愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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お別れするしかないみたい

01

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 生き地獄というか活きのいい地獄だなあ、とスマートフォンに指をすべらせて龍はくちのなかでぼやいた。事件は数日前だが恐らくその日のうちにあらかたの事実は特定され、電子の海に流し込まれていたのだろう。じゃぶじゃぶとその濁流を泳ぎながら、修羅の国というフレーズをしみじみ噛み締める。

 むしろ龍の存在がこのように露呈されなかったのは奇跡に近かった。うまくやっていた。否そういう問題じゃない。幸いキャリアの中にテレビスターが含まれてなかったためヤシキコウの知名度が年代趣味嗜好によってばらけており、判別のつきかねているマスコミがお手柔らかな御蔭ですり抜けられていたのだ。

 ところが馨子の場合は出だしが普通に傷害事件だった。ニュースになっては目に触れる範囲がぐっと広がる。現にインターネットの世界では八色の公式プロフィールはおろか一般人である馨子のプロフィールまで普通に飛び交い、自宅などの個人情報が晒されていて、八色ではないが引っ越しを余儀なくされているらしかった。業務に支障をきたすため事務所にも現れてない。

 事件自体はテレビで一度報道されたのみで済んでいた。しかしそれが女性を庇ってのものだった、このAさんが特別な相手なのではという続報がただいま絶賛ネットを席巻中なのだ。職員達も内輪の噂レベルでは無責任にきゃっきゃと喜んでいたが、さすがに取材にはくちを閉ざしている。そもそもが迷惑な突撃取材で、自己紹介もライターなどという名刺一枚。しかも殆どがフリーランスなため、配慮と遠慮の無さは素人目にも明らかだ。

「楽しそうね~……」

 提出課題の進みが悪すぎたため、今日も龍はアルバイトを休んだ。謎の集中力で図書館の閉館時間までにやっつけたはいいが、猛烈に家に帰りたくない。捗るあまり予習まで終わってしまった。この調子ではわりと健康に影響をきたしそうなのでひとり暮らしを考えないでもないのだけれど、恐らく父に相談すれば実現は可能なのだけれども、それはなんだか悔しいし弟が気になる。

 とはいえまさか連れて出ていくわけにはいかない。ならばこちらが折れるしかない。でも嫌なものは嫌。母じゃなく同居人と思おうとはするのだが、些細なことでその心掛けを乱されたりして叶わないのが現状だ。修行が足りない。

 安静にしたくとも周囲がさせてくれず、番組宛てにまでその手のメールがわんさか寄せられて、八色のくちの悪さときたらとどまるところを知らないようだ。昨日の放送では終にピー音が仕事をしたとのネットニュースを見かけてふふっと笑ってしまう。表向きは彼の容体を考慮してだが、ライブで不躾なコメントを投げつけてくるリスナーが出てきたため一時的に収録に切り換えているらしい。火木の別の担当の日にまで出没するのだからたちが悪かった。

 篠田の動機はやはり飼い犬の件での怨恨だったようだ。馨子はそれでもやり方を変える気にはならないと言った。動物達が傷つくくらいなら自分が恨まれたほうがましだが、八色には申し訳なかったと落ち込んでいて、ゴシップ記事よりそちらのほうが堪えたらしい。諸連絡のため唯一居場所を知っている調が「キノコでも生えそうな勢いでジメジメしてましたよ」と呆れていた。

(俺もこっち側がよかった)

 無邪気に能天気に外側から好きなことを言って騒いで、あっという間に冷めて別のことに飛びつきたかった。気の毒に思いながらも馨子を羨む心が否定できない。俺は本当に彼氏なのに誰にも言えなかった。それとも、歩と付き合っていた時のオープンさのほうが異常だったのだろうか。

 トークアプリの通知が出る。収録形態になってからは時間の融通が利くようになったのか何なのか、八色からはまめにメッセージが来ていた。朝と夜の挨拶以外にも自分が今何をしているとか、龍の様子を訊いたり、謝罪の言葉もたくさん寄越されている。因みに馨子との噂については一切触れてなかった。読みはするのだが龍から返事をすることは殆どない。今の自分に与えられた役割はそれだと思うからだ。

 愛想を尽かして、手酷く振ってくれたらいい。しばらくはもう独りがよかった。自分の人生のゴタゴタも整理できてないのに他人と対等に関われるわけがない。一旦全部清算して、大丈夫になってから、また誰かいい人を見つけよう。そう決めている。

 連絡するなとくちで言ったところで無視して送り続けられるかもしれない。何回か送り届けてもらった過去があるので、八色は龍の自宅も識っている。いざとなれば直接会うことだって可能なのだ。だから無視はせず既読スルーを貫く。きっとそのうち諦めて、彼のほうからエンドマークを打ってくれる筈だった。

「ごめんな……」

 とても好きだけど、手に負えなかった。情熱が現実に負けて疲れてしまった。想いが足りないと言われればそうなのかもしれない。だが龍は恋くらい、誰にも制限されず自由にしたかった。わらって隣にいるだけのことも難しいのなら、諦めるしかなかった。
 画面を閉じてスマホを切ると疎らになった利用客の中に目立つ栗色の髪を見つける。たまには俺のほうから声を掛けてみよう。手早く荷物をまとめて静かに立ち上がり、背後から近づいていく。

「よ、宇賀神」
「! ……ああ、須恵くん。君も来てたんだね」

 閲覧室と受付カウンターの間には扉があり、常時開け放されてはいるのだが距離があって、私語をしても司書が咎めにくることは稀だった。そろそろ閉まるのでそれを言いにくらいは来るかもしれないけれど。
 
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