初恋の実が落ちたら

ゆれ

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月翔と小雨

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 何回かバーで逢瀬を重ねたのちに、ようやく小雨の自宅へ招かれて月翔はすこぶる機嫌がよかった。送り届けて翌日迎えにもくる予定のマネージャーにもいっそ気味悪がられるほどだ。獅勇の結婚以来あたりが強くなっていた自覚はあったので咎めはしなかった。
 月翔の家でもかまわなかったのだが小雨のほうが遠く、こちらは移動手段があるため譲歩してもらった。「ものすごく片付けなきゃいけないから何日か頂戴」と言われたときは笑ってしまったが、掃除なら俺が好きだから大丈夫などと思ってしまって、ちょっと浮かれている自分にびっくりする。

 まるで生活を共にしたいと望んでいるみたいだ。まだ付き合ってひと月も経ってないのに。すこしでも時間を捻出しようと無意識に心掛けているのかこの頃は仕事の効率が良く、NGがぐんと減って、地味に周囲の評判がいいと言われた。それが呼び水となってオファーが増えるのは正直微妙だが、まあ長い目で見れば悪いことではない。これが終われば小雨に連絡できる、と考えて己を鼓舞して乗り切った。

 その末のこれはご褒美なのだけれど。

「すごいとこに住んでんね……」
「だよな」

 ログハウスのような見た目の一戸建ては、内装も素朴なあたたかみに溢れていてとてもよかった。一階はワンフロアでリビングスペースにはなんと暖炉がある。二階も吹き抜けになっており、天窓から差し込む陽光がやわらかく家の中を満たす様子を想像して、月翔は知らず頬を緩めていた。
 しかし別の意味ですごいのは外だ。裏はちょっと歩けばもう森で、見渡すかぎり近くに民家も店もない。お隣の家とは数キロ離れているというのだから驚いた。都心から車で一時間ほどの場所とはとても思えない大自然に囲まれて、小雨はしかもひとりで暮らしている。

「危なくないの? 戸締まりはしっかりしろよ」
「はは、大丈夫だって」
「てか車なくて不便だろうに」
「うーん、まあ買い物はネットでできるから」

 以前は持っていたのだが故障してしまい、以降は買い換えてないのだという。これでは駅まで行くのも一苦労だろう。仕事も家でやるのでなければ大概のものは大変そうだった。

 世事に疎いと言っていた理由もわからないでもない。テレビは無く、パソコンも興味のあることにしか使わないでは男性アイドルグループの情報など知りようがなさそうだった。互いについての詮索はなしとわざわざ決めなくてもよかったかもしれない。むしろ月翔のほうが小雨についていろいろ知りたいくらいだ。
 どうしてこんなところにひとりで住んでいるのか。何か事情でもあるのだろうか。仕事が終わって直接来たので勧められるままに風呂を借りて出ていくと、いい匂いに出迎えられた。

「こんな時間に食べて大丈夫かな? もしダメだったら明日の朝に出すけど」
「……食う」

 その分ジムで汗を流せばいいのだ。幸いというべきか今は役作りのため筋トレをしている真っ最中で、トレーナーにもたくさん食べてすこし脂肪を増やしたほうがいいと言われている。
 ミートローフと温野菜、しゃきしゃきの玉葱ののったサーモンのカルパッチョ。いい匂いのもとは手製のブラウンソースだったようで、アボカドのディップも酸味が程よく、どちらをつけても箸が進んだ。チーズのピクルスは初めて食べたのだがこれも美味しい。手土産に持参したのとは別のよく冷えた白ワインを飲みながら、物も言わずにパクつく月翔を小雨は幸せそうに眺めている。

「あ、ごめん。すごくうまいから」
「月翔の食べっぷりがよくて見蕩れてた。作り甲斐あるよ」

 若いっていいなあと笑う小雨が、単なる羨望のつもりなのか、それとも他の誰かと比較しているのか判別がつかない。曖昧な笑みを返して取り敢えず今は手料理に集中した。

 詮索しないという約束はあらゆる面においてだった。素性もそうだが職業、交友関係、そして過去にもその制約は及んでいる。小雨のこの容姿なのでさぞかし男も女も手玉に取ってきたのだろうなと思ってしまうけれど、実際はどうなのだろう。ごく普通に付き合っても訊きづらい類いのことは悶々と想像するしかない。
 とりわけ月翔は自分が初めてなので、気になっている。小雨もそうじゃなきゃ嫌だとまでは言わなくても、過去はすくなければすくないほどいい。ひょっとして俺って結構嫉妬深いのかな。あまり自覚してこなかった己の新しい一面に戸惑いながらもちょっと嬉しい。芸の肥やしとは言い得て妙だ。

 しかしあくまで順序は小雨への好意が先だった。感情の動きはそれに付随する作用でしかない。かつて仕事で一緒になった年配の俳優は演技に還元するために常に数名の恋人がいると言っていたけれど、月翔はひとりで充分だと思った。この美味しい料理を毎日でも家で食べたい。そんなことをしたらあっという間におデブキャラになってしまうかもしれないが、さっさと一財を成して引退するのもそれはそれで魅力的な選択肢だ。

(もし)

 どれだけ月翔が好きで望んでいても、小雨の存在は明るみに出れば仕事を失う一因にしかならない。悲しい現実から目をそむけようとは思わない。できれば誰も傷つかないようなやり方をさぐっていく。これから為すことで信用を強固にしていく。それだけだ。なんて、気が早すぎるだろうか。あんな軽率な切っ掛けで交際をスタートしておいて。
 
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