セカンドクライ

ゆれ

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「自分が何したかもわからねえのに復縁してもらうのって可能か?」
「忌憚なく言わせてもらうと、まあ不可能だろうな」
「……クソ、すこしはオブラートにくるめや」

 長い夏の陽が徐々に暮れてきて、テールランプの赤が沁みる。見慣れたビルが視界に入り、左折して駐車場に停まる。舞洲はすこしやり残している仕事があるというのでタクシーを拾って帰ることにした。送ろうかという申し出は遠慮する。いろいろひとりで考えたかった。
 しかし知らなかったとはいえカフェに杏里が来た時、だいぶ取り乱してしまったのが気恥ずかしい。舞洲も「一度目とまったくおなじように惹かれてたんじゃねえか」とからかう。互いの恋愛事情については特に隠しもしないため、彼も明治視点では杏里を知っているのだ。どんな出会いだったか、どれほど美しくて可愛くてえろくて素晴らしいか、聞いてもないのに話しまくっていただろうから。

「もっとちゃんと憶えてたら俺が全部話してやれたんだが、ウザくてほぼほぼ流してたから」
「お前はそういう奴だわクソが」

 それにいくらなんでも洗い浚いではないだろう。恋人間にはふたりだけが知っていればいい事実がたくさんあるし、破局の原因も、ひょっとしたら明治にさえ知らされていない決定打が何かあったのかもしれない。

 本当に憶えてない。姿を見ても、言葉を交わしてもよみがえらなかったのだ。半年間、杏里と一緒につくった記憶は虹のように掻き消えて永遠に失われた。それなのに舞洲との馬鹿馬鹿しい一夜は普通に憶えている。たまたま期限内とそれ以外だっただけ。軽んじたから忘れたんじゃない。他の条件など存在しないと頭ではわかっていても、何も感じないとは明治にも思えなかった。
 別れた時よりもっと傷つけただろうか。杏里がこれから、誰にも見せずに涙をこぼして、落ち込んで、心をズタズタにするのかと思うとやりきれない。ふたりとも忘れてしまったほうがいっそ良かった。いずれそうなる、と気が付くと張り裂けそうに胸が痛むけれど、そんなのは明治のエゴだ。

「もし逆の立場でも、明治だったら杏里くんと復縁を望むんだろうな」
「……さあな」

 俺は望むけど彼はやっぱり望まないかもしれない。忘れたから、あなたも忘れてほしい。そう言われたら杏里のために従ってしまうかもしれなかった。新しい思い出で塗り替えるのが厭なのだろうか。もう別れた相手だからどうなろうと興味はない、そう考えていたなら今日の呼び出しには応じなかった筈だ。ふとひらめく。
 自分のことを思い出してほしい。もしそれが杏里の望みなら、復縁への可能性を繋ぐ唯一だとすれば難題すぎて途方に暮れた。せめてどういう経緯で記憶を喪失したのかが判明したら糸口になるかもしれないが、あの日比野家の医者にでも再度問い合わせるべきだろうか。タブレットを取り出していきなり資料を漁り始めた明治に、舞洲はちょっと驚いてふっと笑う。

「やっぱ俺も上いく。調べたいことができた」
「了解」

 そうこなくちゃ、と二重に聞こえた気がした。



 * * *



 夏休みはイベントの季節だ。近所の商店街からデパート、観光客も多いベイエリアのデートスポット、果ては競艇場まで、大小さまざま立て込んでいた依頼が毎週末本番を迎える。しかし対象が一般客であれば然程肩肘張らずとも概ね滞りなく終わる。このまえのようにプレス向けやどこぞやの要人が来場するようなものとなるとそうはいかないのだが、現時点ではそこまでの大口は未だ待っている状態だった。
 花火大会に縁日、夜店、納涼祭。地元の町内会が主催する毎年恒例の催しなどにも勉強がてら足を運ぶのだが、必要以上に連れ回したいパートナーを失ってしまった今は専ら若いスタッフに任せきりにしている。付き合いで購入したり貰ったりする試写会やプロスポーツ観戦のチケットなども、杏里の顔が浮かんでしまうため一切行く気にならなかった。

 年を取ってからの失恋がここまでやばいとは思わなかった。本当に仕事しかしてない。仕事をしてないと死ぬ。そして傷心を慰めてくれる思い出すらこれっぽっちもないのに、家に帰るとキーリングの付いた合鍵や赤い歯ブラシ、柑橘系のボディソープ、和食の調味料など明治は買わない物だったり、ふたりぶんの寝具、使いかけの避妊具とポンプ式のローションという幸せの物的証拠だけはちらほらあって、目について、ひどく悲しくなってくるのだ。

 サイズは合うが明らかに明治が着るには若すぎる服を一枚見つけた時は、抱きしめて泣きそうになってしまった。自分がどんどん気持ち悪くなっていくのを止められない。これでは振り向かせるどころかひかれる一方だ。実家住みだと言っていたので恐らく杏里のもとに明治の私物は殆ど無いのだろうが、プレゼントなど何か残る物のひとつやふたつあればいいのにと思う。今日びのドライな若者は、そんなものはとっくに処分しているだろうか。

「……はー……」

 仕事が捗る。何故なら家に帰りたくないから。まるで倦怠期の夫みたいな振る舞いに自分で嗤いながら、黙々とアイデアを出していく。そうは言ってもまったく前例のないイベントは稀なので、一応セオリーのようなものは存在する。先方の意図を最も実現できる手法をいくつか挙げ、予算と擦り合わせて採用したものに応じた会場や業者との間に入る。この繰り返しだ。名前やイメージほど創造的な業務でもない。
 
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