。まさか、と息を詰める。

「実は、お前と話したくてよ。スマホじゃダメだったから直接会おうと思ったんだが」
「……ごめん……!」

 やっぱり龍の所為だった。誠実な八色のことだ、事情があるとはいえ黙って越したのをじかに謝罪したいと考えるのも当然で、動揺して拗ねて、幼稚な無視をして、思い至らなかった自分が恥ずかしい。下げた頭をなかなか上げられずにいる龍を、八色は「お前のせいじゃねえだろ」と言って無理やり起こした。違う。俺が悪い。
 八色が今日事務所を訪れたことと篠田が凶行に及んだことに因果関係は無い。誰にも予測し得なかったひどい偶然だ。ストーカーの存在が発覚してからこっち、彼には親の命令で私設のSPがつけられていると聞いて龍は驚いた。だが今日にかぎっては、八色自身が龍に逢うため撒いてきてしまい、肝心な時に役に立たなかったその人達はクビになるのではと気の毒だった。

(そのまえに俺がされるかも)

 龍に内緒で住み替えをしたのも、そのSPの指示だったようだ。こんなことになってしまって汚名を雪ぐどころかバチバチに容疑をかけられるだろう。遠い目をする。

「こないだ話そうと思ったのに、お前寝ちまうし起きたらもういねえし」
「いやそれ俺に言ったら意味ねえじゃん」
「は? 俺がお前を疑うわけねえだろうが」
「……ああ、そう」

 不思議なことにそのひとことで、今まで限界を行ったり来たりして辛うじてうやむやにしていた涙の衝動が呆気なく決壊し、ぼろっと目縁から零れ落ちた。しばらく泣くことはないだろうと思っていたのに昨日の今日だ。とうとう涙腺までいかれてしまったらしい。だがこれはきっと嬉し泣きだ。だからいいんだ、と龍は自分を甘やかした。
 他の誰に疑われても八色が信じてくれるならそれでいい。充分だ。口元に笑みを刷いているのに双眸は泣き濡れて、ちぐはぐな顔面は龍の胸中をこれでもかとよく反映していた。やっと深く息が吸えるようで、無駄に何回か肺を膨らませたり萎ませたりしてみる。

「ああいうの多いのか?」
「……つうと?」
「いやルコの奴、何かやったのかと思ってよ。恨み買うようなこと」
 
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