セカンドクライ

ゆれ

文字の大きさ
9 / 67
1

04

しおりを挟む
 
「急に休みとか無理に決まってんだろ。そりゃ七緒に比べれば遊びみてえな仕事だけど」
「ちょっと、待ってくれ、そんなこと言ってないだろ?」

 タブレットの電源を落とし、テーブルの上に置く。どうも今夜はかみ合ってない気がする。何か杏里の機嫌を損ねるような行為でもしたのだろうか。心当たりは情けないことにまるでない。

「ほんとにいい所だから、お前も一緒に行けたら楽しいなって思っただけ。怒らせるつもりじゃなかった。それにどんな仕事だって誰かにとっちゃ必要不可欠なんだから、そんな言い方するなよ」
「……ごめん」

 杏里は高校を卒業してすぐに働きだしたと言っていた。「最初はフリーターだったけど」と謙遜するがそれでも、利用できるものはフルに利用して大学へ進学しその後もすこしだけ寄り道していた明治に比べればうんと堅実だと思う。親御さんの育て方がいいんだなとただただ好ましい。
 そういうわけで明日の午後にでも現地へ行って終わるまでここへは帰れない。言いづらそうに明治が言うと杏里は「わかった」と頷いてそっとほほ笑んだ。たまらなくなって抱き寄せる。大人らしくああ答えたが本当は連れていきたかった。どうして杏里はうちの社員じゃないんだろう。職場でも一緒だったらどんなに楽しいか、余計な心配だってしなくて済むのに。

 以前から気になっていたことがある。明治がある程度まとまった期間留守にすると、どうも杏里はこのマンションにいないようなのだ。気が付いたのは先月くらいだろうか。明日帰ると連絡して戻り、ちゃんと出迎えてはくれたのだがキッチンに使った形跡がなかった。冷蔵庫も買ったばかりの物で占められている。極め付きはゴミだ。やけにすくなくて、回収直後なのかと曜日を確認したがそうじゃなかった。
 そのうち自ら事情を話してくれるだろうと待ってみているのだが、その気配がいつまで経っても感じられない。明治が何も気にしないと思ったら大間違いだ。逆に良からぬことを妄想しすぎて、ボールペンを圧し折ってしまったことすらあったくらいで。

(許せねえ)

 もし、他に男でもつくっていたら。すうっと深く呼吸を取ると杏里の匂いがして心は安らぐのに体がざわめく。彼の肩に頬をつけたまま明治は静かにくちを開いた。あまり硬質になりすぎず、あくまで冗談めかして。

「今度はどこの別宅に泊まるんだ?」
「え……」

 暮らしを共にしだしたばかりの頃はいくらか戸惑っていたようだったが、すぐに慣れてくれた筈なのだ。楽しいと本人のくちから聞いたことだってある。それなのに明治がいない時は、杏里はどこへ身を寄せているのだろう。

「別宅って何?」
「俺が訊いてるんだけどな。だって杏里、俺が留守の時ここにいないだろ」
「……気づいてたんだ」

 認められると改めてショックだった。だがしらを切られるよりはうんと誠実な態度に一旦くちを引き結ぶ。杏里も譲歩してくれているのだから、こちらもいくらかはするべきだ。互いに大人なのだし、何か事情がある筈だから。
 懸命にそうやって自分を励ます明治に杏里は「男友達だよ」と答える。自分達は互いに同性も肉欲の対象にするとわかっているのにこれは明らかに彼のミスだ。簡潔に『友達』と言われたほうがまだ余白があるぶん引き下がれたのに。引っ掛かって、追及してしまう。

「まさかとは思うが浮気じゃないよな」
「ただの友達だって」
 むっとして返されるが明治だって面白くなかった。どうしてそれを先に言わなかったのか。こちらが年上だからなのか、杏里は何をしても自由なように勘違いしているのではと感じる時がたまにある。今そう思いつくのもまた苛立ちを生む一方だ。

「でも男なんだよな? 酔ったりものの弾みでどうなるかわからなくないか」

 それだけお前は魅力的なのだと言外に含ませた意味は今日の杏里には届かなかったらしい。柳眉を蹴立てると「友達だからありえねえってば!」と語調を荒げる。
 知り合ったその夜だったように思う。杏里が、自分がバイになった切っ掛けを教えてくれたが、それは友達に泣いて乞われて身体を許したというものではなかったか。なのに『友達だからありえない』とおなじくちが明治に言う。どういう事だろう。矛盾しているのに杏里は気がまわらないようだ。

 仄暗い気持ちが、ぽたっと明治の胸に一点の汚れみたいに落ちてゆっくりと広がる。乾いた唇のあわいから、そうか、と自分でも驚くほど低い声が出る。

「まあ俺も学生時代に舞洲とうっかりヤッたことあるけど」
「……は? ……何だよそれ、浮気はそっちのほうじゃねえか!!!」

 ドン、と痛みとおなじくして強い衝撃に襲われ、無造作に突き飛ばされたのだと知る。青褪めた杏里がかすかに震えているのを見て明治はすっかり我に返った。しくじった。端整な双眸は大きく見開かれ、信じられないというように疑念の色を湛えてこちらを凝視している。反射的に腕を取ろうと伸ばした手もぱちんと叩き落とされてしまった。
 これで「そっちだってお友達とヤッてるだろ」などと言おうものならとんでもないことになるとは混乱していてもさすがに判別がつく。無理やり呑み込んで、「杏里、落ち着け」と微妙に的を射ないことを口走った。自分だってろくに落ち着いてないのにもかかわらず。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

欠けるほど、光る

七賀ごふん
BL
【俺が知らない四年間は、どれほど長かったんだろう。】 一途な年下×雨が怖い青年

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

何度でも君と

星川過世
BL
同窓会で再会した初恋の人。雰囲気の変わった彼は当時は興味を示さなかった俺に絡んできて......。 あの頃が忘れられない二人の物語。 完結保証。他サイト様にも掲載。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
「普通を探した彼の二年間の物語」 幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

処理中です...